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2019-09-01

諜報大国イギリス/『裏切りのノストラダムス』ジョン・ガードナー


 ・諜報大国イギリス

・『ベルリン 二つの貌』ジョン・ガードナー
・『沈黙の犬たち』ジョン・ガードナー
・『マエストロ』ジョン・ガードナー

ミステリ&SF

 おそらくケンプは、最後の審判の当日になってもその懐疑的な性格を捨てず、それどころか、みんなの前に進み出て、大天使ガブリエルの職権を証明する書類を見せろと請求し、ガブリエルが自分の身分証明書と天国音楽学校の卒業証明書を提示しないかぎり、審判開始のラッパをたとえ1音符分でも吹き鳴らすことを許さないだろうとは、みんながかねがね噂し合っているところだった。

【『裏切りのノストラダムス』ジョン・ガードナー:後藤安彦〈ごとう・やすひこ〉訳(創元推理文庫、1981年)】

 諜報大国といえば真っ先にイギリスの名が上がる。続くのはヴァチカン(市国)である。かつてのソ連は凄まじい深度で資本主義国に浸透したが政治運動の匂いが強い。またアメリカの場合は力を背景にした軍事的な色彩が濃い。

 血塗られたヨーロッパの歴史で生き延びるために権謀術数は欠かせない。昔の国王が国を超えて姻戚関係を結んだ事実を思えば近代ヨーロッパは中国春秋時代の趣がある。産業革命を成し遂げ、七つの海を制覇したイギリスは世界の情報を掌握した。

 余談になるが「大航海時代」というキーワードは日本人の造語らしい(増田義郎〈ますだ・よしお〉による命名)。欧米では「Age of Discovery」(発見の時代)、「Age of Exploration」(探検の時代)というそうだ(Saki T アメリカ在住翻訳家)。近代がヨーロッパ中心主義であったことは動かし難い事実である。とすればヨーロッパ人の思い上がりをはっきりさせるためにも「Age of Discovery」(発見の時代)と表記した方がいいように思う。

「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)においてヴァチカンは世界中に宣教師を派遣した。宣教師は世界各地で貿易を生業(なりわい)としながら各国情勢をヴァチカンに報告した。宣教師は植民地の尖兵として機能しながら宗教的な侵略を繰り返した。こうした歴史の積み重ねがヴァチカンの重厚なインテリジェンスとして現在も生かされている。

 本書は第二次世界大戦と1970年代を行き来するエスピオナージュである。ジョン・ガードナーはイアン・フレミング亡き後、007シリーズを引き継いだことで知られるが本物のスパイはどこまでも官僚である。ただし日本の官僚と異なるのは工作活動における言葉の操り方である。私からすれば修辞学の粋を凝らしたような駆け引きで、「こいつらの頭の中は一体どうなってるんだ?」と溜め息をつくばかりである。

 実際にナチスはノストラダムスの予言を都合よく利用したようだ。

 1939年の冬に、ベルリンの宣伝相官邸でゲッベルスは婦人のマグダからいきなり起こされた。彼女はノストラダムスの予言詩集を手に、或る部分をゲッベルスに指し示した。

 英国の政策は七度変わりそして二百九十年間血に染まるだろう
 独の支配から自由ではあり得ず
 ポーランドは東方の焦点となる(3章57番)

 その詩を読んだゲッベルスは、ノストラダムスの大予言をナチスの宣伝に使うと思い至ったと言われている。

ノストラダムスの大予言とヒトラー | ハイパー道楽の戦場日記

 ハービー・クルーガー・シリーズは3部作で番外篇が1冊ある。いずれも500~700ページのボリュームで満腹感を味わえる。初めて読んだのは20年以上前のことだが二度目の方が面白く読めた。

裏切りのノストラダムス (創元推理文庫 204-1)
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2019-02-21

「聖書とガス室」/『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄


『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『昭和の精神史』竹山道雄
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄

 ・「聖書とガス室」

『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編

   I

 聖書とガス室
 キリスト教とユダヤ人問題

   II

 ペンクラブの問題
 『竹山道雄の非論理』
 ものの考え方について

   III

 ソウルを訪れて
 高野山にて
 四国にて
 西の果の島

   IV

 死について
 人間について

 あとがき

【『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄(新潮社、1966年)以下同】

 初出誌については「あとがき」に記載されている。

(ゴッドを神と訳したことから、たいへんな誤解や混同がおこったので、キリスト教の神をゴッドと書くことにする。ゴッドと古事記にでてくる神とは、まったく別物である。また、教皇とか回勅とかいうのはいい訳語ではなく、これは天皇を擬似絶対者としたころの政治的風潮のまちがった絶対者観をあてはめたのだろう。さらに、神父というのも奇妙な言葉で、自分は神なる父であると名のる人があるのはおかしい。牧師というのはひじょうにいい言葉だと思うが)(「聖書とガス室」/『自由』昭和38年7月)

「聖書とガス室」は本書以外だと、『竹山道雄著作集5 剣と十字架』(福武書店、1983年)と『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』平川祐弘〈ひらかわ・すけひろ〉編(藤原書店、2016年)にも収められている。

 私が竹山道雄を敬愛してやまないのは文学者でありながらもキリスト教を鋭く見据えたその眼差しにある。文明史的な批判は「西洋に対する極東からの異議申し立て」といっても過言ではない。

 昭和38年(1963年)7月は私が生まれた月である。「7月」と表記されているが多分「7月号」なのだろう。内容もさることながら私を祝福してくれているような錯覚に陥る。

 カミの語源は「隠れ身」であるという(『性愛術の本 房中術と秘密のヨーガ』2006年)。漢字の「神」はツクりの「申」が稲妻を表す。闇を切り裂く雷光を神の威力と見ることは我々にとっても自然だ。「申」が「もうす」という意味に変わったため、お供えを置く高い台を表す「示」(示偏〈しめすへん〉)を添えて「神」という文字ができた(第3回 自然に宿る神(1) | 親子で学ぼう!漢字の成り立ち)。

 キリスト教は砂漠から生まれたが、日本人は豊かな自然に恵まれている。彼らは過酷な環境を憎み支配の対象としたが、我々は大自然と共生しながら大地と海の恵みに感謝を捧げた。一神教と多神教を分けるのは環境要因なのだろう。

キリスト教における訳語としての「神」

 フランシスコ・ザビエルは当初、ゴッドを「大日」と約し、その後「デウス」に変えた(日本のカトリックにおけるデウス)。「キリスト教は、聖書に基づく人間観、世界観、実在観を教義として整備していくために、主にプラトンとアリストテレスの哲学を摂取して利用した 」(キリスト教54~プラトンとアリストテレス - ほそかわ・かずひこの BLOG)。それゆえ「大日」との訳はそれほど見当違いであったわけではない。大日とは仏教におけるイデア思想であろう。

 日本人からすれば一神教(=アブラハムの宗教)は異形の宗教である。

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竹山道雄著作集 (5)
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2018-10-21

あらゆる国民が非人道的行為をした/『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄


『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『昭和の精神史』竹山道雄
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄

