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2022-02-23

ユーザーイリュージョンとは/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

【ユーザーイリュージョンとは
パソコンのモニター画面上には「ごみ箱」「フォルダ」など様々なアイコンと文字が並ぶ。実際は単なる情報のかたまりにすぎないのに、ユーザーはそれをクリックすると仕事をしてくれるとので、さも画面の無効に「ごみ箱」や「フォルダ」があるかのように錯覚する現象を指す。】

本書で、著者は「ユーザーイリュージョンは、意識というものを説明するのにふさわしいメタファーと言える。私たちの意識とは、ユーザーイリュージョンなのだ……行動の主体として経験される〈私〉だけが錯覚なのではない。私たちが見たり、注意したり、感じたり、経験したりする世界も錯覚なのだ」という。(表紙見返しより)

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

視覚というインターフェース/『世界はありのままに見ることができない なぜ進化は私たちを真実から遠ざけたのか』ドナルド・ホフマン

 本書のパクリだったか。

2020-01-14

「不惑」ではなく「不或」/『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登


『中国古典名言事典』諸橋轍次

 ・「不惑」ではなく「不或」

『日本人の身体』安田登
・『心の先史時代』スティーヴン・ミズン
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】

 孔子時代にはなかった漢字が含まれる『論語』文の代表例は「四十(しじゅう)にして惑わず」です。(中略)
 漢字のみで書けば「四十而不惑」。字数にして五文字。この五文字の中で孔子時代には存在していなかった文字があります。
「惑」です。
 五文字の中で最も重要な文字です。この重要な文字が孔子時代になかった。
 これは驚きです。なぜなら「惑」が本当は違う文字だったとなると、この文はまったく違った意味になる可能性だってあるからです。

【『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登〈やすだ・のぼる〉(春秋社、2009年/新潮文庫、2018年)】

 twitterのリンクで知った書籍。安田登は能楽師である。伝統的な身体操作は古(いにしえ)の人々と同じ脳の部位を刺激することだろう。温故知新(「子曰く、故〈ふる〉きを温〈たず〉ねて新しきを知る、以て師と為るべし」『論語』)の温故である。

『論語』の中で、孔子時代にはなかった漢字から当時の文字を想像するときには、さまざまな方法を使います。一番簡単なのは、部首を取ってみるという方法です。部首を取ってみて、しかも音(おん)に大きな変化がない場合、それでいけることが多い。
「惑」の漢字の部首、すなわち「心」を取ってみる。
「惑」から「心」を取ると「或」になります。古代の音韻がわかる辞書を引くと、古代音では「惑」と「或」は同音らしい。となると問題ありません。「或」ならば孔子の活躍する前の時代の西周(せいしゅう)期の青銅器の銘文にもありますから、孔子も使っていた可能性が高い。
 孔子は「或」のつもりで話していたのが、いつの間にか「惑」に変わっていったのだろう、と想像してみるのです。(中略)
「或」とはすなわち、境界によって、ある区間を区切ることを意味します。「或」は分けること、すなわち境界を引くこと、限定することです。藤堂明保(あきやす)氏は不惑の「惑」の漢字も、その原意は「心が狭いわくに囲まれること」であるといいます(『学研漢和大字典』学習研究社)。
 四十、五十くらいになると、どうも人は「自分はこんな人間だ」と限定しがちになる。『自分ができるのはこのくらいだ」とか「自分はこんな性格だから仕方ない」とか「自分の人生はこんなもんだ」とか、狭い枠で囲って限定しがちになります。
「不惑」が「不或」、つまり「区切らず」だとすると、これは「【そんな風に自分を限定しちゃあいけない。もっと自分の可能性を広げなきゃいけない】」という意味になります。そうなると「四十は惑わない年齢だ」というのは全然違う意味になるのです。

 整理すると孔子が生まれる500年前に「心」という文字はあったがまだまだ一般的ではなかった。そして『論語』が編まれたのは孔子没後500年後のことである。

」の訓読みにはないが、門構えを付けると「(くぎ)る」と読める。そうなると「不或」は「くぎらず」「かぎらず」と読んでよさそうだ(或 - ウィクショナリー日本語版)。

「心」の字が3000年前に生まれたとすれば、ジュリアン・ジェインズが主張する「意識の誕生」と同時期である。私の昂奮が一気に高まったところで、きちんと引用しているのはさすがである。安田登はここから「心」(しん)と「命」(めい)に切り込む。

 認知革命から意識の誕生まで数万年を要している。自由と権利の獲得を自我の証と考えれば、自我の誕生はデカルトの『方法序説』(1637年)からイギリス市民革命(清教徒革命名誉革命/17世紀)~フランス革命(18世紀)の国民国家誕生までが起源となろう。ゲーテ著『若きウェルテルの悩み』が刊行されたのもこの頃(1774年)で人類における恋愛革命と言ってよい。すなわち自我は政治と恋愛において尖鋭化したのである。

2019-05-12

神経系は閉回路/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 言い換えればこうなる。私たちに物が見えるのは、そもそも網膜からのメッセージ(これからしてすでに、たんに網膜が感知した光以上のもの)を受け取ったからではない。外界からのデータを内的活動と内部モデルに結びつけるための、広範囲にわたる内的処理の結果だ。しかし、こう要約すると、二人の主張が正しく伝わらない。実際には、マトゥラーナヴァレーラは、外界から何かが入ってくることをいっさい認めていない。全体が閉回路だと二人は言う。神経系は環境から情報を収集しない。神経系は自己調節機能の持つ一つの完結したまとまりであって、そこには内側も外側もなく、ただ生存を確実にするために、印象と表出――つまり感覚と行動――との間の整合性の保持が図られているだけ、というわけだ。これはかなり過激な認識論だ。おまけに二人は、この見解自体を閉鎖系と位置づけている。とくにマトゥラーナは、認識論に見られる数千年の思想の系譜と自説の関連について議論するのを、断固拒絶することでよく知られている。完璧な理論に行き着いたのだがから、問答は無用という理屈だ。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

 ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・バレーラはオートポイエーシス理論(1973年)の提唱者である。

「神経系は閉回路」であるとの指摘は、「世界は五感の中に存在する」という私の持論と親和性がある。閉回路と言い切ってしまうところが凄い。例えるなら池が私であり池に映った映像が世界である。映像は池そのものに接触も干渉もしない。つまり閉回路である。と言ってしまうほど簡単なものではない。

