2014-05-13

合理的思考の教科書/『リサイクル幻想』武田邦彦


・合理的思考の教科書
「物質-情報当量」

『「水素社会」はなぜ問題か 究極のエネルギーの現実』小澤詳司

 ・情報とアルゴリズム

 この例のように、「使用した材料は劣化する」という原則を無視してリサイクルすることを「リサイクルの劣化矛盾」といいます。劣化矛盾があるのはテレビのキャビネットばかりではありません。冷蔵庫の内ばり材は油でダメージを受け、洗濯機は絶え間ない振動で力学的な損傷を受けます。
 もちろん家電製品ばかりでなく、自動車の材料はさらに厳しい環境におかれます。エンジンルームの部品は油と熱で劣化しますし、バンパーは寒暖の差の激しい外気に接し、太陽の光を浴び、さらに振動とひずみの力を受けて悪くなっていきます。

【『リサイクル幻想』武田邦彦(文春新書、2000年)以下同】

 リサイクルの欺瞞を科学的に検証する。環境に名を借りた国家ぐるみの詐欺行為が横行している。リサイクル利権もその一つだ。かつて岐阜県では産業廃棄物処理場の建設反対を公約に掲げて当選した町長が二人の暴漢から滅多打ちにされて死にかけたことがある(『襲われて 産廃の闇、自治の光』柳川喜郎)。

 我々の社会でリサイクルの実現可能性が問われているわけではない。リサイクルという名のマネーゲームが行われているのだ。


 まるで人類が愚行を繰り返す六道輪廻の様相を描いたようなマークだ。ま、地球と人間のリサイクルは決してできないわけだが。

 製品のどの程度をリサイクルするかを「リサイクル深度」という言葉で表現します。リサイクル深度が浅い場合、つまり、社会で使っているもののほんの一部でリサイクルが行われている場合には、回収する量が少ないので、劣化した材料を下位の製品に回すことができます。つまり、膨大なプラスチックを使うテレビのキャビネットを、公園のベンチに転用しても、量のバランスがとれるのです。
 しかし、リサイクル深度が深くなると、家電製品に使っているだけの量を振り向ける「下位の用途」などというものはなくなります。仮にテレビのキャビネットのすべてをリサイクルしして公園のベンチにすると、日本の公園はベンチで埋まってしまいます。このことは「家電メーカーは巨大なのに、雑貨メーカーは小さい」ということを考えてもわかります。
 このように、リサイクル前後の製品の受容があわず、大量のリサイクル材料が余ってしまう矛盾を「リサイクルの需給矛盾」と呼びます。この矛盾が原因となって、新たな環境破壊が起こります。その一つが、コンクリートや、鉄鋼生産に際して出るコンクリートに似た「スラグ」と呼ばれる石の塊を、地面の上に敷きつめる行為です。

 本書はリサイクルを素材とした合理的思考の教科書である。科学は科学的思考に極まる。感情だけで判断するとやがて瞳が曇る。矛盾に気づかないためだ。武田の指弾は続く。

 すなわり、「リサイクル」という行為は、貿易との関係でみると「消費する国で再び生産すること」なので、毒物を含もうと含むまいと、貿易と本格的なリサイクル・システムは本来、調和しないことがわかります。(中略)
 もし世界の国々が自国で使うものは自国でリサイクルしなければいけないとすると、現在の国際分業と貿易は破壊され、それぞれの国が、その国で使うすべての製品を作る工場を、国内にもたなければならないことになり、非現実的です。
 この矛盾を「リサイクルの貿易矛盾」といいます。リサイクル深度が深くなればなるほど、この矛盾が拡大することは容易に想像できるでしょう。ますます国際化が進む中で、リサイクルの貿易矛盾をどのように考えるかが重要な課題になりつつあります。

 かくも致命的な矛盾がいくつもあるのに我々はリサイクルゲームをやめようとしない。行政という社会の枠組みは揺らぎもしない。なぜか? それはリサイクルが既に宗教へと格上げされたからだ。マヨネーズの容器を切り開いて水で洗う行為にご利益がある(※自治体によって異なる)。無駄に流した水に思いを馳せることはない。リサイクル教は新たな自己満足を捏造(ねつぞう)した。

 さて、ペットボトルを石油から作り消費者の手元に届けるまでの石油の使用量は、ボトルの大きさにもよりますが約40グラムです。
 ところが、このボトルをリサイクルしようとすると、かなり理想的にリサイクルが進んでも150グラム以上、つまり、4倍近く石油を使うことになります。資源を節約するために行うリサイクルによって、かえって資源が多く使われるという典型的な例です。資源が多く使われるのですから、その分だけゴミも増えます。(中略)
 このように、本来資源を有効に使用し、環境汚染を防止するために行うリサイクルが「すればするほど資源を使い、ゴミを増やす」場合、これを「リサイクルの増幅矛盾」といいます。
 リサイクルの増幅矛盾が起こるのは、主として「薄く広がったものは資源として集めることはできない」という分離工学の原理(後述)によるのであり、リサイクルしやすい社会システムができあがれば改善される、というような「社会システムの問題」ではなく、みんなが心を合わせれば解決できる、というような「国民の意識の問題」でもありません。

 全国民が参加する壮大な無駄をどのように考えるべきなのか? 市民の良心に訴えながら、その裏で邪悪なビジネスが横行している。しかも負担は必ず消費者に負わせ、企業にゴミを減らす努力を促すことはないのだ。

 科学の入門書として本書と『人類が知っていることすべての短い歴史』(ビル・ブライソン)を推す。

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