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2020-07-06

日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好への告発状 その正体は、北京政府の忠実な代理人(エージェント)/『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一


・『書斎のポ・ト・フ』開高健、谷沢永一、向井敏
・『紙つぶて(全) 谷沢永一書評コラム』谷沢永一
『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一

 ・進歩的文化人の正体は売国奴
 ・日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)
 ・日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好(たけうち・よしみ)への告発状 その正体は、北京政府の忠実な代理人(エージェント)

『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗

 ところで、近代シナ文学の研究者に竹内好(よしみ)という魁偉(かいい)な人物がいました。この人はシナ学を志したくせに、肝心なシナの古典については無学であり、無関心でしたが、それはともかくとして、自分の専攻である近代シナ文学に執着するあまり、近代シナが格別に秀でた国であると信じるようになりました。これまた一向に珍しくもない、ありふれた自然な経過です。
 ところが竹内好の場合は、近代現代のシナを崇敬し高く持ちあげるにとどまらないで、現代シナを尊重し称賛する思い入れを梃(てこ)に用いて、ひたすら、わが国を罵倒する放言に熱意を燃やしました。なにがなんでも、常に悉(ことごと)くシナは正しく清らかであり、そのご立派な尊敬すべきシナに較べて、なにがなんでも、すべて、必ず日本は劣っており間違っている、という結論が一律に導きだされました。
 その生涯を通じて竹内好は、日本に対して肯定的な評価を下したことがなく、彼にとって日本はあらゆる面において否定と非難の対象にしかすぎませんでした。反日的日本人という言葉ができるより遙(はる)か遙か昔、半世紀以上も前から、竹内好は筋金入りの反日的日本人でありました。

【『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉(クレスト社、1996年/改題『反日的日本人の思想 国民を誤導した12人への告発状』PHP文庫、1999年/改題『自虐史観もうやめたい! 反日的日本人への告発状』ワック、2005年)】

 私はつくづくこの12人の著作を読んでこなかったことを感謝した。加藤周一の「夕陽妄語」(せきようもうご/朝日新聞連載)に目を通した程度である。とにかく掴みどころのない文章で後に谷沢と向井敏が腐していたのを読んで溜飲を下げた憶えがある。丸山眞男の『現代政治の思想と行動』を読まねばと思ったのは30代になった頃だ。マルティン・ニーメラー牧師の言葉が引用された「現代における人間と政治」は避けて通れないと感じた。が、ついぞ読む機会がなかった。丸山については進歩的文化人の代表であることは動かないが、小室直樹が師事しており政治学者としては優れた見識の持ち主なのだろう。最後は学生運動に愛想を尽かした

 他人の悪口を読むのは後味の悪いものである。感情を一旦突き放して見つめる冷静さを欠くと醜悪な文章になりやすい。「この人はシナ学を志したくせに」は書き過ぎだ。抑制が利いていない。それでも本書が教科書本であるのは確かで、彼らの正体を知らずに著書と親しんでいる人も多いことと思われる。

 竹内好の本は何冊か持っていた。あまり記憶にないので多分売れたのだろう。悪い印象は持っていなかったので本書を読んで吃驚仰天(びっくりぎょうてん)した。中国人は客をもてなすのが巧い。たとえそれがカネや女であったとしても、誰に何を与えればどう動くかをきちんと読んでいる。毛沢東や周恩来が生き抜いてきた政争は日本の比ではない。周恩来の養女・孫維世〈そん・いせい〉は留置所で惨殺されている。

 文化大革命時代には、女優としての名声の高さと毛沢東との男女関係から江青の嫉妬を買い、迫害を受けた。孫維世は養父である周恩来が署名した逮捕状を以って、北京公安局の留置場に送られ、1968年10月14日に獄中で死亡した。遺体は一対の手枷と足枷のみ身に付けた全裸の状態であった。一説には江青が刑事犯たちに孫維世の衣服を剥ぎ取らせて輪姦させ、輪姦に参加した受刑者は減刑を受けたと言う。また、遺体の頭頂部には一本の長い釘が打ち込まれていたのが見つかった。これらの状況から検死を要求した周恩来に対し、「遺体はとうに焼却された」という回答のみがなされた。