 私の乏しい知識と浅い理解で説明を試みるならば、まず宇宙が膨張しているのか静止しているのかという問題があって、そこからエントロピーに進み、どうして生物はエントロピーに逆らっているのかという疑問が生まれ、散逸系というアイディアが示され、自己組織化に決着がつくと思われたまさにその時、オートポイエーシス論が卓袱台(ちゃぶだい)を引っくり返したわけである。

 個人的には科学が唯識に追いついた瞬間を見た思いがする。人生は一人称である。縁起という関係性はあっても因果は自分持ちだ。

「私」は閉鎖系である。コミュニケーションというのは多分錯覚で実際は「自分の反応が豊かになる」ことを意味しているのだろう。人が人を理解することはない。ただ同調する生命の波長があるのだろう。ハーモニーは一つであっても歌う人がそれぞれ存在する状態を思えばわかりやすいだろう。違和感を覚えるのは音程やスピードが合わないためだ。

 私があなたの手を握ったとする。物理学的に見れば手と手は触れ合ってはいない。これは殴ったとしても同様である。必ず隙間がある。もしも隙間がなかったら私とあなたの手は合体するはずである。厳密に言えば「握られた圧力を脳が感じている」だけなのだ。つまり私とあなたが一つになることはない。

 これからヒトが群れとして進化するならば必ず「識の変容」があるはずだ。その時言葉を超えたコミュニケーションが可能となる。

2018-11-12

無意識に届かぬ言葉/『精神のあとをたずねて』竹山道雄


『昭和の精神史』竹山道雄
『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
『見て,感じて,考える』竹山道雄
『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
『ビルマの竪琴』竹山道雄
『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
『歴史的意識について』竹山道雄
『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘

 ・無意識に届かぬ言葉

『時流に反して』竹山道雄
『みじかい命』竹山道雄

竹山道雄著作リスト

     目 次

 あしおと
 思い出
 抵抗と妥協
 誘われたがっている女
「ビルマの竪琴」ができるまで
 二十歳のエチュード
 文章と言葉
 砧
 ベナレスのほとり
 印度の仏跡をたずねて

  あとがき



 どういうわけか、われわれの記憶の中では、生活の中のふとした瑣末(さまつ)なことが静かな印象になって刻みこまれて、それが年を経ると共にますますはっきりとしてきます。それが生涯のあちらこちらに散らばって、モザイクの石のように浮きだしています。あるとき見た、とくに何ということのない風景のたたずまい、人が立っている様子、話している相手の顔にちらとさした翳(かげ)、「ああ、この人は自分を愛している」とか「裏切っている」とか思いながらそのままに消えてしまう感情のもつれ……。こんなものがわれわれの心の底に沈んで巣くっているのですが、それを他人につたえようはありません。他人に話すことができるのは、もっとまとまった筋のたった事件ですが、それは理屈をまぜて整理し構成したものです。そういうものでないと、われわれは言いたいことも言えないのです。

【『精神のあとをたずねて』竹山道雄(実業之日本社、1955年)】

「無意識」の一言をかくも豊かに綴る文学性がしなやかな動きで心に迫ってくる。難しい言葉は一つもない。押しつけや説得も見当たらない。ただ淡々と心の中に流れる川を見つめているような文章である。

 言葉は無意識領域に届かないのだ。ここに近代合理性の陥穽(かんせい)がある。人間には「理窟ではわかるが心がそれを認めない」といった情況が珍しくない。特に我々日本人は理窟を軽んじて事実や現状に引っ張られる傾向が強い。形而上学(哲学)が発達しなかったのもそのためだろう。大人が若者に対して「理窟を言うな」と叱ることが昔はよくあった。

「構成」というキーワードが光を放っている。睡眠中に見る夢はことごとく断片情報に過ぎないが、これらを目が覚めてから構成して一つの物語を形成する。ところが竹山の指摘は我々の日常や人生全般が「印象に基づいた構成である」ことを示すものだ。記憶は歪み、自分を偽る。感情は細部に宿り、一つの事実が人の数だけ異なるストーリーを生んでゆくのだ。

 ここで私の持論が頭をもたげる。「悟りを言葉にすることは可能だろうか?」と。「それは理屈をまぜて整理し構成したものです」――教義もまた。だとすれば宗教という宗教がテキストに縛られている姿がいささか滑稽(こっけい)に見えてくる。

 言葉は人類が理解し合うための道具であろう。道具を真理と位置づけて理解し合うことを忘れれば言葉は人々を分断する方向へと走り出すに違いない。宗派性・党派性に基づく言葉を見よ。彼らは相手を貶め、支持者を奪い合うことしか考えていない。かくも言葉は無残になり得る。

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実業之日本社
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2017-11-19

人間の知覚はすべて錯覚/『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ


『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』アントニオ・R・ダマシオ:田中三彦訳
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』レナード・ムロディナウ
『感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性』高橋昌一郎

 ・人間の知覚はすべて錯覚

必読書リスト その五

 哲学者は何世紀ものあいだ、「現実」の正体について、および、わたしたちが経験している世界は現実なのか幻影なのかという問題について論じてきた。しかし現代の神経科学によれば、人間の知覚はある意味、すべて錯覚とみなすべきだという。わたしたちは、知覚による生データを処理して解釈することで、この世界を関節的にしか認識しない。その作業は無意識による処理がやってくれていて、それによってこの世界のモデルがつくられている。あるいはカントが言うように、「物自体」と、それとは別に「わたしたちが知る物」が存在するのだ。
 たとえば、周囲を見回せば、自分は三次元空間を見ているという感覚を抱く。しかし、その三つの次元を直接感じ取っているのではない。網膜から送られた平坦な二次元のデータ配列を脳が読み取って、三次元の感覚をつくりだすのだ。無意識の心は映像をとてもうまく処理してくれるため、目のなかに映る映像を上下反転させる眼鏡をかけても、しばらくすると再び上下正しく見えるようになる。眼鏡を外すと再び世界が上下逆さまに見えるが、それもしばらくのあいだでしかない。このような処理がおこなわれているため、「私は椅子を見ている」という言葉は、実際には、「脳が椅子のメンタルモデルをつくりだした」という意味にほかならない。
 無意識は、知覚データを単に解釈するだけでなく、それを増幅する。増幅する必要があるということだが、それは、知覚から送られるデータがかなり質が悪く、使えるものにするには手を加えなければならないからだ。

【『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ:水谷淳〈みずたに・じゅん〉訳、茂木健一郎解説(ダイヤモンド社、2013年)】

