2015-05-03

オイラーは何の苦労もなく計算をし、やすやすと偉大な論文を書いた/『数学をつくった人びと I』E・T・ベル


「オイラーは、人が呼吸するように、ワシが空中に身を支えるように、はた目には何の苦労もなく計算をした」(アラゴのことば)とは、史上もっとも多産な数学者、当時《解析学の権化》と呼ばれたレオナルド・オイラーの比類ない数学的力量を語ることばとして、少しも誇張ではない。オイラーはまた、筆達者な作家が親友に手紙を書くのと同じくらいやすやすと、偉大な研究論文を書いた。その生涯の最後の17年間は、まったくの盲人であったけれども、彼の未曽有の生産能力は少しも衰えなかった。視覚の喪失は、オイラーの内部世界における認識力をかえって鋭くするだけであった。
 オイラーの仕事の量は、1936年の今日でさえも正確には知られていないが、彼の全集刊行のためには、大型四つ折り本が60冊ないし80冊いるだろうと推定されている。1909年スイス自然科学協会は、オイラーはスイスのみならず文明社会全体の遺産であるとして、全世界の個人や数学関係の団体からの経済的援助を得て、オイラーの四散した論文を集めて刊行しようと企てたことがあった。ところが、信頼性あるオイラーの原稿がペテルブルグ学士院(レニングラード)で大量に発見されたため、慎重に見積った経費の予想(1909年当時の金額で8万ドル)がみごとにひっくり返ってしまった。
 オイラーの数学的経歴は、ニュートンの死んだ年をもって始まる。オイラーのような天才にとって、これほど好都合な出発の年はなかったにちがいない。

【『数学をつくった人びと I』E・T・ベル:田中勇〈たなか・いさむ〉、銀林浩〈ぎんばやし・こう〉訳(東京図書、1997年/ハヤカワ文庫、2003年)】

レオンハルト・オイラーの偉業
愛すべき数学者オイラー、生誕300周年
天才計算術師オイラー
フェルマーの最終定理(2) 盲目の数学者オイラー

 一般的な表記は「レオンハルト・オイラー」である。「レオナルド」というのは本書で初めて知った。「Leonhard」(ドイツ語)が英語だと「Leonard」(レオナルド、レナード)になるようだ(「さらに怪しい人名辞典」を参照した)。

 E・T・ベルの名に聞き覚えのある人もいることだろう。10歳のアンドリュー・ワイズがフェルマーの最終定理を知ることになった『最後の問題』の著者だ(フェルマーの最終定理)。

『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』サイモン・シン

 我々凡人が天才の事蹟に胸躍らせるのは、彼らが真理の近くにいるためか。神の隣りに位置する彼らが神を超えるのも時間の問題だろう。もちろん彼らが神になるわけではなく、神の不在が証明されるという意味合いだ。

 天才の天才たる所以(ゆえん)は洗練されたシナプス結合にあると私は考える。これが脊髄とつながればスポーツの天才となる。才能といっても行き着くところは神経細胞のつながりに収まる。後天的な天才がいないところを見ると、幼少期に天才となる数少ないタイミングがあるのだろう。

数学をつくった人びと〈1〉 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)数学をつくった人びと〈2〉 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)数学をつくった人びと 3 (ハヤカワ文庫 NF285)

0 件のコメント:

コメントを投稿