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2019-04-06

現代の華厳経/『アファメーション』ルー・タイス


『「言葉」があなたの人生を決める』苫米地英人

 ・現代の華厳経

『「原因」と「結果」の法則』ジェームズ・アレン
『「原因」と「結果」の法則2 幸福への道』ジェームズ・アレン
『新板 マーフィー世界一かんたんな自己実現法』ジョセフ・マーフィー
『未来は、えらべる!』バシャール、本田健
『潜在意識をとことん使いこなす』C・ジェームス・ジェンセン
『こうして、思考は現実になる』パム・グラウト
『こうして、思考は現実になる 2』パム・グラウト
『自動的に夢がかなっていく ブレイン・プログラミング』アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ
『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ
『ソース あなたの人生の源はワクワクすることにある。』マイク・マクナマス

【何を達成するかは、ほとんどの場合、何を信じるかによって決まります】。「信じることができれば、達成したも同然」と言ってもいいでしょう。

【『アファメーション』ルー・タイス:苫米地英人〈とまべち・ひでと〉監修、田口未和訳(フォレスト出版、2011年)以下同】

 帯に「NASA、米国国防総省、フォーチュン500社の62%が導入する世界最高レベルの自己啓発プログラム!!」と麗々しく書かれている。原著は1995年出版、2005年改訂。

 アファメーションとは現代の華厳経である。本書を読んでますますその感を強くした。

【信じることを変えれば、結果がついてくる】のです。信じることを変えれば、人生をどう生きるかを変えることができます。

 ダメだと信じていればダメな動きとなってダメな結果が出る。無理だと思えばできない範囲に選択肢が狭(せば)められ、どうあがこうと無理だ。自分にはできる、自分ならやれると信じればこそ道は開かれるのだ。

 何を本当に望むのか、それを決めるだけの問題なのです。

 実はこれが難しい。欲望を突き抜けた向こう側の地平を見渡す必要がある。アラン・ワッツの強烈なメッセージに耳を澄ませて欲しい。


【「あなたが想像することは、現実世界で実現できる」】

 想えば叶(かな)う。一念心は岩をも貫く。念じる思いが浅きから深きに至ると環境が動き始める。末那識(まなしき=自我)を超えて阿頼耶識(あらやしき≒集合的無意識

【態度とはあなたが傾く方向。】

 未来を信じることでこの傾きを修正するところにアファメーションの作法がある。業(ごう)の転換といってよい。

 もう一度いいますが、【私たちは本当の真実ではなく、自分が信じる“真実”に従って行動します】。

 脳機能の特徴は「虚構を語り信じる能力」(『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ)にある。社会とは虚構を共有するコミュニティの異名であり、虚構を否定する者は排除される(村八分)。虚構を真実と錯覚するところに不幸の原因がある。

 人は自分について言われたことをどう認めるかによって、自己イメージを築きます。自己イメージはあなたが自己制御する基準になります。すべての思考を基にこの基準をつくり、それに基づいて自己制御を行うということです。自分がその基準に満たないと認識すると修正し、基準を超えていると認識したときにも正しい位置に戻そうとする力が働きます。
 つまり、どのように自分や周囲の人に話しかけるかが、自分の潜在能力を引き出して目標を達成する鍵となるわけです。
 誰かを見下しているときには、相手を卑小に見せるような言い方をします。誰かを低く評価しているときには、実力以下の仕事をさせます。私は自尊心が低下しているときに、より他人を見くびる傾向があります。すると、相手を自分より小さく見せるために、辛辣(しんらつ)な言葉を浴びせます。実際には、「私より小さくなれ、私が大きく見えるように」と言っているのです。

 自他のイメージ操作によって自我が形成されるとは驚くべき指摘だ。幼児期に親からどのような扱いを受けたかで人生は分かれる。児童虐待の本当の恐ろしさもここにある。

 評価が自我を定めるとすれば、これほど当てにならないものもあるまい。毀誉褒貶(きよほうへん)に振り回されることは必定である。誰も見ていないところでやるべきことをやっていれば自信は静かに築かれる。手抜きやインチキがあれば誰が知らなくとも自分だけはその事実を知っている。

 クルマの窓からゴミを捨てたり、階段の下でまごついている車椅子の人を無視したり、明らかに間違っていることを教えてあげなかったり、自分が捨てたわけではないとゴミを拾わなかったりするところから自分が堕落し社会が乱れる。

 山は静かである。本物の自信は山のように動くことがない。

2019-03-27

アファメーションの解説書/『「言葉」があなたの人生を決める』苫米地英人


 ・アファメーションの解説書

『アファメーション』ルー・タイス
『「原因」と「結果」の法則』ジェームズ・アレン
『「原因」と「結果」の法則2 幸福への道』ジェームズ・アレン
『新板 マーフィー世界一かんたんな自己実現法』ジョセフ・マーフィー
『未来は、えらべる!』バシャール、本田健
『潜在意識をとことん使いこなす』C・ジェームス・ジェンセン
『こうして、思考は現実になる』パム・グラウト
『こうして、思考は現実になる 2』パム・グラウト
『自動的に夢がかなっていく ブレイン・プログラミング』アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ
『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ
『ソース あなたの人生の源はワクワクすることにある。』マイク・マクナマス

【アファメーションとは、簡単にいえば、あるルールにもとづいてつくった言葉を自らに語りかけることです。】

【『「言葉」があなたの人生を決める』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉:マーク・シューベルト監修(フォレスト出版、2013年)以下同】