 ・あらゆる国民が非人道的行為をした

『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編

  I

 六百万分の一の確率
 私は拷問をした
 ジャングルの魂
 喫茶店の半時間
 最後の儒者

  II

 ゴッドの最初の愛
 狂信からの自由
 バテレンに対する日本側の反駁
 天皇制について

  III

 南仏紀行
 エーゲ海のほとり
 リスボンの城と寺院

 あとがき

【『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄(読売新聞社、1974年)以下同】

 何とはなしに1970年代のベストセラーを調べてみた。

1970年代 ベストセラー本ランキング | 年代流行

「1970年代半ばから続いた『雑高書低』と呼ばれる状態」があった(日本経済新聞 2016/12/26)。出版販売額は1996年をピークに下降線を辿っている(日本の出版統計|全国出版協会・出版科学研究所)。いわゆる出版不況だ。人が一日に読む活字の量はある程度決まっているため、インターネットに奪われた格好だ。

 1970年代といえば進歩的文化人がでかい顔をして学界やメディアを取り仕切っていた時代である。今読むと笑ってしまうよな文章が多い。今日読んだ本だと「政治実践」とか「歴史への参加」などといった革命用語(?)がゾロゾロ出てくる。

 竹山道雄の文章は不思議なほど古さを感じない。問題意識の深さが現代にも達しているからである。つまり第二次世界大戦で露見した人類の問題は今尚解くに至ってないのだ。

 私は人を拷問したことがある。自分で手を出したわけではないが、もしその事件の責任者を問われれば、それは私だった。そして、異様なことだが、他人が苦しめられているのを見ているあいだ、私は悪が行われているという罪責感をもたなかった。
 最近に「追求」という、アウシュヴィッツでの残虐行為者をドイツ人みずからが裁判した、その実録を劇化した芝居を見た。被告たちは罪責感をもっていない。ナチスがユダヤ人のみならず、ポーランド人や最下級のジプシーまで、「劣等人種」を掃滅しようとしてそれを実行した人々は、たとえばアイヒマンのように罪悪感をもっていない。そしてドイツ人だけではなく、あらゆる国民がつねに多少なりとも非人道的行為をした。まったく潔白な国民はいない。西欧的ヒューマニズムの本家と自他共に認めているフランス人も、解放の時期やアルジェリアでは狼藉をはたらいた。前者についてはできるだけ語られないでいる。後者についてははじめのうちはただアルジェリア人側の残虐行為のみが報道されていたが、やがていよいよアルジェリアを独立させる方針が決ったからであろう、マルロー文化相の許しによって、一人のアルジェリア娘の手記が本になり、有名な画家(ピカソ?)の装幀に飾られて、ひろく読まれた。その娘の父も独立運動者として捕えられ、フランスの憲兵によって拷問された。「人体のもっとも敏感な部分」に電流をかけられ、苦しみのあまり「すこしは人道(ユマニテ)を――」と憐みを乞うた。フランス兵たちは「回教徒に対してはユマニテは不必要だ」と、拷問をつづけた。娘は裸にして吊され、水槽については引き上げられた。フランス兵たちはビールを呑みあおりながら追求をしていたのだったが、「ビール瓶の口で彼女の処女性をやぶった」
 このような乱暴が行われたのには、人間に潜んでいる獣性とかサジズムとかがはたらいたのだろうし、その場の群集心理もあったのだろう。しかし、人間はいったん他者に対して敵意や憎悪をもつと、相手は抽象的な「悪」に化してしまって、それに対する人間的な感情移入が断たれてしまうのではなかろうか。それであのようなことが起こるのではあるまいか。親衛隊の士官たちはガス室のすぐ近くに普通の家庭生活をして、モーツァルトの音楽をたのしんでいた。ある収容所の指揮官が残虐行為の故に告訴されると、友人たちは驚いて、「彼は慈悲ぶかい男で、田舎道を歩くときには、カタツムリなどを踏み殺さないようにと、注意ぶかくガニ股で歩きました」と懇願した。(「私は拷問をした」)

「あらゆる国民が非人道的行為をした。私もその一人である」との告白である。ハンナ・アーレントはアイヒマンの公開裁判を全て傍聴し、その無思想性を「悪の凡庸さ」と指摘した。大量虐殺を推進したアイヒマンの正体は職務に忠実な小心者の公務員だった(『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』1969年/1963年『ザ・ニューヨーカー』誌に連載)。時を同じくしてスタンレー・ミルグラムがアイヒマン実験の論文を発表した。尚、アイヒマン実験から派生したスタンフォード監獄実験(1971年)はアーレントの著書から考案されたもの。最近になってヤラセ疑惑が浮上している(スタンフォード監獄実験は仕組まれていた!?被験者に演技をするよう指導した記録が発見される : カラパイアスタンフォード監獄実験、看守役への指示が行われていたことを示す録音の存在が明らかになる | スラド サイエンス)。映画化したのが『es〔エス〕』で、同様の心理状況を描いたものに『THE WAVE』がある。

 竹山が行った拷問は私に言わせれば他愛ないものである。戦時中、旧制一高の寮に連続して泥棒が入った。ある晩、遂に捕まえたのだが中々白状しない。そこで居合わせた連中でしたたかに殴りつけた。泥棒はやっと罪を認めた。謂わば日常の延長線上にある小さな暴力である。ところが竹山はホロコーストの芽をそこに見出す。泥棒をとっちめることは倫理的に許される。とすれば「相手を殺す正当な論理」さえ編み出せば大量虐殺は可能となる。

 例えば中国や韓国では反日教育が行われているが幼い頃から憎悪を植え付ける営みは、日本人を大量虐殺する可能性を開くことに通じる。日本に対する戦争準備ともいうべき教育を行う国に惜しみなくODA(政府開発援助)を施す日本政府の方ががどうかしているのだ。しかもそのODAが日本の親中派政治家に再分配されている実態がある。

 竹山の随想は極めて内省的なもので読者に対してある考えを強要する姿勢は全くない。ただし私はここで巷間、左翼活動家が繰り広げるポリティカル・コレクトネスについて一言付言しておきたい。

 当たり前だが日本人にも差別感情はある。現代でも部落出身者や朝鮮人に対する蔑視は確かにある。戦時中は多くの日本人が中国人を馬鹿にしていた。しかしながら日本に奴隷が存在しなかった事実をよくよく弁える必要があろう。日本人は外国人を「人間ではない」と考えたこともなければ、外国から多くの人々を奴隷労働者として輸入することもなかった。そもそも奴隷文化はヨーロッパの家畜文明から生まれたものだ。

 また割譲された台湾や、併合した朝鮮においても、日本は本国以上に力や資本を注いで発展に務めた。皇民教育はやや行き過ぎの感があるが、それでもホロコーストと比べればさしたる問題ではない。これに対して西洋白人の植民地はただ削除される対象でしかなかった。

 戦後、欧米で日本軍の残虐さが流布したのは、飽くまでもナチスと同列に持ってゆくためであり、更には戦闘員でもない婦女子を殺戮したアメリカ軍の非道(原爆ホロコースト、東京ホロコースト)を隠すためであった。南京大虐殺も原爆死者とバランスを取るために30万人とされている。

 日本人は敗戦の原因を探ることもなく、敗戦後になされたマインドコントロールを自覚することもなく、安閑として平和を享受してきた。いつになったら眠れる精神が目覚めるのか。目覚めた人々は竹山の問いを受け継ぐべきであろう。

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竹山道雄を再読しよう 「乱世の中から」 竹山道雄評論集を読みつつ思う: 橘正史の考えるヒント

2018-05-20

文学者の本領/『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄

 ・文学者の本領
 ・ナチスという現象を神学から読み解く必要性
 ・人間としての責任

『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
『精神のあとをたずねて』竹山道雄
『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄
『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新