 53歳から54歳になってわかったことだが中年期後半の疲労がジワジワとはっきりした形で生活に現れる。疲れは気力を奪う。そして激しい運動をすると体のあちこちに痛みが生じる。私の場合だとバドミントンで右ふくらはぎを立て続けに3回肉離れを起こし、よくなったと思ったら膝痛が抜けなくなった。もう4ヶ月ほど経つ。更に左手親指の付け根が内出血したまま痛みが引かない。こちらもひと月以上になる。

 というわけで今年は読書日記もままならず書評も思うように書けなかった。ついでと言っては何だが、2017年に読んだ本を振り返ってみよう。

 1位は文句なしで『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ。

 2位は『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ、『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー、そして本書が拮抗している。

 続いて『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』スティーブン・ジョンソン、『人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探険する』マーク・ミーオドヴニク、あたりか。

 その次に、『春宵十話』岡潔、『群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序』郡司ぺギオ-幸夫、『日本教の社会学』小室直樹、山本七平、『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア。

 武田邦彦が以前こう語った。「工学の世界はある程度のレベルに達すると女性がついてこれなくなる。そして更に高いレベルになると韓国人や中国人の男性もついてこれなくなる。世界を見渡すと工学の世界で通用するのは自動車産業が強いアメリカ人、ドイツ人、日本人に絞られる」。もちろん一般論として語ったものであるが「言われてみればそうだな」と私は思った。後で知ったのだがイギリスは産業革命以降、木材の工作機械までは世界をリードしていたが、鉄鋼の工作機械においてアメリカに水を開けられた(『「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》』橋本毅彦〈はしもと・たけひこ〉)。マザーマシンとしての工作機械(機械の部品を作る工作機械)の分野はドイツと日本が世界を席巻している。また3ヶ国は戦争に強い共通点も見逃せない。

 日本語については言語環境の優位性を挙げることができよう。日本語は特殊な言語であるが世界の知が翻訳されており、別段英語を学ぶ必要がないと言われるほどである。たぶん250年余りに渡る鎖国の反動が今尚続いているのだろう。

 だが、1位や2位に挙げた本を読んでいるうちに一つの疑問が湧いてきた。「果たして日本人にこれほどの内容を書ける者がいるだろうか?」と。そして「文字禍」中島敦の書評を書きながら、「日本人は俳句や短歌に代表される文学性で勝負するしかなさそうだ」と思うにまで至った。

 武田の言葉が正しいとすればそれは能力の問題ではない。きっと教育環境の劣悪さが彼我の差を生んでいるのだ。

 認知科学が面白いのは人の数だけ世界があることが示されているためだ。仏教用語の世間とは差別・区別の謂(いい)である。それをレナード・ムロディナウは「世界とは個々人の脳が五感情報をモデル化したもの」と表現する。つまり文字通り「あなたは世界」(クリシュナムルティ)なのだ。

しらずしらず――あなたの9割を支配する「無意識」を科学する
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2016-06-18

『イーリアス』に意識はなかった/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

 しかし、人間の進化は単純な直線をたどってきたのではない。人類の歴史をひともくと、紀元前3000年頃にひときわ目を引く不思議な慣習が登場する。話し言葉を変容させて、石や粘土板、パピルス(もしくは紙)に小さな印を使って記すようになったのだ、このおかげで、耳で聞くことしかできなかった話し言葉は、目に見えるものともなった。それも、そのとき聞こえる範囲にいた者だけでなく、万人のものとなった。

【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2005年)以下同】

イエスの復活~夢で見ることと現実とは同格/『サバイバル宗教論』佐藤優

 人類の脳は約240万年前に巨大化した。言葉が生まれた時期については不明だが、7万5000年前には使用されていた証拠があるという(『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠)。近代における情報革命は活版印刷(1455年)~カメラ-写真(1827年)~電信(1830年代)・電話(1876年)~映画(1895年:リュミエール兄弟ラ・シオタ駅への列車の到着』)と花開く。


 その後はラジオ(1906年)、テレビ(1926年)~インターネット(1969年)と続く。尚、カメラ以降の背景にはアレッサンドラ・ボルタによるボルタ電池の発明(1800年)を始めとする電気革命があった。彼の名に因(ちな)んで電圧を「ボルト」と呼ぶ。

アゴ弱り脳膨らむ、遺伝子レベルで裏付け…米チーム

 人類の脳が大きくなった原因につながる遺伝子を、米ペンシルベニア大などの研究チームが突き止め、25日付の英科学誌「ネイチャー」に発表する。この遺伝子は本来、類人猿の強じんなアゴの筋肉を作る働きがあったが、人類では偶然、約240万年前に機能を喪失。このため、アゴの筋肉で縛りつけられていた頭の骨が自由になり、脳が大型化するのを可能にしたらしい。
 人類は、約250万-200万年前に猿人から原人へ進化し、脳は大きさが猿人の2倍程度になったとされる。今回の遺伝子が機能を失ったのは約240万年前と推定され、原人への進化時期と一致する。
 これまでの化石研究などから、頭の骨が膨らんだのは、頭頂部に近い所から続いていた猿人のアゴの筋肉が弱くなり、解放されたためではないかと考えられていたが、この進化過程を遺伝子レベルで裏付ける証拠が見つかったのは初めて。
 チンパンジーやゴリラは今も、この遺伝子が働いていて、アゴの筋肉が頭部を広く覆っている。人類は原人に進化した段階で、硬い木の実に加え、軟らかい肉なども食べるようになり、アゴの筋肉の退化も不利にならなかったようだ。
 斎藤成也・国立遺伝学研究所教授の話「化石で見られる頭骨の形の変化を、遺伝子レベルで突き止めた成果で興味深い。遺伝子から人類進化を明かす研究はますます活発化するはずだ」

◆人類の脳の進化=約700万-600万年前に誕生した猿人の脳容量は350-500cc程度だったが、現生人類では約1400cにまで大きくなった。脳の大きさを制限していたアゴの筋肉の減少に加え、二足歩行で自由になった両手を使うことで、脳の発達が促されたとする説もある。

【YOMIURI ONLINE 2004年3月25日】

 487万年前±23万年に猿人が直立二足歩行を開始する。約260万年前には石器が使用される(『火の賜物 ヒトは料理で進化した』リチャード・ランガム)。脳の大型化は直後の約240万年前である(地球史年表:1000万年前-100万年前)。火の使用を始めた時期については判明していない(初期のヒト属による火の利用)。240万年前から使用したと考えてもよさそうなものだ。火がなければ肉食獣の攻撃を防ぐことはできなかったはずだ。調理同様、言葉もまた炉辺(ろへん)から生まれたと考えられている。

