2011-11-30
2011-11-29
「倫理上の罪」で裁かれるアフガン、強姦被害の女性が恩赦訴え
アフガニスタンで強姦の被害に遭ったうえ、姦通罪に問われ服役している女性がいる。グルナスさん(21)は2009年、彼女のいとこの夫にあたる男から強姦されて妊娠した。
グルナスさんは当初、姦通罪で禁錮2年の刑が下され、控訴審では禁錮12年が言い渡された。その後最終的に刑期は3年に減刑され、現在は刑務所の中で子どもを育てている。
アフガニスタンでは、強姦などの被害にあった女性が「倫理上の罪」を犯したとして刑事罰の対象になる場合があり、有罪になれば重い量刑が言い渡される。
グルナスさんの弁護士は、カルザイ大統領に対して恩赦を求めており、認められれば、同じような境遇の女性を救うための法的な前例になると期待を寄せている。弁護士は「恩赦を勝ち取る自信はある」と語っており、27日にはグルナスさんの即時釈放を求める約5000人分の嘆願書を大統領府に提出した。
【ロイター 2011-11-29】
「六次の隔たり」がフェイスブック上では5人弱に 世界がさらに小さく
米交流サイト大手フェイスブックが21日に発表したデータによると、フェイスブックユーザー同士をつなぐために必要になる介在ユーザー数が少なくなっているという。ユーザー間の距離が縮まっていることになる。
一般的には、地球上の任意の人物2人を間接的に結びつけるには、介在する人が6人程度必要になるとされている。しかし、フェイスブック上ではこの介在者数が計算上4.74であることがわかった。
フェイスブックのブログでは、「つまり、自分の友人の友人が相手の友人の友人である可能性が高い」と説明している。調査はイタリアのミラノ大学と協力して実施したという。
調査によるとフェイスブックユーザーの99.6%は5人以下のユーザーを介すればつながりを持つことができ、さらに92%については介在者数は4人だった。2008年に調査を実施した際、任意のユーザー間をつなぐのに必要な介在者数は5.28人だったが、今回の調査では4.74人になったという。
【CNN 2011-11-29】
・『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』マーク・ブキャナン
・『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート=ラズロ・バラバシ
・『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』(旧題『ティッピング・ポイント』)マルコム・グラッドウェル
クインシー・ジョーンズ Tomorrow / Bokra Official Video
アラブのためのチャリティー・ソング、ネット上で大ヒット
米音楽界の大物プロデューサー、クインシー・ジョーンズ氏を先頭に、アラブ世界のアーティストらが協力して録音したチャリティー・ソングが、インターネット上で世界的な大ヒットとなっている。
歌の題名は、英語とアラビア語で「明日」を意味する「トゥモロー/ボクラ」。動画共有サイト「ユーチューブ」に今月登場したビデオは、再生回数が200万回を超えた。アルバムは先週発売された。
「みんなが魂を込めたプロジェクトだ」と、ジョーンズは語る。ジョーンズの同名の歌に、イラク人シンガーソング・ライター、カディム・アル・サヘル氏が手を加え、レバノン人歌手のマジダ・アル・ルーミー氏がアラビア語の歌詞を書いた。セネガル、チュニジア、モロッコなどからも、計24人のアーティストが無償で参加している。
ユーチューブの広告収入、企業や個人からの寄付、アルバム販売やオンライン配信の収益はすべて、レバノンの芸術文化財団や世界食糧計画(WFP)を通じて中東の子どもたちのために使われるという。
製作は、ジョーンズ氏とアラブ首長国連邦の実業家、バドル・ジャファル氏が1年前に共同で設立した共同ベンチャーのグローバル・ガンボ・グループ。ジャファル氏は石油、ガスなどの投資で知られているが、米俳優ケビン・スペイシー氏と共同で「中東シアター・カンパニー」を立ち上げるなど、文化事業にも強い関心を示してきた。「娯楽ビジネスには、他のどんな分野よりも人の心を動かす力がある」と話す。
ジャファル氏によれば、寄付金はすでに300万ドル(約2億3000万円)を超えた。ハイチ大地震の被災者支援のため、ジョーンズ氏らが中心となって再録した「ウィー・アー・ザ・ワールド」では500万ドルの資金が集まったが、それをしのぐ勢いだと、同氏は語る。トゥモローも今回の録音に続く新たなバージョンが計画されており、英歌手ポール・マッカートニー氏らが名乗りを上げているという。
チャリティー・ソングの製作中に民主化運動「アラブの春」を迎えたことについて、ジョーンズ氏は「偶然と呼ばれることも神の意思だと信じている」と話した。
【CNN 2011-11-29】
少年時代の小泉三申/『出世を急がぬ男たち』小島直記
2011-11-28
橋下徹批判と民主主義に関する覚え書き
橋下批判がかまびすしいが、私はテレビ・新聞を読まないため判断材料が殆どない。個人的には好感を抱いている。橋下当選に関して「大阪市民は愚かだ」と言うだけでは議論にならない。
今、橋下批判をしている人々は過去の大阪府政や大阪市政についてどう考えているのだろう? 私は官僚のソフトファシズムよりは、首長のわかりやすい独裁の方がいいと思う。
民主主義は非常に面倒で時間を必要とする手続きである。メディア中心となりがちな選挙戦にあっては知名度に左右されることも決して珍しくはない。選挙民の判断材料が限られているという問題も常について回る。
私は民主主義を信じていないし、あまり期待もしていない。アメリカは民主主義の宗主国であるが、政府やメディアによって情報がコントロールされている。戦争を行う場合は、必ず参戦ムードを高揚させる事件を自分たちで起こす。9.11テロもその一つだ。
なぜ民主主義を信じないか? それは民主主義が機能する社会は戦争に敗れるためだ。アメリカ先住民を見よ。彼らこそ完璧な民主主義者であった。
果たして実際に民主的な運営が行われている組織や集団が存在するだろうか? 私は半世紀近く生きてきたが、いまだに見たことがない。
もう一点。民主主義が機能しにくいのは、資本主義の方が強いからだ。皆、何らかの損得で投票してしまう。
日本国民全員が支持政党を変更したら、民主主義を信じてやってもいいよ(笑)。
