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2020-09-25

愛の字義/『漢字なりたち図鑑 形から起源・由来を読み解く』円満字二郎


【愛】アイ

[会意]“後ろを向く”ことを表す「●」と、「心」と、“足”を意味する「●」を組み合わせた漢字が、変形したもの。本来の意味は“心残りがあって振り向きながら進む”ことだと考えられています。気になってしかたがないところから、“愛(あい)する”という意味で使われるようになりました。

【『漢字なりたち図鑑 形から起源・由来を読み解く』円満字二郎〈えんまんじ・じろう〉(誠文堂新光社、2014年)】

 伏せ字部分がわかりにくので画像を上げる。


 著者名はふざけたペンネームと思いきや本名のようだ。

 愛の字義は仏教の渇愛に近い。愛とは固執である。「愛(め)でる」と使えばピンとくるが、愛という語を日常で使うことはまずない。キリスト教で説くラブがわかりにくいのも愛が観念的である証左といっていいだろう。

 ブッダが示すのは慈悲であるが決して同苦することはない。なぜなら仏はありのままに苦を見つめるだけで、苦から離れた位置にいるためだ。我々はともすると情愛を求めるが、それは欠乏を補うためだ。ある種の承認欲求の現れと知るべきだ。

 愛が引きずるものであれば、それは好ましい足枷(あしかせ)でしかない。感情の昂(たか)ぶりは往々にして瞳を暗くする。過去と現在、他人と自分という比較に幸不幸の陥穽(かんせい)がある。愛よりも智慧が重い。

2018-01-01

帰省とは親を省みること/『親を切ると書いてなぜ「親切」 二字漢字の謎を解く』北嶋廣敏


「帰省」には「省(かえり)みる」という行為が含まれている。故郷に帰って、父母を省みる。親の安否をうかがう。それが「帰省」の本来の意味である。単に故郷に帰るだけでは「帰省」とはいえないのである。

【『親を切ると書いてなぜ「親切」 二字漢字の謎を解く』北嶋廣敏〈きたじま・ひろとし〉(リイド文庫、2011年)】

 帰省中の諸君、今からでも遅くはないから親を省みるよーに(笑)。一方、「帰郷」には定住する意味合いが感じられる。

「帰省」と「帰郷」「里帰り」の違い

 昔は「故郷に錦を飾る」という言葉があった。経済が上向きの時代は功成り名を遂げることが人生の目的と化すのだろうか。男児が産まれると「末は博士か大臣か」とも囁いた。

 中には帰りたくても帰れない人もいるだろう。男であれば中々電話もしにくい。私からは「いつまでもあると思うな親と金」との言葉を贈ろう(笑)。

親を切ると書いてなぜ「親切」―二字漢字の謎を解く (リイド文庫)
北嶋 廣敏
リイド社
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2016-03-16

障害者か障碍者か/『漢字雑談』高島俊男


 ・漢字制限が「理窟」を「理屈」に変えた
 ・障害者か障碍者か

 漢字制限は敗戦直後昭和21年の「当用漢字」から始まる。固有名詞(福岡などの地名、佐藤などの姓、その時現在の名)を除き、政府が決めた1850字以外使ってはならぬという、強い制限である。罰則はないので作家などは使ったが、官庁(法令、公文書等)、学校、新聞の三大要所を抑えて励行させた。

【『漢字雑談』高島俊男(講談社現代新書、2013年)以下同】

 当用は「当座用いる」との意で「将来はわからないが、しばらくの間さしあたって用いる」(Wikipedia)ことを示す。なぜ将来は「わからない」のか? GHQのジョン・ペルゼルというタコ野郎が日本語をローマ字表記にしようと目論んでいたからだ。当時、文部官僚であった今日出海〈こん・ひでみ〉も小林秀雄との対談でそのことに触れている(『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』小林秀雄)。

