2020-05-24

「日本ほど子供が大切にされている国はない」と外国人が驚嘆/『逝きし世の面影』渡辺京二


『日本人の誇り』藤原正彦
『鉄砲を捨てた日本人 日本史に学ぶ軍縮』ノエル・ペリン

 ・失われた日本の文明
 ・幕末の日本は「子どもの楽園」だった
 ・「日本ほど子供が大切にされている国はない」と外国人が驚嘆

『幕末外交と開国』加藤祐三
『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア
『武家の女性』山川菊栄
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『近代の呪い』渡辺京二

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 子どもが馬や乗物をよけないのは、ネットーによれば「大人からだいじにされることに慣れている」からである。彼は言う。「日本ほど子供が、下層社会の子供さえ、注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた、小髷をつけた子供たちが結構家族全体の暴君になっている」。ブスケにも日本の「子供たちは、他のどこでより甘やかされ、おもねられている」ように見えた。モースは言う。「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」。いちいち引用は控えるが、彼は『日本その日その日』において、この見解を文字通り随所で「くりかえし」ている。
 イザベラ・バードは明治11年の日光での見聞として次のように書いている。「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子どもに誇りをもっている。毎朝6時ごろ、12人か14人の男たちが低い塀に腰を下して、それぞれ自分の腕に2歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしているのを見ている大変面白い。その様子から判断すると、この朝の集まりでは、子どもが主な話題となっているらしい」。彼女の眼には、日本人の子どもへの愛はほとんど「子ども崇拝」の域に達しているように見えた。

【『逝きし世の面影』渡辺京二〈わたなべ・きょうじ〉(平凡社ライブラリー、2005年/葦書房、1998年『逝きし世の面影 日本近代素描 I』改題)】

 乳幼児の死亡率が高かった背景もあるのだろう。子供が死ぬことは珍しくなかった。そんな状況が戦前まで続いた。

 赤ん坊はただただ可愛い。私が生まれた北海道では「めんこい」と言う。赤ん坊を抱っこすれば誰もが笑顔になる。特に女性の場合、妊娠・出産を通して脳内のホルモン分泌が変化しオキシトシンが急増する。オキシトシンは「愛情ホルモン」とか「幸せホルモン」などと呼ばれている。つまり赤ん坊を可愛いと思えない母親は何らかの異常があると考えてよい。幼児を可愛がるのは動物の本能なのだ。

 生意気になるのは言葉を覚える3歳前後からである。私に子はいないが年の離れた弟妹(ていまい)3人を育てた経験がある。同じ年頃の子供と一緒になると性格の違いがくっきりと浮かび上がる。3歳児はとにかくわがままだ。私は過酷な訓練を行った。おもちゃで遊んでいたり、お菓子を食べている時に「ちょーだい!」と私が手を差し出す。当然寄越すことはない。で、軽くビンタをする。それでも渡さない。ビンタは少しずつ強くなり、泣いても許さない。最後は泣きながら寄越すことになる。これを日常的に繰り返すと3歳児は1週間ほどでゲームの仕組みを理解する。ま、寄越せば直ぐに返すから当たり前なのだが(笑)。こうすることでよその子と遊んでいる時に何でも譲る親切な振る舞いが身につく。直ぐ下の弟たちも私の真似をするため訓練は速やかに行われる。

 かつて『スポック博士の育児書』(原書は1946年、アメリカ/日本語版は1966年、暮しの手帖社)というベストセラーがあった。世界各国で5000万部以上売れた。「抱き癖が子供の自立を妨げる」「夜泣きをしても無視」など、明らかに誤った育児法が紹介されていた。親が鵜呑みにして育てられた子供は後に愛着障害となった。核家族化というタイミングが重なったことも大きい。生殖後の余命が異常なまでに長いのがヒトの特徴であるが、これは幼児を育成するためと考えられている。子供を舐(な)めるように可愛がるのが日本の伝統だ。そうやって育てられた子供たちが後に日清戦争・日露戦争を戦ったことは偶然ではあるまい。自分が愛されたがゆえに、愛するもののために命を犠牲にしたのだ。

 いじめが社会問題化した背景には子供が愛されなくなった情況があるように思われる。中野富士見中学いじめ自殺事件(1986年)で受けた衝撃を忘れることができない。1970年代生まれから何が変わったのだろうか? 「1970年の こんにちは」(「世界の国からこんにちは」)は大阪万博(1970年3月~9月)のテーマソングだが、やはり豊かになったことが最大の理由だろう。1954年(昭和29年)12月から始まった高度経済成長が1970年(昭和45年)7月まで続く。

 それまでのいじめは先輩が後輩に対して行うものだった。戦時中の陸軍や高校・大学の運動部では常態化していた。私もバレーボール部に所属していた高校1年生の時は毎日ヤキを入れられた。母親に告げると「ざまあみろ」と言われた。絶対に忘れてはならないのは帰還した特攻隊への仕打ちだ(『月光の夏』毛利恒之)。日本人の陰湿さが極まった事例といえる。

 日本で子供が大切にされなくなったとすれば、やがて滅びることは必定だ。振り返ると認知症が知られるようになったのも1970年代のことだ(『恍惚の人』有吉佐和子、1972年)。この国の行く末は甚だ危うい。



美しき日本の面影 その5 子供の情景

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