キリスト教を知るための書籍
日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 いつの世にも残虐な事件はあった。戦争が長びいて生活が苦しくなれば、人心は荒廃してモラルは低下する。軍隊が戦闘の後に殺気をおびたまま都会を占領したり、ことに敗けて逃げるような際には、むざんなことがおこる。人々は正気を失っているのだから、その心理を正常の標準から律することはできない。こうしたことは、人間のすべてが確実な向上をつづけているという楽天的な信仰を裏切って幻滅をあたえるものではあっても、とくに異常不可解とはいえない。非人道は原則としては否定されているのだけれども、一時の錯乱に対して規制の力が及ばなかったのである。
 ところが、ナチスの焚殺やソ連の裁判や中国の洗脳などは、国家がその目標を遂行するためにやったことである。それを行った人々は、かれらとしてはよき良心をもって行った。ある歴史の必然的実現のごときものが確信されて、そのための努力であった。犠牲者たちは歴史の進行を阻む悪であるとて、抹殺された。一種の消毒だった。かれらはもはや人間として認められなかった。抽象的理念の前に人間が消えうせた。
 国家がその世界観にしたがって、最高の首脳が国策として決定して、公的の機関が行ったことだった。(「妄想とその犠牲」)

【『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘〈ひらかわ・すけひろ〉編(藤原書店、2016年)】

「妄想とその犠牲」は『文藝春秋』1957年11月号、1958年1~4月号に掲載された。経済企画庁が「もはや戦後ではない」と経済白書の結びに書いたのが1956年(昭和31年)のこと。竹山は戦前において東大の前身である一高の教授を務めながら翻訳家として知られた。戦後、『ビルマの竪琴』で毎日出版文化賞を受賞してから精力的に評論を発表するようになる。決して時代に流されず、時代を上から見下ろす視点をもち、自分の立つ位置を揺るがせにすることがなかった。

 私は50代で竹山を知ったのだが、その衝撃を一言で申せば「これほどの日本人がいたのか」ということに尽きる。無論、竹山は英雄タイプの人物ではない。だからこそ尚更深い感興を覚えるのだ。昨今は「文学者」といえば他人を嘲(あざけ)る言葉として用いられることが多い。だが激動の時代を生きた竹山の言葉に触れれば、文学者の本領を理解することができる。その思索の深さは認知科学をも志向し、キリスト教やキリスト世界に対する批判の鋭さはリチャード・ドーキンスも比ではない。

 竹山道雄についてはいくらでも書きたいことがあるのだが、書こうとすれば自分の語彙(ごい)の貧しさが先立ってしまう。私にとっては保守とか自由主義者とかいうよりも、古きよき日本人の善良さを体現した人物である。

昭和の精神史』(1956年)を発表した後でキリスト教世界に迫ったのも、極めて良識的な順序といえよう。

 ナチスによるホロコーストを社会主義国の悪行として並べるのも日本人ならではの視点だろう。西洋世界では歴史的事実としてのナチ・ホロコーストがザ・ホロコーストとして絶対視され神聖化されている(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン)。

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2010-06-16

極限状況を観察する視点/『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
・『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子

 ・ナチスはありとあらゆる人間性を破壊した
 ・極限状況を観察する視点
 ・生きるためなら屍肉も貪る

『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 20世紀を代表する一冊といっていいだろう。「戦争の世紀」に何がどう行われたか。そして戦争をどう生き抜いたかが記されている。

 20代で初めて本書を読んだ時から、私の胸の内側には「ナチス」という文字が刻印された。激しい憎悪が炎となって燃え盛った。「できることなら、ナチスの連中を同じ目に遭わせてやりたい」と歯ぎしりをした。こうして暴力は光のように反射して拡散する。果たしてジプシーや障害者、そして連合軍兵士やユダヤ人に対して向けられたナチスの憎悪と、私の憎悪とにいかほどの差異があるだろうか?

 私の手元にあるのは旧版で、冒頭には70ページ近い「解説」がある。要はナチスの非道ぶりを紹介しているわけだが、読者を特定の方向へリードしようとする意図が明らかで、先入観を植えつける内容になっている。しかもこの解説は署名がないので、訳者が書いたのか出版社サイドが書いたのかもわからない。「お前は神なのか?」と言いたくなるような代物だ。

 例えばこう――

 グラブナーと彼の助手たちは、何かの口実を設けてはたびたび収容所の訊問を行い、もしそれが男の場合には睾丸を針で刺し、女の場合には膣の中に燃えている坐薬を押し込んだのである。(アウシュヴィッツ収容所)

【『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾〈しもやま・とくじ〉訳(みすず書房、1956年/新版、1985年/池田香代子訳、2002年)以下同】

 文章に独特の臭みがあるので多分、霜山徳爾が書いたのだろう。大体、翻訳者なのだからこっちがそう思い込んだとしても罪にはなるまい。

 我々はともすると、戦争や政治を道徳的次元から問うことがしばしばある。しかし厳密に考えるならば、道徳は個人の行為を問題にするのであって、戦争や政治という利害調整と道徳とは本来まったく関係がない。多数の人々を殺傷しておきながら、ジュネーブ条約もへったくれもない。

 食べるものも満足に与えられず、暴力にさらされると、人間はどのように変わり果てるのだろうか?

 最初は囚人は、たとえば彼がどこかのグループの懲罰訓練を見ねばならぬために点呼召集を命令された時、思わず目をそらしたものだった。また彼はサディズム的にいじめられる人間を見ることが、たとえば何時間も糞尿の上に立ったり寝たりさせられ、しかも鞭によって必要なテンポをとらせられる同僚を見ることに耐えられなかったのである。しかし数日たち、数週間たつうちに、すでに彼は異なってくる。(中略)その少年は足に合う靴が収容所になかったためはだしで何時間も雪の上に点呼で立たされ、その後も戸外労働をさせられて、いまや彼の足指が凍傷にかかってしまったので、軍医が死んで黒くなった足指をピンセットで附根から引き抜くのであるが、それを彼は静かに見ているのである。この瞬間、眺めているわれわれは、嫌悪、戦慄、同情、昂奮、これらすべてをもはや感じることができないのである。【苦悩する者】、【病む者】、【死につつある者】、【死者】──【これらすべては数週の収容所生活の後には当り前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かすことができなくなるのである】。

 無気力は「心の死」である。日常的に暴力にさらされると人は痛みに対して鈍感になり、他人の痛みに心を動かさなくなるというのだ。これほど恐ろしいことはない。生存本能を最も深い部分で支えているのは「恐怖」である。強制収容所の人々は確実に死につつあった。

 これを逆から読めば、生の本質は「ものごとを感じ取る力」にあるといえよう。すなわち感受性である。感受して応答するのが生きることなのだ。ゴムまりのように軽やかに弾んでいなければ生きるに値する人生を歩んでいるとはいえない。

 アウシュヴィッツは一つの概念だった。

 概念とは言語世界である。思考は言語世界から離れることができない。そして概念は世界を構築する。この時、アウシュヴィッツの外側の世界は存在しない。世界は階層化する。同じ囚人であっても、カポーと呼ばれる囚人の見張り役になって特典を与えられた者も存在した。過酷な情況は鑿(のみ)となって人々の本質を彫像のように現した。生きるか死ぬかという瀬戸際に置かれた人間は丸裸にされる――

 人間が強制収容所において、外的のみならず、その内的生活においても陥って行くあらゆる原始性にも拘わらず、たとえ稀ではあれ著しい【内面化への傾向】があったということが述べられねばならない。元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は、ある場合には、その比較的繊細な感情素質にも拘わらず、収容所生活のかくも困難な外的状況を苦痛であるにせよ彼らの精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。なぜならば彼らにとっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。【かくして、そしてかくしてのみ繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである】。