パキスタンで数千人がNATO抗議、「応戦中に誤爆」の見方も
北大西洋条約機構(NATO)軍のヘリコプターによる誤爆とみられる攻撃でパキスタン軍兵士24人が死亡したことを受け、同国内では27日、駐留軍や米国への激しい抗議活動が行われた。
カラチの米領事館周辺では数千人が集まり、「米国を倒せ」などと叫びながら攻撃に抗議。デモに参加した主婦は、「政府は直ちに米国との関係を断つべきだ」と憤りを表した。
NATO側は、今回の事件について「悲劇的な、意図せぬ出来事」とし、調査を継続していると説明。一方で、匿名の西側当局者とアフガニスタンの治安関係者は、事件発生時にNATO軍がパキスタン側からの攻撃に応戦していたと明らかにした。現場周辺は味方と敵の判別が困難な厳しい地形で、NATO軍の反撃が誤爆につながった可能性もある。
こうした中、ワシントンの米当局者は「われわれの目標は、あらゆる当事者が信頼を構築していくやり方で、調査を行うことだ」と語り、パキスタン側の反発に配慮する考えを示した。
【ロイター 2011-11-27】
欧米諸国で誤爆が起こる可能性は100%ない。
2011-11-27
赤と黒
2011-11-26
イスラエル軍クラスター爆弾濫用 手足を失うレバノンの人々
2006年、イスラエルはヒズボラとの戦争において大量のクラスター爆弾を投下し、その子弾は地雷の形でレバノン南部の土地に残されて住民の間に多くの犠牲者を出した。2009年ラジオカナダ放送。
・クラスター禁止:「骨抜き」案 大量保有国が一斉に賛成
宗教的正義の勘違い
@shinpei23
Higashi Shinpei 単なる思考の停止、あるいは頑迷、もしくは不勉強、世間知らず、寛容の欠如、思考様式の形骸化、内発的なモラルの脆弱さを、「宗教性に基づく正義」だと勘違いしている人間が多すぎやしないか。
Dec 09 10 via ついっぷる/twippleFavoriteRetweetReply
クラスター禁止:「骨抜き」案 大量保有国が一斉に賛成
クラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)に対抗する規制の緩い「骨抜き」条約案を討議しているジュネーブでの軍縮会議は25日、最終日を迎えた。24日には条約案に難色を示していた米露中、イスラエル、インドなど大量保有国が一斉に条約案賛成を表明。「合意できなければ大量保有国への規制ができなくなる」とオスロ条約を支持する国に圧力をかけており、条約案採択に向けての綱引きが続いている。
24日の「特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)締約国会議」では、不発率の低い爆弾の使用を容認する条約案について米露中、イスラエル、インドなどがそろって支持を表明した。23日までの協議では条約案の修正を求めていたが、現行案をのむよう態度を変更。条約案合意に失敗すれば「人道的被害をなくす好機を失う」(米代表団)などとオスロ条約支持派をけん制した。これらの国はオスロ条約には非加盟で、クラスター爆弾の8~9割を持つ。
これに対して、ノルウェーやオーストリアなどオスロ条約締結を主導した国は強く反発。条約案が「クラスター爆弾を正当化する」と批判し、条約案採択に必要な「全会一致は得られていない」と抵抗している。
しかし、ドイツやベルギーなど両派の妥協を求める国もあり、米露中などがさらに譲歩してきた場合、オスロ条約支持派は態度変更を迫られる可能性もある。会議筋は「何が起こるか予想できない」としている。
【毎日jp 2011-11-25】
・イスラエル軍クラスター爆弾濫用 手足を失うレバノンの人々
2011-11-24
2011-11-23
イスラエル警察による暴力的なデモ鎮圧 2011年5月13日
パレスチナのナビ・サレ村で平和的にデモを行うパレスチナ人と外国人活動家に対するイスラエル警察隊の対応。
イスラエル軍はやりたい放題である。中東諸国はパレスチナに武器を送るべきだ。本気でそう思う。イスラエルは世界の癌だ。
グレッグ・ルッカにハズレなし/『暗殺者(キラー)』グレッグ・ルッカ
グレッグ・ルッカ作品はハズレがない。今のところは。読み終わると本の厚みに驚く。「一気に読んでしまった」という爽快感と、「それほど内容があったとも思えないが」というものと。私の中でグレッグ・ルッカは5番打者と6番打者の間に位置する。
今回ガードする要人は煙草メーカーの裁判を左右する重要な証人である。彼は健康被害の証拠を握っていた。巨大企業vs告発者という構図と共に、警備保障会社(ナタリーの父親)vsフリーランス(アティカス・コディアック)という二重構造となっている。
前作で別れたブリジット・モーガンは登場しない。その穴をエリカが埋めている。
「あの人は逆らわれるのが嫌いなのよ」
「たぶんあの御仁には、そういうことがもっと頻繁に起こるべきだ」
【『暗殺者(キラー)』グレッグ・ルッカ:古沢嘉通〈ふるさわ・よしみち〉(講談社文庫、2002年)以下同】
今回の依頼はナタリーの父親からの依頼だった。で、チームにはナタリーも加わった。ま、これだけで展開は読める。ナタリーとの気まずいやり取り。そして心はブリジットを思い、さ迷う。私の好みではないが、ネオ・ハードボイルドの流れを汲んでいるのだろう。
「10人のうちのどいつだ?」
「男の名は未詳――ジョン・ドウ(身元不明人)というのが仮の名だ」
暗殺者は世界ランキングでトップ10に入る凄腕だった。凄すぎて漫画みたいだ(笑)。リアリティを欠いている。こういうところが、まだまだ甘い。
わたしはボトルを見つめ、その気になれば自分がいかにひねくれた小心者になれるか垣間(かいま)見て、身が縮む思いがした。
これぞアティカス・コディアックという科白(せりふ)だ。アルバート・サムスンを若くしたような印象もある。
・『A型の女』マイクル・Z・リューイン:石田善彦訳
前作で戦ったSAS(英国陸軍特殊空挺部隊)の隊員も出てくるので、やはりシリーズ物は順番で読んだ方が楽しめる。
両手が痛くなり、自分が拳をかたく握りしめていたことに気づいた。もし炭でも握っていたら、いまごろダイヤモンドに変わっていたにちがいない。
傷心の男が次々と襲いかかる難関を乗り越えてゆく様が心地いい。プロットの粗雑さを声高には言うまい。ただエンタテイメントを楽しめばいい。若きグレッグ・ルッカへの期待は大きい。
・妊娠中絶に反対するアメリカのキリスト教原理主義者/『守護者(キーパー)』グレッグ・ルッカ