昆虫食が人類の脳の大型化に貢献した、ワシントン大セントルイス


 文字の歴史についてもまだまだ判明していないことが多い。現在、最古とされているのはメソポタミアの楔形(くさびがた)文字とエジプトのヒエログリフである(紀元前3200年頃)。

 言葉は空間を超えて複数の人々とのコミュニケーションを可能にし、文字は時間を超えたコミュニケーションを実現した。文字の発明は人間が歴史的存在になったことを意味する。

 私の仮説に関連して検討するにあたり、確実な翻訳が行なえる言葉で書かれた人類史上最初の著作は『イーリアス』だ。現代の研究では、血と汗と涙に彩られたこの復讐譚は、吟じ手(アオイドス)と呼ばれる吟遊詩人の伝統によって創り上げられたものと考えられ、その時期は、近年発見されたヒッタイト語の銘板から、作品の中に記された出来事が起こったと推定できる紀元前1230年頃から、作品が文字で記された紀元前900年頃ないし850年頃までの間ではないかとされている。本章では、この叙事詩をきわめて重要な心理学上の記録として取り上げることにする。そして、ここで投げかけるべき問いは『イーリアス』における心とは何か、だ。

 答えは、とても平静ではいられないほど興味をかき立てられるものだ。おしなべて、『イーリアス』には意識というものがない。


 とすると『イーリアス』は壁画であったのだろう。そこにはまだ「物語」がなかった。心は事実を解釈するに至っていなかった。つまり意識は存在しなかったのだ。



不確実性に耐える/『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』斎藤環解説、まんが水谷緑

2015-03-13

「我々は意識を持つ自動人形である」/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

 この説によれば、意識は何ら活動しておらず、実際、何もすることはできないという。ハーバート・スペンサー(訳注 1820-1903、イギリスの哲学者)は、厳密な進化論と矛盾しないためにはこのように意識を一段低く見るしかないとした。現実的な実験主義者の多くは今なお彼と意見を同じくしている。動物は進化し、その過程で神経系やその機械的反射作用の複雑性が増す。神経がある一定の複雑性に達すると、意識が生まれ、この世界の出来事をただ傍観者として眺めるだけの、救いのない行動を始めるというのだ。
 私たちの行動は、脳の配線図と、外界の刺激に対する反射作用とに完全に制御されている。意識は配線が出す熱であり、随伴的な現象にすぎない。シャドワース・ホジソン(訳注 1832-1912、イギリスの哲学者)が言うように、意識が持つ感情は、色そのものによってではなく、色のついた無数の石によってまとまりを保っている、モザイクの表面の色にすぎない。あるいは、トマス・ヘンリー・ハクスリー(訳注 1825-95、イギリスの生物学者)がある有名な論文で主張したように、「我々は意識を持つ自動人形である」。

【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2005年)】

 トマス・ヘンリー・ハクスリーは王立協会の会長を務めた人物で、オルダス・ハクスリーの祖父に当たる。彼もまたダーウィンの進化論を支持した。この文章は意識に対する様々な見解を紹介している件(くだり)なのだが、実は意識が「何であるのか」すらもわかっていない。

 ともすると意識を高等なものと考えがちだが、ただ単に意識という反応があるだけなのかもしれない。

 私は毎度書いている通り、「生とは反応である」との持論をもつゆえに異論はない。ただし教育と努力の可能性を考える必要があろう。

 チンパンジーの社会では力の強い者がボスとして君臨する。ボスが老いたり、弱ったりすれば若いオスがボスをこてんぱんにする。文字通り暴力が支配する世界だ。時には2位とそれ以下のチンパンジーが徒党を組んで襲うケースもある(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)。

 ヒトの場合ももちろん体が大きくて力の強い者が優位である。子供社会を見れば一目瞭然だ。しかしながらヒトの場合、努力で力に対抗し得る。例えば空手・柔道・システマなどを習えば、その【技術】によって生まれついた力の差を克服できるのだ。

 そして高度に発達した社会では力よりも知性の優れた者が後世に遺伝子をのこす確率が高まる。具体的には人々を動かす政治力であり、時には人を騙す能力となる。「嘘をつく」というのは知的に高度な行為であることを見逃してはなるまい。

 こう考えてみると、教育の本質が「技の獲得」にあることが見えてくる。

 西暦1700年か、あるいはさらに遅くまで、イギリスにはクラフト(技能)という言葉がなく、ミステリー(秘伝)なる言葉を使っていた。技能をもつ者はその秘密の保持を義務づけられ、技能は徒弟にならなければ手に入らなかった。手本によって示されるだけだった。

【『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー:上田惇生〈うえだ・あつお〉編訳(ダイヤモンド社、2000年)】

 近代の歴史とも見事に符合する。中世以降、宗教が後(おく)れをとったのもここに理由があると思われる。科学的視点を欠いた宗教は「秘伝」を重んじて、「技能」を軽視したのだろう。キリスト教においてはプロテスタントが登場するまで聖書すら「秘伝」であった。これまた16世紀の歴史である。

術とはアート/『言語表現法講義』加藤典洋

 そして中世に「マネー」が生まれた。

マネーと民主主義の密接な関係/『サヨナラ!操作された「お金と民主主義」 なるほど!「マネーの構造」がよーく分かった』天野統康

 もちろん貨幣経済は古くから存在したが信用創造という概念はなかった。ユダヤ人の金貸しが発行した預り証が紙幣の原型であり、彼らは更に為替・証券・債権を誕生させ、銀行・保険・株式会社をつくり上げる。

 資本主義は資本がすべてであり、あらゆるものが商品化されるシステムだ。欲望まみれの社会で生き残るのはカネを掴んだ者だ。幸福は金額と化す。我々の生き方や脳はマネーに支配されている。マネーこそは中世以降、完全に世界を征服した宗教といっても過言ではない。単なる約束事であるにもかかわらず、誰もがその存在と価値を信じ込んで疑うことがないのだから。

 現代社会はマネーに対する反応で動いている。そしてグローバリゼーションという名の下で、明らかに経済が政治よりも優位性を強めている。多国籍企業が持つ力は既に国家を凌駕しつつある。

資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン

「意識を持つ自動人形」をやめることは可能だろうか? 極めて困難だ。我々が小説や映画やドラマ、漫画などを好むのは、「感情を操られたい」願望がある証拠だろう。学校や企業では「自動」の速度や合理化を競っている節すら窺える。

