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2019-03-01

家族の目の前で首を斬り落とされる不可触民/『不可触民 もうひとつのインド』山際素男


 ・豊かな生命力は深い矛盾から生まれる
 ・家族の目の前で首を斬り落とされる不可触民
 ・不可触民の少女になされた仕打ち
 ・ガンジーはヒンズー教徒としてカースト制度を肯定

『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ
『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
『ガンジーの実像』ロベール・ドリエージュ
『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム

 30年ほど前、不可触民はこのように扱われていた――

「この村の不可触民の一人が、地主の虐め方がひどいと抗議したのです。そのときは他の不可触民も一緒にいたので、地主も手を出さなかったのです。
 2〜3日後、地主の手のもの何人かがその農夫の家へやってきて、無理矢理引っ張ってゆきました。彼等はライフルや槍で武装しているので家族や仲間も手が出せなかったのです。
 そいつらは、農夫を村のホールに連れてゆき、予(あらかじ)め打ちこんであった杭(くい)にしばりつけました。
 農夫は必死に大声をあげ、助けを求めました。
 周りには“見物”の村人が総出でつめかけていたのです。家族は人びとの足にすがりついて助けを乞うたのに、だれも見向きもしなかったといいます。
 やつらは、泣き叫ぶ家族の目の前で、鶏の首を打ち落とすように、斧(おの)で農夫の首をはねてしまいました。
 しかも、その人殺し共は、屍体の始末をその農夫の家族にやらせたのです。
 わたしたちが駆けつけたときには、杭はありませんでしたが、地面は血を吸ってどす黒い跡を残していました。
 首のない亡骸(なきがら)を前に、わたしも男泣きに泣きました」
「警察は、どうしたのです?」
「きません」
「どうしてです?」
「通報するものがいないからです。暗くなって、われわれダリッツ支部に知らせにくるのがやっとだったのです」
「……」
「警察にはわれわれが届けました。村の不可触民は後の報復を怖れて警察にもいけないのです。
 われわれは、州首相にも報告書を提出しました。
 裁判にはかけられるでしょうが、地主が実刑をくらうことはまずないでしょう。その地主は大変な金持ちで、警察や政府関係者を完全に買収していますから ね。
 州政府はこの事件に関して未だに返事を寄こさず、なしのつぶてです」

【『不可触民 もうひとつのインド』山際素男〈やまぎわ・もとお〉(三一書房、1981年/知恵の森文庫、2000年)】

 私は生まれて初めて「戦争をすべきだ」と思った。「インドは滅ぶべきだ」とも思った。人道に関する罪に対して取り締まることのできる「国際警察組織」が必要だ。そうでなければ、いつまで経っても世界はチェ・ゲバラを必要とするだろう。

2011-01-23

両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ


 ・両親の目の前で強姦される少女

『不可触民 もうひとつのインド』山際素男

必読書リスト その二

 読んだのは二度目だ。三度目は多分ないだろう。私は確かにプーランの怒りを受け取った。胸の内に点火された焔(ほのお)が消えることはない。私が生きている限りは。

 若い女性に読んでもらいたい一冊である。できることなら曽根富美子の『親なるもの 断崖』と併せて。女に生まれたというだけで、酷い仕打ちにあった人々がどれほどいたことか。

 プーラン・デヴィは私よりも少し年上だと思われる。つまり昭和30年代生まれだ(Wikipediaでは私と同い年になっている)。少なからず私は同時代を生きたことになる。しかし彼女が生きたのは全く異なる世界であった。

 わたしは読むことも書くこともできない。これはそんなわたしの物語だ。

【『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ:武者圭子〈むしゃ・けいこ〉(草思社、1997年/草思社文庫、2011年)以下同】

 本書は口述筆記で編まれたプーラン・デヴィの自伝である。ガンディーの説いた非暴力がたわごとであったことがよくわかる。どこを開いても凄まじい暴力に満ちている。たとえ親戚であったとしても、カーストが違うというだけで大人も子供も殴られる。