 権力は文字・暦・度量衡を統一する。

 どの国でも文字改革というのは、前の歴史との連続性を切断するために行うんです。

【『国家の自縛』佐藤優(産経新聞出版、2005年/扶桑社文庫、2010年)】

 辛うじてローマ字化は防ぐことができたが、日本の歴史は徹底的に書き換えられた。そして「当用漢字」という言葉はまだ生き永らえている。

 それで、ぜひもう一度考えてもらいたいことがある。同音の他の字で間にあわせていたのを、正しい字にもどしてもらいたい。
 もどったものもある。名誉毀損は棄損と書いていたのだが、毀損にもどった。しかし別字のままなのが多数のこっている。
 たとえば、これは小生たびたび言っていることだが、障碍物、障碍者の碍は「さまたげる」の意である。これが使えないので「障害者」と書く。害は「危害を加える」「害虫」の害である。ぜひもどしてもらいたい。

障害者を障碍者と書くことになった経緯

「碍」は「礙」の略字らしい。もともと障礙は仏教用語で「しょうげ」と読んだ。日蓮の遺文にも「障礙出来(しゅったい)すべし」と山ほど出てくる。

 害には「そこなう」との意味もある(損害)。だが、やはりイメージは悪い。害には「わざわい」の意味もある。これは自殺を自死とするような意味づけの問題ではなく、単なる漢字表記の問題だ。私は障碍(障礙)を選ぶ。

 言葉に対する鈍感や無気力から文化は滅んでゆく。いたずらに古きを尊(たっと)ぶつもりはないが間違いは間違いなのだ。



@檸檬の家: 「障害」は本当に「障碍」「障礙」の当て字なのか?

2015-07-22

漢字制限が「理窟」を「理屈」に変えた/『漢字雑談』高島俊男


 ・漢字制限が「理窟」を「理屈」に変えた
 ・障害者か障碍者か

 漢字制限は敗戦直後昭和21年の「当用漢字」から始まる。固有名詞(福岡などの地名、佐藤などの姓、その時現在の名)を除き、政府が決めた1850字以外使ってはならぬという、強い制限である。罰則はないので作家などは使ったが、官庁(法令、公文書等)、学校、新聞の三大要所を抑えて励行させた。

【『漢字雑談』高島俊男(講談社現代新書、2013年)以下同】

 いつの時代も権力は暦と文字を管理する。「どの国でも文字改革というのは、前の歴史との連続性を切断するために行う」と佐藤優は説く(『国家の自縛』)。当用漢字とは「当座は用いて構わない漢字」という意味で、GHQには日本語のアルファベット化という案もあった。マッカーサーが日本文化の破壊を意図したことは疑問の余地がない。それにしても、官庁、学校、新聞はさながら権力という風になびく草の如し。

 今は「理屈」と書く。従前は「理窟」と書いた。
「理窟」が「理屈」になったのには経緯がある。敗戦直後政府が制定した漢字制限によって「窟」の字の使用が規制(事実上禁止)された。昭和31年にいたって政府は「同音の漢字による書きかえ」と題する文書で、「理窟」は今後「理屈」と書け、と指示した。これによって、法令、公文書、学校の教科書などはもとより、新聞・雑誌その他社会一般も「理屈」と書くことになった。
「りくつ」を「理屈」と書くのは、りくつから言えばおかしい。
「理が屈する」というのは、話のすじみちが通らなくなって行きづまることである。「りくつ」は話のすじみちが通ることだから正反対である。
 中国では一口に「理屈詞窮」と言う。理に屈し詞(ことば)に窮する、話のすじみちが通らなくなって言葉に窮することである。論語の朱子注から出た成語である。「屈」はまっすぐに行けず折れ曲ること、行きづまることである。
 ただし、日本では「りくつ」は昔から口頭語として広く用いられたことばだから、江戸時代にはあて字で「理屈」と書いた例はいくらもある。(中略)
 理窟の「窟」は穴カンムリが示す通り「ほらあな」である。「アルタミラの洞窟」の「窟」である。では「理のほらあな」がなぜ「すじみちの通った話」になるのか。
 さあこれがむずかしい。
 国語辞典でこの意義を書いてあるものはほとんどない。『大言海』(昭和10年冨山房)にこうある(「理窟」は第四巻、昭和10年)。
   〈理窟(マミアナ)ノ意ニテ、理ノアツマル所ノ義〉

