・『「言葉」があなたの人生を決める』苫米地英人
・『アファメーション』ルー・タイス
・『「原因」と「結果」の法則』ジェームズ・アレン
・『「原因」と「結果」の法則2 幸福への道』ジェームズ・アレン
・『新板 マーフィー世界一かんたんな自己実現法』ジョセフ・マーフィー
・『未来は、えらべる!』バシャール、本田健
・『潜在意識をとことん使いこなす』C・ジェームス・ジェンセン
・『こうして、思考は現実になる』パム・グラウト
・『こうして、思考は現実になる 2』パム・グラウト
・『自動的に夢がかなっていく ブレイン・プログラミング』アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ
・創造モードとサバイバルモード
・『超自然になる どうやって通常を超えた能力を目覚めさせるか』ジョー・ディスペンザ
・7日間でアイデンティティを書き換える方法:ジョー・ディスペンザ(吹き替え)
・『無(最高の状態)』鈴木祐
・『ゆだねるということ あなたの人生に奇跡を起こす法』ディーパック・チョプラ
・『ソース あなたの人生の源はワクワクすることにある。』マイク・マクナマス
・『未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する』城ノ石ゆかり
・『ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー』由佐美加子、天外伺朗
・『無意識がわかれば人生が変わる 「現実」は4つのメンタルモデルからつくり出される』前野隆司、由佐美加子
・『ザ・メンタルモデル ワークブック 自分を「観る」から始まる生きやすさへのパラダイムシフト』由佐美加子、中村伸也
・『あなたはプラシーボ 思考を物質に変える』ジョー・ディスペンザ
・『超自然になる どうやって通常を超えた能力を目覚めさせるか』ジョー・ディスペンザ
・『宇宙一美しい奇跡の数式 0=∞=1』ノ・ジェス
・必読書リスト その五
創造モードにあるとき、私たちは完全に創作に没頭し、大いなる宇宙の流れに沿っているため、環境、身体、時間の存在がなくなり、意識に入らなくなる。
創造モードで生きることとは、誰でもない人として生きることである。何かを夢中で創っているとき、我を忘れていることに気づいたことがあるだろうか? そのときあなたは自分の知っている世界から逸脱している。そのときあなたは、自分の所有物、帰属する人々や集団、職業、住所によって自らを定義する「客観的人物」ではない。創造モードにあるときのあなたは、あなたという習慣を忘れていると言ってもいいだろう。そのときあなたは自己中心的な自分を横に置いて、無我の境地に入る。
【『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ:東川恭子〈ひがしかわ・きょうこ〉訳(ナチュラルスピリット、2015年)】
創造モードの反対がサバイバルモードである。動物的・本能的な状態といってよい。バブル景気が崩壊した後、「サバイバル」という言葉がよく使われた。多くの企業が倒産し、社員はリストラされ、就職は氷河期を迎えた。他人を蹴落としてでも生き延びる。受験戦争はそんな生き方を密かに奨励してきたのだろう。
私は長らくテレビを持たない生活をしているのだが、出掛けた先で東京オリンピック・パラリンピックの模様を何度か見た。強靭な身体(しんたい)が躍動する様は美しくもあり、畏敬の念に打たれる。ただし、勝者のガッツポーズが見苦しい。みっともない。相手がいるからこそゲームが成り立つわけだから、勝ったことよりもプレイできたことを喜ぶべきだろう。これがサバイバルモードと創造モードのわかりやすい違いである。
「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」(『論語』)。俗に好きこそものの上手なれと言うが、楽しむ者には及ばない。「知る」はサバイバルモードで、「楽しむ」が創造モードだ。「努める」(あるいは務める、勤める、勉める)姿勢と無縁なところに創造の輝きがある。
無我夢中は三昧(サマディ)に通じる。たぶん大脳新皮質(理性)と大脳辺縁系(感情)が調和しているのだろう。脳におけるノンデュアリティ(非二元)である。
人々が音楽や芸術を愛するのも日常からの「逸脱」を心地よく感じるためか。なぜ逸脱が心地よいのか? それはサバイバルモードが理性と感情の分裂を促進し、ストレスが蓄積されるためだ。特に産業革命以降、資本主義経済は労働=賃金に換算してしまった。多くの人々は「食うために働く」。「働かざる者食うべからず」は新約聖書の言葉だが、キリスト教において労働は神が人間に与えた罰であった。日本では元々「働く=傍(はた)にいる人を楽にする」という価値観であったが、高度経済成長で職人仕事が激減すると、やはり西洋と同じ道を辿った。ヒトの特長が手で道具を作ることにあるとすれば手仕事の復権が望まれる。
「あなたという習慣を断つ」とは絶妙なタイトルである。自我は記憶と習慣から成る。繰り返しに自我の本質があり、それこそが業(ごう)の正体なのだろう。
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