・『究極の身体(からだ)』高岡英夫
・『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
・『運動能力は筋肉ではなく骨が9割 THE内発動』川嶋佑
・『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
・『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編
・『武学入門 武術は身体を脳化する』日野晃
・『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
・「すべての身体表現の源は、胴体にあり」
・股関節で地面をとらえる
・『気分爽快!身体革命 だれもが身体のプロフェッショナルになれる!』伊藤昇、飛龍会編
・『棗田式 胴体トレーニング』棗田三奈子
・『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編
・『火の呼吸!』小山一夫、安田拡了構成
・『ストレス、パニックを消す! 最強の呼吸法システマ・ブリージング』北川貴英
・『新正体法入門 一瞬でゆがみが取れる矯正の方程式』佐々木繁光監修、橋本馨
・『仙骨姿勢講座 仙骨の“コツ”はすべてに通ず』吉田始史
・身体革命
私は「胴体の動きを磨き続ければ、60代で動きのピークを迎える」とつねづね言ってきた。これは理想論ではない。これまで私が出会った武道の名人たちには、その年齢で若い者たちを寄せつけない動きが確かにあった。胴体を使った動きは、意識して創り上げていくもので、さまざまな経験が蓄積されていく。中途半端に“ナマの体力”(磨いていないもともとの力)があると、胴体で動こうという意識が薄くなってしまうという面があるのだ。(中略)
そして、胴体の動きの土台となるのが、「股関節で地面をとらえる」([股関節のとらえ])ことである。もちろん、これは私の感覚に基づいた造語だが、これは動く前の、「究極のニュートラル・ポジション」である。簡単に言ってしまえば、「股関節と脚の骨(大腿骨など)が正しい角度にある状態」となるのだが、“正しい角度”は万人にとって同じではない。これについては後で説明するが、立ったとき、座ったときにかかわらず、股関節でとらえることができれば、全身は解放され自由な動きが可能に楽になる。意識的に股関節でとらえられるかどうかは、レベルの高い動きかどうかを見分けるキーポイントであり、股関節でとらえた状態で胴体のトレーニングをすれば上達も早い。
【『スーパーボディを読む ジョーダン、ウッズ、玉三郎の「胴体力」』伊藤昇(マガジンハウス、1998年/改訂版、2011年)】
あれこれと運動を試行錯誤してゆく中で肩甲骨と骨盤の意識が芽生えてきた。日常生活でも「肩甲骨を動かす」ことと「骨盤を起こす」ことを心掛けている。最初に骨盤を意識したのは大転子ウォーキングを行った時である(みやすのんき)。 「60代で動きのピークを迎える」とは俄(にわか)には信じがたいが、甲野善紀が50代の時に「今までで一番体が動く」と語った言葉が蘇る。
「子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして或(くぎ)らず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」(『論語』「為政」)の金言を思えば、60代は反発することがなくなるわけだ。つまり体内の力が環境と完全に適応した状態と言えようか。何かを倒す、何かを克服するといった状態から、水が流れるようなバランス感覚が開花するのだろう。スピードやパワーが衰えても、平衡感覚や判断力が研ぎ澄まされることは十分あり得る。
で、股関節の位置である。
「股関節(こかんせつ)がどこにあるのか、知っていますか? 股(また)という言葉から、いわゆる股間のあたりを連想する人が多いようです。実際にはもう少し奥のお尻に近いあたりで、太ももの骨が骨盤と接する部分の関節が、股関節です」(股関節(こかんせつ)を鍛えてスムーズな歩きを | オムロン ヘルスケア)。
股関節の場所、ご存知でしょうか?正しく股関節を使って歩く方法 :理学療法士 安部元隆 [マイベストプロ大分] https://t.co/pPEBjedSwh pic.twitter.com/mLK7TLCzR7
— 小野不一 (@fuitsuono) November 7, 2021
想像以上に上である。長時間坐ったままの生活をしているため我々の股関節は眠ったままだ。まずは股関節の感覚を覚醒めさせる必要がある。今ここに心を砕いて、様々な運動を試しているところである。
「股関節で地面をとらえる」ためには、骨を積み木のように意識すればよい。筋肉を脱力して骨の位置を確認する。なかなか自覚することが難しいのだが、立ち上がってから踵を持ち上げてストンと落とすと股関節に衝撃が伝わる。坐位や臥位(がい)で股関節を動かすのも有効である。何でもそうだが最終的には自分なりに工夫するしかない。
この箇所については読んだ時はそれほどピンと来なかった。それがどうだ。少しばかり意識が高まると全く別の意味が現れてくるのだ。まるで炙り出しだ。この味わい深さは経典のレベルに近い。
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