 ではどうするのか? 「止まる」ことだ。動くのをやめて止まればいい。そして心の動きまで止めてしまう。これを止観(しかん)という。そう。瞑想だ。本当に生きるためには死の淵まで降りる必要がある。瞑想は時間を止める行為でもある。三昧に至れば欲望は洗い落とされる。ま、至っていない私が言うのも何だが。


あたかも一角の犀そっくりになって/『スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳

2015-03-11

認識と存在/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

 何世紀にもわたって人々は考察と実験を重ね、時代によって「精神」と「物質」、「主体」と「客体」、「魂」と「体」などと呼ばれた二つの想像上の存在を結びつけようと試み、意識の流れや状態、内容にかかわる果てしない論考を行ない、様々な用語を区別してきた。そうした用語には「直観」(訳注 論証を用いないで対象を一挙に捉えること)、「センス・データ」(訳注 感覚を通じて意識に上るもの。イギリスの哲学者ジョージ・ムーアや同じくイギリスの哲学者バートランド・ラッセルの用語)、「所与」(訳注 外界から直接与えられるもの)、「生(なま)の感覚」(訳注 経験そのものから受ける主観的な感覚)、「センサ」(訳注 感覚のこと。イギリスの哲学者C・D・ブロードの造語)、「表象」(訳注 頭の中に現れる外的対象の像)、「構成主義者」(訳注 ドイツの心理学者ヴィルヘルム・ヴントなど)の内観における「感覚」や「心像」や「情緒」、科学的実証主義者(訳注 フランスの哲学者オーギュスト・コントなど)の「実証データ」、「現象的場」(訳注 アメリカの心理学者カール・ロジャース(ママ)が唱えた経験の主観的現実)、トマス・ホッブズ(訳注 1588-1679、イギリスの政治思想学者)の「幻影」(訳注 ホッブズは著書『リヴァイアサン』の中で、人が眠っていると気づかずに見る幻や幻影の話をしている)、イマヌエル・カント(訳注 1724-1804、ドイツの哲学者)の「現象」(訳注 カントは、私たちが経験するのは物ではなくその現象であるとし、現象に客観的現実を認めようとした)、観念論者の「仮象」(訳注 ドイツ観念論の頂点に立つ哲学者W・F・ヘーゲルは、カントの主観的な仮象と客観的な現象の二分法を退け、仮象も本質の現れであるとした)、エルンスト・マッハ(訳注 1838-1916、オーストリアの物理学者、哲学者)の「感性的諸要素」(訳注 マッハは、世界は色や音などの感覚的諸要素から成り立っていると考えた)、チャールズ・サンダース・パース(訳注 1839-1914、アメリカの論理学者)の「ファネロン」(訳注 パースの造語で、現象を意味する)、ギルバート・ライル(訳注 1900-76、イギリスの哲学者)の「カテゴリー・ミステイク」(訳注 ライルは、別のカテゴリーに属するものを同等に論ずることはできないとした)などがある。しかし、これらすべてをもってしても、意識の問題はいまだに解決されていない。この問題にまつわる何かが解決されることを拒み、しつこくつきまとってくる。
 どうしても消え去らぬのは差異だ。それは他者が見ている私たちと、私たち自身の内的自己観やそれを支える深い感覚との差異、あるいは、共有された行動の世界にいる「あなたや私」と、思考の対象となる事物の定めようのない在りかの差異だ。

【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2005年)】

 哲学の世界では近代から現代にかけて「認識論から存在論へ」という流れがあり、第一哲学へと回帰した。ところが1990年代に花開いた脳科学からは認知科学が実を結び、心理学もこれを追随している。

「『在る』とはどういうことか?」とパルメニデス(紀元前500年か紀元前475年-?)は考えた。「万物は流転する」(ヘラクレイトス)。変化するものを「在る」とすることはできない。彼はそう考えた。まったく厄介なことを考えたものだ。そこからイデアや創造神に向かうのは必定である。「在るものがあるはずだ」ってなことだ。

 仏教において人間の存在は五蘊(ごうん/色・受・想・行・識)という要素が構成するものとして見る。考えるのではない。見るのだ。色蘊(しきうん)は肉体、受・想・行・識はそれぞれ、感受・表象・意志・認識作用を意味する。自我を構成するのは五蘊であり、更に深く潜ると無我に至る。そして世界は無常を奏でる。一生という限られた時間の運動は認識に極まる(唯識)。ということは何もないのか? いや、ある。縁起という関係性があるのだ。

 西洋哲学が存在に固執するのは神(≒自我)への愛着から離れることができないためだろう。言葉をこねくり回して難しさを競うよりも、素直に仏教を学ぶべきだ。

2014-08-07

唯識における意識/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ


『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫

 ・手引き
 ・唯識における意識
 ・認識と存在
 ・「我々は意識を持つ自動人形である」
 ・『イーリアス』に意識はなかった

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗

 この研究所の中心を成す考えの数々を初めて公に概説したのは、1969年9月にワシントンで行なった米国心理学会の招聘講演でのことだった。(プリンストン大学にて、1982年)

【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(原書、1976年/紀伊國屋書店、2005年)以下同】

宗教とは何か?」の順番で読むことが望ましい。副読本については「手引き」を参照せよ。

 当然ではあるが意識は宗教と歴史の発生に深く関わっている。ジュリアン・ジェインズの主張は実に刺激的だ。3000年前の人類に意識はなく左右の脳は分裂状態に置かれていた。当時の人類は右脳が発する神の声に従う自動人形であった。そして脳が統合され意識が誕生する。と同時に神の声は聞こえなくなった――というもの。つまり人類全体が統合失調症だったわけだ。

 とすると宗教は右脳から生まれ、左脳で教義に置き換えられたと考えることが可能だ。しかし悟りは論理ではない。牽強付会を恐れず申せば教義(論理)から悟りに至ることは不可能だ。

 ジュリアン・レインズはゾウリムシが学習できるのであれば意識があるに違いないと考えていた。この思い込みの誤りに気づいたのは数年後のことだった。

 その理由は、言わばある大きな歴史上の強迫観念の存在にある。心理学にはこうした強迫観念が多い。心理学を考える上で科学史が欠かせぬ理由の一つは、それがこうした知性の混乱から逃れ、それを乗り越える唯一の方法だということだ。18世紀から19世紀にかけて心理学の一学派を成した連合主義(訳注 あらゆる心理現象を刺激と反応の関係で説明しようとする考え方)は、あまりにも魅力的に提示された上に、高名な学者多数に擁護されていたため、この学派の基本的な誤りが一般の人びとの考え方や言葉にまで浸透してしまった。当時ばかりか今なお残るその誤りとは、意識は感覚や観念などの要素が占める実際の空間であるという考え方、そして、これらの要素は互いに似通っていたり、同時に起きるように外界によって設定さていたりするから、これらの要素間の連合こそ学習であり、心であるという考え方だ。こうして、学習と意識は混同され、曖昧極まりない「経験」という用語と同一視されるようになった。

