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2020-01-06

文脈


 肚(はら)の底からジワジワとせり上がってくる妙な感覚がある。衝撃ではない。むしろ鳥肌が立つような感覚に近い。文章の順番すなわち文脈が変わるだけで物語が逆転するのだ。言葉の魔術と言ってよい。あるいは詐術か。教科書や経典を重んじる人物はよくよく吟味すべき広告である。

2016-03-01

探し求めてきた時間の答え


 若い時分から探し求めてきた「時間」の答えを見つけた。それは、『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年/新装版、2005年)の17ページから22ページのたった5ページの間に余すところなく記されていた。

生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉

月並会第1回 「時間」その一
月並会第1回 「時間」その二
時間と空間に関する覚え書き
あらゆる蓄積は束縛である/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

2016-02-18

ミヒャエル・エンデはスピリチュアリズム




貨幣経済が環境を破壊する/『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳、グループ現代

2015-03-19

宗教とは




 かっぱ君は私の妹分である。若くはないことを断言しておこう。彼女は意図しないで書いたのだろうが、実はここに宗教機能のメカニズムがある。価値観は元より【判断】や【感情】のバックグラウンドで機能するアプリケーションが宗教なのだ。すなわち宗教は腹話術師であり、信者は人形といえる。ご親切に頼んだ覚えのない聖教新聞が配達されるわけだよ。信仰とは飛んでいるかいないかわからぬWi-Fiを信じる行為だ。その意味では電波系と言ってよい。新聞が届くという点では共産党も一種の宗教と考えるべきだろう。特定の思想・信条・宗教は喜怒哀楽を操作する。直ちにアンインストールせよ。部分的な真実だけを採用するのが正しいと思われる。

宗教OS論の覚え書き

2014-11-30

「きれい」と「美しい」に関する覚え書き









2014-11-13

書く


 白川静と宮城谷昌光が「書くこと」を勧めている。やはりキーを打つのと書くのとでは脳に対する定着の度合いが異なるのだろう。で、一大決心をして来年から書くことにした。もちろん時間的な余裕があるわけではないため、覚え書き程度の代物になるだろう。それでも構わない。自分の中でどのような変化が起こるかを確認したい。


 普段はぺんてるのサインペンを使っているのだが、「書く」が「掻く」に由来していることを踏まえるとやはり万年筆が好ましい。で、万年筆で書くとなれば自動的にツバメノートに落ち着く。amazonで安いツバメノートはこれだけ。他は高いので要注意。万年筆もシルバーだと送料がかかる。

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2014-07-24

不動産屋の原状回復詐欺に気をつけろ








2014-06-20

免許証更新時に注意すべきこと~交通安全協会に騙されるな







2014-05-15

人格コスプレ





2013-11-12

いじめに関する覚え書き



『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール






『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ


凌遅刑(りょうちけい)


2013-05-13

長期監禁のオーストリア人女性、脱出から7年後の今を語る


「私はアマンダ・ベリー。誘拐されたんです。この10年行方不明だったんです」――10年前に16歳で誘拐され、今月6日に解放されたアマンダ・ベリー(Amanda Berry)さんが脱出直後に通報した際の言葉は、10歳で誘拐され、8年間の監禁生活から2006年に解放されたオーストリア人女性のナターシャ・カンプシュ(Natascha Kampusch)さんの最初の言葉を思い起こさせた。

「私の名前はナターシャ・カンプシュ。私のことを聞いたことがあるはずです」

 カンプシュさんが懐疑的な警察官にこの言葉をかけたのは、誘拐されてから3000日以上が経ってからだった。

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 女性の長期監禁事件の中でも最も悪質なケースのひとつに数えられるカンプシュさんの事件は、1998年3月2日に発生。カンプシュさんは登校中に、失業中だった通信技術者のウォルフガング・プリクロピル(Wolfgang Priklopil)容疑者に拉致され、バンの中に押し込められた。