 最後の行の「マミアナ」とは狸穴のことか。字面(じづら)も理窟とよく似ている。私は本書を読むまで「理窟」という文字がまったく頭になかった。恥ずかしい限りである。もちろん『岩窟王』で字は知っていた。自分勝手に「理正しければ理に屈する」と読んでいた。

 というわけで今後は「理窟」と表記することにした次第である。

漢字雑談 (講談社現代新書)

2015-03-10

風は神の訪れ/『漢字 生い立ちとその背景』白川静


 ・言葉と神話
 ・神話には時間がなかった
 ・言霊の呪能
 ・風は神の訪れ

 ことばの終りの時代に、神話があった。そして神話は、古代の文字の形象のうちにも、そのおもかげをとどめた。そのころ、自然は神々のものであり、精霊のすみかであった。草木(くさき)すら言(こと)問うといわれるように、草木にそよぐ風さえも、神のおとずれであった。人々はその中にあって、神との交通を求め、自然との調和をねがった。そこでは、人々もまた自然の一部でなければならなかった。
 人々は風土のなかに生まれ、その風気を受け、風俗に従い、その中に生きた。それらはすべて、「与えられたるもの」であった。風気・風貌・風格のように、人格に関し、個人的と考えられるものさえ、みな風の字をそえてよばれるのは、風がそのすべてを規定すると考えられたからである。自然の生命力が、最も普遍的な形でその存在を人々に意識させるもの、それが風であった。人々は風を自然のいぶきであり、神のおとずれであると考えたのである。

【『漢字 生い立ちとその背景』白川静〈しらかわ・しずか〉(岩波新書、1970年)】

 風は変化を告げる。季節を巡る大きな風には春一番・青嵐(あおあらし)・台風・木枯らしなどがある。日本語には驚くほど豊かな風の名称がある(「風の名称辞典」を参照せよ)。その時々に神々を感じ、見出したのだろう。

「草木(くさき)すら言(こと)問う」というのは『日本書紀』に書かれているようだ。問うは「ものを尋ねる」というよりも「主張する」との意味であろう。古代人の不安が浮かび上がってくる。それゆえに「自然との調和をねがった」のだ。

 余談ではあるが「言(こと)問う」という耳慣れぬ言葉は東京墨田区の橋の名前(言問橋〈ことといばし〉)として辛うじて残る。「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」(在原業平)の歌に由来する。

 自然は音で溢(あふ)れている。芸能山城組を主宰する大橋力〈おおはし・つとむ〉は、都会よりも森の方が賑やかな音で溢れている事実を明らかにした(『音と文明 音の環境学ことはじめ』)。風も音も振動である。耳と皮膚を直接刺激する。風と音に包まれた世界は神を皮膚感覚で捉えた世界でもあった。

 中国では古くから「気」を重んじた(陰陽五行説、気功など)。気はエネルギーであり、伝わる性質を有する。「気」と「風」の共通点や違いも考察に値するテーマだ。

 明日で東日本大震災から4年が経つ。まだまだ心の傷や経済的な打撃から立ち直るのが困難な人も多いことだろう。我々は大自然の猛威の前に為す術(すべ)を持たない。もちろん天罰などというつもりはないが、祝福ではないこともまた確かだ。文明の進歩は自然に対する畏敬の念を薄れさせた。震災が伝えたのは、「海と大地を畏(おそ)れよ」「海と大地を敬え」とのメッセージではなかったか。政府にも東電にも責任はある。だが根本的には一人ひとりが自然と向き合う姿勢を変える必要があるように思えてならない。

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)