Wikipedia

 周恩来には表の顔と裏の顔があったが、そうでもしなければとっくに失脚していたことだろう。

 アメリカと中国は、表面的には対立していても裏の情報世界ではもともとツーカーなんです。そもそもCIAの前身OSS時代には、長官ドノバンの命令でOSS要員が延安の共産党根拠地に出向いて、対日抗戦を支援していた。60年代の中ソ対立時代も米中はあらゆる場面で結託してソ連に対抗していたし、79年のソ連アフガニスタン侵攻で、ムジャヒディンを支援しタリバン政権を後押ししたのも、米中の情報機関です。スパイマスター周恩来によって育まれた中国共産党の情報機関、中央委員会調査部は胡耀邦総書記の時代、公安部の一部と合併、国家安全部として、現在では、かつてのソ連のKGBをしのぐ巨大組織になっています。

【『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘(徳間書店、2006年)】

 中国の手に掛かれば政治家はもとより作家・ジャーナリスト・学者などはイチコロだろう。子供に飴を与えるようなものだ。中国へ渡ると親中派になって帰国する人が多いのも当然だ。細君を伴わない政治家は確実に女を充てがわれていると見てよい。

 左翼は国家の伝統を破壊し漂白した後に社会主義の樹立を目論む。人権・平等・ジェンダーといった綺麗事に騙されてはならない。彼らは単なる破壊者なのだ。

2020-07-04

日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状  「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)/『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一


・『書斎のポ・ト・フ』開高健、谷沢永一、向井敏
・『紙つぶて(全) 谷沢永一書評コラム』谷沢永一
『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一

 ・進歩的文化人の正体は売国奴
 ・日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)
 ・日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好への告発状 その正体は、北京政府の忠実な代理人(エージェント)

『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗

 この本(※鶴見俊輔著『戦時期日本の精神史 1931-1945』)を一貫する方針としていちばん目立つのは、共産主義ソ連が日本人に加えた仕打ちはことごとく正しくて、すべて日本人が悪いことをしたからそうなったのだという強烈な主張です。その姿勢を押しだした最も代表的な表現が、つぎの一句です。

 戦争が終ったとき(中略)ソビエト・ロシア領内に残されているはずの60万人が長いあいだ帰ってきませんでした。(134頁)

 まことにものは言いよう、ですなあ。共産主義ソ連が戦争終了にもかかわらず、捕虜を無法にも引っ捕えてシベリアに連行して監禁し、「長いあいだ」苛酷な強制労働を課した、この残忍な事実を、けっして事実として認めない、鶴見俊輔のこの熱烈な弁護の志向は感嘆に値します。共産主義ソ連が帰らせなかったのではなく、日本人が「帰ってきませんでした」と言いくるめる語法の見えすいた苦しさ。鶴見俊輔の言い方は、日本人捕虜60万人が60万人全員の意向によって帰りたくなかったのだとほのめかしているようにも受けとれます。
 しかも、このねじまげた論法は、実は、次のように述べたてるための伏線だったのです。

 60万人の人たちがまだ帰ってこないということは、戦後の日本人のあいだに不安と苛立たしさを生み、それが戦後の日本政府によって長い年月にわたって植えつけられてきた。また戦後新たに米国の占領軍政府によって取り除かれていない赤色恐怖と結びついて、戦後のひとつの潮流をつくり出しました。(134頁)

 つまり「帰ってきませんでした」ことを怨(うら)んだり嘆いたりしてはイケナイのです。そうですか、共産主義ソ連にもいろいろご事情がありましょうから、と平静に、安穏な気持ちで受けとめるべきだったんですねえ。それなのに国民が「不安と苛立たしさ」に赴(おもむ)いたものですから、そのため「戦後のひとつの潮流」、すなわち共産主義ソ連への反感が募ったのです。
 それは昔の「赤色恐怖と結びついて」いるイケナイ考え方であるぞよ、と鶴見俊輔は婉曲(えんきょく)に説教を垂れます。いかなる事情に基づくにせよ、いかなり理由があるにせよ、共産主義ソ連を憎んではならないんです。事態が発生した根源の理由は、ただもう絶対にただひとつ、日本人が、日本人だけが、ワルイことをしたのですから。