 思想的な流れでいうと、アメリカキリスト教のニューソートから成功哲学、ポジティブ・シンキング(積極思考)、自己啓発、引き寄せの法則などが派生した。エマーソン~ソローが大きな影響を与えており、後に誕生するニューエイジなどを考え合わせると、彼らはアメリカにおける鎌倉仏教のような役割を果たした可能性がある(神智学協会というコネクター/『仏教と西洋の出会い』フレデリック・ルノワール)。

【私たちの思考は、すべて言葉で成り立っています。】もちろん、イメージを使って考えることもありますが、そのイメージの元をたどっていくと、それらはすべて自分や対象を規定する言葉に行き当たります。

 脳が言葉に支配される様相を直覚して言霊信仰が生まれたのだろう。言葉自体はコミュニケーションのツールとして発生したのだろうが、あまりにも便利すぎて道具が我々を支配したのだ。厳密にいえば言葉になる前の思考は存在する。「どうしようかな」と思いあぐねる時、言葉に先立つモヤモヤが確かにある。それは思考・感情・選択・判断などが混じり合った暗い沼のような領域を形成する。ところが何らかの結論を出した途端、我々の脳は結論から逆算して論理を構成し、筋道を作って正当化するのだ。これを他人に説明する時は相手が納得するだけの根拠を後付で用意する。この時間の逆転現象を我々が自覚することはまずない。

 このように【私たちが行う選択と行動は、その人がどんな言葉を受け入れいているかによって決まってしまいます。】
「自分は能力のない人間だ」という言葉を受け入れいている人は、能力のない人間の選択と行動をとるし、逆に「自分は能力のある人間だ」という言葉を受け入れている人は、能力のある人間にふさわしい選択と行動をとります。

 自分のレッテルは自分で貼っているということだ。

 ルー・タイスは、こうした人生のゴールを「【現状の外側にあるゴール】」といい、「【人生のゴールは、現状の外側に設定しなさい】」と教えました。
「現状の外側にあるゴール」とは、いったいどういうことでしょうか?
 つまり、簡単にいえば、【いまの自分とはかけ離れ、いまの仕事や環境では考えつかないような突飛なゴール】のことです。(中略)
 いまの現状からかけ離れた人生のゴール、つまり【現状の延長線上にはない突飛なゴールだからこそ、逆に私たちはそれを100%実現することができるのです。】

 アファメーションとは自分の潜在意識に言葉で働きかけるテクニックだ。思考が言葉に支配されているならば言葉を変えればいいのだ。言葉には人を動かす力が確かにある。具体例を示そう。

言葉の重み/『時宗』高橋克彦
将は将を知る/『楽毅』宮城谷昌光

 私自身、振り返ると人生の行き詰まりを感じた時には必ず先輩の言葉に助けられた。言葉が心を動かし人を動かすのだ。

 ここまで見通せればアファメーションが華厳経の焼き直しであることが立ちどころに理解できる。「心は工(たくみ)なる画師(えし)の如く種種の五陰を画く。一切世間の中に法として造らざること無し」(華厳経第十)。世界は心の影なのだ。

 小学2年の時から付き合いのあるイガラシという友人がいる。滅法面白い男でとにかくコイツの周りでは面白い事件が起こる。小学生の頃からずっとそうなのだ。そこで私ははたと気づいた。「イガラシの周りで面白い事件が起こるのではなく、イガラシが面白い人物だからこそそういう事件を引き寄せるのだろう」と。私がこれを悟ったのは10代の頃である。一人は万人に通じる。悲観的な人物の周りには悲観的な出来事が多いし、暴力的な男の周りには血なまぐさいトラブルが多い。結局、同じ世界にいながらも我々は別の世界を生きているのだ。

 智ギ(天台大師)は先に挙げた華厳経の文(もん)を引いて一念三千の傍証とした。一念三千とは一瞬の生命に三千種の可能性があることを示したものだ。自分の思うがままに生きることこそ自由であり、「我がまま」の本意であろう。もちろん邪心があれば邪(よこしま)な世界が現出する。未来といっても現在の自分の中から生まれる。その鍵を知れば潜在意識に働きかけることはさほど難しいことではない。



人は自分が探しているものしか見つけることができない/『心晴日和』喜多川泰

2014-04-04

他人によってつくられた「私」/『西田幾多郎の生命哲学 ベルクソン、ドゥルーズと響き合う思考』檜垣立哉、『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人


 それに、「私」が経験していることとは、それが何かの意味を持つ以上、実は「誰か」の経験であることのたどり返しであるという部分も大きい。
 そもそもが、本当に、「私」に独自のものとして見ていることなどあるのだろうか。「私」が何かを感じていても、その感じ方自身、「他人」にょってどうしようもなく刷り込まれたものでしかないのではないか。また「私」の経験とは、ある意味で「他人」の経験である「過去」の「私」によって感じられた事柄が、いかんともしがたく介在している、そうしたものではないか。その意味で見ることや感じることは、「私」のコントロールを、はじめから外れているのではないか。
 こうした事態を、哲学はさまざまな仕方で論じている。西田と同時代のいくつもの思考が、「私」以前に作動しているような、こうした場面を解き放っている。

【『西田幾多郎の生命哲学 ベルクソン、ドゥルーズと響き合う思考』檜垣立哉〈ひがき・たつや〉(講談社現代新書、2005年)】

 このくどい文章も西田の影響を受けているのだろう。「その感じ方自身」は自体とすべきだ。苫米地英人がもっと明快に書いている。

 つまり、あなたが見ているのは【過去の自分にとって価値のあるもの】だけであり、それは【他人によってつくられた世界】なのです。
 あなたの生きている世界は、すべて【他人によってつくられた世界】なのです。あなたの見ているもの、あなたの行動、あなたの思考は他人によってつくられている可能性が高いのです。
 これは、たいへん怖ろしいことです。もしも、ある一部の権力者によってメディアがコントロールされてしまえば、あなたは【他人によってつくられた人生】を生きるしかないのです。「自由」は完全に奪われてしまいます。