 著者は「学習の起源と意識の起源は異なる」としている。私の「人生とは反応の異名である」という考え方は連合主義と同じだったのね。

 唯識だと五感を統合するのが意識で、自我意識は末那識と立て分ける。認識作用を中心に展開しているため学習と意識という対比はない。学習はむしろ十界論の声聞界・縁覚界として捉えるべきだろう。

 統一された脳から論理が生み出され、正義と不正の概念から意識が芽生えたのかもしれない。我々は一日の大半を無意識で過ごしている。意識的になるのは社会的な場面で自分の権利に関わる時であろう。



サードマン現象は右脳で起こる/『サードマン 奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー
脳神経科学本の傑作/『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
戦後に広まった新興宗教の秀逸なルポ/『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎
ワクワク教/『未来は、えらべる!』バシャール、本田健

2010-05-01

論理の限界/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 人は自転車に乗れるが、どうやって乗っているのかは説明できない。書くことはできるが、どうやって書いているのかを書きながら解説することはできない。楽器は演奏できても、うまくなればなるほど、いったい何をどうしているのか説明するのが困難になる。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

「論理の限界」、「言葉の限界」を見事に言い当てている。固有の経験を論理化することはできない。人間が持つコミュニケーション能力は無限の言葉でそれを相手に伝えようとしてきた。哲学がわかりにくいのは経験を伴っていないためであろう。ただ、思考をこねくり回しているだけだ。一人の先達の「悟り」を言葉にしたのが宗教であった。とすれば、教義という言葉の中に悟りは存在しないことになる。そこで修行が重んじられるわけだが、今度はスタイルだけが形式化されて内実が失われてしまう。

 もっとわかりやすくしてみよう。例えば自転車を知らない人々に「自転車に乗る経験」を伝えることが果たして可能だろうか? ブッダやクリシュナムルティが伝えようとしたのは多分そういうことなのだ。



脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン

2009-05-01

外情報/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 世界一短い手紙(※正確には電報)はヴィクトル・ユゴーが書いたもので、「?」だけが記されていた。これに対する出版社の返事が振るっていて「!」のみ。発売されたばかりの『レ・ミゼラブル』の売れ行きをユゴーが尋ね、出版社が「売れ行き良好」と答えたもの。まさに阿吽(あうん)の呼吸だ。

 トール・ノーレットランダーシュは、意図的に省略された情報を〈外情報〉と名づける――

 ユゴーが書いた疑問符は、明白な形で情報を処分した結果だ。もっとも、ただの処分とは違う。彼はたんに全部忘れてしまったのではない。処分した情報を明確に指し示した。しかし、通信文という観点に立てば、その情報はやはり捨てられてしまっている。本書では、この明白な形で処分された情報を〈外情報〉と呼ぶことにしよう。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)以下同】

 で、〈外情報〉にはどのような効果があるのか――

 多くの〈外情報〉を含んだメッセージには深さがある。ある人が最終的なメッセージを作り上げる過程で、意識にある大量の情報を処分し、メッセージから排除すれば、そこには〈外情報〉が生まれる。メッセージの情報量からだけでは、そのメッセージがどれだけの〈外情報〉を伴っているかはわからない。メッセージのコンテクストを理解して初めてそれがわかる。送り手は自分の頭にある情報を指し示すように、メッセージの情報を作り上げる。

 こうなると、情報というよりは言葉の本源に関わってくる問題だ。つまり、我々は日常において言語を介して意思の疎通を図っているが、言語に対するイメージは人によって微妙に異なる。同じということはあり得ない。とすれば、ここに言葉の詐術がある。

 人が心の底から感動した時、「言葉にならない」と言う。本来、情感というものは言葉では表現し尽くせないものだ。それを、相手に何とか伝えようとして我々は言葉を駆使し、声に抑揚をつけ、目を丸くし、身振り手振りを交えて――つまり、身体的な言語をも活用して――表現するのだ。

 結局、意図的に言葉を省略することで、「言葉にならない思い」がメッセージとして放たれるわけだ。「見つめ合う恋人同士」に言葉は不要であろう。ま、数ヶ月もすれば互いに言葉尻を捉えて喧嘩するようになるんだけどさ。

 ここで聞き手に求められるのは、コンテクスト(文脈)を読み解く能力だ。心の深い人物は、おしなべて「声なき声」をすくい取ることができる。本当に耳を澄ませば、小さなため息一つからでも相手の悩みを感じ取ることはできる。

 コミュニケーションの上手な人は自分のことばかり考えたりしない。相手の頭に何があるかも考える。相手に送る情報が、送り手の頭にある何らかの情報を指し示していても、どうにかして受け手に正しい連想を引き起こさせなければ、それは明確さという点で十分とは言えない。情報伝達の目的は、送った情報に込められた〈外情報〉を通して、送り手の心の状態に相通ずる状態を、受け手の心に呼び起こすことだ。情報を送るときには、送り手の頭にある〈外情報〉に関連した何らかの内面的な情報が、受け手の心にもなければならない。伝えられた情報は、受け手に何かを連想させなければならない。

 一読すると、「フーン」以上、で終わりかねないが、実は凄いことを言っている。飯嶋和一著『汝ふたたび故郷へ帰れず』(河出書房新社、1989年)を読んで私は悟った。北朝鮮から帰ってきた曽我ひとみさんが、新潟で父上と再会した際のやり取りなんかが、まさにそうだ。

 仏法ではそれを「念」と名づけた。そして、今この瞬間の思いを「一念」と称し、三千の世間(※本質的な差異との意)を内包していると説かれている(一念三千)。

 言葉を圧縮すれば、当然重みが増す。地球を半径2cmまでに圧縮すれば、ブラックホールが出来上がる(ブライアン・グリーン著『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』草思社、2001年)ように。格言や名言が心に響くのも、省略された情報が多いためだと理解できる。そして、〈外情報〉が豊富になればなるほど、メッセージの抽象度は高くなってゆくのだ。



飯島和一作品の外情報

2009-02-16

論理ではなく無意識が行動を支えている/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 意識と無意識のわかりやすい例え――