【『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉(クレスト社、1996年/改題『反日的日本人の思想 国民を誤導した12人への告発状』PHP文庫、1999年/改題『自虐史観もうやめたい! 反日的日本人への告発状』ワック、2005年)】

 文体が独特でとっつきにくいのだが、ひょっとすると小室直樹の影響かもしれない。1996年に刊行されているが「新しい歴史教科書をつくる会」の結成と同じ年だ。前年の大江健三郎批判本といい時代情況を思えば、その勇気を過小評価してはなるまい。

 私は鹿野武一〈かの・ぶいち〉の生きざまに強く影響を受け、深く感化された。日ソ中立条約を踏みにじってソ連が終戦間際のどさくさに紛れて日本を侵攻したこと、満州の地で日本人女性を強姦しまくったこと、そしてシベリア抑留を思えば、断じてロシアと友好条約を結ぶべきではないと考える。敗戦以降、経済を優先してきた成れの果てが現在の日本である。経団連を始めとする財界は労働力をコストと見なし、その削減のために外国人労働者をどんどん日本に呼ぼうと企んでいる。国の行く末を憂えるような経済人は皆無だ。自分の懐勘定しかできないような輩は国家に巣食う寄生虫のような存在だ。

 それにしても鶴見俊輔の文章は巧妙で老獪(ろうかい)の悪臭が漂う。左翼は自らの知識をもって嘘を真実(まこと)にする詐術に富んでいる。侮れないのは彼らが「物語の力」を理解している点だ。知識の悪用とコンプレックスの利用が左翼の得意技である。

 嘘を嘘と見抜くことが智恵の第一歩である。虚実を盛り込んだ左翼の言論に惑わされてはならない。





満州事変を「関東軍による陰謀」と洗脳する歴史教育/『愛国左派宣言』森口朗

2020-01-17

国を賊(そこな)う官僚/『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一


・『書斎のポ・ト・フ』開高健、谷沢永一、向井敏
・『紙つぶて(全) 谷沢永一書評コラム』谷沢永一
『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一

 ・国を賊(そこな)う官僚

『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗

必読書リスト その四

谷沢●都会の人は「そんなカネ、銀行に預ければいいじゃないか」と思うでしょうが、農民に対する農協の圧力はすごいんです。
 田んぼを売ったカネは農協に預けなくてもいいわけです。本来なら、普通の都市銀行でいいんです。ところが、農協に預けなければいかんような無言の圧力があるんです。
 それは農機具だって、肥料だって、みんな農協が独占販売しているでしょう。もう農村を完全に抑え込んでいます。農協以外に預けるなんて、考えられない。
 中世のころに荘園(しょうえん)の領主が農民を囲い込んだわけですが、それと同じことを農協はやっているんです。だから、日本の農村は農協の「荘園」なんです。一種の搾取(さくしゅ)ですね。農協を通じなければ事実上、コメを売ることもできないし、肥料や種籾(たねもみ)を買うこともできない。しかも、儲けたカネは農協に預けろ。農村は農協の「城下町」です。日本中のどこの農村に行っても、そのど真ん中には農協城の天守閣が聳(そび)え立っている。

渡部●だから、農協は農民の味方だなんて、真っ赤なウソなんです。

谷沢●農協はそもそも、農民を守るということから出発していたわけです。一種の社会運動が背景にあった。
 そもそも社会運動というものには、かならず二律背反の宿命が付きまとうんです。
 昔の日本農民組合の最高責任者であった杉山元治郎〈すぎやま・もとじろう〉は、「われわれ日農の運動家は、日農という存在がこの世からなくなることを最高目標として頑張らなければならない」という趣旨のことを言いましたが、日本の社会運動家で、これだけ明晰(めいせき)に社会運動の持っている根本的矛盾を喝破(かっぱ)した人はいないと思います。
 同じ社会運動が何十年も続くというのは、おかしいんです。あってはならないことなんです。続いているとしたら、二つの可能性しか考えられない。
 一つは、その活動でやっていることが、まったく何の実も結んでいないということです。つまり、そもそもの運動方針が間違っていたということです。
 あとのもう一つは、途中でその活動が変質してしまったということです。すなわち、自分らの運動を続けるために、解決すべき社会問題が解決されないよう、社会問題そのものを再生産しているということ。
 どちらにしても、社会改良運動が長く続いているということは、何の自慢にもならないことなんです。
 農協の場合はまさに後者の例です。本当なら農協は、自分自身が消滅することを至上(しじょう)目的として活動しなければいけなかった。ところがいったん組織が作られてしまうと、どんどん肥大化していって中味が変わってしまった。