【『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(フォレスト出版、2011年)】

 檜垣の文章が同じ場所をグルグル回っているのに対して、苫米地はどんどん前へ進んでいる。哲学が考えることであるなら、考えすぎた挙げ句に足がもつれて転んでしまう。更に決定的なことは哲学によって救われた人を私は見たことがない。ま、私の知能レベルだと澤瀉久敬〈おもだか・ひさゆき〉のエッセイくらいしか理解できない(『「自分で考える」ということ』)。

 私が半世紀前に誕生した時、私は何ひとつ「つくっていない」。確かに「他人によってつくられた世界」だ。そして価値観は親を始めとする大人たちの態度(教育や言動ではない)によって形成された。子は親の顔色を窺う。褒められたり叱られたり貶(けな)されたり無視されたりする中で我々は社会のルールを学んだ。ま、くそ下らないルールではあるが。

 私とは私の過去である。過去と同じ一貫性のある反応を我々は個性と呼ぶ。各人が「私」という物語を編んでいるわけだ。諸法無我とは「私」という幻想に鉄槌(てっつい)を下した言葉である。「私」とは私の欲望の異名でもあった。「私」に固執するから喧嘩となり、戦争に至る。私のもの、私の考え、私の神こそが争いの原因だ。

 よく考えてみよう。ただ、「私」という受信機があるだけだ。それゆえ反応の仕方を少しずらしたり変えたりすることで世界は別の顔を現す。世界が退屈なのは君が退屈なせいだ。世界がつまらないのはお前がつまらない人間だからだ。厳密にいえば世界とは「私の世界」に他ならない。だから、あんたの世界と俺の世界は別物だ。俺の世界は満更でもないよ。

 ただ、愚かな政治によって私の世界が侵食されているのは確かだ。

西田幾多郎の生命哲学 (講談社現代新書)
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欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人
我が子の死/『思索と体験』西田幾多郎
「或教授の退職の辞」/『西田幾多郎の思想』小坂国継

2014-03-29

欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人


・欽定訳聖書の歴史的意味
他人によってつくられた「私」

 あなたは、15世紀の大ベストセラー『魔女に与える鉄槌』(Malleus Maleficarum)を知っていますか?
『魔女に与える鉄槌』は、1486年にドミニコ会士で異端審問官であったハインリヒ・クラマー(Heinrich Kramer)とヤーコプ・シュプレンガー(Jacob Sprenger)によって書かれた【魔女狩り】に関する論文です。魔女発見の手順とその審問と拷問の方法についてこと細かに記されており、中世において大きな影響を与えたことで知られています。

【『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(フォレスト出版、2011年)以下同】

 私は小室直樹著『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』で『魔女に与える鉄槌』を知った。本書はキリスト教を通してメディアと洗脳に切り込んでいる。文章はやさしいのだがキリスト教の知識がなければ理解が難しいか。

 新しいメディア(媒体)の登場は情報伝播(でんぱ)のスピードを一気に加速する。そして自由に氾濫した情報が人々に不自由な生き方を強いて、ついには新たな魔女狩りに至るといった主旨だ。


 21世紀を生きる日本人として、やはりキリスト教を知の常識として学んでおくことが必要だ。私は昔っからキリスト教に対して嫌悪感を抱いているが、キリスト教を知らずして欧米文化――すなわち先進国文化――のコンテクストを理解することは不可能だ。

キリスト教を知るための書籍」を読む余裕のない人は、
魔女狩り』森島恒雄
インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
苫米地英人、宇宙を語る』苫米地英人
日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
 を読んでから本書に望めばシナプスがスムーズにつながることだろう。

 本書によれば『魔女に与える鉄槌』がドイツで出版されたのが1487年。1520年までに13版の増刷が重ねられ、その後1574年から1669年にわたって33版に至る。苫米地の計算によればグーテンベルク聖書の発行部数を基準(1版あたりの印刷が180部)にすると、で、最初の13版で2340部、次の33版で5940部、合計8280部となる。これに海賊版を加えると優にグーテンベルク聖書を上回った可能性があるとしている。

 魔女狩りのマニュアル本にこれほどの需要があったところから当時の時代的雰囲気が伝わってくる。キリスト思想に抑圧されたヨーロッパ人が集団ヒステリーを起こし、生け贄(にえ)を探していたわけだ。抑圧的な思考は必ず暴力的な行動を招く。


 佐藤優が「イエスの教えを、ユダヤ教とは別のキリスト教であると定型化したのはパウロだ。従って、キリスト教の開祖はイエス・キリストであるが、開祖はパウロである」(『功利主義者の読書術』新潮社、2009年/新潮文庫、2012年)と指摘。これに対して苫米地はコンスタンティヌス大帝(1世)を開祖に挙げる。私は苫米地に一票。

世界の構造は一人の男によって変わった/『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ

 ここから苫米地は聖書の翻訳にまつわる問題を取り上げる。

 英語の「Virgin」に置き換えられたもともとのヘブライ語は「若い女性」という意味であり、イエスの処女懐胎が教義となったのは325年ニカイア公会議においてです。もともとヘブライ語で"almah"という単語が使われており、これは結婚適齢期の女性、もしくは新婚の女性を表す一般名詞です。これがギリシア語に訳される過程で、若い女性と処女の両方を意味する"ギリシア語略 (parthenos)"と訳されました。ニカイア公会議ではヘブライ語の元の言葉を無視してギリシア語の派生的意味合いの「処女」をわざわざ選んだのです。

 キリスト教の書き換え~上書き更新だ。宗教も歴史も常に「書き換え~上書き更新」を繰り返す。なぜなら脳のシステムがそのようにできているためだ。ただし、つながりやすさ=進歩ではないことに留意する必要がある。


 英語の聖書というのは、通常イギリス国教会の聖書です。KJV聖書といわれます。プロテスタントの聖書は英語で書かれたものであり、それ以外は正しい聖書ではないとさえ言えるのです。実はカトリックの聖書も英語の聖書はKJV聖書をベースにしています。

 この聖書を作成した人物は誰か?

