ラベル 台湾原住民 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 台湾原住民 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020-08-01

高砂義勇隊員は糧秣を届けた直後に餓死した/『証言 台湾高砂義勇隊』林えいだい


・『高砂族に捧げる』鈴木明

 ・高砂義勇隊員は糧秣を届けた直後に餓死した

 私は帰還した朝鮮人特別志願兵を韓国に訪ねた。
 日本軍は敵の物量作戦による徹底的な攻撃にさらされた。熱帯特有の人間を寄せつけない自然環境による病気、そして飢餓で兵士はバタバタと倒れていった。戦闘よりも大部分の兵士が、病気と飢餓で命を落としたのであった。
 いよいよ食べる物がなくなるにつれて、自分の小便を飲んだり、友軍の兵士を殺して食べたと、元皇軍兵士たちは告白した。
「敵兵よりも友軍の日本兵のほうが怖かった。将校でさえも例外ではなく、殺人集団に入って戦友を射殺して食った」といった。
 それまで射殺した敵兵の人肉を食べた話が戦友会で語られているということは聞いたことがある。しかし、友軍の日本兵の人肉を食べたとは、私にはとても信じられないことだった。飢餓に陥ると、人間は最後の一線さえも越してしまうものかと、戦争のもたらした悲劇に息をのんだ。飢餓は人間を変えてしまうものだ。もし自分自身が、生か死かの極限の状況に置かれた場合、あえて死を選ぶ勇気が果たして自分にあるのだろうかと自問した。
 ソウルの張炳黙さんの第二十師団第七十八連帯では、千数百人のうち二人しか帰還しなかったという。彼は五十余回の戦闘で、負傷二十五個所、貫通傷五個所、盲貫二十余個所、体は蜂の巣のように穴だらけ、いまも銃弾や破片が残っている。まさに生きていることが不思議である。
 糧秣がなくなった時、張さんは同胞が友軍の人肉を飯盒で煮て食べているのを見た。食べたい誘惑にかられて、つい手を出そうとして止めた経験を語ってくれた。
「台湾の高砂義勇隊がわが部隊に糧秣を担送していたが、彼らの律儀さには驚いたよ。自分は食べないで、担送してきた途端に死んじゃった」
 と、全羅南道の金在淵は語るのだった。
 その高砂義勇隊員は、ジャングルの湿地帯を通り、険しい山を越えて四十キロの行程を、何日もかけて背負子で担送してきて、飢えのために死んだと説明した。
「俺なら自分で食ってしまうよ。日本軍に義理立てして死ぬことはない。馬鹿馬鹿しいったらないよ。とにかく高砂義勇隊は正直というか、日本の国のためにといって死んでいったよ。朝鮮人の志願兵なら、まず自分が生きることを先に考える」
 自分は飢えても、担送した糧秣を届けて死んだという話に、私は深い感動を覚えた。

【『証言 台湾高砂義勇隊』林えいだい(草風館、1998年)】

 わざわざ「元皇軍兵士たち」と書いたのは林の父親が特高警察に拷問されて死んだことに対する恨みが込められているのだろう(Wikipedia)。日本を愛することはできなかったに違いない。国家の誤ったハンドリングが敵対者を作ることは決して少なくない。戦時中の思想取り締まり、シベリア抑留の放置、水俣病患者の補償問題、野放し状態の学生運動、薬害問題、災害対策、そして拉致被害など、この国はきちんと国民を守る気があるようには見えない。その延長線上にいじめ被害がある。

 高砂義勇隊軍属であった。原住民ということで何らかの差別があったのかもしれない。優れた五感、抜きん出た身体能力で高砂族は行き詰まった日本軍を強力にサポートした。そんな彼らに対して日本は無保証・給与未払いで応じた(Wikipedia)。こんな国は戦争に敗れて当然だ。私はどうしても大東亜戦争を賛美する気になれない。

