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2014-04-23

忠誠心がもたらす宗教の暗い側面/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド


ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット

 ・進化宗教学の地平を拓いた一書
 ・忠誠心がもたらす宗教の暗い側面
 ・宗教と言語
 ・宗教の社会的側面

普遍的な教義は存在しない/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?

 宗教は強固で独特な社会を作り上げるので、それぞれの文化の決定的な特徴となり、西欧キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教など、偉大な文明へと発展した。
 一方、宗教には行きすぎた激しい忠誠心がもたらす暗い側面もある。内部の反抗者や、正統派の妨げになると見なされた者には残忍な行動がとられる。社会は宗教の名のもとに審問をおこない、異端や魔女と見なした人々を処刑し、異神を崇める人々を拷問にかけたり、追放したりしてきた。
 社会が外敵と戦うとき、宗教はほぼかならず重要な役割を担う。決まって戦争を正当化し、支持するために用いられてきたし、キリスト教とイスラム教、プロテスタントカトリックシーア派スンナ派などのあいだに、多くの戦争を引き起こしてきた。ただ、そんな宗教戦争も、飢えたように生贄を求めたアステカ王国ほど残忍ではない。アステカでは毎日、ときには1回の儀式で何千という人々が生贄にされ、彼らの血が太陽神への食物として捧げられていた。
 宗教とは何か。宗教は人の営為のなかでも、もっとも高潔で崇高なものを引き出しうるが、同時にもっとも残虐で卑劣なものも呼び起こす。宗教は世代から世代へと伝えられる聖なる知の集積にすぎないのだろうか。それとも、たんなる社会遺産をはるかに超えるものであり、何かを崇拝しようとする、深く根づいた本能的衝動から生まれるものなのだろうか。

【『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド:依田卓巳〈よだ・たくみ〉訳(NTT出版、2011年)】

 僭越ながら私が一言で述べよう。「土地の結びつきを感情的――あるいは精神的――なつながりに深めるのが宗教である」と。裏切り者を叩く――あるいは殺す――のはイニシエーション(通過儀礼)そのものである。組への忠誠を誓う暴力団構成員を見れば一目瞭然だ。

 もう一歩深く考察すれば組織化と権威の問題が複雑に絡んでくることがわかる。権威については以下の書籍を必読のこと。

脆弱な良心は良心たり得ない/『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090316/p1">服従の本質/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
父の権威、主人の権威、指導者の権威、裁判官の権威/『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ
現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル

 自分が他人に比べてあまりものが見えず、また、あまり遠くまで見えないと納得している者は、他人によって容易に【操られる】、あるいは【導かれる】。だから、彼は可能な対抗行為を自覚的に放棄するのである。彼は他人から色々な行為を被るが、それらに反対せず、それらに抗議せず、それらを議論せず、問いを発することさえしない。彼は他人に「盲目的に」追随するのである。

【『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ:今村真介〈いまむら・しんすけ〉訳(法政大学出版局、2010年)】

 いつの世も新しい時代の扉を開くのは一人の天才である。そして科学なき時代は宗教の時代であった。音楽や文学・芸術も宗教行為として機能したことだろう。また何らかの予知能力やヒーリング能力を発揮したと想像される。人々が天才に注目し、彼――あるいは彼女――の言葉に耳を傾けた時、そこに宗教が生まれた。新しい儀礼は新しい社会の誕生を象徴する。それは脳の回路の劇的な変化を示すものだ。このようにして人類の物語は更新され続けてきた。今、人類の物語は経済で止まっているように見える。

宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰
ニコラス・ウェイド
エヌティティ出版 (2011-04-22)
売り上げランキング: 55,882

権威の概念 (叢書・ウニベルシタス)
アレクサンドル・コジェーヴ
法政大学出版局
売り上げランキング: 938,275

2009-05-05

画竜点睛を“誤った”一冊/『権威主義の正体』岡本浩一


『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一

 ・画竜点睛を“誤った”一冊

『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ
忠誠心がもたらす宗教の暗い側面/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド

権威を知るための書籍

 薬と毒がセットになったような本だ。前半で緻密に権威主義を批判しておきながら、後半では権力者の走狗になっているような感を覚えた。その意味で、画竜点睛を“誤った”一冊といってよい。

 岡本浩一の著作は2冊しか読んでいないが、いずれも秀逸な「まえがき」から始まり、序盤から中盤にかけては堅実な走りを見せる。ところが、レース終盤で必ず崩れる。つまり、説明能力は長(た)けているが、斬新な見解を示せない人物といってよい。「まとめ屋」なら、それらしくしていればいいのだが、大口を叩こうとして失敗する悪癖があり、最終章でいつも墓穴を掘っている。

 真の権威は、権威主義の異臭を放たぬものである。

【『権威主義の正体』岡本浩一〈おかもと・こういち〉(PHP新書、2005年)以下同】

 こんな痺れるテキストが「まえがき」にあれば、誰だって期待せずにはいられないだろう。

 そして、一章を割いてナチスによるホロコーストを検証しているが、非常によくまとまった資料となっている。続いて、アッシュの同調実験、ジンバルドの監獄実験、ミルグラムの服従実験、アドルノの権威主義的人格の研究などに紙数が費やされている。いずれも有名な実験だが、微に入り細をうがった説明で、予備知識のある人が読んでも飽きさせない工夫を凝らしている。

 ところが、この直後から調子がおかしくなる。あらゆる事象を権威主義で読み解こうとして論調が支離滅裂に傾いてゆく。そして、遂には唖然とするような結論を臆面もなく記している――

 高等教育を受けた人ほど、権威主義的傾向が低いという結果は、これ以外にもさまざま発表されている。有意な関係なしとの報告も散見されるが、逆方向の結果はまず見かけない。教育以外の関連する指標も含めて総括すると、権威主義が相対的に高いのは、教育程度が低い人、老人、田舎に住んでいる人、障害者、教条主義的色彩の強い宗教に関わっている人、社会経済的地位の低い人、社会的に孤立している人という結果が出ている。したがって、一般的に、教育程度が高いほど、権威主義傾向は低くなるものと考えておいて大きな間違いはないだろう。

 何と単なる差別主義に堕してしまっている。まるで、田舎者(※差別用語です)の主張そのものではないか。例えば、権威主義と聞いて我々が真っ先に思い浮かべるのは官僚であろう。官僚システムは高度かつ純粋に権威主義の機能を強化した組織である。ではなぜ、官僚システムに自浄作用が働かないのか? それは、鍛えられた知識・学識が敏感に権力を嗅ぎ分け、自分の将来にとって有用な権威に額づく態度を判断する道具になっているからだ。

 また、中世の魔女狩りもこれでは説明できない。当時、西洋では教会経由でなければ学ぶことができなかった。殆どの科学者が神学などを専攻しているのもこのためだ。魔女狩りは、中世における教会という権威を背景にした異端審問によって生まれた。つまり、「教育程度の高い人」によって引き起こされた側面があるのだ。

 そもそも心理学の実験データは、解釈によっていかようにもこじつけることが可能なものが多い。岡本の主張が稚拙なのは、具体的なデータを示していないこともさることながら、高校・大学進学率の上昇に伴って社会における権威主義的風土が変わった事実を全く証明していないところにある。

 多分、これはケアレスミスだろう。「知性」と書けば何の問題もなかったところを、岡本は「学歴」という“権威”を提示してしまったのだ。

 そして噴飯物の最たるものは以下――

 偉人の言葉や格言をやたらに引用する人は、権威主義である可能性が高い。引用の対象が一人か二人に限られ、引用頻度が高い場合、それが教条になっていることは明らかである。

 岡本は自著の『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』(PHP新書、2001年)で、どれほどミルグラムやアッシュの言葉を引用したか覚えていないらしい。引用に問題があるわけではなく、「引用の仕方」が問われるべきなのだ。ここに至ると、牽強付会すら自覚できなくなっていることが明らかだ。