・皮肉な会話と皮肉な人生/『奪回者』グレッグ・ルッカ
・作家の禁じ手/『耽溺者(ジャンキー)』グレッグ・ルッカ
米英加がイランに新たな経済制裁 マネーロンダリング懸念
オバマ米政権は21日、イランに対する新たな経済制裁措置を発表した。クリントン米国務長官は会見で、今回制裁の対象となったのはイランの石油化学、原油、ガス産業としたうえで、イランに「マネーロンダリング(資金洗浄)に関わっているとの懸念がある」と指摘した。また、今回の追加制裁に英国とカナダが同調している点について「こうした措置がイランと同国の資金源や違法な活動に対する圧力を高める」と述べた。
これに先だって英財務省は同日、国内金融機関に対し、イランの金融機関との取引を行わないよう求めている。英国がイランに対してこうした措置をとるのは初めて。カナダもイラン政府とのほぼすべての金融取引を禁止するなどの措置を発表した。
仏サルコジ大統領は同日、欧州連合(EU)とその加盟国、米国、日本、カナダなどの国々に対し、イラン中央銀行の資産凍結などを呼びかけていた。EU外交筋によれば、EUは来週米国と同様の制裁を決定する見込み。しかし、フランスはさらに踏み込んだ内容の制裁にしたい意向だという。
米政策サイドは当初イラン中央銀行に対する制裁を検討していたが、原油市場への影響を考慮して今回の制裁内容に落ち着いた経緯がある。また、民間企業に対しイランとの取引を禁止する措置がすでに発動されていたが、この経済制裁の実効性を問う声も議会から上がっていた。クリントン国務長官は「イランに対する制裁は今回の措置で終わるわけではない。さらに積極的な措置を今後も検討する」と述べた。
イランの核開発をめぐってはIAEA(国際原子力機関)が18日に「イランの核プログラムに関する未解決の問題に対して深刻な懸念があり、かつ懸念は増大している」とする決議を発表している。
【CNN 2011-11-22】
制裁を加えるのは常に欧米諸国である。キリスト教の思い上がり(神の代理)につける薬はない。
・サルコジ
マフムード・アフマディーネジャード、イラン大統領、列強を弾劾する国連演説
第63回国連総会にて(2008年9月24日)。大国の傲慢と道徳性欠如を非難し、正義に基づいた安全保障理事会の必要を説く。マフムード・アフマディーネジャード、イランイスラム共和国大統領。
・マフムード・アフマディーネジャード
2011-11-22
ブルース・リー「あらゆるところに存在する真実を即座に直覚」
ブルース・リーはクリシュナムルティの著作を読んでいた。
精神の焦点を研ぎ澄まし、あらゆるところに存在する真実を即座に直覚できるように、その感度を高めておくこと。精神は旧弊な習慣、先入観、制約的な思考法、さらにはごく当たり前の思考そのものからも、切り離されなければならない。
— ブルース・リーさん (@Tao_JKD) 12月 6, 2010
ウゴ・チャベス、ベネズエラ大統領「イスラエルに呪いあれ」
ガザ人道支援船襲撃を批判するベネズエラ大統領の演説。私はこの動画を見てチャベス大統領の熱烈なファンになってしまった。実にチャーミングな人物である。西側メディアはもっとウゴ・チャベスやマフムード・アフマディーネジャード(イラン大統領)をテレビに映すべきだ。
「名を正す」/『思想革命 儒学・道学・ゲーテ・天台・日蓮』湯浅勲
湛然〈たんねん=妙楽大師〉が「礼楽(れいがく)前(さ)きに駆(は)せて真道(しんどう)後(のち)に啓(ひら)く」と『止観輔行伝弘決』(しかんぶぎょうでんぐけつ)に書いている。
簡単にいえば、礼節や音楽が先に広まってから後に正しい哲学が花開くといった意味だ。礼楽を重んじるのは儒家の教えである。仏教はインドから中国に広まった。人や物の交流から文化も伝わったことだろう。武ではなく文をもって化するのは、今風の言葉でいえばソフトパワーということになろう。
(孔子)
中国には「名を正す」という思想があった。
管子は「名を正す」と言い、孔子は「名を正す」と言った。また、『荀子』やわが国の山県大弐の『柳子新論』には正名篇がある。
古来、中国においては修身・治国・平天下の根本思想として、この「名を正す」という考えがあった。「名を正す」ということは、君子たるものが必ず先ずやらなければならない最重要課題であったのである。このことをよく表わしている孔子と子路の有名な会話が『論語』にある。知っている人も多いと思うが、確認の意味でその会話を引用してみたい。
子路(しろ)曰(いわ)く、衛君(えいくん)、子(し)を待ちて政(まつりごと)を為(な)さば、子(し)将(まさ)に奚(なに)をか先にせんとすと。子(し)曰(いわ)く、必ずや名を正さんかと。子路曰く、是れ有るかな、子(し)の迂(う)なるや。奚(なん)ぞ其(そ)れ正さんと。子曰く、野(や)なるかな由(いう)や。君子は其の知らざる所に於て、蓋(けだ)し闕如(けつじょ)す。名正しからざれば、則(すなわ)ち言(げん)順(したが)はず。言順はざれば、則ち事(こと)成らず。事成らざれば、則ち礼楽(れいがく)興(おこ)らず。礼楽興らざれば、則ち刑罰中(あた)らず。刑罰中らざれば、則ち民手足(しゅそく)を措(お)く所無し。故に君子之を名づくれば、必ず言ふ可(べ)くす。之を言へば必ず行ふ可くす。君子其の言に於て、苟(いやし)くもする所無きのみと。
【現代語訳】子路がたずねた。「今もし衛の君が先生をお招きして国政をまかされることでもありましたならば、先生は何から先に手をつけられますか」と。孔子が答えた。「必ずや名を正そう」と。子路が言った、「なんとまあ先生は悠長なことをおっしゃるのでしょう。この戦乱の世の中でそんなまだるっこいことをやっておられましょうか」。孔子が言った、「何というがさつ者だ、由よ。君子というものは、自分の知らないことについては黙っておくものだ。名を正すということの真義をお前は知っているのか。そもそも、名称が正しくなければ、名称とそれがさし示す実物とが一致しないから、人の言葉が順当に理解されることも行われることもない。言葉が順当に理解されることがなければ、何事においても成就しない。物事が混乱し何事においても成就されることがなければ、人々の間に秩序と調和を致すところの礼楽は盛んになることがない。礼楽が行われなければ刑罰が中正に行われることがない。刑罰が中正を欠くと、人々は安心して手足を措くところもなくなってしまう。社会の混乱はこの名称と実物とが一致しないことに起因するのである。ゆえに、君子たるものは物事に対して名づけたからには必ず言葉をもって言うようにし、言葉をもって言うからいは、必ずそれを実行するようにしなくてはならない。君子たるものはものを言うに当たっては軽々しくしてはならない」と。【『思想革命 儒学・道学・ゲーテ・天台・日蓮』湯浅勲(海鳥社、2003年)以下同】