 プロテスタントの英語聖書をつくったのは、スコットランド、イングランド、アイルランドを治めたジェームズ1世(チャールズ・ジェームズ・スチュアート)です。彼は1611年に、イギリス国教会の典礼に使うという理由から『欽定(きんてい)訳聖書』(KJV聖書)をつくりました。
 じつは『欽定訳聖書』が誕生する14年ほど前、ジェームズ1世は『デモノロジー』(悪魔学)という書物を著しています。この本は、先に紹介した『魔女に与える鉄槌』の系譜を汲(く)み、イギリスにおける魔女狩りの指南書の役割を果たしました。つまり、イギリスの魔女狩りを主導した王が、現代に受け継がれるイギリス国教会の聖書をつくったのです。


 権力者は聖書を巧妙に書き換えた。「汝殺すことなかれ」の"kill"を"murder"に置き換えた。ここから「神は"murder"は禁じても"kill"は禁じていない」との論理が生まれる。ただし第1回十字軍が1096-1099年であった歴史を踏まえると神の正義と暴力には元々親和性があったと考えてよかろう。欽定訳は暴力のギアをシフトアップした。

 私は昂奮を抑えることができなかった。アングロ・サクソン人の優位性を決定づけた理由が初めてわかったからだ。魔女狩りという同胞の大虐殺から『欽定訳聖書』が生まれ、アングロ・サクソン人の系譜はプロテスタント~ピューリタンの渡米~プラグマティズムへとつながる。

 世界覇権はローマ帝国から大英帝国に移ったが、そこからアメリカには移っていないような気がする。多分アメリカという国家そのものがメディアの役割を果たしているのだ。それゆえ王が存在しないのだろう。

 テンプル騎士団についても詳しく触れていて実に勉強になった。

「新しい媒体は必ず、人間の思考の質を変容させる。長い目で見れば、歴史とは、情報がみずからの本質に目覚めていく物語だと言える」(『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック:楡井浩一訳)。

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魔女狩りは1300年から激化/『魔女狩り』森島恒雄

2014-03-11

道教の魂魄思想/『「生」と「死」の取り扱い説明書』苫米地英人


 中国では「魂魄(こんぱく)思想」という考え方があります。これは、道教儒教にも強い影響を与えています。
 魂魄思想によれば、霊魂には「魂」と「魄」の2種類があり、「魂」は体から抜け出して位牌に宿って、やがて天に登り、「魄」は死体に残って土に埋められ、やがて土に還るといいます。日本でもいまだに位牌を大事にしたりするのは、この魂魄思想が定着しているからです。
 これは仏教ではありません。中国の道教と仏教が融合してしまい、それを日本人が中国から輸入したために、日本にも根づいてしまったのです。

【『「生」と「死」の取り扱い説明書』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(KKベストセラーズ、2010年)以下同】

 日蓮の遺文にも「魂魄」という語が2箇所に出てくる。日本の仏教はキメラの様相を呈している。胴体は密教で頭が仏教。そして手足は儒教と道教で構成されている。幸福の科学は日本仏教の正統かもね。

 誰もが死を恐れる。自分の死を喜ぶ人はいない。自分という存在や自分という価値が消えて無くなる。その事実を人間は直視することができない。だから宗教は「死後の物語」を創作・捏造(ねつぞう)するわけだ。「死んでも大丈夫ですよ」と。しかしその安心代は高くつく。

 宗教が語る死後の世界とか、死についての考え方というのは、すべて妄想であると考えなければいけません。なぜなら、生きている人で死後の世界を見た人は誰もいないからです。
 生死の境をさまよい、九死に一生を得て助かった人が、「臨死体験をした」などと言って、あたかも死後の世界を見てきたかのように語ることがありますが、それも完全に妄想です。生死の境をさまよいながら、あの世の夢を見ていただけです。
 本当に死後の世界を見たのなら、戻って来られるはずがないのです。戻って来られたということは、そこで見たものは死後の世界ではなく、生前の世界に決まっています。
【こうした妄想を、妄想だとわかって受け入れるのはかまいません。それによって、「死」への恐怖が和らぎ、「死」に対する心の整理がつくのであれば有益です。】

「妄想」に一票。「有益」には反対だ。有益を目的とするのであれば、それは宗教ではなくプラグマティズム(効用主義)だ。本人にとっても遺族にとっても何の慰めにもならないと私は考える。極端な例えを示そう。振り込み詐欺の被害者に「『オレ、オレ』と電話をしてきたのは、アストラル界にいるあなたの息子さんなのです」と納得させたら、それが救いになるのだろうか?