 台湾には今でも「日本精神」(リップンチェンシン)という言葉がある(日本精神│日本台湾平和基金会)。そして高砂族は戦後も大和魂のままに生きた。東日本大震災の時は人口2350万人の台湾が253億円もの義捐(ぎえん)金を寄せてくれた(データで見る東日本大震災の台湾からの義援金250億円 | nippon.com)。先日物故された李登輝元総統や蔡英文総統は常々日本語でメッセージを送ってくれている。そんな世界一の親日国である台湾と日本は国交すら結んでいないのだ。中国に侵略されるのは時間の問題だろう。安全保障はアメリカに依存し、経済は中国に依存するというだらのしない国に落ちぶれてしまった。「自主・独立」といった言葉を気安く語る政治家を絶対に信用してはならない。

 日本は直ちに台湾と国交を結び、重ねて安全保障条約を締結すべきである。

2017-05-27

高砂族にはフィクションという概念がなかった/『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝


『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督
Difang(ディファン/郭英男)の衝撃

 ・高砂族にはフィクションという概念がなかった

ディープ・フォレスト~ソロモン諸島の子守唄
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 一行は途中アブダン駐在所に休憩し、約14キロの山道を、時には鉄線橋とよばれる長い吊橋を渡って、目的地カビヤン社に着いたのは5時5分。
 この途中驚くべき事件に逢った。私を乗せた椅子駕籠が先頭にたっていたが、先棒の青年が急に立ち止まった。そして相棒の青年と緊張した面もちで語り合っている。「何が起こったのか」の私の問いに、彼らは、「昨日、ここを親子づれの鹿が通って右の谷へ下りた」というのだ。そして明日鹿狩りをしようとの相談らしかった。砂利道に鹿の足跡などわかるものではない。「どうしてわかるのか、これか」といって鼻を指さしたが、彼らは笑っているだけである。
 聞くところによると、雨が降らなければ、3日ぐらい前に通ったものの識別ができるという。これはまったく名犬の嗅覚ではないか。
 動物の種類はもちろん、人間でも自社のものか他社のものか、男か女か、2人づれか3人づれか。この特技を使って、当時花運港付近の捕虜収容所から脱走して行方不明になっていたアメリカ兵2名を、3日後に山の岩陰から嗅ぎ出したというエピソードもあった。とにかく高砂族という原始民族は、耳も鼻も、眼も、兎やキリンのように、犬のように、猫や豹のように、人間が神によって創生されたままの感覚を、いまだにもっていたのである。

【『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝〈くろさわ・たかとも〉(雄山閣、1973年)以下同】

 1973年(昭和48年)に刊行されているが、内容は第二次世界大戦以前のフィールドワークに基づいている。上記テキスト最後の部分は差別意識というよりは率直な驚きを表明したものだろう。500ページを超す極めて本格的な学術書で各部族の音楽は当然のこと、楽器の詳細にまで研究が及ぶ。台湾は日清戦争で1895年に割譲され、1945年まで日本の一部であった。幸か不幸か台湾原住民は日本語という共通語を持つことで初めて部族間の意思の疎通が可能となった。もしも日本の統治がなければ各部族の文化は歴史の谷間に埋没していたことだろう。高砂族の人間離れした能力は戦時においても遺憾なく発揮され、高砂義勇隊の結成に至る。

 さて今夜の結婚式は疑似結婚式であるが、高砂族中の文化人でありながら、偽りの結婚式は神をあざむくものだというので、人選には、なかなか苦労したようである。
 青年たちも顔を見合わせて応じてくれない。中には今晩ひと晩だけ結婚を許してくれるならやってもいいというモダンボーイもいて、大変なごやかになる。この時部長殿が頭目に酒を呑ませて相談を重ねると、頭目は「では神様に詫びを入れるから、酒をもう1本供えてほしい」ということになり、駐在所員の飲み料の1升びんが持ち出された。頭目はにこりともせず栓をぬき、なに事か呪文らしきつぶやきがあって、さていうには「今晩のまね事は、神様が見ぬふりをすることに話がついた」と宣言した。こうして、結局指定によって青年団の幹部である模範青年たちが、晴れの席についたのである。
 高砂族はこのように、フィクションというものが考えられない民族で、今まで仮面を含めて、演劇という形式が育たなかった。これも民俗学の問題になるテーマであろうかと思う。