 人は自転車に乗れるが、どうやって乗っているのかは説明できない。書くことはできるが、どうやって書いているのかを書きながら解説することはできない。楽器は演奏できても、うまくなればなるほど、いったい何をどうしているのか説明するのが困難になる。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

 それまではできなかったことができるようになると、脳内ではシナプスが新しい回路を形成する。この回路が滑らかに作動すると、我々は無意識でそれができるようになる。

 自動車の運転もそうだ。教習所に通っているうちは、「まずエンジンをかけて、それからブレーキペダルを踏んで……」などと頭で考えている。だが免許を取得して運転に慣れてしまえば、全く何も考えることなくラジオに耳を傾け、同乗者と会話しながら運転ができるようになっている。

 そのことを「言葉で説明できない」と指摘するところがトール・ノーレットランダーシュの凄いところ。意識を支えているのが無意識であることが明らか。無意識は言葉にできない。それでも我々は、言葉を交わしながら互いの無意識を感じ取っているのだ。

 きっと無意識は、善悪が混沌としてスープのように煮えたぎっている世界なのだろう。これをコントロールすることは可能なのだろうか? 多分可能なのだろう。無意識が意識を形成し、意識が行為に至る。そして今度は、行為がフィードバックされて意識から無意識へと通じる回路があるはずだ。それをブッダは「業(ごう=行為)」と呼んだ。善男善女よ、善行に励め。



言語も及ばぬ意識下の世界/『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・シトーウィック

2008-12-03

対話とはイマジネーションの共有/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 第2部のコミュニケーション論より。

 コミュニケーションの上手な人は自分のことばかり考えたりしない。相手の頭に何があるかも考える。相手に送る情報が、送り手の頭にある何らかの情報を指し示していても、どうにかして受け手に正しい連想を引き起こさせなければ、それは明確さという点で十分とは言えない。情報伝達の目的は、送った情報に込められた〈外情報〉を通して、送り手の心の状態に相通ずる状態を、受け手の心に呼び起こすことだ。情報を送るときには、送り手の頭にある〈外情報〉に関連した何らかの内面的な情報が、受け手の心にもなければならない。伝えられた情報は、受け手に何かを連想させなければならない。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

「外情報」とは、トール・ノーレットランダーシュ独自の言葉で、意図的に割愛された情報という意味。多くの外情報があればあるほど、言葉のメッセージ性は深まるとしている。情報の余力といっていいだろう。あるいは奥座敷。

 言葉というものは大変便利であるが、自分が何かを話す時には単なる道具と化す。例えば、友人とレストランへ行ったとしよう。二人で口を揃えて「美味しい」と絶賛しても、言葉の内容は異なっているはずだ。また逆から考えてみれば、もっとわかりやすい。いかに美味なるご馳走であっても、それを言葉で表現するには限界がある。結局、「お前も一度食べてみろ」ってな結果となりやすい。なぜか? 感動が伝わらないからだ。

 わかり合えないからこそ、わかり合う努力が必要となる。だから人は意を尽くし、言葉を尽くす。それどころか、マルコム・グラッドウェルの『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』(旧題『ティッピング・ポイント』)によれば、会話をしている人間同士は微妙なバイブレーションを起こしていて、ダンスを踊っている事実が検証されている。

 確かに、対話とはイマジネーションの共有といえそうだ。豊かな言葉と表現力と共に、「外情報」を増やすという奥床しさを説いているのが斬新。「理解し合える」ことは、ある種の「悟り」に近いものだと私は考えている。



飯島和一作品の外情報
コミュニケーションの第一原理/『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー
死線を越えたコミュニケーション/『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
コミュニケーションの可能性/『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子

2008-11-09

嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

「嘘つきのパラドックス」は「自己言及のパラドックス」ともいう。

「私は嘘をついている」――この言葉、嘘つきのパラドックスは、何千年にもわたってヨーロッパの思索者たちを悩ませてきた。この言葉は、もし正しければ偽りになり、偽りなら正しくなる。自分が嘘をついていると主張する嘘つきは、真実を語っていることになるし、逆に、彼が嘘をついているのなら、そう主張したときには嘘をついていないことになってしまう。このパラドックスを特化させたものはいくらでもあるが、根本はみな同じで、自己言及は問題を来たすのだ。これは「私は嘘をついている」という主張にもあてはまるし、「有限の数の語句では定義できない数」という定義にもあてはまる。そうしたパラドックスは、じつに忌まわしい。その一つに、いわゆる〈リシャールのパラドックス〉という、数の不加算性にまつわるものがある。
 ゲーデルは、そうしたパラドックス(哲学者のお好みの言葉を使えば「二律背反」)を彷彿とさせる命題を研究することで、数学的論理の望みを断ち切った。1931年に発表された論文に、非数学的表現を使った文章は非常に少ないが、その一つにこうある。「この議論は、いやがおうにもリシャールのパラドックスを思い起こさせる。嘘つきのパラドックスとも密接な関係がある」ゲーデルが独創的だったのは、「私は証明されえない」という主張をしてみたことだ。もしこの主張が正しければ、証明のしようがない。もし偽りならば、この主張も立証できるはずだ。ところがこの主張が証明できてしまうと、主張の内容と矛盾する。つまり、偽りの事柄を立証してしまったことになる。この主張が正しいのは、唯一、それが証明不可能なときだけだ。これでは数学的論理は形無しだが、それは、これがパラドックスや矛盾だからではない。じつは、問題はこの「私は証明されえない」という主張が正しい点にある。これは、私たちには証明のしようのない真理が存在するということだ。数学的な証明や論理的な証明では到達しえない真理があるのだ。
 ゲーデルの証明をおおざっぱに言うとそうなる。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

 ゲーデルの不完全性定理については、以下のページがわかりやすい――

不完全性定理 - 哲学的な何か、あと科学とか

 第1不完全性原理「ある矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する」

 第2不完全性原理「ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない」

 ということは、だ。もし全知全能の神がいるとすれば、それは神が創った世界の外側からしか証明できないってことになる。それでも、ゲーデルは神の実在を証明しようとはしていたんだけどね。

 これは凄いよ。デジタルコンピュータが二進法で動いていることを踏まえると、数学は「置き換え可能な言語」と考えられる。そこに限界があるというのだから、人間の思考の限界を示したも同然だ。早速、今日から考えることをやめようと思う。エ? ああ、その通りだよ。元々あまり考える方ではない。

