・三島由紀夫の遺言
・果たし得てゐいない約束――私の中の二十五年
・『an・an』の創刊
・時間の連続性
・『三島由紀夫が死んだ日 あの日、何が終り 何が始まったのか』中条省平
・『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
・『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』中川右介
・『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹
・『日本の名著27 大塩中斎』責任編集宮城公子
アンアン創刊おめでたう
「アンアン」の創刊は、ヨーロッパの生活感覚と日本女性の生活感覚とをますます近づけるであらう。女が美しいことは、人生が美しいといふこととほとんど同義語だといふ、フランス人の確信が、日本にそのまま伝はることは大歓迎である。(初出 an・an 昭和45年3月20日)
【『決定版 三島由紀夫全集36 評論11』三島由紀夫〈みしま・ゆきお〉(新潮社、2003年) 】
昭和45年(1970年)の評論と楯の会関連資料が収められている。11月25日に三島は割腹自決を遂げる(享年45歳)。女性誌への祝辞が三島人気を語ってあまりある。『an・an』の命名は黒柳徹子によるもの。三島が死を決意したのは3~4月と推測されている(割腹自殺によって“作品”を完成させた三島由紀夫 | nippon.com)。
当時、私は小学1年だった。三島事件のことは記憶にない。思い出せるのは学生運動を嘲笑うかのように流行した「帰って来たヨッパライ」くらいだ。
新たな女性誌の創刊は時代の変化を告げるものだ。しかしながら、男女共にジーンズというアメリカ由来の作業ズボンだらけとなる。高度経済成長で汗まみれになって働く父親の後ろ姿を見て育ったせいか。
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