 ライ社(カビヤン社の同族)でのエピソードである。私の頭の中で電球が灯(とも)った。Difang~『セデック・バレ』を経て台湾にハマったわけだが、その道筋はこの文章に出会うためだったとさえ思えた。

 ユヴァル・ノア・ハラリはフィクションを信じる力が人類を発展させた(『サピエンス全史』)と説くが、未開部族にはフィクションという概念が存在しなかった。つまり主観だけで生きていることになる。先祖から代々受け継がれてきた物語や、あるいは右脳の声(ジュリアン・ジェインズ)はそのまま事実として認識されたのだろう。

 小説における劇中劇をメタフィクションという。小説の中で小説を読んだり、小説を批評する手法である。知能が発達した動物は自己鏡像認知が可能であるが、メタフィクションは合わせ鏡認知といってよい。高砂族はメタ認知能力を欠いていた。部族がより大きなコミュニティ(国家)に発展できなかった原因もここにある。

 この凄さが理解できるだろうか? 高砂族に対する私の憧れはいや増して太陽のように輝く。フィクションという概念がないのだから高砂族は嘘をつくことができない。すなわち「騙(だま)す」という行為と無縁である。

 フィクションは多くの人々を結びつけ機能を有した嘘である。我々は自ら喜んで騙される。宗教や国家に。アイデンティティとは信じられる虚構の異名に過ぎない。

 もちろん集団が大きくなればなるほど文明は発達し、社会も高度化される。事実として高砂族は日本や中華民国あるいは中国共産党に勝つことができなかった。だが一対一ならば我々は負ける。彼らの優れた身体能力と首刈りの勇気に太刀打ちすることは難しい。

 果たしてどちらが幸せなのだろうか? 私には判断がつかない。ただじっと高砂族の音楽に耳を傾けるだけだ。

 昨年の12月のことだが母の誕生日にCDを贈った。プレゼントをするのは小学2年生以来のこと。45年前、私は大事にしていた赤いプラスチックの指輪を母に手渡した。今思えば取るに足らないお菓子のオマケだが私にとっては宝物だった。そして45年後に再び宝物といえる音楽と巡り合った。虚構(フィクション)なき歌声に耳を傾けよ(『Mudanin Kata/ムダニン・カタ』デヴィッド・ダーリング、ブヌン族)。




2015-07-11

荒ぶる魂、ほとばしる生命力/『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督


『海角七号 君想う、国境の南』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督

 ・荒ぶる魂、ほとばしる生命力

『KANO 1931海の向こうの甲子園』馬志翔(マー・ジーシアン)監督
『台湾を愛した日本人 土木技師 八田與一の生涯』古川勝三
『街道をゆく 40 台湾紀行』司馬遼太郎
『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝

 twitterで教えてもらった台湾映画『セデック・バレ』(「真の人」という意味)を観た。凄まじい映画であった。「一部 太陽旗」「二部 虹の橋」で4時間36分の長尺。日本統治下で起こった霧社事件(1930年/昭和5年)を描く。

Difang(ディファン/郭英男)の衝撃

 監督の名前はウェイ・ダーシェンという表記もある。英語名が「Wei Te-Sheng」なので正確には「ウェイ・テシェン」という発音か。この作品に掛けた監督の本気は並々ならぬものがある。最初にウェイ・ダーションは600万円の私費を投じて以下のデモ映像をつくる。


 次に監督は資金集めの目的でまったく別の映画『海角七号 君想う、国境の南』(2008年)を制作する。


 口コミで人気が高まり、『タイタニック』に次ぐ興行成績を収めた。それでも資金は足りなかったようで、ビビアン・スーは格安のギャラで出演した上、資金提供も行っている(資金援助も話題に 「セデック・バレ」で台湾先住民演じたビビアン・スー)。尚、彼女の母親はタイヤル族であり、セデック族は最近になって公認された部族でタイヤル族系である。

『セデック・バレ』の国際的な評価は惨憺(さんたん)たるものである。

抗日映画「セデックバレ」に各国メディア酷評!「残酷」「過度の民族主義」―ベネチア映画祭

 個人的には魔女狩りで同胞を殺戮し、黒人を奴隷にし、インディアンを虐殺し、世界中を植民地化した挙げ句に惨殺・強姦を行ってきた白人に文句を言われたくはない。とはいえ、第一部を見ながらどうしても行き詰まってしまうのはやはり「首狩り」(出草/しゅっそう)である。つまり、首狩りをどのように理解するかでこの映画の評価は分かれる。

