・『シベリア捕虜収容所』若槻泰雄
・『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』辺見じゅん
・『スターリンの捕虜たち シベリア抑留』ヴィクトル・カルポフ:長勢了治訳
・『二つの独裁の犠牲者 ヒトラーとスターリンの思うままに迫害された…数百万人の過酷な運命』パーヴェル・ポリャーン:長勢了治訳
・『シベリア抑留全史』長勢了治
・第二次世界大戦で領土を拡大したのはソ連だけだった
・瀬島龍三スパイ説
・『知られざるシベリア抑留の悲劇 占守島の戦士たちはどこへ連れていかれたのか』長勢了治
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
第二次世界大戦の結果、連合国のアメリカ、イギリス、フランス、オランダは少しも領土を広げていないどころかむしろアジア・アフリカ諸国の独立によって広大な植民地を失うことになるが、ソ連だけはバルト三国、ポーランド東部、東プロイセンの一部(ケーニヒスベルク)、ルーマニア東部(北ブコヴィナ、ベッサラビア)、チェコスロヴァキア東部(ルテニア)、フィンランド東部(カレリア地方)、日本の樺太・千島を併合して領土を拡大した。さらにヤルタ協定によって東欧諸国(東ドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、ルーマニア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア)を勢力下におき共産化した。
戦後になって領土を拡大した国がもうひとつある。中国である。戦後、満州はそもそも八路軍の拠点となり、国共内戦中の昭和22(1947)年には早くも「内モンゴル自治区」が成立して、昭和24(1949)年10月に中華人民共和国が成立するや満州も内モンゴルも領土に組み込まれた。新疆地区には共和国成立後に人民解放軍が侵攻して昭和30(1955)年に「新疆ウイグル自治区」として編入した。チベットには昭和25(1950)年10月に人民解放軍が侵攻し、翌昭和26年5月のチベット協定で「チベット自治区」などとして中国に編入した。
シナが他国を乗っ取るときに使う伝統的手法が「洗国」である。まず国内の流民を「他国」に数十万人規模で移住させ、次々に漢人を送り込んで漢人に同化させる(この入植政策を毛沢東は「砂を混ぜる)と呼んだ)と同時にその他国人の一部をシナ国内に強制的に移住させてシナ人の大海に埋没させる。やがてシナから官僚を送り込んで支配下に置く。まず満州が洗国されて満州人が民族としてほとんど消滅する運命をたどり、今は内モンゴル自治区、チベット自治区、新疆ウイグル自治区が洗国にさらされて内モンゴル人、チベット人、ウイグル人が「民族浄化」の危機に直面している。「洗国」は洗脳と並んでシナが用いる危険な手法で人口侵略といえよう。
北、西、南の陸地に領土を拡大してきた中国はいま南シナ海(南沙諸島など)と東シナ海(尖閣諸島)、そして沖縄へと海洋への領土拡大を狙っている。中国はロシアと並ぶ拡張主義の国なのである。
【『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治〈ながせ・りょうじ〉(新潮選書、2015年)】
著者の長勢了治は北海道美瑛町〈びえいちょう〉生まれ。北大を卒業後、サラリーマンとなり退職してからロシア極東大学函館校でロシア語を学んだ人物。その後シベリア抑留研究者として現在に至る。『シベリア抑留全史』(原書房、2013年)は日露双方の厖大な資料に基づき、抑留の実態を検証した労作で決定版といってよいだろう。それを一般向けに著したのが本書である。
シベリア抑留については冷戦時代から体験者の手記などを中心に多数の本が刊行されたが、「肝心のソ連側の資料が利用できず、全体像解明が困難だった」と指摘。確かな研究書は実質的に『シベリア捕虜収容所』(若槻泰雄著)1冊しかないという状況が長く続いていた。「ソ連崩壊後、公文書を使ったロシア人研究者の本が1990年代後半から出始めた。だが日本の研究者の反応は鈍く、日本の方が2周くらい遅れた状況」。日本での本格的研究は、実はまだ始まったばかりだという。
【翻訳家の長勢了治さん「シベリア抑留」刊行 日露の資料駆使、悲劇の全容に迫る - 産経ニュース】
第二次世界大戦で領土を拡大したのはソ連だけであったという事実は意外と見落としがちだ。武田邦彦がよく「大東亜戦争は3勝1敗だ」と語る。日本はアメリカには敗れたがイギリス・オランダ・フランスは斥(しりぞ)けたことを指摘したものだ。
そのソ連だが実は第二次世界大戦で最も多くの死者を出している。その数なんと2660万人である。日本人の死亡者数は310万人であった(Wikipedia、戦争による国別犠牲者数 、図録▽第2次世界大戦各国戦没者数、【まとめ】第二次世界大戦(WW2)の国別死者数(犠牲者数)と激戦地一覧)。ソ連の死亡者で見逃せないのは軍人よりも民間人が多いことである。このような事態は多分ソ連だけだと思われる。日本は軍人2:民間人1の比率だ。
ソ連は領土を拡げたものの最大の死者を出した。つまり第二次世界大戦の勝者は存在しない。
私は石原吉郎〈いしはら・よしろう〉を通してシベリア抑留に眼を開いた。長年にわたって引っ掛かっていた多田茂治〈ただ・しげはる〉の記述(「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた)も本書で経緯が明らかになった。また「関東軍文書とシベリア抑留密約説」についても本書で完全に否定されている。
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