 苫米地はこの後、三諦(さんたい)を示し、妄想とわかった上で物語を採用する姿勢を「中観」(ちゅうがん)としている。

「空観」(くうがん)の視点でフィクションだとしっかり認識しつつ、「仮観」(けがん)の視点でその役割を認めて、フィクションの世界に価値を見いだす視点が「中観」(ちゅうがん)なのです。

 ここからは私見である。三諦は無記との関連性で捉える必要がある。

無記について/『人生と仏教 11 未来をひらく思想 〈仏教の文明観〉』中村元
「無記」の教え=十難無記、十四難無記

 ブッダは霊魂や死後の存在に関して「ある」とも「ない」とも説かなかった。説かなかったのだから考えたり、思いあぐねたりする必要はない。すなわち霊魂や死後の存在の有無から離れることが正しいのだ。ここにおいて新しい物語を創作する必要性は認められない。

 3年前の今日、東日本大震災があった。今日現在で行方不明者の数が2633人と報じられている。今もご家族の遺体を探している人々がいるとも聞く。人は情に生きる動物だ。合理性で割り切れるものではない。哀しみの表情は人それぞれに複雑な陰影をなす。

 遺体が見つかれば見つかったで哀しみは倍加することだろう。遺体が見つからなければ見つからなかったで哀しみは膨(ふく)れ上がることだろう。いずれにしても哀しみは深まるばかりで癒されることがない。

 遺体に魂が存在するわけではない。そして遺体は必ず土に還(かえ)る。海にあろうと墓にあろうと土に還るのだ。哀しみは執着である。人間にとって最も深い執着といってよい。遺体から離れ、哀しみから離れる。離れてただ見つめればよい。自分自身もやがて死ぬ。亡くなったことを哀しむよりも、共に生きた時間を喜ぶべきだろう。亡くなったご家族や友人もそう思っているはずだ。死者を胸に抱(いだ)きながら、心の中で生かせばいい。私はそうしている。

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死別を悲しむ人々~クリシュナムルティの指摘
我が子の死/『思索と体験』西田幾多郎

2014-02-13

「原発稼働停止」の嘘/『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力』苫米地英人


日本の原発はアメリカの核戦略の一環
・「原発稼働停止」の嘘

 しかし、実態は違います。「停止」あるいは「再稼働」という言葉に騙(だま)されてはいけません。
【日本の原発が停止したのは、「発電」だけです。】
 核燃料棒の「発熱」は続いていますし、原子炉を冷やす「冷却運転」も続いています。つまり、発送電が停止したにすぎません。
 原発というのは、「臨界」(りんかい)と呼ばれる核分裂の連鎖反応によって大きな熱を生み出して、発電をする仕組みです。
 制御棒を入れ絵、中性子の動きを止めることによって、核分裂の連鎖反応を止めることはできます。ですが、臨界は起きていなくても、ウランの燃料棒は崩壊熱を出し続けます。冷やさなければ、熱がたまりすぎて、過熱状態になることもあります。
 発熱が続いている状態を「稼働停止」の状態といえるでしょうか。

【『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(日本文芸社、2013年)】

 我々は日々流れてくるニュースに目を奪われ、これほど重要な事実も見失ってしまう。問題は「電気」ではなく「ウラン」なのだ。ここから目を逸らさせることが計画停電の目的であったのだろう。

 苫米地は更に「自動車のエンジンでいえば、空回りしている『アイドリング状態』」であり、「日本の原発は、単に発電を停止しただけであり、『出力ゼロ』になっているだけです」と続ける。そりゃそうだ。廃炉にする場合でも数十年かかるのだから。

 一度点(つ)けた神の火は簡単には消えない。原発を導入した政治家や東京電力にその覚悟があったとは思えない。彼らは夢と理想を語っただけだ。そして繰り返し「安全」を説き、神話のレベルにまで引き上げた。

 政治主導といえば聞えはいいが、民意が熟成するだけの時間は与えられていないし、そもそも情報公開がなされていない。政治のセンセーショナルな決断は常に国民を欺く性質を有する。

 去る東京都知事選では反原発候補二人が敗れた。だが選挙結果=民意ではいだろう。民意にはきちんとした情報開示とまともなジャーナリズムが必要不可欠だ。既に選挙は民意を問うものではなく、感情や感覚に動かされる衆愚のバロメーターと化しつつある。

 権力者は愚かな民を好む。そして愚か者同士が争い始めるのだ。

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苫米地英人

2014-02-12

日本の原発はアメリカの核戦略の一環/『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力』苫米地英人


・日本の原発はアメリカの核戦略の一環
「原発稼働停止」の嘘

 なぜ、自民党は原発をやめることができないのでしょうか。
 それは、日本の原発がアメリカの核戦略の一環であることを自民党は熟知しているからです。
 第二次大戦後、アメリカは敗戦国日本を占領し、日本から徹底的に軍事力を奪う政策をとりました。そのアメリカが、何の理由もなしに、原爆製造につながりかねない原子力技術を日本に提供するはずがありません。
 日本は、アメリカの核戦略に全面的に協力することを条件に、見返りとして原子力技術を得たのです。
 アメリカとしては、日本に危険な技術を教える以上、日本を徹底的なコントロール下に置こうとするのは当然のことです。アメリカの意向を忠実に実現してくれる政党を支援し、アメリカの意向に沿った情報を流すメディアを育成しようとしました。
 その結果として、アメリカの意向に忠実な自民党が長年にわたって政権を握り続け、原発を推進してきたのです。
 また、アメリカは、電通などの広告代理店を通じて、日本の新聞・テレビの情報もコントロールしました。アメリカは、日本国民がアメリカに逆らわないように、政党支配とメディア・コントロールによって、日本国民を洗脳し続けてきたというわけです。

【『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(日本文芸社、2013年)】

 敗戦の事実はこれほど重いのだ。1945年(昭和20年)8月15日に敗戦。9月2日、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ前方甲板において降伏文書に調印。この日からサンフランシスコ講和条約(1951年9月8日調印)が発効する1952年(昭和27年)4月28日までの約7年間、日本はGHQの支配下にあった。そしてGHQの実体はアメリカを筆頭とするアングロサクソン人であった。