社会が混乱する様相を「風が吹けば桶屋が儲かる」式に説明している。その原因が「名と実との不一致にある」という指摘が鋭く突き刺さる。
専門用語、業界用語、カタカナ語、流行り言葉、若者言葉、ネット用語などが社会の断絶を生んでいると考えてよさそうだ。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)なんてえのあ、どう考えても陰謀の臭いがするよ。本来であれば「関税撤廃協定」で構わないはずだ。
(孔子)
国会中継を見るがいい。何を言っているのか、さっぱりわからない(笑)。「善処します」「前向きに検討します」あたりから言葉は煙幕と化した。政治的な思惑で言葉を糊塗しているだけの世界だ。「自衛隊は軍隊に非ず」なんてのも同様だ。
(※『荀子』を引用し)すなわち、実物(実際の対象)に従って名称を制定する、これが基準であるというのである。簡単に言うならば、名実を一致させること、これが名称を制定するに際しての基準であるということであろう。
バブルが崩壊してから、国民の利益と政治家&官僚の利益が目立って一致しなくなったように思う。失われた10年を経た後は企業の利益すら一致しなくなった。企業はひたすら安い労働力を求めた。アメリカからの指示で省庁を再編し(大蔵省解体が目的だった)、規制緩和をした成果は終身雇用が破壊されただけという有り様だった。
教育においても名実は不一致だ。小田嶋隆がよくいう「個性重視の教育」がその典型だろう。
・「個性重視の教育」に対する異議
しかしながら、なぜ、名を「正す」必要があるのであろうか。それは名が乱れているがゆえである。つまり、名称とそれが指し示す実物との間に差異が生じ、混乱が起きてくるがゆえに、名を正す必要が生じてくるのである。
一つ疑問がある。「子路」〈しろ〉の文脈では「名称」と読めるが、これが「顔淵」〈がんえん〉では「名分」となっている。
・顔淵第十二 299:論語に学ぶ会
厳密にいえば孔子の教えは倫理や道徳であって宗教ではない。政治と治世が根本となっているため、官僚制度を大前提とした論理であることは否めない。ただし国家の枠組みが定かでない時代において、孔子の果たした役割は大きい。孔子なくして日本の律令制も存在し得ない。
・律令官制の沿革
孔子が目指したのは社会秩序であった。国家といっても一人ひとりの集まったものである。であるならば、人と人との関係性が重要になる。身長216cm(チェ・ホンマンとほぼ同じ)の天才が説いたのは社会哲学であった。
(孔子)
振り出しに戻ろう。孔子は作詞家でもあった。もちろん自ら楽器の演奏も行った。現代においては一見すると「楽」が盛んな印象もあるが、多くの人々は「聴く側」へと追いやられ、消費としての「楽」しか見当たらない。歌ですらそうだ。カラオケなしで友人同士や近隣の人たちが歌を歌うことはまずない。
色々考えると、文明の発達にあぐらをかいて調子に乗ってきたけど、案外「貧しい生活」をさせられていることに気づく。
礼節においては何をか言わんやである。アメリカが世界中で礼節を踏みつけている。
今日からは世界を少しでもよくするために、正しい言葉遣いを心掛けてゆきたい。
宮城谷昌光の作品を読むと、「名を正す」意味が何となく理解できる。
読書日記にも書いたが、最終章で日蓮と創価学会のプロパガンダ本であることが判明する。個人的には5250円(定価)の詐欺だと思う。著者と出版社の見識を大いに疑う。
・世界の楽器
・製薬会社による病気喧伝(疾患喧伝)/『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
・名づけることから幻想が始まる/『タオを生きる あるがままを受け入れる81の言葉』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
2011-11-21
デモ支持学生に催涙スプレー、警官停職
大学構内で座り込む学生たちの前に突如現れた警察官。無防備な学生たちにスプレーを吹きつけます。
カリフォルニア大学デービス校で18日、ウォール街の反格差デモを支持して抗議活動を行っていた学生たちに対し、2人の警官が唐辛子入りの催涙スプレーを吹き掛けました。これによって、学生9人がその場で手当てを受け、2人が病院に運ばれたということです。
「まるで顔、耳、手、全てが燃えているように感じました。そしてその後、ほとんど目が開けられなくなったんです」(スプレーをかけられた学生)
この映像はインターネットの動画サイトなどで広まり、警官2人は停職処分になったということです。
【News i - TBS 2011-11-21】
2011-11-20
歩く瞑想/『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール
・『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル
・無学な母親が語る偉大な哲学
・個別性と他者との関係
・ジャイナ教の非暴力
・観察するものと観察されるもの
・歩く瞑想
・「100%今を味わう生き方」~歩く瞑想:ティク・ナット・ハン
・ティク・ナット・ハン「食べる瞑想」
・『生きる技法』安冨歩
歩きながら、母は私に適切に呼吸をすることを教え、呼吸に細心の注意を払うようにいった。「注意を払うことが、瞑想なのよ」と母はいっていた。歩きながら瞑想するという考えを幼いうちから教えておけば、そのことで私がくじけたりしないだろうと母は考えていたに相違ない。
私がとりわけ覚えているのは、母のこの言葉だった。「息を吸うときと吐くときの間の瞬間に気を向けなさい。息を吸ってもなく吐いてもいない一瞬を見つめるのよ。その瞬間を引き延ばそうとしたり、息を止めたりする必要はないわ、ただ見つめるのよ」
母はこの技を、12年間瞑想を実践してきた尼僧から学んだ。ジャイナ教の尼僧や僧侶は毎日裸足(はだし)で歩き、それ以外の輸送手段は使わない。だからこそ彼らは歩く瞑想の達人なのである。私がたいした苦労もせずに母から瞑想を習うことができたのは、幸運なことだった。
