人間は、人間が統制することのない、あるいはただ部分的に支配するに止まる心的過程である。したがって我々は、自分自身についてもあるいはまた我々の一生についても何ら最終的な見解をもたないのである。
【『ユング自伝1 思い出・夢・思想』カール・グスタフ・ユング:アニエラ・ヤッフェ編:河合隼雄〈かわい・はやお〉、藤繩昭〈ふじなわ・あきら〉、出井淑子〈いでい・よしこ〉訳(みすず書房、1972年)】
何かの本でエピグラフとして紹介されていた一文である。結果的にこの文章を確認するだけで終わってしまった。フロイトやユングにはさほど興味がない。
ゲーテは自伝を『詩と真実』と名づけた。ユングのテキストはゲーテの向こうを張るものだ。「私」という表層にとらわれてしまえば全体を見失う。我々は無意識や深層心理を自覚できない。「私」は飽くまでも大脳新皮質の範疇(はんちゅう)に収まっている。生存を支えているのは大脳辺縁系や脳幹だ。生まれたばかりの人間がタブラ・ラサ(白紙状態)であるのは飽くまでも大脳新皮質の次元であって、システムは下部の爬虫類脳に埋め込まれている。
ユングのテキストは人間の可能性を示唆したものだ。それを自分自身にも敷衍(ふえん)したのは慧眼以外のなにものでもない。