 生きる権利すら奪われた地獄にあっても、「内なる世界」が存在したというのだ。アウシュヴィッツにはこれほどの希望が存在した。人の心はかくも巨大であった。

 ヴィクトール・E・フランクルの偉大さは、強制収容所において「心理学者としての視点」を失わなかったところにある。つまり、劣悪な環境を一歩高い視点から見下ろすことができたのだ。「観察する自分」はアウシュヴィッツから離れていた。これは一種の解脱と見ることができる。

 最もよき人々は帰ってこなかった。

 この重い一言を徹底して掘り下げたのがプリーモ・レーヴィだった。



・アドルフ・アイヒマン 忠実な官僚
若きパルチザンからの鮮烈なメッセージ/『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
香月泰男が見たもの/『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ

2009-04-09

ザ・ホロコーストの神聖化/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 著者のノーマン・G・フィンケルスタインは、ホロコースト産業によって後々捏造(ねつぞう)された歴史を「ザ・ホロコースト」と呼び、実際に起こった歴史的事実を「ナチ・ホロコースト」と表現し、厳密に区別している。

 第二次世界大戦の余韻が残っていた時期、ナチ・ホロコーストはユダヤ人だけの事件とは考えられていなかったし、ましてや歴史に唯一無二の事件という役割をあたえられてなどいなかった。組織的アメリカ・ユダヤはむしろこれを普遍的な文脈に位置づけることに腐心していた。ところが六月戦争後、ナチの最終的解決の枠組みに過激な変化が起こった。ジェイコブ・ネウスナーは当時を振り返り、「1967年戦争以後に登場し、アメリカのユダヤ思想を象徴するものとなった主張がいくつかあるうちで、最初の、そしてもっとも重要なもの」は、「ホロコーストは……人類史上に比べるもののない唯一無二のもの」という主張だった、と述べている。また歴史家デイヴィッド・スタナードはその啓発的な論文で、「ホロコースト聖人伝作家の小規模産業が、神学的熱狂の精力と創意を総動員して、ユダヤ人の経験は唯一無二のものだと言い張っていた」と嘲笑している。要するに、唯一無二のものという教義は意味をなさないのである。
 根本的に言えば、あらゆる歴史的事件はどれも唯一無二であって、少なくとも時間と場所はすべて違っている。またすべての歴史的事件には、他の事件とは違う固有の特徴もあれば共通する点もある。ザ・ホロコーストの異様さは、その唯一性を無条件で決定的なものとしていることだ。無条件の唯一性を持った歴史的事件などあるだろうか。概してザ・ホロコーストについては、この事件を他のできごととまったく違う範疇に位置づけるために、固有の特徴ばかりが取り上げられている。しかし、他の事件と共通する多くの特徴が些末なものと認識されなければならない理由は、決して明らかにされない。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン/立木勝訳(三交社、2004年)】

「ナチ・ホロコーストはユダヤ人だけの事件とは考えられていなかった」というのは極めて重要な指摘である。ただし、これは今後も様々な人の手で検証する必要がある。著者の指摘通りであれば、「ナチスによる大量虐殺」が「ナチスによる“ユダヤ人”大量虐殺」と書き換えられたことになる。

 ホロコースト産業は、唯一無二という絶対性を脚色し、被害を誇大にしてみせた。国際的な関心が寄せられれば、当然金も集めやすくなる。まして、国家予算から引き出すことができれば、疑念を抱く人々も出てこない。大衆は自分の財布にしか興味を持たないものだ。

「絶対」という言葉を連発するのは小学生である。それも3年生くらいか。私の記憶によれば、指切りげんまんをしなくなった頃から、「絶対」を使うようになったはずだ。これは、概念や抽象化が不確かなためだろう。言葉の定義すら曖昧なため、「絶対性」に固執するのだ。

 一方、信仰者も「絶対」を濫用(らんよう)する。「神のご加護と裁きは絶対です」――ヘエ、そうかい。じゃあ、ルワンダのクリスチャンが大量虐殺されていた時、神様は昼寝でもしたのか?(レヴェリアン・ルラングァ著『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』晋遊舎、2006年)

 いずれにせよ、科学的根拠や論理的整合性を欠いた「絶対」ほど危険なものはない。世界中の原理主義という原理主義を支えているのは「絶対性」なのだから。



『パレスチナ 新版』広河隆一
文学者の本領/『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクション第2巻』竹山道雄:平川祐弘編

2008-12-30

ナチスはありとあらゆる人間性を破壊した/『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
・『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子

 ・ナチスはありとあらゆる人間性を破壊した
 ・極限状況を観察する視点
 ・生きるためなら屍肉も貪る

『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 ナチスの強制収容所といえば本書。既に古典の風格がある。20代半ばで読んだが、自分の知らない“世界と歴史”にたじろいだことを、今でもよく覚えている。

 相手を虫けら同然と認識してしまえば、人間はどこまでも残酷になれる。

 収容者は石を抱かせられ、肥料の中で溺れさせられ、鞭で打たれ、飢えさせられ、去勢され、そして輪姦されたりした。しかしそれだけではなかった。入墨をしている者は薬剤所に報告するように命令された。(中略)その肌に入墨師の技両を発揮したすばらしい彫刻を持っている連中は留置され、それからカポーの一人であるカール・ベイグスの命令による注射で殺されてしまったのである。
 この死体は病理部に引き渡され、そこで皮膚をはがされて処分された。処理を終えた人間の皮は司令官の妻イルゼ・ゴッホに下げ渡されたが、彼女はそれでランプの傘やブックカバーや手袋を造った。(※ブッヒェンワルト収容所)

【『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』ヴィクトール・E・フランクル:霜山徳爾〈しもやま・とくじ〉訳(みすず書房、1956年/新版、1985年/池田香代子訳、2002年)】

「♪かあ〜さんがぁ〜夜なべぇ〜をして、てぶく〜ろ編んでくれたぁ〜」――で、それは人間の皮でできていたって話だ。こんなリサイクルが許されていいはずがない。

 正義というものはわかりやすくなくてはいけない、という私の信条に基づけば、鬼畜の如き所業を為した者には同程度以上の苦痛を与えた上で、死をもって償わせる必要があると考える。

 ここで一つ重要な問題が発生する。ナチスドイツが行ったであろう残虐な行為を私が検証できないことだ。つまり、私が殺意を抱いているのは、飽くまでも「書籍から得た情報」によるものであり、この点において、「ゲルマン民族のみが優れているという情報」を鵜呑みにして、ジプシー、身体障害者、ユダヤ人を殺戮したナチスドイツと何ら変わりがない。

 つまり、だ。人間という動物は情報次第で、簡単に人を殺すことができるという事実が浮き彫りになる。何と恐ろしいことだろう。

 タイトルの『夜と霧』は、「夜陰に乗じ、霧に紛れて人々が連れ去られ消された歴史的暗部を比喩」したものとされている。ところがどっこい、私はそうは読まない。『夜と霧』は情報が遮断された状態のメタファーだと考える。

 イスラム文化圏には現在でも「名誉の殺人」という風習が根強く残っている。2007年には、17歳のクルド人少女が家族や親戚の手で殺された動画がネット上にアップされた。少女は衆人環視の中で散々殴る蹴るの暴行を加えられ、大きな石が頭に叩きつけられた。少女の頭部から大量の血が流れ、動かなくなってからも暴行がやむことはなかった。