「呼吸は、あなたと世界を結びつけるのよ。あなたは、同じ生命の呼吸を、同じ空気を、すべての人々と分かち合っているの。この目に見えない仲立ちを通じて、すべての人と結びついているのよ。動物、鳥、魚、植物、そして宇宙全体と同じ呼吸を分かち合っているのよ。呼吸を通じて私たちみんながつながっているとは、なんて素晴らしいことでしょう。空気には、どんな壁も境界も、差別や分離もないわ。呼吸に注意を払うことで、あなたの分離の感覚は消えてしまうのよ」
母はこの呼吸の技について私に教えてしまうと話すのをやめ、私たちは10分から20分くらい黙って歩いた。
「足が土に触れるのと、息をするのと、どっちに注意を払えばいいの? 両方いっぺんにはできないよ」と母に尋ねたのを覚えている。
「いえ、できるわ。息をすることも歩くことも考えなければいいのよ。そういうことを考えることが瞑想ではないのよ。起こるにまかせればいいの」、時を経て初めて、私は母の言葉の意味が分かるようになった。瞑想は意識的な行為ではなく、思考や観念、手法や手段から抜け出すことなのだ。あるがままにあり、何が起こっているかに気づき、注意を払う、ということなのだ。
【『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール:尾関修、尾関沢人〈おぜき・さわと〉(講談社学術文庫、2005年)】
人体の内部は自律神経によって制御されているが、自律神経系の中で唯一、意識的にコントロールできるのが呼吸である。
・自律神経と呼吸(正しい呼吸法)
瞑想とは集中することではない。意識が一点に集中すると周囲が見えなくなる。瞑想とは注意を払うことだ。目ではなく耳や皮膚の感覚を研ぎ澄ませて、自分の内部世界と外部世界をありのままに見つめる行為だ。
大半の仏像が半眼なのは、あの世とこの世を見ているためとされている。具体的には意識と無意識の狭間(はざま)に佇(たたず)むことを意味する。すなわち思考から離れる作業が瞑想なのだ。
無意識に行っている呼吸をひたと見つめる。肺胞が酸素を取り込むイメージなどもつ必要はない。ただ、鼻から吸い込んだ息が肺に向かうのを見つめればよい。
静謐(せいひつ)の中に精神が沈潜してゆくと様々な音が聴こえてくる。外を走る車や、道ゆく人の足音、そうした全てに注意を払う。
自身の願望や欲望、不満や怒り、誇るべきことと恥ずべきこと、それらを静かに見つめる。一切、否定も肯定もせずに。
歩く瞑想も同じである。「今歩いている」という現実を意識しながら、骨や関節の動きに注意を払い、呼吸を調(ととの)える。これは実際にブッダもよく実践していたようだ。
瞑想は「今」を意識することだから、何かをしながら別のことをするのが瞑想から最も遠いことになる。だから、ウォークマンやMP3プレーヤーの類いは瞑想の敵だ(笑)。
私は昔から山男に憧れているのだが、高峰へのアタックは瞑想に近いのではないかと思う。
瞑想とは一切に気づくことである。
・等身大のブッダ/『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
・瞑想は偉大な芸術/『瞑想』J・クリシュナムルティ
・瞑想とは何か/『クリシュナムルティの瞑想録 自由への飛翔』J・クリシュナムルティ
・瞑想
・プラム・ビレッジ(フランス)のシスターが語る気づきと瞑想
・「なぜ入力するのか?」「そこに活字の山があるからだ」
・英雄的人物の共通点/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー
・呼吸法(ブリージング)/『ストレス、パニックを消す! 最強の呼吸法 システマ・ブリージング』北川貴英
定住と服従
人類の長い歴史において定住が服従のメカニズムを生んだ可能性がある。定住によって階級構造が形成される。こうして宗教の目的は社会秩序を維持することになったと考えられる。孔子が説いた「名を正す」も、この延長線上にあるのかもしれない。
・「名を正す」/『思想革命 儒学・道学・ゲーテ・天台・日蓮』湯浅勲
イスラエルがウィキペディアを書き直す
ユダヤ人、就中(なかんずく)シオニストは「歴史の意味」を知悉している。「書かれたもの」のみが歴史なのだ。
・歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘
・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン
2011-11-19
高校生は「大学生予備軍」という暫定的な立場に置かれた一種の社会的難民だ
結局、高校生のような不安定な身分(高校生は「大学生予備軍」という暫定的な立場に置かれた一種の社会的難民だと私は思う)の者にとって、穏健主義はそのまま敗北主義を意味するわけなのだ。
【『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆(朝日新聞社、1992年/朝日文庫、1995年)】
ギリシャはゴールドマンサックスによる詐欺被害者
ピア・プレッシャー
周囲の仲間(peer)から受ける圧力(pressure)を、ピア・プレッシャー(peer pressure)という。多くの場合、集団で認められたスタイル、価値観に合わせよという同化圧力として作用する。
ピア・プレッシャーは、どんな集団においてもみられるが、特に、均質の、あるいは自らを均質と見なす集団において起こりやすい。集団の平均的なメンバーと異なる振る舞いをする人を非難し、結果として集団の大勢に従うように圧力をかけるのである。
集団の中で目立ったふるまいをする人を非難することで、非難者は、自分が集団の多数に所属する、安全なポジションを確保しているということを確認することができる。スケープゴートをつくることで、自分が非難の対象にならないことを保証するのである。
ピア・プレッシャーに従うことは、均質な集団の中で自らの安全を確保する上では一つの適応ということができる。一方で、独創性や、個性といった、現代社会で賞賛される価値からは遠ざかることになる。
ピア・プレッシャーにもかかわらず自らの道を行く者には逆風が吹き付ける。それに耐えることで、心身が強くなる。集団に合わせれば良い、という「判断停止」の状態から離れた瞬間、自らのプリンシプルが問われることになる。
近現代におけるユダヤ人の創造性は注目すべきもの。同じ率ならば日本には550人の自然科学系のノーベル賞受賞者がいなければならない。ユダヤ人にとっては、同化圧力を通した社会との予定調和は、最初から失われていた。だからプリンシプルを問わざるを得なかった。
