・『ドキュメント 雪崩遭難』阿部幹雄
・『ドキュメント 滑落遭難』羽根田治
・日本人らしい意地悪な視線
・『ドキュメント 気象遭難』羽根田治
・『ドキュメント 道迷い遭難』羽根田治
・『ドキュメント 単独行遭難』羽根田治
・『ミニヤコンカ奇跡の生還』松田宏也、徳丸壮也構成
「助けにきてくれたのですか。おじさんの顔が神様みたいに見えます」
この遭難事故は、Kがわずかなチョコレートによって命を支えていたことから、“奇跡の生還”としてテレビや新聞、週刊誌などで大々的に報じられた。山をまったく知らないふたりの女性がほとんど無防備な状態で山に入り、途中で離れ離れになりながらも、ひとりは9日間、もうひとりは11日間を生き延びたというドラマ性にマスコミが注目し、一般の人々が惹きつけられたのだ。
なお、この遭難事故には後日談がある。
事件の翌年の1969(昭和44)年5月、ふたりの女性が「西穂高岳の遭難現場を見にいく」と自宅に書き残して、上高地から西穂高岳へと入山した。だが、彼女たちは二度と帰ってこなかった。土砂に埋もれたふたりの遺体が外ヶ谷の上流部で発見されたのは、行方不明になってから1年以上が経過した、翌年7月のことであった。
【『ドキュメント 生還 山岳遭難からの救出』羽根田治〈はねだ・おさむ〉(ヤマケイ文庫、2012年)】
文章がいいので最後まで読むことができたが、日本人らしい意地悪な視線がそこここに見られて辟易させられる。我が国では「世間に迷惑をかける=悪」という価値観が根強く、生還した人をヒーローと称えるアメリカのような見方ができない。
どんなに文章を飾ったところで「失敗を叩く」行為に変わりはない。底の浅い人間性がせっかくの文章を台無しにしている。
初心者であれば悔恨に駆られながら死んでいったことだろう。上級者であれば無念に沈みながら死んでいったことだろう。人は死ぬ。山や海で。そして事故や病気で。それらの死に差異はない。
そして人は同じ失敗を繰り返す。戦争がその最たるものだろう。それを宿痾(しゅくあ)とも業(ごう)とも言うのだ。登山家は必ず山で死ぬ。山登りをやめない限りは。私はベッドの上で死ぬことが幸せだとは決して思わない。