 プリクロピル容疑者は、自宅のガレージの下に掘った6平方メートルに満たない地下室に彼女を閉じ込め、幼いカンプシュさんには「ドアや窓には爆弾が仕掛けてある」と伝えた。また、両親は彼女のことを忘れたとも言い聞かせたという。

 その後数年間、容疑者はカンプシュさんを殴り、食べ物もごく少量しか与えなかった。何日も食べ物を渡さない日もあり、カンプシュさんが思春期を迎えた後は強姦を繰り返した。

 現在25歳のカンプシュさんは、今年初めに当時の様子を振り返り、「叫ぶことはありませんでした。私の体が叫べなかったのです。でも無言で叫んでいました」と述べた。

 2006年の夏、プリクロピル容疑者は携帯電話で、カンプシュさんを誘拐した時に使っていた白いバンを売却する話をしていた。その隙をついてカンプシュさんは逃げ出した。

 プリクロピル容疑者はその日、線路に飛び込んで自殺した。44歳だった。

カンプシュさんのその後

 6日に救助されたアマンダ・ベリーさんと2人の女性と同じく、カンプシュさんの名前は世界中のメディアを駆け巡った。自伝を出版し、複数のテレビのインタビューにも応じ、今年初めには自分の体験をベースにした『3096日』という映画もリリースされた。

3,096 by Natascha Kampusch

 しかしカンプシュさんは、まだ普通の日常に戻れないでいるように見える。両親とは「疎遠になった」という。現在はウィーンの自宅で蘭の花やペットの金魚と一緒に過ごす。テレビで好きなのは刑事ドラマだという。

 教育も受けられなかったため、教育課程を終わらせ、金細工の技術を身につけようともしたが、続かなかった。

 それでも2011年には、自伝の印税と寄付金を使ってスリランカに小児病院を建設した。

Natascha Kampusch's case

 ドイツで今年放映されたインタビューによると、いま一番親しい人物は美容師だという。「いすに座って、彼女が私の髪を整えてくれているときが一番幸せ」

「自分に起きたことと共存していくために、毎日をポジティブに生きようと努力してる。気ままな10代の時間はもう取り戻せない。他の人と話をして、若いときの経験を共有してもらうのがせめてもの慰め」

 カンプシュさんは、マザーコンプレックスを抱えていたプリクロピル容疑者への複雑な感情についても言及した。容疑者が自殺したと聞いたときには泣いたという。

「脱出することによって、私は自分を迫害していた人間から逃げることができた。それと同時に、いや応なく近くにいた人を失った」とカンプシュさんは自伝に綴っている。

「私を殴り、地下室に閉じ込め、餓死寸前まで追い込んだ男が求めていたものは、誰かに抱きしめてもらうことだった」

【AFP 2013-05-12】

 ストックホルム症候群と指摘することはたやすい。彼女を自分と関係のない第三者と見れば。私は不思議な感動を覚えてならなかった。複雑さとは奥深さでもあろう。微にして妙なる人間心理の綾は時に善悪を軽々と超越するのだ。

 彼女と比較して自分の幸福を計るような愚者は本当の意味で不幸なのだろう。彼女が不幸であったとしても我々が不幸でないと言い切ることができるだろうか?

 ただありのままに不幸を背負う。ただありのままに不遇を生きる。すべての川が海を目指すように我々の生もまた死に至る。どのような流れであったとしても、太陽のきらめきを反射することは可能だろう。人は他の誰かになり得ない。彼女は彼女を生きる。私は私を生きる。

3 096 dias / 3,096 Days in Captivity: El Infierno De Una Nina Secuestrada Durante 8 Anos: Una Historia Real, Desgarradora / The True Story of My Abduction, Eight Years of Enslavement, and

幼児虐待という所業/『囚われの少女ジェーン ドアに閉ざされた17年の叫び』ジェーン・エリオット
21世紀になっても存在する奴隷/『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ
驚天動地、波乱万丈の人生/『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール

2013-05-04

DV目撃で子どもの脳萎縮 福井大など発表


 ドメスティックバイオレンス(DV)を日常的に目撃した子供は、目で見たものを認識する脳の視覚野の一部が萎縮する傾向があるという研究成果を、福井大子どものこころの発達研究センターの友田明美教授らがまとめた。2日までに米オンライン科学誌に発表した。

 両親間の暴力や暴言を吐く場面など、DVの目撃が成長後も心の病といった形で影響を与えると心理学などで指摘されている。友田教授は「DVを見た嫌な記憶を何度も思い出すことで脳の神経伝達物質に異変が起き、脳の容積や神経活動が変化してさまざまな精神症状を引き起こすのではないか」と推測している。

 友田教授は米ハーバード大と共同で、直接虐待を受けたことはないが、夫婦間のDVを目撃してきた18~25歳の男女22人と、目撃した経験がない同年代30人の脳を、磁気共鳴画像装置(MRI)を使い比較した。

 その結果、右脳の視覚野にある一部は、目撃した経験がある男女が平均で約6.1%小さく、約6.5%薄かった。左脳の視覚野にある一部も約6%薄かった。

 目撃した時期などの聞き取りから、脳が最も影響を受けやすい年齢は11~13歳で、身体的な暴力より暴言の方が子供の脳に深刻な影響を与えることも分かった

 友田教授は「DVを目撃した子供には、早期にしっかりした心のケアをすることが必要だ」とし「幼少期の体験が脳を変えるメカニズムが明確になれば、治療などに生かせるだろう」と話している。

 友田教授らは2005年に調査を開始。米マサチューセッツ州にある町の地下鉄やバス停に協力を呼び掛けるチラシを張り出し、集まった1662人から聞き取りなどをして52人を抽出、脳を解析した。〔共同〕

日本経済新聞 2013-05-02

 分母が少なすぎる上、DV目撃と脳萎縮との因果関係を断定することには無理がある。

 この実験が示唆していることは実はもっと凄い。発達障害やアスペルガー障害などの自閉傾向はひょっとすると拒絶という「意志的選択」の可能性がある。すなわち眼前の世界を拒否することで、内側の領域にとどまっていると考えることが可能だ。

 また12歳前後から脳が思考に支配されることも明らかだろう。

2013-04-28

牛肉・オレンジ自由化交渉の舞台裏


「こらえにこらえてやっている」。88年4月19日、農相の佐藤隆は国会で交渉の難しさを明かした。同じ日、農協は「米国の高圧的な態度は憤激に堪えない」として都内で集会を開いた。だが米国の攻勢は表に出ているよりずっと苛烈だった。
 交渉が大詰めを迎えるなか、米通商代表部(USTR)次席代表のスミスが九段の分庁舎に入った。野球帽を横向きにかぶり、ノーネクタイ姿で農水次官の後藤康夫らの正面に座ると、円卓に足を乗せて言い放った。「議論の余地はない。自由化だ」。

【日曜に考える 牛肉・オレンジ自由化決着(1988年) 日米構造協議の前哨戦/日本経済新聞 2013年4月7日付】

日米通商交渉の歴史(概要):外務省【PDF】

 白人の傲(おご)りはアフリカ人を奴隷にした時代やインディアンを虐殺した頃から変わっていないように感ずる。キリスト教に由来する人種差別は、神を信じぬ者を人間としては認めない。だから連中は面白半分で虐殺することができたのだ。

 彼ら(※キリスト教徒)は、誰が一太刀で体を真二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を斬り落とせるかとか、内蔵を破裂させることができるかとか言って賭をした。

【『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス:染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉訳(岩波文庫、1976年)】

 日経新聞の腰砕けぶりは「スミス」をフルネームで表記していないところに現れている。ウェブで調べたところ「マイク・スミス」のようだが情報らしい情報が殆ど見当たらず。

 日本が礼節を重んじる国であることがわかっていればこそ、スミスは芝居がかったパフォーマンスをしてみせたのだろう。やはり軍事力を持たねば一人前の国家として扱われないのだ。