2015-03-09

言霊の呪能/『漢字 生い立ちとその背景』白川静


 ・言葉と神話
 ・神話には時間がなかった
 ・言霊の呪能
 ・風は神の訪れ

 古代にあっては、ことばはことだまとして霊的な力をもつものであった。しかしことばは、そこにとどめることのできないものである。高められてきた王の神聖性を証示するためにも、ことだまの呪能をいっそう効果的なものとし、持続させるためにも、文字が必要であった。文字は、ことだまの呪能をそこに含め、持続させるものとして生まれた。

【『漢字 生い立ちとその背景』白川静〈しらかわ・しずか〉(岩波新書、1970年)】

「呪」には「のろう」と「いわう」の二義がある。「祝」の字が作られたのは後のこと。最古の漢字である甲骨文字は占いとその結果を記録している。つまり神意を占った王の正しさを残すものであった。王は神と交通する存在である。神(精霊)は自然を通して人間を寿(ことほ)ぎ(※いわい)、そしてある時は罰する(※のろう)。自然の変化は神々の意志を伝えるものであった。我々日本人には馴染みのある世界観である。ここが西洋とは決定的に異なるところだ。

 文字には力がある。文字は人を動かす。神札は力を失ったように見えるが、セコムやアルソックのステッカーは効果を発揮している。誰だって好きな相手からラブレターをもらえば有頂天になるし、「壱万円」と印刷された紙切れを万人が大切に扱う。自衛隊がイラクへ派遣された際、車両に「毘」の文字がマーキングされた。武神である毘沙門天から取ったものだ。時代は変わり様式は変わっても呪能は確かに息づいている。

 日蓮は絵像・木像を徹底的に斥(しりぞ)け、自ら文字によるマンダラを創作した。


 絵像・木像は偶像(アイドル)である。偶像はアイコンとして機能する。偶像は神仏を象徴するものであって神仏そのものではない。だが人々の感情が偶像を実体化へ導く。偶像崇拝とはフェティシズム(呪物崇拝)を意味する。つまり目的と手段の混同である。

 日蓮は鎌倉時代にあって最も多くの書簡を残したことでも知られる。彼は言葉の呪能を知悉(ちしつ)していたのだろう。そうであったとしてもマンダラがアイコンを超脱することにはならない。日蓮はわかりにくいマンダラを創作したがために、わかりやすい現世利益を説いた可能性もある。尚、日蓮のマンダラには梵字(サンスクリット文字)まで書かれている。

 甲骨文字は亀の甲や牛・鹿などの肩甲骨に書かれた。書かれたというよりは刻印されたとするべきだろう。そうした行為を促した力そのものが呪能とも考えられる。

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)

機械の字義/『青雲はるかに』宮城谷昌光

神話には時間がなかった/『漢字 生い立ちとその背景』白川静


 ・言葉と神話
 ・神話には時間がなかった
 ・言霊の呪能
 ・風は神の訪れ

 神話は、このようにしてつねに現実と重なり合うがゆえに、そこには時間がなかった。語部(かたりべ)たちのもつ伝承は、過去を語ることを目的とするものではなく、いま、かくあることの根拠として、それを示すためのものであった。しかし古代王朝が成立して、王の権威が現実の秩序の根拠となり、王が現実の秩序者としての地位を占めるようになると、事情は異なってくる。王の権威は、もとより神の媒介者としてのそれであったとしても、権威を築きあげるには、その根拠となるべき事実の証明が必要であった。神意を、あるいは神意にもとづく王の行為を、ことばとしてただ伝承するのだけでなく、何らかの形で時間に定着し、また事物に定着して、事実化して示すことが要求された。それによって、王が現実の秩序者であることの根拠が、成就されるのである。

【『漢字 生い立ちとその背景』白川静〈しらかわ・しずか〉(岩波新書、1970年)】

 つまり民俗宗教から王朝型(≒都市型)宗教へと変遷する過程で「文字」が必要となったということなのだろう。すなわち「文字」とは歴史そのものである。権力の正当化を後世に示す目的で生まれたと理解することができる。

