(※1957年)9月4日の初登校日、黒人生徒たちはNAACP(全国黒人地位向上協会)役員や白人司祭等と共に団体行動で登校することになったのですが、家が貧しく電話のないElizabeth Eckford(エリザベス・エックフォード、15歳)には連絡がつかず、彼女だけは単独で登校しました。彼女は少しでも可愛く見えるようにと、この日のために手製のスカートを作り、アイロンも念入りにかけていました。バスを下り学校に近づくと、並んでいる州兵が「あっちへ行け」という仕草をしました。彼女は素直に通りの反対側へ移り、学校の正面玄関に向います。Elizabeth Eckfordを発見した白人生徒を含む群衆はゾロゾロと彼女について歩き、口々に"Nigger!"(クロンボめ!)、"Go back to Africa!"(アフリカへ帰れ!)などと罵りました。このワン・ブロックは彼女にとって生涯で一番長い距離だったそうです。正面玄関へと続く小道の近くの州兵たちは冷たい目付きで彼女を睨み、銃剣をかざして通せん坊しました。彼女はTV報道で州兵がいることは知っていましたが、「州兵は黒人の生徒を守ってくれる役目」だと思い込んでいたので愕然とします。Elizabeth Eckfordは途方に暮れ、ふと目に入ったバス停のベンチを目指します。罵声や憎しみの目に囲まれ、彼女の膝はガクガクし、やっとの思いでベンチに到達。数人の親切な白人の助けでバスに乗り、母の職場へ駆け込んで泣き崩れたそうです。
【リトル・ロック(アーカンソー州)セントラル高校の人種統合(1957)】
高校生のヘイゼル・ブライアントが獰猛(どうもう)な野獣のような顔つきで、エリザベス・エックフォードを罵倒している。10代半ばの少女が差別という狂気に取りつかれたのは、そのように教育されてきたためだろう。
ところが、この写真を撮影されてしまったことでヘイゼル・ブライアントは長年にわたって苦しむ羽目となる。「天に向かって吐いた唾(つば)が顔に掛かるのは当然だ」という思いもする。しかし誰にでも過ちはあるものだ。
ヘイゼル・ブライアントがエリザベス・エックフォードと再会し、謝罪することができたのは、実に40年後のことであった。誤った価値観はかくも恐ろしい。
・パレスチナ人女性を中傷するイスラエルの若者たち
・公民権運動の母ローザ・パークスとバス
・クー・クラックス・クラン(KKK)と反ユダヤ主義
0 件のコメント:
コメントを投稿