同化圧力として働くことの多いピア・プレッシャーが、逆に「もっと尖れ」「もっと走れ」とあおり立てるように機能することがある。そのような作用が見られた学者、芸術家の集団は、結果として歴史に残る偉業を成し遂げている。
集団の大勢から外れた振る舞いをする人がいたとき、その人の側に立つか、あるいは非難する側に立つかは一つの「リトマス試験紙」である。非難する側に立てば、自分は集団の大勢に属しているという安心を得ることができる。一方で失うことも多い。
日本の社会は、異能、外れ者を非難し、つぶすことで結束を確認してきた。一方、それがゆえに創造性の爆発的な発露が難しい環境ができた。集団の安定を求めるのか、それとも孤独なプリンシプルを追うか。選択は一人ひとりにゆだねられている。
【茂木健一郎】
2011-11-18
マフムード・アフマディーネジャード、イラン大統領「ビンラディンはワシントンにいる」
2010年12月、ABCインタビュー。
恥知らずで思い上がったアメリカ人記者と、知的で謙虚な大統領の姿が好対照をなしている。
ロン・ポール 大手メディアCBSもついにトップ大統領候補一人と認める
先週の土曜日のディベイドからCBSは態度を変えたようです。3日前、CBSは一時間番組で外交政策の討論会を主催しましたが、ロン・ポールはたったの90秒しか放送されなかったのです。しかし、CBSも他のライバル会社同様に、ロンボールを取材にやって来ました。ブルーンバーグはロン・ポールはアイオアでトップ争いをしていると報じ、それほどロン・ポール氏に対して友好的ではない、CBSもトップ争い候補者だと認めました。(11月17日)
共和党ロンポール氏は共和党大統領予備選挙に出馬中で、先日アイオアの擬似投票では僅差の2位につけました。個人の自由を保護、小さな政府(政府の介入に反対)、連邦銀行の(最終的に)廃止、海外米軍撤退などを掲げています。(8月24日)
・豆長者
深海までいけるようなテンション
好きなお香焚いて、Coccoをヘッドホンで爆音。このまま深海までいけるようなテンション。THA BLUE HERBを聞かないのは唯一の抵抗。これ以上深くにいったらきっとやばめ。
— ぐらたん@2/19札幌女子会 (@miitan0324) 2010年12月4日
2011-11-17
ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
・『奴隷船の世界史』布留川正博
・『奴隷とは』ジュリアス・レスター
・『砂糖の世界史』川北稔
・『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
・『ダッチマン/奴隷』リロイ・ジョーンズ
・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点
・『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』猿谷要
・『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂
・『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
・『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
・『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
・『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
近代ヨーロッパの繁栄を支えたのは奴隷の存在であった。つまり産業革命も国民国家もアフリカ人を踏みつけることで成立したわけだ。
・大英帝国の発展を支えたのは奴隷だった/『砂糖の世界史』川北稔
植民地アメリカでは1619年に最初のアフリカ人奴隷の記録がある(Wikipedia)。その後、アメリカ先住民を大量虐殺したヨーロッパ人は労働力として1000万人を超える黒人を輸入した。
(奴隷商人の元帳、1848年)
奴隷は「物」であった。本書でも法的には「動産」として扱われている。ナット・ターナー(1800-1831年)は実在した人物だ。彼が首謀者となって55人の白人を殺害し、20名あまりが身体に障害を被(こうむ)った。
本書の冒頭に掲げる《公示》と題した一文は、このボードに関して当時記録された唯一の重要文書に付せられた序文である。この文書は約20ページからなる小冊子で、『ナット・ターナの告白』と大され、翌年初頭リッチモンドで出版されたものであるが、私はその小冊子のいくつかの部分を本書に織りこんだ。物語を書き進めるにあたり、私はナット・ターナーと彼を首謀者とする反乱に関して、【既知の】事実はできるだけ忠実にたどったつもりである。
【『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン:大橋吉之輔〈おおはし・きちのすけ〉訳(河出書房新社、1970年)以下同】
事実を元にしたフィクションである。当然ではあるが実際のナット・ターナーとは違っていることだろう。しかしながら、ウィリアム・スタイロンの想像力が吹き込まれて、ナット・ターナーが歴史の彼方から蘇ってくるのだ。その意味では著者の己心に実在したナット・ターナーといえるだろう。
闇は眼に快かった。長年のあいだ、この時刻には祈りをあげるか、聖書を読むのが私の習慣だった。しかし、囚人となってからのこの5日間、私は聖書を持つことを禁じられ、祈りについては――そう、唇から祈りの言葉をむりやりにでも押し出すことが全くできなくなっていることは、私にとってもはや驚きでもなんでもなくなっていた。だが、この日々の勤行をやりたいという強い欲求はまだあった。それは私が大人になってからずっと長いあいだ、肉体の機能のように単純で自然な習慣になっていたのだ。だがいまは、私の理解を越えた幾何学とか他の不可思議な学問の問題のように、やりとげることがまるで不可能なように思えるのだった。今となっては、いつ自分に祈る力がなくなったかを思い出すこともできない――1ヵ月、2ヵ月、あるいはそれ以上前だったかもしれない。何故その力が私から消え失せたか、その理由でも分かっていれば、せめてもの慰めになっていただろう。ところが、それすらわからず、私と神とへだてる深淵にはいかなる形のかけ橋も見当たらなかったのだ(後略)