 日本においても武士は合戦で敵の首級(しゅきゅう)を挙げるという伝統があった。戦が終わると首実検が行われ、論功行賞が確定する。ま、我々の先祖も首狩り族と見てよい。首級は「しるし」とも読む。すなわち首はメディアであった。高砂族(たかさごぞく/台湾原住民の総称)の殆どは文字を持たなかった。首狩りは証拠保全の一つと考えられよう。

 それでも「なぜ首狩りが始まったのか?」という疑問が払拭できない。本作品の致命的な失敗は首狩りの必要性・根拠をまったく示していないところにあり、これによってストーリーが破綻(はたん)を来(きた)している。第一部を観ながら「首狩りとは何ぞや?」と私の脳はフル回転をした。

 ストーリーを追うとどうしてもついてゆけなくなる。そこで私は論理を司る左脳のスイッチを落とした。途端にわかった。かつて人間は「もの言う存在」であったのだろう。白川静は漢字の口部を「■(サイ)」と見抜いた(『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽)。■(サイ)は祝詞(のりと)を入れる箱であるが、書かれた文字の重みは元々言葉が持っていた重みであったのだろう。文字が生まれる前は論理や思考よりも、直観や閃(ひらめ)きが優位であったことと想像する。これを古代社会の宗教性と言い換えてもよい。神は右脳に御座(おわ)し(『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ)、サードマン現象も右脳で発生する(『サードマン 奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー)。首は脳や顔よりも、口を奪うところに目的があったと私は考える。

 首狩りがセデック族の荒ぶる魂の象徴とすれば、山谷を駆ける姿がほとばしる生命力を表す。「走る映画」といえば真っ先に『ポストマン・ブルース』が思い出されるがその非ではない。彼らは岩場ですらものともしない。たぶん、ランボーより強いよ。


 彼らの足は手のように開いている。霧社事件から11年後、大東亜戦争で高砂義勇隊が結成される。高砂族は日本人となってフィリピン、ニューギニアで大活躍をするが、当初は却下されていたものの戦局が行き詰まると「靴を脱ぐ」ことを許された。彼らの足は手のように大地をつかむことができたことだろう。

 出演者の殆どが台湾原住民と日本人で実は中国語が使われていない。しかも主役のモーナ・ルダオを始めとする主要キャストの大半が映画初出演である(公式サイト:キャスト)。明らかに日本人キャストが見劣りする。学芸会レベルにしか見えなかった。

 そしてやはり注目すべきはセデック族の「歌」である。時に優しく時に勇壮な歌声が不思議なほど血液の温度を上げる。彼らの顔は琉球とそっくりで、入れ墨や口琴(こうきん)、衣服の意匠はアイヌを思わせ、踊る姿は縄文人さながらである。もちろんインディアンとも酷似している。尚、台湾原住民はオーストロネシア語族であるが、かつてはインドネシア・フィリピン方面から渡ってきたと考えられてきたが、現在は台湾から南下したと判断されている。




 更にモーナ・ルダオが大地を踏みしめる舞は相撲の四股(しこ)とよく似ている。

 首狩りは勇気の証(あかし)であった。我々は首狩りをやめた。そして資本主義文明のもとで「カネ狩り」を行っている。経済的に見れば「カネは命」である。だから借金を苦にして自殺する人や、カネを奪うために殺人に手を染める者が出てくるのだ。これが「長期的な時間をかけた首狩り」でなくて何であろう? そして文明は知恵に重きを置き、知恵は知識となって共有される。「我々が行う首狩り」に勇気は認められない。きっと文明の進歩は人類から勇気を奪ってしまったのだろう。

 狩猟民族にとって狩場の死守は民族の存亡に関わるものゆえ、首狩りを女たちが喜んだのは当然だ。子孫の生存率が高まるわけだから。

 映画における最大の脚色はセデック族が日本軍を殺害するシーンである。実際の死者は「日本軍兵士22人、警察官6人、のみであった」(Wikipedia)。尚、モーナ・ルダオの妻やそれ以外の女性たちの振る舞いは史実に基いている。