 最終章の結論は、そのいずれもが権力者に媚びを売る主張となっている。著者がJCO臨界事故の調査委員を務めたこととも関係しているのだろう。「味を占(し)めた」のかもね。いずれも、間違っているわけではないのだが、主張する方向が逆向きになっている。

 また、非常に驚かされたのだが、「あとがき」に「構想は早くから描いていたのに、本書にとりかかる気持ちをととのえるのに数年の時間が必要だった」と綴っているが、実は大半の内容が『無責任の構造』と重複している。

 岡本浩一は多分、「権威主義研究の権威」を目指しているのだろう。その割には自己に対する厳しさが足りない。個人的には、『無責任の構造』をお薦めしておく。

2009-04-18

脆弱な良心は良心たり得ない/『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一


 ・脆弱な良心は良心たり得ない
 ・自我と反応に関する覚え書き

『権威主義の正体』岡本浩一
『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ

権威を知るための書籍

 組織のあるところには必ず「無責任の構造」が潜んでいる、と著者は説く。確かにそうだ。まず、責任を支えているのは能力である。そして次に正義感だろう。能力はあっても正義感を欠いた人物はおしなべて、“構造的な無責任”に遭遇しても見て見ぬふりを決め込む。真っ当な責任感は、一段高い位置から自分の業務を部分として捉えることができる。

 岡本浩一はJCO臨界事故の調査委員を務めた。事故の経緯に一章が費やされていて、断片的なニュースでは窺い知ることのできなかった貴重な記録となっている。

 このプロセス(※JCOの工程違反)で、「それは危険だ」と声をあげようとしてその勇気がなくてできなかった人や、声をあげたために地位や人間関係で不利益に耐えねばならなかった人たちが、幾人かいたことだろう。彼らが声をあげ、その声が聞かれていれば、あの不幸な事故は起こらなかったに違いない。彼らの圧殺された良心を思うとき、私は刺すような痛みを心に感じる。しかし、それでも酷なことを書くが、圧殺され表明されなかった良心は、究極のところ、存在しなかったのと同じである。
 脆弱な良心は良心たり得ない。

【『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一〈おかもと・こういち〉(PHP新書、2001年)】

「脆弱な良心」とは、思っただけで行動に移せなかった人々が後から口にする言いわけに過ぎない。なぜなら、勇気はいつの場合でも決意を生み、その決意が極まれば必死の行動に結びつくからだ。私はこれを「小さな革命」と名づける。小さな改革のさざ波なくして、偉大なる変革はなし得ない。惰性は「死」を象徴しているのだ。

 あらゆる組織がそれぞれの論理で運営されている。組織は常識や道徳で動いているわけではない。そこに社会とは異質な価値観が必ず存在している。はびこっていると言ってもいいだろう。若者や女性というだけの理由で軽んじられる場面も多い。営業の世界にあっては文字通りの弱肉強食であり、売れない営業マンに人権なんぞないに決まっている。

 組織はヒエラルキー(階級)で構成されている。職権を階層化したものが組織といえなくもない。サラリーマンは人事と給与で首根っこを押さえられている。上司に逆らうようなことがあれば、当然査定に影響する。こうして威勢のよい若者も牙を抜かれ、事なかれ主義の権化と変貌してゆく。

 結局のところ、“正義の実現”と“失業というリスク”を天秤に懸ける営みを強いられる。多くの場合は葛藤を経て、いかなる煮え湯にも耐え得る強靭かつ鈍感な神経を鍛えることとなる。やっぱり、正義感は安定した生活に勝てないってことだな。

 ってことはさ、同じ会社で何十年も働いている人々は、正義感が弱いのかもね。

 本書は好著なんだが如何せん文章がよくない。まるで、下手糞な翻訳ものを読んでいるような気にさせられる。同語反復も目に余る。特に最終章は読む価値なし。総体的な内容が素晴らしいだけにもったいない。