渡部●そして、今や専業農家よりも、農協職員のほうが多くなった。
 これはまさにパーキンソンがイギリス海軍について語ったのと同じことですよ。

【『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一(クレスト選書、1996年/文春文庫、2000年)】

 なぜバブル崩壊に至ったのか。日本経済の舵取りはどこで誤ったのか。土田正顕〈つちだ・まさあき〉を始めとする大蔵官僚の罪に迫る。私は住専問題について数百人の前でレクチャーしたこともあって当時のことはよく憶えている。総量規制の通達が出てから、わずか1~2ヶ月で日本の不動産価値は660兆円(※億円ではない)下がり、15年後には1200兆円も下落(櫻川昌哉、櫻川幸恵)した。ロッキード事件で田中角栄首相に渡ったとされる賄賂が5億円である。土田正顕は何の責任も取ることなくその後「国税庁長官で退官後、国民金融公庫(現 株式会社日本政策金融公庫)副総裁を経て2000年5月に東京証券取引所理事長に就任。2001年11月には東証の株式会社化を実現し初代社長となった」(Wikipedia)。大東亜戦争末期における軍部と同じ無責任の構造が国家に深刻なダメージを与えた。昨今少しばかり景気は上向いてきたが、官僚や政治家そして国民が1990年代の過ちをしっかり反省したとは思えない。またいつの日か同じ失敗を繰り返すことだろう。

 農協の実態については全く知らなかった。尊い初志が薄汚れた商売になるところが宗教と似ている。

噴水のように噴き上がる怒り/『北の大地に燃ゆ 農村ユートピアに賭けた太田寛一』島一春

 太田寛一〈おおた・かんいち〉はホクレンや農協の会長を務めた人物で、よつ葉乳業の創業者でもある。

 谷沢の最後の指摘が重い。特に左翼系の社会運動や組合運動は社会問題を再生産して寄生虫のような存在となっている。

2020-01-16

進歩的文化人の正体は売国奴/『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一


・『書斎のポ・ト・フ』開高健、谷沢永一、向井敏
・『紙つぶて(全) 谷沢永一書評コラム』谷沢永一
『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一

 ・進歩的文化人の正体は売国奴
 ・日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔への告発状 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)
 ・日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好への告発状 その正体は、北京政府の忠実な代理人(エージェント)

『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗

〈戦後の学界、言論界の大ボス・大内兵衛(おおうち・ひょうえ)への告発状〉
第二章 「日本は第二次大戦の主犯」と言う歴史の偽造家

〈日本罪悪論の海外宣伝マン・鶴見俊輔(つるみしゅんすけ)への告発状〉
第三章 「ソ連はすべて善、日本はすべて悪」の扇動者(デマゴーグ)

〈戦後民主主義の理論的指導者(リーダー)・丸山眞男(まるやま・まさお)への告発状〉
第四章 国民を冷酷に二分する差別意識の権化(ごんげ)

〈反日的日本人の第一号・横田喜三郎(よこた・きさぶろう)への告発状〉
第五章 栄達のため、法の精神を蹂躙(じゅうりん)した男

〈進歩的文化人の差配人・安江良介(やすえ・りょうすけ)への告発状〉
第六章 金日成に無条件降伏の似非(えせ)出版人

〈「進歩的インテリ」を自称する道化・久野収(くの・おさむ)への告発状〉
第七章 恫喝(どうかつ)が得意な権力意識の化身

〈進歩的文化人の麻酔担当医・加藤周一(かとう・しゅういち)への告発状〉
第八章 祖国をソ連に売り渡す“A級戦犯”

〈日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好(たけうち・よしみ)への告発状〉
第九章 その正体は、北京政府の忠実な代理人(エージェント)