 プーランは両親の目の前で複数の男たちから強姦される──

 だれかがわたしの毛布を引き剥がした。声を出す間もなく、手がわたしの口をふさぐ。
「待て、ムーラ。動くな」と、声がする。「そこにいて、俺たちがおまえの娘をどうするか、ようく見ていろ」
 若い男の一団だった。手にライフルをもったサルパンチの息子と、前に見たことのある男がいた。だが暗くて、ほかの男たちの顔はわからなかった。わたしは怖くて目を閉じた。
 ひとりがわたしの両手を押さえつけ、別の男たちが脚を開かせる。母が殴られ、しっかり見るんだと言われているのが聞こえた。それから父の泣きながら懇願する声……。
「お願いです。勘弁してください。娘を連れて、あした出て行きますから。もう、この村は出て行きますから。お願いです、それだけは……」
 蝋燭の最後の輝きのように、わたしの気力は一緒戻ったが、すぐにまた潮がひくように消えていった。泣き叫ぶ声も懇願も、罵声もののしりも遠くなった。二つの肉体、二つのあわただしいレイプだった。わたしは目を固く閉じ、歯茎から血が出るほど強く、歯を噛みしめていた。

 まだ、10代そこそこの時であった。その後、父と共に拘留された警察署内でも10人ほどの警官からレイプされた。

 インドは滅ぶべきだ。ブッダもクリシュナムルティも関係ない。とっとと世界地図から抹消した方がいい。心からそう思う。そもそもカースト制度自体が暴力そのものなのだ。

 プーランは盗賊にさらわれ、彼らと一緒に生きる道を選んだ。若いリーダーと恋に落ち、結婚。だが愛する夫は仲間の裏切りによって殺される。プーランは夫亡き後、リーダーとして立ち上がった。

 プーランの復讐に怯える男たちの姿が浅ましい。彼らは村に戻ってきたプーランを女神として敬った。

 わたしを尊重し、心を開かせ、愛してくれた男はたったひとりだった。そのひとは教えてくれた──台地が川の流れを遮ることはないということを、この国がインドという国であり、貧しく低いカーストに生まれたものにもほかの者と同じ権利があるということを。
 だが彼は、わたしの目の前で殺された。その瞬間に、あらゆる希望がついえ去った。わたしにはもう、一つのこと──復讐しか考えられなかった。それだけが、生きていく目的になった。わたしは戦いの女神ドゥルガとなって、すべての悪魔を打ち負かしたいと願った。そして闘ってきた。そのことにいま、後悔はない。

 彼女はカーストにひれ伏して、ただ涙に暮れる父親とは違った。復讐することをためらわなかった。圧倒的な暴力が支配する世界で、他の生き方を選択することが果たして可能であっただろうか?

 私からすれば、まだ生ぬるい方だ。やるなら徹底的にやらなくてはいけない。道徳も宗教も関係ない。求められるのは生のプラグマティズムであって、言葉や理屈ではないのだ。

 プーランは甘かった。親戚を始末することができなかった。インドのしきたりに負けたのだ。

 投降後、刑務所で勉強をしたプーランは1996年5月、インド社会党から立候補し見事当選。盗賊の女王が国会議員となった。

 そして2001年7月25日、自宅前で射殺された。暴力によって立った女神ドゥルガは暴力によって斃(たお)れた。

 悠久の大地から陸続と第二、第三のプーランが生まれ出ることを願わずにはいられない。

 

プーランデヴィ講演会 京都精華大学創立30周年記念事業
不可触民の少女になされた仕打ち/『不可触民 もうひとつのインド』山際素男
強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
常識を疑え/『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
自由は個人から始まらなければならない/『自由とは何か』J・クリシュナムルティ
王者とは弱者をいたわるもの/『楽毅』宮城谷昌光
「何が戦だ」/『神無き月十番目の夜』飯嶋和一
少女監禁事件に思う/『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
死ぬ覚悟があるのなら相手を倒してから死ね/『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二

2009-08-27

不可触民の少女になされた仕打ち/『不可触民 もうひとつのインド』山際素男


 ・豊かな生命力は深い矛盾から生まれる
 ・家族の目の前で首を斬り落とされる不可触民
 ・不可触民の少女になされた仕打ち
 ・ガンジーはヒンズー教徒としてカースト制度を肯定