 一方でこういう声もある。

アメリカが恐れる日本の通商交渉力:山下一仁

 交渉に携わった人々が国民に対して情報発信していない以上、我々は想像する他ない。

 その後の日米構造協議年次改革要望書という流れを見れば、太平洋戦争はおろか日米修好通商条約から何も変わっていないように思える。

 日本の保守がなぜ反米に向かわないのかが不思議でならない。

インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)

「年次改革要望書」という名の内政干渉/『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之

2012-12-22

コピーに関する覚え書き


 ってなわけで、早速引用させてもらおう。

・即時性(Immediacy) コピーよりも速いこと
・個人化(Personalization) 個人に最適化されていること
・解釈(Interpretation) コピーの価値を上げるための付加価値を持つ情報
・信憑性(Authenticity) コピーを手に入れるときの特別な体験
・アクセスしやすいこと(Accessibility) 取りやすく見やすいこと
・具体化(Embodiment) 情報に実体を持たせること
・後援(Patronage) 作者との関係性
・見つけやすいこと(Findability) 目につく場所に情報を存在させること

「情報のコピーが無料になった中で、コピーできない8つの価値」Heartlogic

 ここから我が「宗教OS論」に結びつけることを目論んだのだが、如何せん思索不足である。というわけで中途半端な解説となることを許されよ。

 生命連鎖という歴史の主役は遺伝子だ。つまり生命の営みは遺伝子複製を目的としている。そして文化・文明は学習という名のコピーで維持されるわけだ。子は親のコピーであり、人類は神のコピーなのだ。宗教行為を見よ。コピーそのものではないか。

 人間の脳は凄まじいポテンシャルを秘めている。

脳という宇宙
「世界の全情報処理能力」は「ヒトの脳」に匹敵

 しかしながら実際は思考速度が遅いため、情報量は限られている。

脳の情報量とコンピュータの情報量について計算してみました
情報過剰は思考を駄目にする
人間の脳は限界に達しているのかも!?

 仮に17.5GBあったとしても、私の場合は明らかにメモリ不足だ。加齢が上書き更新を困難にしつつある。忘却とは忘れ去ることなり。

 レイ・カーツワイルはイノベーション(技術革新)が「記憶のダウンロード&アップロード」を可能にするだろうと告げている。

 では、わたしとは誰なのか? たえず変化しているのだから、それはただのパターンにすぎないのだろうか? そのパターンを誰かにコピーされてしまったらどうなるのだろう? わたしはオリジナルのほうなのか、コピーのほうなのか、それともその両方なのだろうか? おそらく、わたしとは、現にここにある物体なのではないか。すなわち、この身体と脳を形づくっている、整然かつ混沌とした分子の集合体なのではないか。
 だが、この見方には問題がある。わたしの身体と脳を構成する特定の粒子の集合は、じつは、ほんの少し前にわたしを構成していた原子や分子とはまったく異なるものなのだ。われわれの細胞のほとんどがものの数週間で入れ替わり、比較的長期間はっきりした細胞として持続するニューロンでさえ、1か月で全ての構成分子が入れ替わってしまう。微小管(ニューロンの形成にかかわるタンパク質繊維)の半減期はおよそ10分である。樹状突起中のアクチンフィラメントに至っては約40秒で入れ替わる。シナプスを駆使するタンパク質はほぼ1時間で入れ替わり、シナプス中のNMDA受容体は比較的長くとどまるが、それでも5日間で入れ替わる。
 そういうわけで、現在のわたしは1か月前のわたしとはまるで異なる物質の集合体であり、変わらずに持続しているのは、物質を組織するパターンのみだ。パターンも又変化するが、それはゆっくりとした連続性のある変化だ。「わたし」とはむしろ川の流れが岩の周りを勢いよく流れていくときに生じる模様のようなものなのだ。実際の水の分子は1000分の1秒ごとに変化するものの、流れのパターンは数時間、時には数年間も持続する。
 つまり、「わたし」とは長期間持続する物質とエネルギーのパターンである、と言うべきだろう。だが、この定義にもまた問題がある。いずれこのパターンをアップロードし、オリジナルとコピーが見分けられないほど正確に、自分の身体と脳を複製できるようになるからだ(そうなると、わたしのコピーが、「レイ・カーツワイル」を見分けるチューリングテストに合格しかねない)。

