2019-01-23

「武」の意義/『中国古典名言事典』諸橋轍次


『中国古典 リーダーの心得帖 名著から選んだ一〇〇の至言』守屋洋

 ・狂者と狷者
 ・人生の目的
 ・「武」の意義

『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『孟嘗君』宮城谷昌光
『新訂 孫子』金谷治訳注
『呉子』尾崎秀樹訳

必読書リスト その五

孫子

『孫子』十三巻は孫武(そんぶ)の著述、「武経七書」(ぶきょうしちしょ)の一つといわれている。「七書」とは、『孫子』、『呉子』(ごし)、『尉繚子』(うつりょうし)、『六韜』(りくとう)、『三略』(さんりゃく)、『司馬法』(しばほう)、『李衛公問対』(りえいこうもんたい)の七つをいう。この「七書」のうち、最も古いといわれていた『三略』は、漢の張良(ちょうりょう)が黄石公(こうせきこう)から教えられたものといわれているが、文体そのものから考えて、『六韜』も『三略』も、いわれている時よりものちのものらしく、その内容の大部分は『孫子』、『呉子』に含まれて、それ以上に出ていないから、今日兵書としては『孫子』、『呉子』が最も尊ばれるのである。
 孫武ははじめ呉の闔閭(こうりょ)に仕えてその兵法を実践し、呉国を大いに盛んならしめたが、闔閭の子の夫差(ふさ)は不詳でついに越王勾践(えつおうこうせん)に亡ぼされてしまう。
 元来「武」という文字は「戈(ほこ)を止(とど)める」ことを意味し、征伐の「征」という文字は「正」と音義共に通ずるのであるから、不義の者を平らげて太平をいたすことが武であり正である。『孫子』は兵法の書ではあるが、この本義にもとづくところが多く、単に戦争のための軍略だけを論じたものではない。その点、人事万般の教訓になる句も少なくはない。

【『中国古典名言事典』諸橋轍次〈もろはし・てつじ〉(新装版、2001年/座右版、1993年講談社、1972年講談社学術文庫、1979年)】

「『孫子』以前は、戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かった」(Wikipedia)という。人々の脳を支配していたのは呪術であった。ただし現代人は合理性を過信してはなるまい。脳は錯誤を回避できないのだから。むしろバイアス情報に基づくシステムが脳であるといっても過言ではない。実生活の中から行動経済学の原理を発見することは難しい。

 闔閭に仕える際、孫武はこう言った。「将は軍に在(あ)りては、君命をも受けざる所有(あ)り」(『香乱記』宮城谷昌光)と。千変万化する戦(いくさ)においては現場を知る将軍の判断が優先される。私はこれをシビリアンコントロールを否定する言葉と勘違いしていたのだが、文民が統制するのは飽くまでも予算と人事権であろう。すなわち満州事変における関東軍の暴走は孫子の教えからも逸脱していると考えてよかろう。

「戈(ほこ)を止(とど)める」という武の意義が専守防衛と重なる。もちろん現在の専守防衛は防衛の名に値するものではないが、攻めることよりも守ることを重視するのが国家の正道だ。現在、日本の平和を脅かすものは中国・北朝鮮の核兵器であるが、この「戈(ほこ)を止(とど)める」には核保有の一手しかない。日本が核を保有すれば限定戦争で済むが、躊躇(ちゅうちょ)していれば総力戦になるだろう。どちらにするかは国民が選ぶことだ。

 父の名に「武」の字があるせいか思い入れが深い。シナ文化では「文」を重んじるが、武に守られればこそ文が伸びることを忘れてはなるまい。

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