2020-07-18

血のにじむような苦労をした蘭方医の功績/『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『人類史のなかの定住革命』西田正規

 ・血のにじむような苦労をした蘭方医の功績

『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄
『飛行機に乗ってくる病原体 空港検疫官の見た感染症の現実』響堂新
『感染症と文明 共生への道』山本太郎
『感染症クライシス』洋泉社MOOK
『ワクチン神話捏造の歴史 医療と政治の権威が創った幻想の崩壊』ロマン・ビストリアニク、スザンヌ・ハンフリーズ
『病が語る日本史』酒井シヅ
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット

必読書リスト その四

 しかし、鎖国時代、封建制の束縛下、船しか交通手段のない時代にあって肝心の痘苗(とうびょう)が、手に入らない。痘苗は、現代風にいえば天然痘用の予防ワクチンのことである。痘苗を接種することを種痘と言うが、「苗」と言い、「種」と言い、植物学用語が使われている所が面白い。冷蔵庫・冷凍庫のない当時にあっては、種痘によってできた痘内の液体(痘漿)やかさぶたを次から次へと人間に植え継いで伝えて行くしか保存方法が無かった。つまり、人間の体内で増殖保存し、かさぶたなどで移送していたのである。しかも、それは、長崎であればはるかオランダから船でもたらされる。もちろん実際には、直接オランダからではなく、人から人へ植え継がれながらはるばる日本までたどり着いた。実際に長崎の通詞や医官たちは、痘苗入手の依頼を何度も出島のオランダ商館医にしているが、熱帯を通ってくるオランダ船内でウイルスは死滅してなかなかそれが果たせなかった。しかし、バタビヤ(今のインドネシアのジャカルタ)から来た船によって、ついに何とかまだ生きている痘苗が手に入った。これがモーニケによって公式にもたらされたわが国最初の痘苗である(1849年)。(中略)
 このように西洋医の熱意とネットワークができ上がって来た折に、待ちに待った痘苗がもたらされたので、その全国普及は早かった。多くの蘭方医が血のにじむような苦労をして、この普及に貢献している。楢林宗建(1802~1852年、佐賀藩医、シーボルトの弟子、モーニケのもたらしたかさぶたを3人に接種して、その一人のわが子にのみ発痘し、そこから痘苗が全国へ伝播されて行った。わが国最初の種痘成功例である)、日野鼎哉(ていさい/1797~1850年、楢林宗建から分苗を受けて、京都で除痘館を開いた)、笠原良策(1809~1880年、日野鼎哉から分苗を受けて、痘苗を受け継ぐべき子供達をつれて雪の山越えをして福井に運び除痘館を開いた)、桑田立斎(りゅうさい/1811~1868年、江戸で種痘。6万人に種痘を実施。蝦夷地において6400人のアイヌへの種痘接種を行う)。(句点ママ)長与俊達(しゅんたつ/1791~1855ねん、長崎大村藩で古田山に人痘種痘所を開く。牛痘入手後は、1850年一早く牛痘接種に切り替えた。公認種痘では1番早い)などである。
 中でも、普及を担った中心人物は大阪(当時は大坂)で適塾(てきじゅく)を開いていた緒方洪庵(1810~1863年)である。実施当初は、種痘をすれば牛になるという風評被害で苦しんだが、効果が幕府から認められて、やがて江戸に出て1862年西洋医学所所(ママ)の頭取となった。惜しいことに洪庵は、翌1863年病を得て急逝する。

【『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝〈かとう・しげたか〉(丸善出版、2013年)】

 注目すべきはアイヌへの種痘である。「1857(安政4)年には、蝦夷地開発政策の一環としてアイヌに牛痘接種する幕命により、函館から国後まで6400名余りのアイヌ人に種痘を実施した」(諸澄邦彦〈もろずみ・くにひこ〉)。異民族として差別するような真似はしなかったという歴史的事実は重い。


 後に適塾(てきじゅく)は大阪大学となり、西洋医学所は東大医学部となる。洪庵の門下生であった福澤諭吉は慶応大学を創立した。適塾の門下生は18年間で636名に及んだ(Wikipedia)。松下村塾といい、小さな私塾から近代に向かう日本を支えた人材を多数輩出したことは日本の教育史に燦然と輝く偉大な事績である。現代の大学に松蔭や洪庵のありやなしやを問いたくなる。

 それにしても痘苗(とうびょう)がかさぶたを通して人から人へ移されるというのは驚きである。文字通り人柱といってよい。私が子供の時分はまだ種痘を行っていた。当時は天然痘を疱瘡(ほうそう)と呼んでいた。左肩に2ヶ所やれらたのだが痒(かゆ)くてかさぶたを剥いた覚えがある。痕跡は今でもくっきりと残っている。

 まだ読んでいる最中だが文章が素晴らしく、その博識に驚かされる。普段は横書きというだけで本を閉じてしまうことが多いが、本書は読まずにはいられない。

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