【『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル:井上健監訳、小野木明恵、野中香方子〈のなか・きょうこ〉、福田実訳(NHK出版、2007年)】

 福岡伸一が同じことを言っている。「生命とは動的平衡にある流れである」(『生物と無生物のあいだ』)、「ミクロのレベルではたまたまそこに密度が高まっている分子の、ゆるい『淀み』でしかない」(『もう牛を食べても安心か』)と。つまり自我を支えているものは「記憶という情報」なのだ。

 では実際に私がコピーされたとしよう。一体全体どちらの私が本物であるのか?

『スター・トレック』の転送装置で、星の地上にいる人が宇宙船の中にビームで転送されるとき、何をやっているかというと、その人のいる地上の空間の素粒子状態、つまり情報状態を全部スキャンしているのです。そしてそのスキャンした状態を宇宙船の中に移動させているわけです。
 簡単にいえばコピーするということでしょうか。もちろん、思考も記憶も全部一緒にコピーをしています。それを移動と呼んでいるだけなのです。
 ただし、コピーだけでは移動ではありません。ただの複製になってしまうため、オリジナルの消去もあわせて行っているのです。
 スコッティーが転送してくれたときに、たまたま宇宙船が攻撃されて、オリジナルの消去ができなかったとしたら、オリジナルとコピーが同時に存在することになります。
 そして、しばらくしてからスコッティーに、「ごめん、あなたの転送は終わった。したがってこれからあなたを消去します」といわれてしまうわけです。
 では、どちらが本物か。
 それは、移動した方が本物なのです。それがインテンショナリティ、つまり意思という考え方です。
 移動するという意思が反映されているのは移動後のほうです。
 理論上は、寸分たがわず、魂まで含めた完全コピーではあります。しかし、移動という意思は複製された側にあるわけですから、結果として、オリジナルのあなたは消去されるべき存在になってしまうのです。

【『苫米地英人、宇宙を語る』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(角川春樹事務所、2009年)】

「コピーという意思」に軍配が上がるというのだ。だから親が先に死ぬのか(笑)。私の完全コピーが100体あったとすれば、100番目のコピーが本物となる。ただし、これは「自我の固有性」にまつわる問題であって、各コピーの環境が異なるわけだから当然それぞれの人生は別物だ。

移動(コピー)した方が本物

 社会にも進化にも常にコピーという同調圧力が働いている。コピーし損なった者は弾かれる。美しいコピーを競うのが「受験」だ。

 彼は一瞬私を優しく見つめ、それから言った。「あなた――あなたの身体、感情、思考――は、過去の結果です。あなたの身体はたんなるコピーなのです。例えば羨望や怒りなどのどんな感情も、過去の結果なのです。羨望について、それを抑圧したり、それを何かあるいは何らかの行為にしようとするなど、あなたが何をしようと、それもまた過去の結果なのです。そのように、あなたはたんに経験の輪のなかを動いているだけなのです」

【『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】

 コピーは「過去への依存」である。自我の大半は親や教師、友人、本、メディアによって書き込まれたものだろう。真の悟りとは意味から離れ、時間から離れ、自我を白紙に洗い戻す営みに違いない。これが「即時性」だ。

ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき苫米地英人、宇宙を語る私は何も信じない―クリシュナムルティ対談集

パソコンが壊れた、死んだ、殺した
移動(コピー)した方が本物
レイ・カーツワイル
苫米地英人

2012-08-13

賽は投げられた

New Game - New Luck

 ルビコン川を渡らんとするまさにその時カエサルは叫んだ。「ここを渡れば人間世界の悲惨、渡らなければわが破滅。進もう、神々の待つところへ! 我々を侮辱した敵の待つところへ! 賽(さい)は投げられた!」と。あとは決まった運命を確認しにゆくだけだ。