 冒頭シーンの声とラスト近くの子供の声が信じらないほど美しく優しく響く。涙が込み上げくるほどだ。この声を聴くだけでも視聴に値する。

 霧社事件を通して少年たちが戦士へと変貌する。セデック族が夢見た「虹の橋」を超える理想を我々は持たない。彼らの首狩りと比べれば、映画や漫画の暴力シーンはあまりにも安っぽい。失った勇気を取り戻すためにもこの映画は広く見られるべきだ。

 映画の基調としては反日色が濃い。「よい日本人も描いている」との評価は甘い。ステレオタイプの威張り散らす日本人が殆どで、描き方としては拙劣だ。霧社事件には長年にわたる複雑な背景があり、文明移行期に生じた真空と解釈すべきだろう。単純な抗日行為ではなく、モーナ・ルダオ自身の政治的思惑もあったはずだ。その意味で私は幕末期に起こった会津戦争と霧社事件は似た性質があったと考える。セデック族は白虎隊であった。
セデック・バレ 第一部:太陽旗/第二部:虹の橋【豪華版 3枚組】[DVD]餘生~セデック・バレの真実 [DVD]セデックバレ(賽德克.巴萊) OST (台湾盤)

霧社事件
モーナ・ルダオの遺骨
恋愛茶番劇/『ラスト・オブ・モヒカン』マイケル・マン監督
会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

2015-06-14

Difang(ディファン/郭英男)の衝撃


 ・Difang(ディファン/郭英男)の衝撃

『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督
『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝
ディープ・フォレスト~ソロモン諸島の子守唄

 最近知ったエニグマのヒット曲「リターン・トゥ・イノセンス」のコーラスが耳に引っかかった。順を追って説明しよう。エニグマは元アラベスクのサンドラ・アン・ラウアーと元夫の二人が中心となって結成したバンドらしい。では懐かしいので1曲紹介しよう。真ん中のリードボーカルがサンドラである。


 このまったりしたダンスが当時は斬新であった。私が中学の頃だ。で、エニグマである。動画の出来が素晴らしいのでロングバージョンも併せて紹介する。出だしの男性コーラスに注目せよ。




 最初の動画が公式動画と思われるが、「リターン・トゥ・イノセンス」(無垢に還れ)のイノセンスには「無罪」という意味もあり、ユニコーン(一角獣)の角には「蛇などの毒で汚された水を清める力がある」とされる(Wikipedia)。時間軸を反転させているのは、熱力学第二法則に反してエントロピーが減少する世界を示す。生老病死を逆転させ老いから生へと向かうベクトルは創世記を目指したものだろう。

 Wikipediaによれば「この『リターン・トゥ・イノセンス』については、サンプリング元の音源になった台湾アミ族の歌い手であるDifang(郭英男)らに、1998年、音源の無断使用につき訴訟を提訴され」、後にロイヤリティを支払うことで和解したとのこと。こうして私は「Difang(郭英男)」の名を知った。当初はモンゴル人かインディアンだと思っていたのだが実は台湾先住民であった。

 モンゴルといえばホーミーである


 この番組でホーミーを知った時、「ああ、ここから浪曲に至るわけだ」と日本のダミ声ミュージックに初めて得心がいった。もちろんアジアの歌はアリューシャン列島を渡ったインディアンにも伝わる。


 今の日本で対抗できるのは竹原ピストルくらいしか思い浮かばない。




 Difang(ディファン/郭英男)の衝撃に私はたじろいでいる。何がこれほど心を揺さぶるのか。なぜ涙が込み上げてくるのか。




 更なる共通項を探せば縄文時代にまで行き当たる。


歌詞

 これらの歌に流れているのはモンゴロイドの民俗宗教的感情なのだろう。更にツイッターで関連情報を教えてもらった。


 人生は驚きに満ちている。Difangの「酒飲む老人の歌」は私が聴いてきた音楽の中で頂点に位置する。

Difangの歌声~Voice of Life Difang(CD+DVD)The World of Difang

アミス台湾先住民の音楽