本書のテーマは宗教と暴力である。『一九八四年』は全体主義と暴力を描いた。『黒い警官』は権力と暴力を描いた。この3冊は暴力三部作と名づけていいだろう。私が読んできた小説で最高の部類に君臨する。
ナット・ターナーは奴隷でありながら読み書きができた。また霊感も強かったようだ。弁護士のグレイはナットのことを「神父さん」と呼んでいる。
人を疑うことを知らなかったアフリカ人が、まんまとヨーロッパ人に騙されてアメリカへ輸入された。船倉に押し込められ、劣悪な環境の中で死んでいった人々も多かった。鎖に縛られて運ばれたアフリカ人は、アメリカに降ろされると今度は鞭を振るわれた。
鞭を持つのは神の代理人である白人であった。彼らは「神の支配」という妄想に取りつかれているため、その反動として現実世界で支配せずにはいられないのだ。他国をヨーロッパの植民地とするのは当然の権利であり、グローバルスタンダードという名を借りた自分たちのルールを押しつけるのも朝飯前だ。
「南部だけじゃなく北部でも、アメリカじゅうで、みんなが不思議に思った、どうして黒んぼどもがあんなに団結できたんだろう? どうしてあいつらがあんな【計画】を考えだし、それを整然と言ってもいいくらいにおし進めて、実行に移すことができたんだろう、とね。だが、だれにもわからなかった、真相はどうしてもつかめなかった。なにがなにやらさっぱりで、五里霧中の有様だったわけだ」
白人が黒人を猿同様に考えていたことがよくわかる。
すべての黒人が12歳か10歳かあるいはそれよりも早くから、自分は白人から見れば人格も道徳観も魂も欠けたただの商品、品物にすぎぬことを自覚するときにもつようになるあの内的な感じ――それは言葉で表わすことはほとんど不可能な実在感だ――を表現したのもハークだった。その感じをハークは【黒ぼけ】と名づけたが、それは私の知っているどの言葉よりも、すべての黒人の心情にひそむ麻痺状態と恐怖とを簡明に表現している。
黒人が奴隷となる様相を見事に描いている。自由を奪われた人間は無気力になる。奴隷という身分自体が強制収容所と同じ機能を果たすのだ。
「お前の評判は、いわば、お前に先行してるんだ。ここ数年間、ひとりの非凡な奴隷についての驚くべき噂がわしの耳にとどいていた。その奴隷は、このクロス・キーズの近在で何人かの主人に、転々と所有されたが、もって生まれた卑賤な境遇をよく克服して――語るも不思議(ミーラーピレ・デイクトゥ)や――すらすらと読み書きができるようになり、その証拠をみせろとあれば、自然科学のむつかしい抽象的な著作も読解してみせるし、また、口から出まかせの口述筆記もみごとな書体で何ページでもやってのけるし、さらに、簡単な代数が分かるくらいに算数もマスターしているし、他方、聖書のほうの理解もずいぶん深いもので、数少ない神学の大家のうち彼の聖書の知識を試験したものたちは、彼の博学のすばらしさに驚いて首をふり退散したそうだ」彼は言葉を切り、げっぷをした。
「要するに、この呪われた国のもっとも惨めな底辺の一人でありながら、自分の悲惨な境遇をよく克服して物ではなく【人間】になった一人の奴隷の存在を想像するということは――そんなことは、どんな奔放な想像の域をも越えた話だ。否(ノー)、否(ノー)! そんな異形(いぎょう)のイメージを受け入れることを拒否する! 説教師さん、【ネコ】という字はどう書くのかいってみてくれ、え? さあ、この悪ふざけの流言の本当のところをわしに証(あか)してみせてくれ!」
読み書きは自問自答へといざなった。信仰は神との対話であった。ナット・ターナーの内側では他の奴隷たちと隔絶した自我が芽生えたのだろう。そもそも学ぶこと自体が自由を意味する。そして自由を享受するほど不自由に敏感となってゆく。
ナットの主人であるサミュエル・ターナーは奴隷制に反対していた。しかし不幸なことにナットの知性は本質を見抜いていた。
しかしいぜんとして不幸な事実は残る。暖かい友情や一種の【愛情】が(※主人であるサミュエル・ターナーとナットの)二人のあいだに通いあってはいたが、私が養豚とか新式肥料の散布のばあいとまったく同じような実験対象にされていたことに変わりはないのだ。
ある日のこと、仲間が売られてしまったことにナットは気づく。サミュエル・ターナーは弁明した。
「たしかに、真の人間といえるものはまだどこにもいはしない。【たしかに】そうなんだ! なぜなら、これまでの人間は分別のない愚かものばかりで、それだけがおのれの同属、同胞と卑劣きわまる関係を保って生きているのだ。それ以外にどうしてあんなにぶざまで恥かしい憎むべき残酷さを説明できようか! ふくろねずみやスカンクでさえもっと分別がある! いたちや野ねずみでさえ自分の同類い対しては天性の愛情というものをもっている。人間と同じように低劣ことがやれるのはただ虫けらだけだ――夏になるとポプラの木に群がって、甘い蜜を分泌する小さなあぶらむしどもと貪婪(どんらん)に結ばれようとする蟻のように。そうだ、たぶん真の人間らしい人間はまだどこにもいはしないのだ。ああ、神はどんなにか痛恨の涙を流していらっしゃることか、人間の他の人間に対する所業をごらんになって!」急に言葉がとぎれた。見ると彼は発作を起こしたように首をふり、とつぜんこう叫んだ、「それもすべて金の名において行なわれているのだ! 【金】の!」
サミュエル・ターナーは罪悪感を隠せなかった。そしてナットをも手放すことになる。新しい主人はエップス牧師だった。
「話によるとだな、黒んぼの男は一般にふつうよりも1インチ長い一物(いちもつ)をもっとるそうだが、そうなのかい、ぼうや?」
私は、ふるえる指を太腿に感じながら、じっと押し黙っていた。
エップス牧師は男色家だった。ナットが拒むや否や苛酷な労働を命じ、あろうことか近隣の人々に無料でナットを貸し出した。この二つの出来事がナットの心に暗い影を落としたことは容易に想像がつく。
飢えと同様、私は鞭も経験したことがなかった。鞭がふりおろされて首筋に火縄のようにまきついたとき、痛みが光のように炸裂して頭蓋の空洞のなかでぱっと花ひらいた。私は思わずあえいだ。痛みは喉の内側につきぬけて尾をひき、私を窒息させてしまいそうな気がしたので、さらにまたあえいだ。そのときになってはじめて、つまり数秒後のことだが、やっと鞭の音が私の心に知覚され――それは空を切る鎌のような妙にもの静かなひゅうという音だった。またそのときはじめて、私は片手をあげて生皮鞭が肉にくいこんだ箇所をさわってみたが、熱くねばねばした血の流れを指先に感じた。