 我々の脳は「因果という物語」に支配されている。サイコロの目は幸運と不運とに書き換えられる。ま、キリスト教の運命も仏教の宿命も似たようなものだ。どちらも形を変えた決定論と考えてよかろう。

 サイコロは物理的法則によって動くわけだがそれだけではない。必ず何らかの不確実性が働く。因果が絶対的なものであると考えるのは信仰者だけだ。

 全知全能の神様はラプラスの悪魔となり、ハイゼンベルク不確定性原理がこれを打ち砕いた。

 賽は投げられた――しかし、どの目が出るかは神様にもわからない。

2012-08-07

リズム、呪文(マントラ)、押韻の共通性


 リズム、呪文(マントラ)、押韻には共通性がありそうだ。「ちちんぷいぷい」「マハリーク、マハリータ、ヤンバラヤンヤンヤン」「テクマクマヤコン」「ビビディ・バビディ・ブー」などといった言葉には何とも言えない心地よさがある。


ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ

2012-08-04

本当におぼれている人はおぼれているようには見えない、静かに沈んでいく人に気付くためのポイント


 ほとんどの場合、おぼれている人にとって声を上げて助けを求めることは生理学的に不可能です。呼吸器系の第一の目的は呼吸することであって、声を出すことはあくまで副次的な機能。呼吸することができて初めて声を出す余裕ができます。



 おぼれている人は手を振って助けを求めることはできません。本能的に腕を横に伸ばし、水面を下に押すことによって頭を水面上に押し上げようとします。

Gigazine 2010-09-10

 社会の波で溺れている人もまた同様か。不況という低温状態は人々から体力を奪い取る。そして福島、沖縄を思わずにはいられない。

2012-02-21

民主主義の正体


暴言吐く被災者は警察へ通報 東松島市長

 宮城県東松島市の阿部秀保市長は20日、被災者から理不尽とも言える苦情が相次いでいるとした上で、震災1年を機に威圧的な言動については警察に通報するとの方針を明らかにした。

 同市によると、一部の被災者が電話で長時間不満を述べ、酒に酔って市役所を訪れて「はたく(たたく)ぞ」などと職員に暴言を吐く人もいるという。

 東松島市は警察に対応を相談する一方、威圧的な言動や不当要求行為があれば警察に通報することを決めた。会話の内容を録音することも検討している。

 阿部市長は「職員は長時間の電話にも我慢して対応していた」と説明している。

共同通信 2012-02-20

 これが民主主義の正体ではないのか? アメリカは中東やアフリカ諸国に民主化を押し付けている。ある人曰く、「民主主義は植民地主義に代わる新しい侵略哲学だ」と。つまり正義が民の名を借りた暴徒を生むわけだ。ソシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)は怒りと憎悪を社会へ広げる装置と化す。

2012-01-08

物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・お腹から悟る
     ・身体革命
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・ミステリ&SF
     ・必読書リスト

 氏家〈うじけ〉さんのツイートで青木勇気というライターの存在を知った。


多数派か少数派かによって変わる“確からしさ”について | アゴラ 言論プラットフォーム

 BLOGOSは私の趣味に合わないため殆ど見ることがない。何て言うんでしょうな。インチキ臭い(笑)。多分、編集方針がないためだろう。雑多というよりは、まとまりを欠いているというべきか。

 早速、本人のブログを読んだ。

Write Between The Lines.

 先の記事もそうだがとにかく文章がいい。読んでいて気持ちがよくなってくる。その上、箴言力(コピーライティングのセンス)があるのだから侮れない。

 で、注目に値する記事を発見した。

「物語」とは何であるか

 私の専門分野だ(ニヤリ)。ケチをつけようと思えばどんな角度からもつけることが可能だ(笑)。しかし、私が「物語」に気づいたのは4年前のことである。青木は私より一回り以上も若い。ならば援護射撃をすべきだろう。

 私が「物語」を悟ったのは、上杉隆著『官邸崩壊 安倍政権迷走の一年』を読んだことに始まる。それ以前から「思想とは物語である」という持論があったのだが、上杉を通して「物語を編む」営みに初めて気づいた。

