・『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
・佐藤栄作と三島由紀夫
・「革新官僚」とは
・真相が今尚不明な柳条湖事件
一連の岸の活動は吉野とともに統制経済の道を拓き、整備拡充するものとなったが、世間はこうした官僚を「革新官僚」とか「新官僚」と呼ぶようになっていた。
「革新」といえば戦後は左翼を意味してきたが、当時の「革新」にイデオロギー色はない。敢えて言えば国家主義的な色彩が強かった。
【『絢爛たる醜聞 岸信介伝』工藤美代子〈くどう・みよこ〉(幻冬舎文庫、2014年/幻冬舎、2012年『絢爛たる悪運 岸信介伝』改題)】
言葉通りの「革新」であったわけだ。長年の疑問が氷解した。戦前から共産主義は「アカ」と呼ばれて毛嫌いされていたが、社会主義思想そのものは一君万民論と親和性があり、革命思想とは異なる広がりを見せていた(北一輝、大川周明など)。こうしたことが左翼用語に神経を尖らせてしまう要因となっている。
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