 占領を経て日本の何がどう変わったのか。戦後の日本は経済成長に酔う中で歴史の検証を怠ってしまった。沖縄の米軍基地問題、クロスオーナーシップ、慰安婦問題などは敗戦に根を下ろした問題であろう。

 大体、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の切実な訴えに耳を貸す政治家は当初いなかった事実を思えば、この国は国家の体(てい)を成していない。

 日本経済が発展したのはアメリカが戦争を行うたびに日本の外需が増えたからだ。決して自力で先進国入りしたわけではない。それが証拠に日本が購入した米国債やドルは自由に売ることができない。またゴールドを保有することも制限されているといわれる。いつまで経っても食料自給率が上昇しないのも同じ理由だと思われる。我が国はアメリカに急所という急所を握られているのだ。


「♪洗脳はつづくーよ、どーこまでーも」ってわけだ。東京都知事選の結果がそれを雄弁に物語っている。原発はなくならない。たとえ日本がなくなったとしても。

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テレビ局と大手新聞社は原発利権の一部/『利権の亡者を黙らせろ 日本連邦誕生論 ポスト3.11世代の新指針』苫米地英人
官僚機構による社会資本の寡占/『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃

2013-11-04

マネーサプライ(マネーストック)とは/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人


米軍による原爆投下は人体実験だった
明治維新は外資によって成し遂げられた
・マネーサプライ(マネーストック)とは

 預貯金のカラクリは、マネーサプライという経済用語を吟味すると、わかってきます。
 マネーサプライは、市中に供給されたお金のことをさす言葉だと一般に理解されていますが、これだけではそれが私たちにどう関係することなのか、本当の姿を把握することはできないでしょう。
 経済の虚飾をそぎ落としていえば、マネーサプライとは借金の総額である、ということができます。お金の供給が増える、つまりマネーサプライが増えるとうのは、いわば見せかけのお金、それも借金が増えるということなのです。

【『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(ビジネス社、2008年)以下同】

マネーサプライの定義について
マネーサプライの減少-借金の返済/マネーサプライの増加-国民にお金を配る

 これぞ複式簿記原理。誰かの資産は必ず誰かの負債なのだ。資本主義の原動力は借金である。否、資本主義は借金から誕生したのだ。

資本主義経済の最初の担い手は投機家だった/『投機学入門 市場経済の「偶然」と「必然」を計算する』山崎和邦

 マネーサプライは通貨基準でマネーストックは銀行基準と考えてよいと思う。が、いずれも借金である事実に変わりはない。

 では銀行の機能を見てみよう。

◆信用創造のカラクリ

 さて、信用創造を行うために必要な銀行が保有する預金額のパーセンテージを預金準備率(支払準備率)といいます。銀行はこの準備率に見合うお金を、日銀の当座預金に預けるよう義務づけられています。要するに、銀行が貸し出しを行うための証拠金ということです。(中略)
 いまの日本の準備率はといえば、定期性預金ならば、0.05~1.2パーセント、その他の預金なら0.1~1.3パーセントにすぎません。驚くほどわずかな証拠金といえます。
 話を簡略化するために、日本のすべての預金の準備率が1パーセントだったと仮定しましょう。とすると、銀行は100万円を預かると、全額を日銀に預け、9900万円を借り手の口座に創設することができます。つまり合計の預金残高は1億円になります。1パーセントの準備率でマネーサプライは100倍に増えるのです。日本の現在の準備率は0.1パーセント程度ですから、100万円の預金があれば10億円が創造されるということです。
 これが、マネーサプライが増えるカラクリです。

 おわかりだろうか? 銀行が行う信用創造とは、レバレッジが100~1000倍の安全なギャンブルといってよい。わかりやすく単純にいえば、1万円の預金があれば100~1000万円貸し出していいよ、というお墨付きが準備率だ。一般市民の感覚からすれば「不信用創造」そのものだ。

信用創造のカラクリ/『ギャンブルトレーダー ポーカーで分かる相場と金融の心理学』アーロン・ブラウン

 1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領はドル紙幣と金(ゴールド)の兌換(だかん)を停止した。これがニクソン・ショックである。


 その後、1985年9月22日、G5(先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議)によりプラザ合意が発表される。ま、世界規模で行われたドル安談合だ。なかんずく貿易赤字が顕著であった日本が狙い撃ちされた。これがバブル景気をもたらす。

 ニクソン・ショックを経て1973年から為替の変動相場制が始まった。金本位制度は死んだ。そして何の裏づけもない紙切れが「マネー」という怪物に変貌した。資本主義は信用創造に支えられる新時代の宗教に格上げされた。つまり紙は神となったわけだ。



官僚機構による社会資本の寡占/『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃
信用創造の正体は借金/『ほんとうは恐ろしいお金(マネー)のしくみ 日本人はなぜお金持ちになれないのか』大村大次郎

2011-11-08

フランス人に風鈴の音は聞こえない/『夢をかなえる洗脳力』苫米地英人


 ・世界とは自分が認識したもののことである
 ・フランス人に風鈴の音は聞こえない
 ・運命か自由意思か~偶然と必然

 ある夏の日に、フランス人の女性と和室で会食したときのことです。その部屋には風鈴がかけられ、涼しげな音を奏(かな)でていました。ここで私はそのフランス人の女性に尋ねました。
「あなたはこの装置(風鈴のこと)の存在に、あるいはこの装置が発する音に気付いていましたか?」
 案の定、その人はまったく気付いていませんでした。
「これはいったい何ですか?」
「これは言ってみれば『メンタル・エアー・コンディショナー』です。涼しげな音を出すことで、気持ちから涼しくする装置です」
 そう説明してからは彼女は珍しそうに見入るようになりましたし、音にも注意を払って聞いていました。
 でも、実際には説明する前から風鈴は彼女の視界にあったはずですし、音だって物理的信号としてはちゃんと彼女の鼓膜を振動させていたはずです。にもかかわらず、彼女は風鈴の存在にも音にも気付かなかった。それは彼女が「風鈴」というものを知らなかったからです。人は知らないものは認識できないのです。逆に言えば、認識できる範囲だけがその人にとっての世界ということになります。