 それにしても神話には「時間がなかった」という指摘が鋭い。神話は現在進行形のメディアであった。そこに「再現可能な時間」を付与したのが文字なのだ。こうして神話は歴史となった。ヒトの脳は伝統に支配され、人類は歴史的存在と化したわけだ。

 ヒトの群れは文字によって巨大化した。文字の秘めた力が国家形成を目指すのは必然であった。インターネット空間も文字に覆(おお)われている。世界宗教も文字から生まれたと見てよい。

 文明を象(かたど)っているのも文字である。であれば英語化による文化的侵食を食い止める必要があろう。言葉の衰退が国家の衰亡につながる。英語教育よりも日本語教育に力を注ぐべきだ。

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)

2015-03-08

言葉と神話/『漢字 生い立ちとその背景』白川静


 ・言葉と神話
 ・神話には時間がなかった
 ・言霊の呪能
 ・風は神の訪れ

「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」と、ヨハネ伝福音書にはしるされている。たしかに、はじめにことばがあり、ことばは神であった。しかしことばが神であったのは、人がことばによって神を発見し、神を作り出したからである。ことばが、その数十万年に及ぶ生活を通じて生み出した最も大きな遺産は、神話であった。神話の時代には、神話が現実の根拠であり、現実の秩序を支える原理であった。人々は、神話の中に語られている原理に従って生活した。そこでは、すべての重要ないとなみは、神話的な事実を儀礼としてくりかえし、それを再現するという、実修の形式をもって行なわれた。

【『漢字 生い立ちとその背景』白川静〈しらかわ・しずか〉(岩波新書、1970年)】

 碩学(せきがく)が60歳で著した第一作である。その独自性ゆえ学界の重鎮たちから非難の声が上がった。白川学は異端として扱われた。

 しかしたとえば立命館大学で中国学を研究されるS教授の研究室は、京都大学と紛争の期間をほぼ等しくする立命館大学の紛争の全期間中、全学封鎖の際も、研究室のある建物の一時的閉鎖の際も、それまでと全く同様、午後一時まで煌々と電気がついていて、地味な研究に励まれ続けていると聞く。
 団交ののちの疲れにも研究室にもどり、ある事件があってS教授が学生に鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜おそくまで蛍光がともった。内ゲバの予想に、対立する学生たちが深夜の校庭に陣取るとき、学生たちにはそのたった一つの部屋の窓明かりが気になって仕方がない。
 その教授はもともと多弁の人ではなく、また学生達の諸党派のどれかに共感的な人でもない。しかし、その教授が団交の席に出席すれば、一瞬、雰囲気が変わるという。無言の、しかし確かに存在する学問の威厳を学生が感じてしまうからだ。たった一人の偉丈夫の存在が、その大学の、いや少なくともその学部の抗争の思想的次元を上におしあげるということもありうる。

【『わが解体』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(河出書房新社、1971年/河出文庫、1980年)】

 高橋和巳を立命館大学の講師として採用したのは白川であった。尚、白川本人は「殴られたのではない。殴られかけて逃げたというのが真相だ」と語っている。「象牙の塔」は悪い意味で用いられるが、一道に徹する姿勢が凄まじい。

 西洋キリスト教世界においては「言葉が全て」である。彼らは「言葉にならない世界」を断じて認めない。それゆえ言葉は形而上を目指して人間から遠ざかっていったのだ。フロイトが着目した深層心理が目新しいものとして脚光を浴びたのも、こうした背景があるためだ。あんなものは唯識の序の口のレベルである。

 書くことは、欠く、掻く、画く、描くに通じるかくこと。土地をかくことが「耕」。「晴耕雨読」は、耕すことが書くことを含意し、東アジア漢字(書)言語圏に格別の言葉である。

【『一日一書』石川九楊〈いしかわ・きゅうよう〉(二玄社、2002年)】

 尚、神話と意識のメカニズムについては、ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』が詳しい。

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)一日一書