 人間は愚かだ。愚かであるからこそ歴史は繰り返される。カンボジアではポル・ポト政権が、ルワンダではフツ族がそれを証明した。

 情報を吟味するためには、強靭な知性と豊かな想像力が不可欠だ。そのために、私は今日も本を手に取ろう。

2008-11-07

ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 ノーマン・G・フィンケルスタインは、自分の主張が独善へと傾斜しないように、さまざまな人物からの指摘も挙げている。これもその一つ――

 イスラエルの著名ライター、ボアス・エヴロンは「ホロコースト意識」について、その実体は「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観である。その真の目的は、過去を理解することではまったくなく、現在を操作することである」と喝破している。ナチ・ホロコーストそのものは、本質的にはいかなる政治的課題にも奉仕するものではない。イスラエルの政策を支持する動機にもなれば、反対する理由にもなる。しかしイデオロギーのプリズムを通して屈折させられるとき、「ナチによる絶滅の記憶」は「イスラエル指導層と海外ユダヤの掌中の強力な道具」(エヴロン)として働くようになる。すなわち、「ナチ・ホロコースト」が「ザ・ホロコースト」になったのである。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 歴史は長いものに巻かれる。恐ろしいのは、既に「ナチ・ホロコースト」よりも「ザ・ホロコースト」の方が長期間に渡って流布している事実である。ホロコーストからの生還者だって、もうさほどいないことだろう。そして、証人を失った歴史は更に塗り替えられる結果となる。新事実を盛り込むことだって可能だ。メディアが許認可事業である以上、権力には抗しきれない。

 苫米地英人の一連の著作を読むまで、洗脳とは閉ざされた環境下で睡眠などを奪って行うものだとばかり思っていた。ところが、実はもっと日常的に行われているもので、いわゆる「刷り込み」(インプリンティング)に近いものだと知った。ホロコーストに関しては、膨大な情報が溢れている。それらに触れれば触れるほど、怒りや悲しみを覚える。そして、激しい感情と共に思い込みが強化されてゆくのだ。

 もちろん、事実というものは多面的な姿を持っている。だが明らかに、「ザ・ホロコースト」は嘘で築かれている。嘘の歴史が闊歩し、巨額な賠償金を詐取している現実がある。

 人々がテレビの前から腰を上げない限り、洗脳は避けようがない。小さな声でもいいから、一人ひとりが何らかの発信を行うべきだと考える。それ以外に、洗脳を拒絶する手立てがないからだ。

2008-10-23

「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 ホロコーストでは600万人の人々が虐殺された。で、この600万人を我々はユダヤ人だと完全に思い込んでいる。何を隠そう、この本を読む直前に私もそう書いた。

『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

 で、その根拠は何かと言うと、『アンネの日記』だったり、『夜と霧』だったり、『ショアー』だったりするわけだ。

 では本当にユダヤ人だけがユダヤ人という理由だけで大量虐殺されたのか?

「ホロコースト時代について誰もが認める専門家」として判断を任されたヴィーゼルは、ユダヤ人が最初の犠牲者であると強調した上で、「そしていつものように、ユダヤ人だけでは済まなかった」と主張した。しかし、政治的に最初に犠牲となったのはユダヤ人ではなく共産主義者だったし、大量殺人の最初の犠牲者も、ユダヤ人ではなく障害者だった。
 またジプシーの大量殺人が突出していたことも、ホロコースト博物館としては認めがたいことだった。ナチは50万人のジプシーを組織的に殺害したが、これは比率で言えば、ユダヤ人虐殺にほぼ匹敵する犠牲者数である。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)以下同】

 この事実だけでも、捏造された「ザ・ホロコースト」の巨大な影を垣間見ることができよう。「ザ・ホロコースト」は、歴史としての「ナチ・ホロコースト」を隠蔽する。そして再び目の前に出されると、姿を変えてゆくのだ。ユダヤ人に有利に働くよう、歴史は加工・修正されてゆく。

 で、現代のアメリカにおいて、ユダヤ人はどのような立場を占めるに至ったか?

 黒人、ラティーノ、ネイティヴ・アメリカン、女性、ゲイ、レズビアンも含めて、自分たちは犠牲者だという非難の声をあげるグループのうち、ユダヤ人だけは、アメリカ社会において不利な立場におかれていない。実際には、アイデンティティー・ポリティクスとザ・ホロコーストがアメリカのユダヤ人に根づいたのは、犠牲者としての彼らの立場が理由ではない。理由は、彼らが犠牲者ではなかったからだ。
 反ユダヤ主義の障壁は第二次世界大戦後、急速に崩れ去り、ユダヤ人は合衆国内の階層を上昇した。リプセットとラーブによれば、現在、ユダヤ人の年収は非ユダヤ人のほぼ2倍だ。もっとも富裕なアメリカ人40人のうち16人はユダヤ人だし、アメリカのノーベル賞受賞者(科学および経済分野)の40パーセント、主要大学教授の20パーセント、ニューヨークおよびワシントンの一流法律事務所の共同経営者の40パーセントもユダヤ人である(以下、リストは延々と続く)。ユダヤ人であることは、成功への障害になるどころか、その保障となっている。多くのユダヤ人は、イスラエルがお荷物だったときには距離をおき、資産になったら途端にシオニストに生まれ変わった。それとまったく同様に、彼らはユダヤの民族アイデンティティーが負担だったときにはこれを遠ざけておきながら、資産になったら急にユダヤ人に生まれ変わったのである。

 日本人が中々理解し難いのは、キリスト教を始めとする宗教勢力攻防の歴史を知らないことと、いまだに世界でまかり通っている人種差別の概念に乏しいためだ。こうした無知にこそ、操作された情報が忍び込む膨大な余地がある。

 歴史とはアイデンティティそのものと考えられる。つまり、歴史を操作することは人格改造に等しい。そして問題は「誰が得をするのか?」という一点に尽きる。



シオニズムと民族主義/『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫

2008-09-30

六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 既に紹介済みだが六月戦争(第三次中東戦争)があったのは1967年6月のこと。これ以降、アメリカとイスラエルは急接近し、腕を組んで歩き始める。これがその辺の男女の仲であれば、「ヨッ、ご両人!」で済むところだが、そうは問屋が卸さない。

 メディアというものは、大なり小なり国家意思に基づいた報道を行う。その典型が戦争報道であろう。米国内では六月戦争以降、イスラエル関連のコラムが激増する。

 六月戦争以後の主流アメリカ・ユダヤ人組織は、アメリカ・イスラエル同盟を確かなものとすることにすべての時間を費やした。ADLの場合、イスラエルや南アフリカの情(諜)報部とともに広範な国内調査まで実施している。また1967年6月以降、『ニューヨーク・タイムズ』紙がイスラエルを取り上げる回数が劇的に増加した。『ニューヨーク・タイムズ・インデックス』を見ると、1955年も1965年もイスラエルの項目は60コラムインチだった。それが1975年には、260コラムインチにもなっている。1973年のヴィーゼルは、「いい気分になりたいときには『ニューヨーク・タイムズ』のイスラエルの記事を見ることにしている」と言っている。ポドレツと同様に六月戦争では多くの主流派アメリカ・ユダヤの知識人が「宗教」を発見した。ノヴィックによれば、ホロコースト文学の第一人者ルーシー・ダヴィドヴィッチは、かつては「イスラエル批判の急先鋒」だった。1953年には、一方で故郷を追われたパレスティナ人に対する責任を回避しながら他方でドイツに賠償金を要求することはできないため、「道徳性はそんなご都合主義のものであってはならない」と、イスラエルを痛烈に批判していた。それが六月戦争のほぼ直後には「熱心なイスラエル支持者」となり、「現代世界における理想的ユダヤ人像へ向けた組織的パラダイム」だとして、イスラエルを熱烈に称賛するようになるのである。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 まったく酷い話だ。昨日、ダウが777ドルという暴落を記録したが、きっと遅過ぎた天罰が下ったのだろう。ざまあみやがれってえんだ。私の懐が痛まない限り、好き勝手に放言させてもらうよ。