(鞭打ちによる傷痕、1863年)
白人に対する鋭くはげしい憎悪は、もちろん、黒人たちが心のなかに容易に抱きうる感情である。しかし実をいえば、すべての黒人の心のなかにそのような憎悪が充満しているわけではない。それが至るところで華々しくはびこるには、あまりにも多くの神秘的な生活や機会の様式(パターン)が必要なのである。そのような真実の憎悪――それは非常に純粋かつ頑固な憎しみで、どんな人間味のあるあたたかい気持も、どんな共感や同情も、その石のような表面には微細な刻み目やひっかき傷すらつけられないほどのものだ――は、すべての黒人に共通しているものではない。それは、残忍な葉をつけた花崗岩の花のように、育つときには育っていくが、それももとはといえば不確かな地面にまかれた弱い種子から出てくるのである。その憎悪が完全に結実するには、悪意にみちた充分な育ち方をするには、多くの条件が必要だが、そのうちでも、黒人がそれまでのある時点において白人とあるていど親しく暮らした経験があるという事実はもっとも重要な条件である。黒人が自分の憎悪の対象をよく知るということ、白人の策略、欺瞞、貪欲さ、腐敗の極致、を知るようになるということは、もっとも必要なのだ。
なぜなら、白人を親しく知らなければ、その気まぐれで不遜な温情に屈服したことがなければ、その寝具や汚れた下着や便所の内部の臭いをかいだことがなければ、自分の黒い腕が白人女の指にさりげなく横柄にさわられたことがなければ、また、白人がふざけたり、くつろいだり、心にもない信心をしたり、下劣な酔っ払いかたをしたり、干し草畑で欲情まるだしに不倫の交接をしたりするところを目撃したことがなければ――そういう打ちとけた内輪の事実を知悉していなければ、黒人の憎悪はあくまでたんなる【見せかけ】にすぎないのだ。そんな憎しみは抽象的な幻想にすぎない。
奴隷が立ち上がるには白人の権威を失墜させる必要があった。権威とは神格化の異名でもある。天上人(てんじょうびと)と思い込んでしまえば、手が届かないから殴る気も起こらない。
ナットは実際には一人の白人娘を殺しただけであった。そのことについて書かれたページがあるのを今思い出した。
・ウイリアム・スタイロン 『ナット・ターナーの告白』をめぐる諸問題
ナットは弁護士のグレイにこう告げた。
しかし、これだけはいっておきたい、それをいわなければ黒人の生存の中心にある狂気を理解していただけないからだ――すなわち、黒人というものは、叩きのめし、飢えさせ、自分自身のたれた糞の中にまみれさせておけば、これは生涯あなたのいいなりになるだろう。突拍子もない博愛主義のようなものを仄めかして畏れさせ、希望を持たせるようなことをいってくすぐると、彼はあなたののどをかっ切りたいと思うようになるだろう。
(ナット・ターナー)
この複雑性を理解するのは難しい。ただしヒントがある。
夕食時限に近い頃、もしやと思っていた鹿野が来た。めずらしくあたたかな声で一緒に食事をしてくれというのである。私たちは、がらんとした食堂の隅で、ほとんど無言のまま夕食を終えた。その二日後、私ははじめて鹿野自身の口から、絶食の理由を聞くことができた。
メーデー前日の4月30日、鹿野は、他の日本人受刑者とともに、「文化と休息の公園」の清掃と補修作業にかり出された。たまたま通りあわせたハバロフスク市長の令嬢がこれを見てひどく心を打たれ、すぐさま自宅から食物を取り寄せて、一人一人に自分で手渡したというのである。鹿野もその一人であった。そのとき鹿野にとって、このような環境で、人間のすこやかなあたたかさに出会うくらいおそろしいことはなかったにちがいない。鹿野にとっては、ほとんど致命的な衝撃であったといえる。そのときから鹿野は、ほとんど生きる意志を喪失した。
これが、鹿野の絶食の理由である。人間のやさしさが、これほど容易に人を死へ追いつめることもできるという事実は、私にとっても衝撃であった。そしてその頃から鹿野は、さらに階段を一つおりた人間のように、いっそう無口になった。
【『石原吉郎詩文集』石原吉郎〈いしはら・よしろう〉(講談社文芸文庫、2005年)】
恵まれた位置から施される優しさは、時に暴力と等しい力を発揮する。人間らしさに触れることで苦しみの純度が高まるのだろう。単なる惨めさではない。相手と自分との間に存在する世界の深淵を垣間見てしまうためだ。微温的な態度が人を傷つけることは日常でも決して珍しいことではない。
またナットが叛乱を成功に導くことができなかったのは、ただ単に暴力への耐性がなかったためだろう。
(ウィリアム・スタイロン)
出版直後から異論・反論も多かったようだが、ウィリアム・スタイロンは見事にナット・ターナーを蘇らせた。
ナットの人間的な資質もさることながら、私はキリスト教に巣食う暴力的な側面を見逃すことができないと考える。バイブルには暴力と死がゴロゴロ転がっている。で、一番人殺しに手を染めているのは神様自身なのだ。神は人間に命令する。それが妄想であったとしても、敬虔なクリスチャンであれば実行するに違いない。
・「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた
絞首刑に処されたナットの遺体は皮をはがれ、首を切られ、八つ裂きにされた。そして復讐の念に燃えた白人の暴徒は手当たり次第に黒人をリンチした。
・ナット・ターナーが反乱を起こした日
・キリスト教の浸透で広がった黒人霊歌の発展
・ついに自由を我らに 米国の公民権運動(PDF)
・クー・クラックス・クラン(KKK)と反ユダヤ主義
・大阪産業大学付属高校同級生殺害事件
・集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
・日本における集団は共同体と化す/『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平
・愛着障害と愛情への反発/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・子供を虐待するエホバの証人/『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅
・「もしもあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」/『石原吉郎詩文集』石原吉郎
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