〈マスコミを左傾化させた放言家・向坂逸郎〈さきさか・いつろう)への告発状〉
第十章 最も無責任な左翼・教条主義者

〈現代の魔女狩り裁判人・坂本義和(さかもと・よしかず)への告発状〉
第十一章 日本を経済的侵略国家と断定する詭弁家(きべんか)

〈ユスリ、タカリの共犯者・大江健三郎(おおえ・けんざぶろう)への告発状〉
第十二章 国家間の原理を弁(わきま)えない謝罪補償論者

〈進歩的文化人の原型・大塚久雄(おおつか・ひさお)への告発状〉
第十三章 近代日本を全否定した国賊

【『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉(クレスト社、1996年/改題『反日的日本人の思想 国民を誤導した12人への告発状』PHP文庫、1999年/改題『自虐史観もうやめたい! 反日的日本人への告発状』ワック、2005年)】

 錚々(そうそう)たる顔ぶれで谷沢永一の本気が伝わってくる。1990年代は戦後教育の毒がまだ抜けていなかった。小泉訪朝で北朝鮮が拉致(らち)を認めた2002年から東日本大震災(2011年)までの10年間で日本人はようやく目覚めた。この時、民主党政権であったことが国民にとっては二重の不幸であった。菅直人は国旗・国歌に反対する真性の左翼で「君が代」を絶対に歌わない政治家だった。2009年に政権をとった民主党は2012年の暮れに下野する。国民が寄せた期待は無残かつ最悪の形で潰(つい)えた。

 冒頭の一文を紹介しよう。

 戦後50年です。その間、総体として言えば、日本の社会的な風潮は、先の大東亜戦争のため、多大の罪悪感を持つように、国民を引きずり回してきました。
 しかも、この傾向が一段と高まったのは、時間が進むにつれての“押しつけ”だったのです。すなわち、日韓基本条約昭和40年)と日中平和条約昭和53年)によって、国際関係の諸問題が解決し、国交がきちんと正常化したそのあとから、京城政府および北京政府に、平身低頭すべきであるという時流が強まったのです。まことに、おかしな根拠のない思い込みでした。
 そのため、中華人民共和国や大韓民国などアジアの諸国が、先の大戦にまつわるさまざまな言い掛かりを突きつけてきたとき、その言い分を無条件に受け入れるという習慣が生まれました。それも、正規の外交ルートを通じての公式な申し入れではないのです。一方的な放言として、わが国を攻撃したり、いわゆる不快の意を憎々しげに表明したり、新聞の論調で喚(わめ)きたてたり、という手口でした。すべて、近代国家としての正式な手続きを経ない非公式な恫喝(どうかつ)だったのです。
 それにもかかわらず、わが国のその時その時の政府は、それこそ無条件で頭を下げ、相手側の言い分を全面的に認めて、拝跪(はいき)する姿勢を通してきました。政府よりもっとひどかったのは、新聞とテレビによるわが国の言論界だったのです。本来なら、国民の意向を反映すべきはずの言論界が、一部の国を売る輩(やから)に乗っ取られてしまいました。
 これら言論界を牛耳(ぎゅうじ)っている連中が、北京政府や京城政府の立場に立って、彼らの言い分を増幅してがなりたてる代理人となり、日本にだけ非があると囃(はや)し立てたのです。彼らは日本の国益を代弁するという、当然そうあるべき使命を投げ捨て、その逆に、相手側の国の利益になるように言論を組み立てました。
 他国の利益を重んじて他国の代弁者となり、自分の国の大切な国益を損なう行為に突き進む者、これを「売国奴」と呼ぶのが正当でありましょう。

 日中共同声明(1972年)はよく憶えている。私は小学校3年生だった。担任の先生が昂奮した面持ちで教室に入ってくるなり、「今凄いニュースがあった。中国と日本が仲直りした」と告げた。

 今振り返ると中国は実に巧妙であった。左派政党ではなく公明党を使って国交回復を打診したのだ。キッシンジャーの極秘訪中(1971年)という呼び水もあった。田中角栄首相は飛びついた。「ビンのふた」論も知らずに。

米中国交回復のためにアメリカは沖縄を返還した/『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘
李承晩の反日政策はアメリカによる分割統治/『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘

 日本人は近代史を学ぶことを禁じられたも同然だった。戦後教育は東京裁判史観に染まっていた。結局のところGHQの蒔(ま)いた種が中国・韓国という花を咲かせたということなのだろう。

 そして中韓の反日運動が日本人にとって目覚まし時計の役割を果たすのだから歴史というものは一筋縄ではゆかないものである。



中国の核実験を礼賛した大江健三郎/『脱原発は中共の罠 現代版「トロイの木馬」』高田純

2020-01-12

進歩的文化人の仄めかし話法/『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一


・『書斎のポ・ト・フ』開高健、谷沢永一、向井敏
・『紙つぶて(全) 谷沢永一書評コラム』谷沢永一
『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武

 ・反日売国奴の原型・藤原惺窩
 ・進歩的文化人の仄めかし話法

『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
『戦後教育で失われたもの』森口朗
『日教組』森口朗
『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
『愛国左派宣言』森口朗

 そこで進歩的文化人はそろって暗示論法を用いた。いわゆる仄(ほの)めかしの語法である。絶対に揚(あ)げ足をとられない口ごもりの発声である。天皇制打倒などとは口がさけても言わない。ひたすら皇室をあてこする。遠まわしに皮肉を並べる。用心深いことこのうえなしであった。
 たとえば大塚久雄(おおつか・ひさお/経済史学者、東大名誉教授)は、社会主義とも共産主義とも言いたくなかった。それらの言葉を用いた途端に底が割れるからである。そこで、よく考えた戦術として、「近代化」という聞こえのいい名称を活用することにした。日本はまだ近代化していない、と国民を叱りつけたのである。
 言葉面(づら)だけを受けとれば、そんな無茶苦茶な話はない。しかしこの近代化というあいまいなめいじは符牒(ふちょう)であった。のちに自分で解説するところによれば、彼の言う近代化なる用語は、実は、「社会主義への移行をも含めるようなものだったのである」そうな。大塚久雄が唱えた近代化のすすめとは、本当は、社会主義化のすすmであったのだ。それをかくして近代化、近代化とふりまわすのが、暗示論法の身上なのである。

【『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉(クレスト社、1995年/ワニ文庫、1999年)】

 肚(はら)の底から唸るように「ウム」と私は首肯した。顎が胸にのめり込んだほどだ(ウソ)。「仄めかし話法」とは言い得て妙だ。念頭に浮かぶのは佐藤優、姜尚中〈カン・サンジュン〉、森達也など。筑紫哲也〈ちくし・てつや〉はそのものと言ってよい。衣鉢を継ぐのは金平茂紀〈かねひら・しげのり〉か。TBSの「サンデーモーニング」も典型だ。彼らは答えを隠して疑問を口にする。「おかしいのではないでしょうか?」「疑問があると言わざるを得ません」「果たして国民は納得するのでしょうか?」ってな具合である。

 敗戦から21世紀に至るまで「愛国心」は禁句となった。他方、レッドパージ(1950年/昭和25年)以降、左翼は表立って共産主義革命を叫ぶことができなくなった。ゾルゲ事件シベリア抑留の影響も見逃せない。

 学生運動は終戦前後に生まれた若者たちによる一過性の暴発であった。それが証拠に60年安保(日米安保改定)後の選挙では自民党が圧勝している。国民は暴れ回る大学生ではなく岸信介を支持したのだ。とはいうものの新聞・テレビは学生運動に理解を示し、好意的な報道を続けた。こうしたムードの中で赤軍派によるよど号ハイジャック事件(1970年/昭和45年)が起こり、北朝鮮への拉致につながるのである(『宿命 「よど号」亡命者たちの秘密工作』高沢皓司)。

 簡単なリトマス試験紙を用意しよう。

 1.憲法改正をするべきではない。
 2.女系天皇を容認する。
 3.外国人参政権を認める。
 4.国旗・国歌に反対する。
 5.夫婦別姓に賛成する。

 すべて該当すれば真性左翼であり、純粋シンパといってよい。その他、政治家に関しては親中派・親韓派と親米派に大きく分かれる。独立派・自立派は今のところ現実的ではない。もしも有力代議士の中でそんなのがいたら田中角栄のように葬られることだろう。