『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ
『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
『ガンジーの実像』ロベール・ドリエージュ
『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム

 私はタゴールの言葉を想った。「人間の歴史は、侮辱された人間が勝利する日を、辛抱づよく待っている」――。

 で、「侮辱された人」って誰のことなんだろうね? タゴールはマハトマ・ガンディーらのインド独立運動を支持していた。とすると、イギリス支配下のインドにいた上流カーストあたりを意味しているのかもしれない。

 ガンディーの尊称である「マハトマ(偉大なる魂)」は、タゴールが付けたという説がある。ガンディーは確かにインド独立を勝ち取ったが、カースト制度を終生にわたって支持した。彼は偉大なる魂ではなく、“偉大なる下半身”の持ち主だろう。ガンディーは晩年、若い女性を同衾(どうきん)させることを常としていた(※自分が性欲に打ち克つことを証明するために)。

 では、ガンディーが死守しようとしたカースト制度は、不可触民に対してどのような仕打ちをしてきたのか――

「わしの姪っ子二人は、この近くの村にいます。
 上は16、下は14です。二人ともまだ嫁入り前の生娘(きむすめ)だった。
 地主のところで畑仕事をさせてもらっていました。気立てのええ働きもんでの、地主も重宝がってくれとった。
 あれらの日当は、よそより低かったのが不満での。1日、3ルピーさ。いまどきよそはどこでも4ルピーは払うとるよ。
 上の娘は負けん気だったでの、地主に半ルピー(15円)でええから、日当を増やしてもらえんかって頼んだのじゃ。
 地主はまるっきり取り合ってくれなんだ。
 それで娘は、4ルピーで他に働くところはいくらもある、というたそうな。
 その一言が、地主の癇(かん)にさわったのじゃ。
 いきなり、もっとった杖で娘をひどく殴ったら、その娘が怒って、もうあんたんところでは働かん、いうたんだじゃよ(ママ)。
 他に人がいる前じゃったのが悪かったのよ。
 地主は、生意気な小娘じゃ、いうて、手下に命じて、上の娘を素裸にむいて、木にくくりつけた。そして木の枝で散々ぶったんじゃ。
 見物人が集まっての、面白そうに笑って見ておったそうな。だれも助けてくれるもんはおらん。みんな地主を怖れておるし、不可触民の娘なぞいい慰めにしか思うておらんでの。
 地主の家の若いもんが興がって、くくりつけられとるその娘の股倉に棒を押しこんだりはじめた。周りがもっとやれとけしかけ、娘のアソコに棒をムリヤリ突っこもうとしたんだ。
 娘は厭(いや)がってあらがったよ、当たり前じゃ。嫁入り前の小娘に、そんなむごい悪戯(いたずら)をしてええもんかの。娘があんまり暴れるんでロープがゆるんで、娘の足が運悪く、その若いもんの顔に当ってしもうた。
 男は大声で“不可触民がオレの顔を足げにした”とわめきおった。
 周囲は益々面白がって、懲(こ)らしめろ、見せしめにしろ、と騒いだ」
 老農夫は、そこでつばをぐっと呑みこみ、眼を光らせた。
「そいつはあんた、家の鍛冶場(かじば)から真赤な鉄火箸を持ってきて――。
 娘の、アソコにぐいと突っこんだのじゃ。怖ろしい悲鳴を上げて娘は気を失ってしまった。下の娘も気が違うなってその場に倒れてしもったのです。
 可哀そうに、上の娘は家でも病人ですじゃ。人相もなにも変ってしもうた。一生、嫁にもいけん体にされてしもうて――。
 あんた、たったの半ルピーで、どうしてあのような目にあわされんねば ならんのです」
「カーストヒンズーたちは、わしらを慰みもんにして楽しんどるだ」
 その言葉にホールの中の顔が一斉に頷いた。目の前の“母親”も、何度も深く頷いた。
「あいつらの一番の楽しみは、弱いもん苛(いじ)めなんじゃ」別の声がいった。