 ただし、ゲーデルの不完全性定理は、「閉ざされた体系」を想定していることに注目する必要がある。これを、「開かれた体系」にして相互作用を働かせれば、双方の別世界から矛盾を解決することも可能になりそうな気がしないでもないわけでもなくはないとすることもない(←語尾を不明確にしただけだ)。【※これは私の完全な記述ミスで「開かれた系」は系ではない。システムは閉じてこそ世界が形成されるからだ。例えば人体が開かれているとすれば、それはシャム双生児のようになってしまう。同じ勘違いをする人のために、この文章は敢えてそのままにしておく。 2010年9月3日】

 だけどさ、不完全だから面白いんだよね。物質やエネルギーを見ても完全なものなんてないしさ。大体、完全なものがあったとしても、時を経れば劣化してゆくことは避けようがない。成住壊空(じょうじゅうえくう)だわな。

「私たちには証明のしようのない真理が存在する」――そうなら、ますます生きるのが楽しみになってくるよ。科学も文明も宗教も、まだまだ発展する余地があるってことだもんね。



アルゴリズムとは/『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ

2008-10-26

ポーカーにおける確率とエントロピー/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 トール・ノーレットランダーシュは、実に巧みな表現で科学の世界を明かしてくれる。前回紹介した「ボルツマン」もそうだが、簡にして要を得た言葉がスッと頭に入ってくる。「通る・脳烈人乱打手」という名前を進呈したい。

 で、今回はこれまた絶妙な比喩で、マクロとミクロ、そしてエントロピーを説明している。

 ポーカーは格好の例となる。トランプが一組あるとしよう。買ったときには、そのトランプは非常に特殊なマクロ状態にある。一枚一枚のカードがマークと数に従って並んでいる。このマクロ状態に呼応するミクロ状態は、たった一つしかない。工場から出荷されたときの順で全部のカードが並んでいるというミクロ状態だ。しかし、ゲームを始める前にカードを切らなければならない。順番がばらばらになっても、マクロ状態は相変わらず一つしかない(切ったトランプというマクロ状態だ)が、このマクロ状態に呼応するミクロ状態は数限りなくある。カードを切ると、じつに様々な順番になるが、私たちにはとてもそれを全部表現するだけのエネルギーはない。だから、たんに、切ったトランプと言う。
 ポーカーを始めるときには、一人一人のプレーヤーに5枚のカード、いわゆる「手(持ち札)」が配られる。すると、今度はこの手が、プレーヤーが関心を向けるマクロ状態となる。5枚の組み合わせは多種多様だ。たとえば、数は連続していないが、5枚全部が同じマークという組み合わせ(フラッシュ)のように、似たもの同士のカードから成るマクロ状態もある。また、同じマークではないが、数が連続している組み合わせ(ストレート)というマクロ状態もある。ストレートには何通りもあるが、極端に多いわけではない。ストレートでない組み合わせのほうが、はるかに多い。(中略)
 確率とエントロピーには明らかに関係がある。ある「手」を作れるカードの数が多いほど、そういう手を配られる確率が高くなる。だから、「弱い手」(エントロピーの多い手)になりやすく、「強い手」(呼応するミクロ状態の数がとても少ないマクロ状態)は、なかなかできない。ポーカーの目的は、誰が最も低いエントロピーのマクロ状態を持っているかを決めることだ。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

「ポーカーの目的は、誰が最も低いエントロピーのマクロ状態を持っているかを決めることだ」――凄いよね。「これぞ科学的思考だ!」ってな感じ。麻雀や花札も同様だ。ただし、雀卓であなたが厳(おごそ)かにこの言葉を叫んだとしても、誰一人耳を貸さないことだろう。

 カードを何万回切っても、買った時のように数字とマークが順番で並ぶことはあり得ない。これが不可逆性を意味する。カードはどんどんバラバラになってゆく。これが拡散。熱エネルギーは一方向に拡散する。

 当然ではあるが、この後で「マックスウェルの魔物」「ゼノンのパラドックス」にも触れている。

2008-10-25

エントロピーを解明したボルツマン/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 私は本書のことを、「現代の経典」に位置すべき作品だ、と書いた。付箋を挟んだページを読み直し、膨大なテキストを書写したが、あながち間違っていないことが確認できた。そこで、がっぷり四つで取り組むことを決意した。こうした行動は過去に何度か試行されているが、その試行のいずれもが錯誤で終わっていることを明言しておく(『千日の瑠璃』→止まったまま、『ホロコースト産業  同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』→進行中、『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』→まだ端緒)。だが、時を逸してはなるまい。

 では一時限目は、エントロピーから始めよう。

 私は20代の頃に、都筑卓司著『マックスウェルの悪魔 確率から物理学へ』(ブルーバックス、1970年)を読んで以来、エントロピーを誤解し続けてきた。その意味で私にとっては悪書中の悪書といってよい。科学者の仕事は、科学的知識を散りばめて自分の信念を表明することである。そこに、思い込みや勘違い、はたまた誤謬(ごびゅう)や嘘が入り込む余地が大いにあるのだ。科学者だって「にんげんだもの みつを」だ。すなわち、科学者の一部、あるいは大半が「トンデモ野郎」ということだ(←言い過ぎだ)。

 早速、エントロピーを学ぼう。以下のページを読めば十分だ。

「エントロピー」=「乱雑さ具合」ではない

 これでも難しいという人は、次に挙げるテキストをマスターしてから臨んだほうがいいだろう。ニュートンからアインシュタインまでの流れ、そして量子力学&宇宙論、更に脳科学は、世界を読み解く上でどうしても不可欠となる。

『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!』佐藤勝彦
『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二

 で、ボルツマンだ――

 ボルツマンの発想は単純そのものだった。彼は、いわゆる〈巨視的(マクロ)状態〉と〈微視的(ミクロ)状態〉、つまり、物質の巨大な集合体の属性と、その物質の個々の構成要素の属性を区別したのだ。マクロ状態とは、温度、圧力、体積などだ。ミクロ状態とは、個々の構成要素の振る舞いの正確な記述から成る。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

 科学の世界も政治に支配されていることが、よくわかるだろう。人間が集まれば、必ず欲望と功名心と利害というパラメータが働く。そして、真理を証明する者は葬られるのだ。歴史は繰り返す。巡る因果は糸車、だ。

「神は細部に宿る」ことをボルツマンは立証した。だが、神はボルツマンを助けなかった。そんな神様があなたや私を助けるわけがないわな。



宗教とは何か?
物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
デカルト劇場と認知科学/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
無我/『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
脳神経科学本の傑作/『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
宗教学者の不勉強/『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道
人間は世界を幻のように見る/『歴史的意識について』竹山道雄