 私は文筆家ではなく古本屋のため、ここはやはり読書の水先案内としておこう。

 その頃、私が吹聴していた「物語論」は、岸田唯幻論の幻想とは違った。世界の構造・結構としての物語性であった。生きることが物語なのではない。我々は物語を生きるのだ。

唯幻論の衝撃/『ものぐさ精神分析』岸田秀

 森達也の『A』はカメラの位置をオウム信者側にしただけで物語を反転させてみせた。

森達也インタビュー

 その意味で私の小さな思いつきが完全な形で表現されたのが、野家啓一〈のえ・けいいち〉著『物語の哲学』であった。

「理想的年代記」は物語を紡げない/『物語の哲学 柳田國男と歴史の発見』野家啓一

 もうね、ぐうの音も出なかったよ。当時は野家啓一が神様に思えたほどだ。きちんと書評を書いていないので一両日中にアップする予定。

 ここからが私の本領を発揮する地点だ。まずは歴史。理想的年代記が物語を紡げないのであれば、物語を編むのは歴史家の仕事となる。つまり歴史トピックの取捨選択に物語性が込められているのだ。ここでわかるように物語性の本質とは「因果関係」(=起承転結)である。

 そこでまず世界史という物語の枠組みを知る必要がある。

世界史は中国世界と地中海世界から誕生した/『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘

 次に歴史という概念を学ぶ。

読書の昂奮極まれり/『歴史とは何か』E・H・カー
歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘

 本気で勉強するなら、ここで野家本を再読するのが望ましい。

 で、先ほど申し上げた因果関係を木っ端微塵に粉砕するのがこれ。

歴史が人を生むのか、人が歴史をつくるのか?/『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン

 ここからの急降下はジェットコースター級となる。諸君、振り落とされるなよ(笑)。

 まずは岸田唯幻論を踏まえた上で脳機能を知っておこう。

唯脳論宣言/『唯脳論』養老孟司

 で、「負の物語」ともいうべき迷信・誤信について書かれたのが以下。

怨霊の祟り/『霊はあるか 科学の視点から』安斎育郎
誤った信念は合理性の欠如から生まれる/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ

 人類が創作した最大の物語は「神」であろう。

脳は神秘を好む/『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース

 ここで振り出しに戻って物語を見つめる。

必然という物語/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー

 次は変化球になってしまうが、「相関関係=因果関係ではない」ことを学ぶのに欠かせない。

相関関係=因果関係ではない/『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン

 医療や製薬会社を取り巻く「業界の物語」と置き換えることも可能だ。

 そろそろ最終コーナーに差し掛かる。

比較トラップ/『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー

 更に加速しよう。ラストスパートだ。

エントロピーを解明したボルツマン/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
視覚の謎を解く一書/『46年目の光 視力を取り戻した男の奇跡の人生』ロバート・カーソン
宗教の原型は確証バイアス/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

 これで大体、「物語の本質」は征服できる。あとは止(とど)めの2冊だ。

服従の本質/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル

 物語の正体は確証バイアスであり、確証バイアスから宗教が生まれた。一言で書いてしまうと身も蓋もないように思えるだろうがそうではない。人間の「錯覚できる能力」が物語を紡ぎ出すのだ。

 ゆえに困難や危機が訪れるたびに「人類の物語」を更新してゆくことが正しい。個人においても同様である。

 ただし真の宗教性に立てば「物語=主役としての自我」から離れることが唯一の道となる。神という創造物は人類にとっての自我も同然であって、それ自体が物語にすぎない。今のところ真の宗教性として認められるのはブッダの初期経典とクリシュナムルティのみである。

 最後に青木の著作を紹介しておく。彼の勁草(けいそう)を思わせる柔らかな感性に期待したい。



物語る行為の意味/『物語の哲学』野家啓一
物語
虐待による睡眠障害/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
『手にとるようにNLPがわかる本』加藤聖龍
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル