いじめ1 「いじめをなくそう」という言葉はお題目としては正しいのだが何の効力もない。それを声高に主張している大人が実は強者だったりする。犯罪が多様な形をしているのと同様に、いじめも様々な形で現れる。シカト、揶揄、嘲笑、殴る蹴る、万引の強要、自慰行為の強制など。
— 小野不一 (@fuitsuono) September 29, 2010
いじめ2 いじめは暴力だ。実はチンパンジーの世界でもいじめは日常的に見られる。それどころか彼らは実に政治的なコミュニティを形成している。群れの中のナンバー2とナンバー3がタッグを組んで、ボス猿をやっつけることもある。http://bit.ly/aqoq4o
— 小野不一 (@fuitsuono) September 29, 2010
・『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール
いじめ3 とすれば、いじめは知能が発達した哺乳類の本能なのだろう。それは多分、政治性とセットになっている。だから私は道徳や心理学、はたまた社会学的観点からいじめにアプローチすることは意味がないと考えている。いじめは群れ=コミュニティ形成に関連していると思われる。
— 小野不一 (@fuitsuono) September 29, 2010
いじめ4 世界から暴力を根絶することが可能だろうか? 戦争、テロ、はたまた社会のあらゆる場面で競争を繰り広げる我々は、大なり小なり暴力を振るわれたり、振るったりしている。人間の暴力性を追求するとマネーと集団に辿り着く。お金は暴力だ。先進国の発展を途上国の犠牲が支えている。
— 小野不一 (@fuitsuono) September 29, 2010
いじめ5 集団もまた暴力である。ヒエラルキーは下位集団にプレッシャーを与える。あらゆる組織における上下関係は暴力である。否、力という力が全て暴力性をはらんでいるのだ。つまり、コミュニティ形成のあり方を根本的に変えない限り、いじめは存在する。
— 小野不一 (@fuitsuono) September 29, 2010
いじめ6 私の子供がいじめの加害者であったとすれば、何の迷いもなく半殺しにすることだろう。強姦したなんてことになれば、あっさりと我が子を手に掛けることだろう。全ての親にその程度の覚悟があれば、いじめは激減するはずだ。私はそんな風に育てられた。
— 小野不一 (@fuitsuono) September 29, 2010
いじめ7 レヴェリアン・ルラングァは中学生の時、目の前で43人の身内を殺された。彼自身も左腕を切り落とされ、左目を抉り取られた。http://bit.ly/9eFSak プーラン・デヴィは13歳の時に両親の目の前で複数の男性から強姦された。http://bit.ly/9t6wXx
— 小野不一 (@fuitsuono) September 29, 2010
・『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
・両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ
いじめ8 清や朝鮮では凌遅刑、隗肉刑、八刀刑などが1905年まで行われていた。衆人環視の中で身体の肉を少しずつ切り落とし、長時間の苦痛を与えることを目的とした処刑である。画像検索をしてみるといい。人間の残虐ぶりはどこまでもエスカレートするのだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) September 29, 2010
・凌遅刑(りょうちけい)
いじめ9 暴力の問題はかように根が深い。悪をいくつ並べたところで善に至ることはない。また歴史における暴力の多くが、神の名の下で行われてきたことを見失ってはなるまい。
— 小野不一 (@fuitsuono) September 29, 2010
いじめ10 いじめを受けた事実が自我を傷つける。だが本来、魂が傷つくことはない。「傷」と錯覚する認知の仕方に問題がある。新しい物語を作るという方法もあるのだろうが、それで精算できるとは思えない。究極的には物語性を否定する必要がある。今の私に見えるのはここまでだ。以上
— 小野不一 (@fuitsuono) September 29, 2010
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