【『不可触民 もうひとつのインド』山際素男〈やまぎわ・もとお〉(三一書房、1981年/知恵の森文庫、2000年)】

 私の中に怒りは湧いてこない。ただ、静かなる殺意が確固たる形を成すだけだ。法で裁くなどと悠長なことを言っている場合ではない。「速やかに殺害せよ」と私のDNAが命令を下す。宗教だとか文化だとか言語の違いは全く関係ない。罪もない少女にこんな仕打ちをするような手合いは人類の敵なのだ。

 この文章が恐ろしいのは、まず娘の惨状を傍観している親がいて、それを傍観している著者がいて、更に傍観する読者が存在するという点に尽きる。何層にもわたる傍観が、ともすると無力感へと導こうとしている。「どうせ、お前は何もできないだろう?」という問いかけが、「何もできなかった」という事実と相俟(ま)って私から力を奪おうとする。

 結局、ガンディーが守ろうとしたのは、上流カーストが不可触民を虐待する権利だったってわけだ。結果的にそう言われてもガンディーは反論のしようがあるまい。

 人類が犯してきた数多くの虐殺の歴史が教えているのは、「沈黙していれば殺される」という事実である。だから私は、殺される前に殺すことは罪にならないと考える。これは正当防衛なのだ。

 極論かもしれないが、私は人種差別者は死刑に処すべきだと本気で思っている。なぜなら、明日以降「殺されるために生まれてくる人々」による正当防衛であると信ずるからだ。差別とは「相手を殺す」思想に他ならない。

 私は歯ぎしりしながら、自分にできることを淡々と行う。そして、自分にできる範囲を少しでも広げてゆく。そうでなければ、生きている甲斐がないから。

2009-02-26

豊かな生命力は深い矛盾から生まれる/『不可触民 もうひとつのインド』山際素男


 ・豊かな生命力は深い矛盾から生まれる
 ・家族の目の前で首を斬り落とされる不可触民
 ・不可触民の少女になされた仕打ち
 ・ガンジーはヒンズー教徒としてカースト制度を肯定

『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ
『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
『ガンジーの実像』ロベール・ドリエージュ
『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム

 山際素男を初めて読んだが、この人は文章に独特の臭みがある。漬け物や演歌と似た匂いだ。漢字表記や送り仮名までが匂いを放っている。

 だが、これは名文――

 生命というものは、矛盾(むじゅん)そのものを一瞬一瞬、あわやというところで乗り越え、乗り越え損(そこ)ない、といった際(きわ)どい運動の非連続的連続のくり返しの中に存在するものであろう。
 だから、生命力が豊かだということは、より深い矛盾の中から生れてくるなにものかでなくてはなるまい。

【『不可触民 もうひとつのインド』山際素男〈やまぎわ・もとお〉(三一書房、1981年/知恵の森文庫、2000年)】

 一読後、再びこの文章を目にすると「そいつあ奇麗事が過ぎるんじゃないか?」と思わざるを得ない。多分、インドの豊穣な精神を表現したものだろう。しかしながら、インドが抱えてきたのはカースト制度という「桁外れの矛盾」であった。

 暴力の社会階層化、差別の無限システム――これがカースト制度だ。インドは非暴力の国であり、核を保有する国家でもある。そして中国同様、文化・宗教・言語すら統一されていない巨大な国だ。大き過ぎる危うさを抱えているといってよい。

 山際の文章に何となくイライラさせられるのは、「矛盾を肯定するものわかりのよさ」を感じてしまうためだ。所詮、傍観者であり、旅行者の視線を脱しきれていない。苦悩に喘ぐ人々に寄り添い、同苦し、何らかの行動を起こそうという覚悟が微塵もない。「本を書くためにやってきました」以上である。

 読みながら何度となく、「山際よ、インドの土になれ! 日本に帰ってくるな!」と私は叫んだ。だが私の声は届かない。だって、30年前に出版された本だもんね。

 差別は人を殺す。ルワンダの大量虐殺もそうだった。人類は21世紀になっても尚、差別することをやめようとはしない。きっと差別せざるを得ない遺伝情報があるのだろう。問題は、自由競争のスタート地点で既に厳然たる差別があることだ。