【『夢をかなえる洗脳力』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(アスコム、2007年)】

 前にも紹介しているのだが再掲。

擬音語・擬態語 英語は350種類、日本語は1200種類/『犬は「びよ」と鳴いていた 日本語は擬音語・擬態語が面白い』山口仲美

 我々は世界を認識しているわけではない。その証拠ともいえるエピソードである。つまり「認識されたもの」が世界なのだ。「世界は五感で構成されている」と言い換えてもよい。

「知らないものは認識できない」という指摘が重い。私が40歳を過ぎてからキリスト教の本を読むようになったのも全く同じ理由からだ。キリスト教を学ぶと世界や歴史の構造がくっきりと見えるようになる。

 またこうも言えるだろう。世界とは認識世界であり解釈世界である、と。

 西欧列強諸国は有色人種を虫けらと解釈してきた。教室内ではシカト(無視)という解釈もある。解釈が世界を変える。相手を「殺してもよい」「無視しても構わない」存在へと貶(おとし)めるのだ。

 教義、法、秩序の根源にあるのはタブーである。すなわちコミュニティとは「タブーを共有する集団」と規定できる。宗教が集団原理と化したところに世界の混乱が生まれたと私は見る。

 我々は興味や関心のない情報を無意識の内に切り捨てる。というよりも引っ掛からないのだ。ということは、穴ぼこだらけの世界に住んでいるのだろう。異なる価値観に歩み寄る努力を怠れば、穴はどんどん拡がってゆく。

 フランス人に風鈴の音は聞こえなかった。ルワンダの叫び声やパレスチナの悲鳴も世界には届かない。

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日本語が作る脳:虫の音や雨音などを日本人は左脳で受けとめ、西洋人は右脳で聞く!?
外人には虫の声は聴こえない?
物語る行為の意味/『物語の哲学』野家啓一

2009-06-16

米軍による原爆投下は人体実験だった/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人


『死生観を問いなおす』広井良典

 ・米軍による原爆投下は人体実験だった

『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル

キリスト教を知るための書籍

 またしてもベッチーである。これは傑作。最近の量産ぶりは玉石混淆だが、本書は一つの集大成ともいえる。それほど完成度が高い。各章の意図が明確で、薀蓄(うんちく)に傾きがちな悪癖が影を潜めている。装丁もグッド。

 苫米地の胡散臭さは、天才にありがちな「ま、わかる奴だけわかればいいや」という手抜きに起因している。穿(うが)った見方をすれば、「トンデモ本と思わせておけば好都合」という魂胆さえ見え隠れしている。

 例えば、スピリチュアル系の内容だと仏教の造詣が求められるし、本書であれば経済の仕組みに関する基礎知識が不可欠だ。私が読んできた限りでは、苫米地英人が単なる思いつきで、いい加減なことを書いた形跡はない。凄いことをさらりと書いておきながら、知を統合させる方向へリードしているように感ずる。
 本書は初の経済モノ。資本主義経済という名のもとで、どのように大掛かりな洗脳が行われ、国民が目隠しをされているかを暴き出している。イントロは、原爆投下にまつわる洗脳だ――

 原爆投下の理由について、新型爆弾である原爆を当初、米国の原爆を開発した科学者たちは、呉などの軍港の、それも沖合いに投下するという説明を受けていました。それを、当時の米国軍部は原爆の威力を測定する意味合いで、都市部に落とすことに変えました。人体実験を目的として日本に落としたと言えます。このことは、残された米軍の資料など、さまざまな証拠から明らかになっています。
 ところが日本人の多くは、「第二次世界大戦を早く終らせるために、アメリカは日本に原爆を投下せざるをえなかった」と教育され、いまだにそう思い込んでいます。
 実際、昭和20年の東京大空襲など、一連の空爆による日本全土焼き払い作戦のときから、米軍部は日本に戦争遂行能力がないことをはっきり知っていました。日本全土を焼き払うこと自体、すでに人体実験です。一般市民が無差別に死んでいくなかで、戦争の恐怖がどのように天皇を頂点にした国家を変えていくのか、研究していたのだと私は見ています。
 そして、その次に原爆投下です。敗戦前の少なくとも半年の間、日本人は国ごと一部の米国人の実験用モルモットとして、やりたい放題に殺されたというのが歴史の事実です。

【『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人(ビジネス社、2008年)】

 私もそのように思い込んでいた。日本軍に侵略されたアジア諸国の国民から見れば、原爆投下は正当化されるのかも知れない。はたまた、ソ連軍の参戦によって米軍は終戦を早めることを余儀なくされた、と。

 真珠湾攻撃の宣戦布告が遅れたとはいえ、アメリカ側は事前に知っていたという記録もある。とすれば、アメリカが第二次大戦後の世界における主導権を握るためにも、でかい花火を打ち上げる必要があったのだろう。

 その結果、広島では14万人が、長崎では7万4000人が、東京は106回の爆撃を受け、3月10日だけで8万4000人が殺された。

『見よぼくら一戔五厘の旗』花森安治

 ここで重要なことは戦時中の日本がどのような状況であったのかということである。稀代の悪法である治安維持法や不敬罪によって、警察や憲兵が威張り散らしていたことは容易に想像がつく。夫や子供を戦地へ送り出した妻や母達は気丈に耐えるしかなかったことだろう。そこへコーンパイプをくわえたマッカーサーがやってきたのだ。チョコレートを持った米兵も。終戦(本当は敗戦)と同時に、灯火管制が布かれていた日本に電灯が煌々(こうこう)と灯(とも)った。

 ってことはだよ、ひょっとしたら安堵に胸を撫で下ろした国民の方が多かったかも知れぬ。そして、そこにこそ洗脳の余地(=「情報の空白部分」)が形成されたのだろう。マッカーサーは日本に自由を与えた。そして、自由になった日本国民は知らぬ間にアメリカが誘導する方向へ歩を進めた。

 原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と記されている。過ちを犯したのはアメリカであったにもかかわらずだ。日本人は何でも水に流してチャラにするのだった。で、天皇の戦争責任もアメリカの原爆の責任も不問に付されるってわけだ。

 大き過ぎる問題は国民の目に映らない。群盲象を撫でる状況となる。苫米地英人は一冊の書物に心血を注ぎ、象の姿を皆に見せようと試みたのである。ここには眼を開かせるだけの力が、確かにある。



原爆投下、市民殺りくが目的
原爆資料館を訪れたチェ・ゲバラ/『チェ・ゲバラ伝』三好徹
マネーサプライ(マネーストック)とは/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
被爆を抱えた日常/『夕凪の街 桜の国』こうの史代
アメリカ人の良心を目覚めさせた原爆の惨禍/『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』ジョー・オダネル
天才戦略家の戦後/『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之
ヒロシマとナガサキの報復を恐れるアメリカ/『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎

2009-04-04

死の瞬間に脳は永遠を体験する/『スピリチュアリズム』苫米地英人


 ・死の瞬間に脳は永遠を体験する

『夢をかなえる洗脳力』苫米地英人
『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人
『「生」と「死」の取り扱い説明書』苫米地英人
『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人
『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力』苫米地英人
『「言葉」があなたの人生を決める』苫米地英人

「死んだ後はどうなるのか?」――古(いにしえ)より議論されている大きなテーマである。果たして死後の生命はあるのかないのか。あるとすれば形状が問われ、ないとすれば倫理が崩壊する。

 ところが、だ。苫米地英人は「死ぬ瞬間」に着目する。これは斬新な視点だ――

 二つのことを事実として説明すればわかりやすいと思いますが、まずひとつはドーパミンをはじめとするありとあらゆる脳内伝達物質が、脳が壊れるときに大量に放出されます。ですからまず、気持ちが良い。脳幹の中心の中脳のところ、VTA領域からいくつかの経路が伸びていて、脳幹の中のドーパミン細胞からドーパミンが大量に出ます。要するに、臨死体験のときは超大量の脳内伝達物質が出て、凄く気持ちが良い体感をする。同時にありとあらゆる幻視・幻聴・幻覚が起こります。
 もうひとつは、時間が無限に長くなっていきます。時間感覚が変わっていくわけです。たとえば走馬灯のように自分の人生の歴史を見るとか言いますが、それはあたりまえのことで、脳内の神経細胞が壊れるにあたってとてつもない脳内伝達物質が放出されますから、最後の最後に脳が超活性化されるのではないかと思います。線香花火の最後の一瞬のようなものです。すると、たくさんの記憶を同時に見る。脳は元々超並列的な計算機なのです。我々の脳はふだん生きているときは凄くシリアルに(ひとつずつ順を追って)認識しますが、つまり、ひとつのことを認識しているときは他を認識できません。それが臨死体験のときは、同時に全部認識するわけです。走馬灯のように一生を経験するというのは、一生をリアルに経験しているのではなく、短い間に一生の体験を全部同時に認識するわけです。内省的には一生を全部ゆっくり体験したかのように感じています。時間の感覚がどんどん変わっていくからです。生という状態から限りなく死に近づいていく、死という接点に向かって永遠に近づき続ける接線のようなものです。死んでいく人にとって、体感としての時間はとてつもなく長くなっていきますから、もしかすると死は永遠にやってきてないかもしれません。

【『スピリチュアリズム』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(にんげん出版、2007年)】

 つまり、大量のドーパミンによって極限まで活性化された脳が、コンピュータのように超並列で動き出すということ。ご存じのように、パソコンというのは複数のアプリケーションやシステムが同時に目まぐるしく動いている。これと同じ働きが脳で起こるというのだ。

 脳内ではニューロンが猛烈なスピードで信号を放つ。そして思考(無意識も含めて)のスピードは光速に等しくなる(『数学的にありえない』アダム・ファウアー、文藝春秋、2006年)。

 この時、観測者(=遺族)から見れば、死者の動きは完全に止まって見える。なぜなら、「光は年をとらない」からだ(『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』ブライアン・グリーン、草思社、2001年)。

「もしかすると死は永遠にやってきてないかもしれません」――これは人が死ぬ瞬間に光と化すことを示している。

 この指摘は凄い。時間と永遠というテーマは、宇宙の起源や宗教と密接に関わっている。そして歴史の奥底を貫く概念でもある。死の瞬間に向かって永遠(無限)が立ち現れるという発想は、ちゃぶ台を引っ繰り返すほどのパラダイムシフトと言ってよい。



キリスト教と仏教の「永遠」は異なる/『死生観を問いなおす』広井良典
『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
過去世と来世/『死後はどうなるの?』アルボムッレ・スマナサーラ