 そして、六月戦争以降、ナチ・ホロコーストはザ・ホロコーストへと変貌するのだ。米国内のユダヤ・エリートは、金に任せて歴史を書き換えたってわけだ。恐るべきは“金の力”だ。

2008-09-07

1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 1960年代初頭は、まだ「ナチ・ホロコースト」(歴史上のホロコースト)だった。そして、イスラエルは米国を利する存在にはなっていなかった。1967年6月の第三次中東戦争(六月戦争)までは。

 1960年代初頭のイスラエルは、アイヒマンを拉致したことで、AJC元代表のジョゼフ・プロスカウアー、ハーヴァード大学の歴史学教授オスカー・ハンドリン、ユダヤ人が社主を務める『ワシントン・ポスト』紙など、各方面のユダヤ人エリートからさんざんな批判を浴びた。精神分析学者で社会学者のエーリッヒ・フロムは、「アイヒマンの拉致は、まさにナチが犯した罪とまったく同じ不法行為である」と述べた。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 こうした事実が、「ザ・ホロコースト」(金儲け、及び政治的プロパガンダとしてのホロコースト)へと歴史を捏造(ねつぞう)した有力な証拠である。ただし、ユダヤ人エリート以外がどのような反応を示したのかはわからない。

 当時、アメリカにとってはイスラエルよりもドイツとの同盟関係が重きをなしていた。エーリッヒ・フロムが政治に沿った発言をしたのだとすれば、彼の思想・信条は眉唾物であると言わざるを得ない。

 価値関係からしても、巨悪を撃つための小さな悪ならば、善となるはずだ。

2008-08-30

第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 第三次中東戦争は「六日戦争」とも呼ばれ、わずか6日間の戦闘でイスラエルは占領地域を4倍にまで拡大した。

 すべてが変わったのは、1967年6月の第三次中東戦争(六月戦争)からだ。誰に聞いても、ザ・ホロコーストがアメリカ・ユダヤ人の生活と切っても切れないものになったのはこの紛争後のことだという意見がほとんどだ。標準的な説明では、この変化は、六月戦争におけるイスラエルの極度の孤立と脆弱さがナチによる絶滅計画の記憶を蘇らせたため、とされている。しかし実際は、この分野は当時の中東における力関係を表わしてはいないし、アメリカ・ユダヤのエリートたちとイスラエルの間の深まりゆく関係の本質も伝えてはいない。
 主だったアメリカ・ユダヤ人組織は第二次世界大戦後、冷戦でのアメリカ政府の優先事項に従ってナチ・ホロコーストを軽視した。そしてそれとまったく同じ理由から、イスラエルに対する姿勢についても、彼らはアメリカの政策と歩調を合わせたのである。アメリカ・ユダヤのエリートたちは最初、ユダヤ人国家というものに根深い不安を抱いていた。その最たるものは、ユダヤ人国家が「二重の忠誠心」という嫌疑を裏付けることになるのではないかという恐れだった。(※イスラエルは国家成立後、西側陣営に加わったものの、イスラエル指導層のほとんどが東ヨーロッパ系の左翼であったため、ソヴィエト陣営につく懸念を払拭できなかった。当時はアメリカもイスラエルとは距離を置いていた)

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン:立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 中東におけるイスラエルと、極東における日本は地政学上無視できない位置にあるという点で似ている。しかしながら決定的に異なるのは、日本人が黄色人種であることだ。日本にとっての外交はアメリカが大半を占めているが、アメリカにとっての日本は数多い同盟国の一つに過ぎない。

 第三次中東戦争でイスラエルが圧倒的な勝利を収め、米国のユダヤ・エリートは同盟関係を深めることに全力を注いだ。アメリカという国は、「世界の警察」というよりは、「暴力にものを言わせるボス」という存在だが、民主主義の宗主国である以上、世論を無視することは絶対にできない。そこで、自分達が描いた物語に誘導するべく、情報操作が始まる。

2008-08-24

米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 第二次世界大戦後、米ソの冷戦構造が世界を支配した。アメリカでは反共ヒステリーともいうべきマッカーシズム旋風が吹き荒れ、赤狩りに血道をあげた。米ユダヤ人組織は、反共の旗幟(きし)を鮮明にして同胞であるユダヤ人をも生贄(いけにえ)として差し出した。

 アメリカ・ユダヤのエリートたちのあいだで最終的解決の話題がタブーだったのには、もう一つ理由がある。左翼のユダヤ人が、冷戦でドイツと同盟してソヴィエト連邦と対峙することに反対で、こちらはナチの問題を持ち出すことをやめなかったからである。ナチ・ホロコーストの記憶は共産主義の理想と結びついた。ユダヤ人と左翼を同一視するステレオタイプの見方に縛られて――実際に1948年の大統領選挙では、進歩派候補ヘンリー・ウォーラスの得票数の3分の1はユダヤ人によるものだった――アメリカ・ユダヤのエリートたちは躊躇なく、同胞のユダヤ人を生贄として反共産主義の祭壇に捧げたのである。危険分子と疑われたユダヤ人の名簿を政府機関に提供することで、AJCとADLは積極的にマッカーシーの魔女狩りに協力した。AJCはローゼンバーグ夫妻の死刑を容認する一方で、月間機関誌『コメンタリー』に、夫妻は「本当の」ユダヤ人ではないという社説を掲載した。
 国内外の左翼とつながっていると見られることを恐れた主流ユダヤ人組織は、反ナチだったドイツ社会民主党との協力にも反対し、ドイツ製品の不買運動や元ナチ党員の合衆国入国に反対する大衆デモへの協力までも拒んだ。その一方で、プロテスタント牧師で反ナチ運動の指導者だったマルティン・ニーメラーは、ナチ強制収容所で8年を過ごし、当時は反共産主義運動に参加していたにもかかわらず、訪米中にアメリカ・ユダヤの指導者たちから誹謗中傷された。ユダヤのエリートたちは、自分たちの反共姿勢の信用度を上げようと躍起になり、ついには「共産主義と闘う全米会議」のような右翼過激派組織に参加して財政的に支えるようになり、ナチ親衛隊の元隊員の入国も見てみぬふりをしたのである。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝訳(三交社、2004年)】

 訳文が拙く、途中でわかりにくくなっているが、米国内で極右の立場になることで保身を図ったのだろう。「だが、なぜ?」という疑問が湧いてくる。そこまで、ユダヤ・エリート達が臆病にならざるを得なかった理由は何なのか?

 ただ、共産主義者という新たなスケープゴートが狩りの対象となったことで、ナチスによる迫害の記憶がまざまざと甦ったことは容易に想像がつく。人類の歴史はいつだって犠牲者を必要としてきた。暴力という本能をいまだにコントロールできないところを踏まえると、人類の宿命と言っていいのかも知れない。

 ユダヤ人にとっては、率先して赤狩りに取り組むことが、自分達にとっての保険だったのだろう。ただし、このことがユダヤ人組織に限られたことかどうかは確認する必要がある。狂った風が吹けば、身を屈めてじっとしているか、風に吹かれてよろけるのが人の常。殊更、非難すべきこととは思えない。

 米国のユダヤ・エリートが大博打を打つのは、もう少し後のことである。

2008-08-23

戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 生きてゆくためなら利口になる必要がある――それを否定する人は少ないだろう。しかし、功利主義は時に善悪を見失い、いつしか我が身を狡猾さで染めてゆく。まして歴史を改竄(かいざん)するともなれば、後世の人々を嘘で惑わす結果となる。これほどの巨悪はあるまい。

 ナチのユダヤ人絶滅計画が公の場で語られなかった本当の理由は、アメリカ・ユダヤ指導者層の体制的順応政策と、戦後アメリカの政治風土だった。国内問題でも国際問題でも、アメリカ・ユダヤのエリートたちは、アメリカ当局の方針に忠実に従った。そうすることで、同化による権力への道という伝統的な目標が実際に促進された。冷戦が始まると、主流ユダヤ人組織もこの争いに飛び込んでいった。アメリカ・ユダヤのエリートたちがナチ・ホロコーストを「忘れた」のは、ドイツ(1949年からは「西ドイツ」)が戦後アメリカの重要な同盟国となり、アメリカとともにソヴィエト連邦と対峙するようになったからだ。今さら過去をほじくり出しても何の役にも立たないばかりか、問題を複雑化するだけだった。
 わずかな留保条件を残したのみで(それでもすぐに破棄された)、主だったアメリカ・ユダヤ人組織はすぐに政府方針に従い、ほとんど脱ナチ化していないドイツの再軍備を支持した。アメリカ・ユダヤ人委員会(AJC)は、「新方針および戦略的アプローチに対して組織的に反抗すれば、アメリカのユダヤ人は多数派を占める非ユダヤ人から孤立してしまい、戦後国内で達成してきた実績が危うくなる」として、まっ先にドイツとの再同盟の利点を説いた。シオニズム推進派の世界ユダヤ人会議(WJC)とそのアメリカ支部は、始めはこの方針に反対していたが、1950年代初めにドイツとの補償条約が調印されると反対をやめた。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 ユダヤ・エリートはアメリカの国策に従う道を選んだ。そのこと自体を私は批判するつもりはない。アメリカはユダヤ人国家ではないのだから、必要以上の軋轢(あつれき)を避けたと見ることもできよう。問題は、戦後のこうした事実を隠蔽(いんぺい)して、後出しじゃんけんのようにホロコーストを糾弾したことだ。

 もしも全てが、最初から練られた戦略であったとするならば、ユダヤ人恐るべしとしか言いようがない。

2008-08-19

1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 信じ難い話である。捏造された歴史が、蜘蛛の巣さながらに後世の大衆をからめ取る。身動きのできない我々は嘘を信じて生きる他ない。本物の知性とは、我が身を飾る最新情報などではなく、人々の蒙を啓(ひら)かしめる光を伴っている。ノーマン・G・フィンケルスタインの勇気が「知は力」であることを雄弁に物語っている。

 しかしごく最近まで、ナチ・ホロコーストがアメリカ人の生活に登場することはほとんどなかった。第二次世界大戦の終結から1960年代の終わりまで、このテーマを取り上げた書籍や映画はほんのわずかだったし、この問題を扱う講座のある大学は合衆国中で一つだけだった。1963年にハンナ・アーレントが『イェルサレムのアイヒマン』を出したとき、引用できる英語の研究書は、ジェラルド・ライトリンガーの『最終的解決』とラウル・ヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』の二つしかなかった。そのヒルバーグの名著にしても、やっとのことで日の目を見たものだった。コロンビア大学でヒルバーグの論文指導をしたフランツ・ニューマンはドイツ系ユダヤ人だったが、「君は不幸になる」と言って、この問題で論文を書くことを何とか思いとどまらせようとした。原稿が完成しても、どこの大学や大手出版社も手をつけようとしなかった。ようやく出版にこぎつけたが、『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』はほとんど注目されず、たまに取り上げられても批判的なものがほとんどだった。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

「歴史」とは、「言い伝えられるもの」であり「教わるもの」だ。ここに歴史の危うさがある。古(いにしえ)の権力者は自らの正当性のために“勝手な物語”を創作してきた。つまり、歴史の書き手はいつの時代も政治家であった。歴史の嘘を見破るためには、「検証できないものを拒絶する」強靭なまでの知性が求められる。

2008-08-17

誇張された歴史を生還者が嘲笑/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 ナチス・ドイツの強制収容所を体験した人は、確実に真実の一部を知っている。歴史家の仕事は、部分的な真実をつなぎ合わせ、全体像を再構築することであろう。しかし、ホロコーストの全体像は歴史家の手によって“新しい物語”を創作された。

 私の両親は、死ぬまで毎日のようにそれぞれの過去を追体験していたが、晩年には、大衆向けの見せ物としてのザ・ホロコーストにまったく関心を示さなくなっていた。父の親友にアウシュヴィッツの収容所仲間がいた。買収など考えられない左翼の理想主義者で、戦後のドイツから補償金も信念に基づいて受け取りを拒否していたのだが、最後にはイスラエルのホロコースト博物館「ヤド・ヴァシェム」の館長になった。父は心から失望し、なかなか認めようとしなかったが、最後にはこう言った――あいつもホロコースト産業に買収された、権力と金のために信念を曲げたのだ、と。ザ・ホロコーストの演出が一層ばかげた形を取るようになるにつれ、母は皮肉を込めて、「歴史など戯言だ」というヘンリー・フォードの言葉を引いた。わが家では「ホロコースト生還者」の話はどれもこれも――収容所にいた者やレジスタンスの英雄の話もすべて――特殊な、捻れた笑いの種になった。ジョン・スチュアート・ミルがはるか昔に理解したように、継続的な批判に晒されない真実は、最後には「誇張されることによって真実の効力を停止し、誤りとなる」のである。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 最大の問題は、ホロコーストが神聖化され、一切の批判を封じていることだ。その陰でホロコーストの犠牲が拡大再生産されてゆく。

 第二次世界大戦が終了したのは1945年。あと数十年経てば、戦争を体験した人はこの世からいなくなる。そこで再び、歴史の修正、捏造(ねつぞう)、創作が行われることだろう。政治の目的とは、歴史をでっち上げることなのかも知れない。

2008-08-16

エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 これだけの告発を行えば、いつ殺されてもおかしくないだろう。ノーマン・G・フィンケルスタインの怒りは、収容所を生き延びた両親によって培われたものだった。嘘が人を殺す――ナチス・ドイツでもルワンダでもそうだった。大量虐殺を実行するには、嘘に踊らされる群衆が必要なのだ。著者は、その嘘を憎んだ。本書を執筆する動機がそこにあったことと察する。

 本書はホロコースト産業を分析し、告発するためのものである。以下の各章では、ザ・ホロコーストがナチ・ホロコーストのイデオロギー的表現であることを論証していこうと思う。大半のイデオロギーと同じようにこれも、わずかとはいえ、現実とのつながりを有している。ザ・ホロコーストは、各個人による恣意的なものではなく、内的に首尾一貫した構造物である。その中心教義は、重大な政治的、階級的利益を支えている。実際に、ザ・ホロコーストがイデオロギー兵器として必要不可欠であることは、すでに証明済みだ。これを利用することで、世界でもっとも強力な軍事国家の一つが、その恐るべき人権蹂躙の歴史にもかかわらず「犠牲者」国家の役どころを手に入れているし、合衆国でもっとも成功した民族グループが同様に「犠牲者」としての地位を獲得している。
 どちらも、どのように正当化してみたところで上辺だけの犠牲者面(づら)にすぎないのだが、この犠牲者面は途方もない配当を生みだしている。その最たるものが、批判に対する免疫性だ。しかも、この免疫性を享受している者はご多聞に漏れず、道徳的腐敗を免れていないと言ってよい。この点から見て、エリ・ヴィーゼルがザ・ホロコーストの公式通訳者として活動していることは偶然ではない。彼の地位がその人道的活動や文学的才能によって得られたものでないことは明白だ。ヴィーゼルが指導的役割を演じていられるのは、むしろ、彼がザ・ホロコーストの教義を誤りなく言語化しているからであり、そのことによってザ・ホロコーストの基礎となる利益を得ているからである。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 この本の主人公はエリ・ヴィーゼルだ。エリ・ヴィーゼルこそはホロコースト産業におけるトリックスターであり、司祭であり、裁判官だ。ミスター・ホロコーストはアメリカ・ユダヤエリートのシナリオ通りに演技をする人気タレントだ。人々から寄せられる同情がエリ・ヴィーゼルへの批判を封じ込めている。そして、ホロコースト産業が行っているのは世界規模での“恐喝”である。



ノーマン・G・フィンケルスタイン「ヒズボラは尊敬に値する」
アドルフ・ヒトラーとジョン・F・ケネディの演説

2008-08-14

目次/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 今、せっせと入力しているのだが、あまりにも衝撃的な内容であるため、目次には掲載されていない見出しを紹介しておこう。原著はペーパーバックで刊行され、米国を除いた各国でベストセラー入りしている。ノーマン・G・フィンケルスタインの両親は強制収容所からの生還者である。歴史的な事実を「ナチ・ホロコースト」、戦後20年以上経って突然現れた論調を「ザ・ホロコースト」=「ホロコースト産業」と厳密に区別している。

 ホロコースト産業は、アメリカとイスラエルが接近してから後に生まれたものである。何と1967年以降というのだから驚きだ。それまでは第二次大戦後、米独が友好関係にあったため、アメリカ在住のユダヤエリート達は沈黙を保っていた。それどころか、反共姿勢を明確にするために元ナチスのアメリカ入国をも支援していた。

 ホロコースト産業は、スイスやドイツを始めとする世界各国に賠償金を吹っ掛けて脅し上げる。強制収容所からの生還者数を水増しし、アメリカ合衆国の政治力をバックに賠償金を吊り上げる。まさに「壮大なカツアゲ」と言っていいだろう。そして、まんまとせしめた莫大な資金は、犠牲者に支払われることなくユダヤ人組織が吸い上げている。

 ユダヤ人による内部告発といった内容であるが、改竄(かいざん)されたのは食品の賞味期限なんかではなく歴史そのものなのだ。桁違いの巨悪というべきだ。そのお先棒を担いでいるのがエリ・ヴィーゼルである。『夜』に始まる3部作もゴーストライターが書いたという噂があるが、確かにそう言われてみると現実感の伴わない文章である。

 梅崎義人著『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』と併せて読めば、世界がどのような力学で動いているかが実によく理解できる。

序論 ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時が来ている

・イデオロギー兵器としてのザ・ホロコースト
・アメリカ・ユダヤによるナチ・ホロコーストの「発見」
・ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時が来ている

第1章 政治・経済的な「資産」としてのザ・ホロコースト

・戦後ある時期までナチ・ホロコーストは注意を払われなかった
・冷戦下、同盟国ドイツの過去に蓋をする
・第三次中東戦争(1967年)がすべてを変えた
・アメリカ最新の戦略的資産としてのイスラエルの「発見」
・アメリカの権力とぴったり歩調を合わせる
・アメリカで“突然流行”し、組織化されていったホロコーストの話題
・すべてはアメリカ・イスラエル同盟の枠組みの中で起こった
・アイヒマン裁判で証明されたナチ・ホロコースト利用の有用性
・イスラエルが資産になった途端にシオニストに生まれ変わったユダヤ人
・新たな反ユダヤ主義をめぐる作られたヒストリー
・歴史的な迫害を持ち出すことで現在の批判を逸らす

第2章 騙し屋、宣伝屋、そして歴史

・ホロコーストの枠組みを支える二つの中心教義
・唯一性はホロコーストの枠組みにおける所与の事実
・ホロコーストの唯一性をめぐる議論の不毛さ
・ホロコーストの唯一性からユダヤ人の唯一性の主張へ
・異教徒による永遠の憎悪というザ・ホロコーストの教義
・反ユダヤ主義の非合理性はザ・ホロコーストの非合理性から導かれる
・ユダヤ人の選民意識を強化したザ・ホロコースト
・コジンスキー『異端の鳥』におけるホロコーストのでっち上げ
・『断片』のヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった
・アラブにナチズムの汚名を着せようとするホロコースト擁護者たち
・ホロコースト文学の批判的研究に対する執拗な中傷と圧力
・でっち上げられたホロコースト否定論というお化け
・なぜアメリカの首都に政府運営のホロコースト博物館があるのか
・策略の核心はユダヤ人のためだけに記念すること

第3章 二重のゆすり

・年々水増しされる「生存するホロコースト生還者」の数
・ドイツはすでに1952年に諸ユダヤ機関との賠償金協定に調印していた
・請求ユダヤ人会議は補償金を犠牲者の社会復帰のために使わなかった
・ホロコースト期ユダヤ人資産の所有権を主張するホロコースト産業
・「数十億を盗み取った50年にわたるスイスとナチの陰謀」
・「スイスの銀行に資産が存在したことを証明できる者」はほとんどいなかった
・公聴会のポイントは「センセーショナルなストーリーを作り出す」こと
・調査結果が出る前に金銭による和解へ向けて圧力をかけるホロコースト産業
・スイスを脅す二つの戦略としての集団訴訟と経済的ボイコット
・ついに屈服したスイスは12億5000万ドルの支払いに同意
・最終和解で「困窮するホロコースト生還者」がどう扱われるかは不透明
・ベルジェ委員会「スイスと第二次世界大戦中の金取引」
・ヴォルカー委員会「スイスの銀行におけるナチ迫害犠牲者の休眠講座に関する報告」
・実際の休眠ホロコースト口座総額は世界ユダヤ人会議の主張より桁違いに少なかった
・アメリカの銀行ではホロコースト期の休眠口座はどうなっているか
・アメリカの銀行を調査せよという運動は起きなかった
・スイスの次はドイツに対するゆすりが始まった
・ドイツはまったく補償していないという言いがかり
・補償金の請求額をつり上げるために存命生還者の数が増やされる
・60万以上の生還者がいるとしたらナチの最終的解決は杜撰なものだったことになる
・ゆすりの最大の山場は東ヨーロッパに対するもの
・アメリカによる経済制裁という棍棒を振るうホロコースト産業
・巨大な金持ち官僚機構となったホロコースト産業はますます凶暴化していく



シオニズムと民族主義/『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫
予言者ヒトラー/『1999年以後 ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図』五島勉
魔女狩りは1300年から激化/『魔女狩り』森島恒雄