2019-09-11

反日売国奴の原型・藤原惺窩/『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一


・『書斎のポ・ト・フ』開高健、谷沢永一、向井敏
・『紙つぶて(全) 谷沢永一書評コラム』谷沢永一
『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武

 ・反日売国奴の原型・藤原惺窩
 ・進歩的文化人の仄めかし話法

『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
『北海道が危ない!』砂澤陣
『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
・『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
『自治労の正体』森口朗
・『日教組』森口朗
・『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗

 どうか、この日本へ攻め込んできてくださいと、隣(となり)の国の朝鮮の捕虜に、熱心に頼み込んだ日本人がいた。豊臣秀吉の時代である。
 その男の名は藤原惺窩(せいか)という。有名な藤原定家(ていか)の12世の子孫である。宋(そう)の朱子の学問に敬服して儒教の徒となった。近世期における文京の祖と称せられる。

【『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉(クレスト社、1995年/ワニ文庫、1999年)以下同】

 読みにくい本である。行間から嫌悪や憎悪が滲んでいる。それでも読まなくてはならぬ一冊だ。ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎を真っ向から批判した勇気を侮ることはできない。進歩的文化人を真正面から批判した嚆矢(こうし)が稲垣武著『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』(文藝春秋、1994年)であるとすれば、本書はそれに続く第二弾といってよい。尚、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成されたのは本書が出た翌年の1996年である。

 バブル景気が崩壊した後の1990年代半ばは日本にとって一種の真空地帯ともいうべき時期で、第二次橋本政権が構造改革を推進し(1996年)、1997年には村山内閣で内定していた消費税の増税(3%から5%へ)を実施した。ここから日本経済はデフレに陥る。国民はバブルの余韻から目覚めることができなかった。

 1990年にはワールド・ワイド・ウェブ(WWW)が構築され、Windows95や98の発売が大きなニュースとなった。一方では「右も左もない」という言葉がまことしやかに語られていたが、他方では自虐史観を糾弾する人々を右翼と蔑んでいた。

 日本が繁栄から転落に差し掛かるまさにそのタイミングで大江健三郎がノーベル文学賞を受賞した(1994年)。後になって振り返れば日本分断工作と思えなくもない。左翼に大きな発言権を与えることでバブル崩壊のダメ押しをしたのだろう。

 この悲惨な実態が、藤原惺窩には一切合財(いっさいがっさい)なにも見えなかった。彼は儒教社会のタテマエだけを信じた。書物によって伝えられる表向きの外面(そとづら)をまるごと信じて疑わなかった。愚かな妄想にとらわれたのである。どこかの外国が、実態をひたかくしにして、自国を飾り立てるための美辞麗句(びじれいく)を弄(ろう)するのを信じたとき、その国が極楽浄土のように見える。そうして、いったんある外国を無条件に崇(あが)めたとき、かえりみて我が国はダメだと蔑(さげす)み卑(いや)しむ見方が生まれる。その侮(あなど)りが極端に達すると、我が国はその理想の国によって統治されたほうがよいと考えるに至る。我が国を他国に売り渡したいと念じるようになる。その人は反日的日本人となる。売国奴(ばいこくど)となる。まことに情(なさけ)ない事態だけれど、この藤原惺窩と同じ考え方をする連中が、のちの世にもまた現れるのである。

 谷沢永一は藤原惺窩という反日売国奴の原型を通して現代の左翼の心性を炙(あぶ)り出す。「儒教社会のタテマエ」を信じる藤原惺窩と「共産主義の理想」を信じる左翼の姿が寸分の狂いもなくピッタリと重なる。死に絶えたと思われていた左翼は21世紀に入り、ネトウヨという言葉を掲げて再び蘇った。全共闘世代と戦後教育に毒されてきた常識人たちは「リベラル」と称して、自由な言動で日本を不自由にしようと目論んだ。

 1990年代に昂然と立ち上がった保守派の中でも渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉、谷沢永一、小室直樹の3人は際立っている。



中国の核実験を礼賛した大江健三郎/『脱原発は中共の罠 現代版「トロイの木馬」』高田純