・『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス
・『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ
・『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』マット・リドレー
・“思いやり”も本能である
・他者の苦痛に対するラットの情動的反応
・「出る杭は打たれる」日本文化
・『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
・フランス・ドゥ・ヴァール「良識ある行動をとる動物たち」
・『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
・『ママ、最後の抱擁 わたしたちに動物の情動がわかるのか』フランス・ドゥ・ヴァール
・『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博
・必読書リスト その三
「本能」の定義が変わるかも知れない、と思わせる内容。取り上げられているのはチンパンジーとボノボ。同じ類人猿でも全く性格が異なっている。わかりやすく言えば、チンパンジーは暴力的な策略家で、ボノボはスケベな平和主義者。社会構造も違っていて、ボノボはメスが牛耳っている。
・動物の世界は力の強い者が君臨している。
・食べる目的以外で殺すのは人間だけ。
・動物は同種同士で殺すことはない。
・動物には時間の概念がない。
・動物は「会話する言葉」を持たない。
・快楽目的の性行為をするのは人間だけ。
これらは全て誤りだった。丸々一章を割いてボノボの大らかな性の営みについて書かれているが、まるでエロ本のようだ(笑)。ビックリしたのはディープキスもさることながら、オス同士でもメス同士でも日常的に性的な触れ合いがあるとのこと。
あまりの衝撃に翌日まで脳味噌が昂奮しっ放し(笑)。知的ショックは脳を活性化させる。読めば読むほど、「ヒト」はチンパンジーからさほど進化してないことを思い知らされる。ボノボはエッチだが、穏和なコミュニティを形成していて人間よりも上等だ。
メガトン級の衝撃は、「“思いやり”も本能である」という考察だ。我々が通常考えている「人間性=非動物的、あるいは非本能的」という図式がもろくも崩れる。全てはコミュニティを存続させるため=種の保存のための営みであることが明らかになる。
今世界は、米国というボスチンパンジーに支配されている。日本は自民党チンパンジーが支配し、大企業チンパンジーが後に続いている。ヒトがボノボに進化しない限り、滅亡は避けられない。そんな気にさせられる。
野生チンパンジーに対する先入観は、さらにくつがえされる(1970年代、日本人研究者によって)。それまでチンパンジーは、平和的な生きものだと思われており、一部の人類学者はそれを引きあいに出して、人間の攻撃性は後天的なものだと主張していた。だが、現実を無視できなくなるときがやってくる。まず、チンパンジーが小さいサルを捕まえて頭をかち割り、生きたまま食べる例が報告された。チンパンジーは肉食動物だったのだ。
【『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール:藤井留美訳(早川書房、2005年)以下同】
「ベートーヴェンエラー」とは、過程と結果はたがいに似ていなければならないという思い込みである。
完璧に構成されたベートーヴェンの音楽を聴いて、この作曲家がどんな部屋に住んでいたか当てられる人はいないだろう。暖房もろくにない彼のアパートメントは、よくぞここまで臭くて汚い部屋があると訪問者が驚くほどで、残飯や中身の入ったままの尿瓶、汚れた服が散乱し、2台のピアノもほこりと紙切れに埋まっていた。ベートーヴェン本人も身なりにまったくかまわず、浮浪者とまちがわれて逮捕されたこともある。そんなブタ小屋みたいな部屋で、精緻なソナタや壮大なピアノ協奏曲など書けるはずがない? いや、そんなことは誰も言わない。なぜなら、ぞっとするような状況から、真にすばらしいものが生まれうることを私たちは知っているからだ。つまり過程と結果は、まったくの別物なのである。
2対1という構図は、チンパンジーの権力闘争を多彩なものにすると同時に、危険なものにもしている。ここで鍵を握るのは同盟だ。チンパンジー社会では、一頭のオスが単独支配することはまずない。あったとしても、すぐに集団ぐるみで引きずりおろされるから、長続きはしない。チンパンジーは同盟関係をつくるのがとても巧みなので、自分の地位を強化するだけでなく、集団に受けいれてもらうためにも、リーダーは同盟者を必要とする。トップに立つ者は、支配者としての力を誇示しつつも、支援者を満足させ、大がかりな反抗を未然に防がなくてはならない。どこかで聞いたような話だが、それもそのはず人間の政治もまったく同じである。
ふだん動物と接している人は、彼らがボディランゲージに驚くほど敏感なことを知っている。チンパンジーは、ときに私自身より私の気分を見抜く。チンパンジーをあざむくのは至難のわざだ。それは、言葉に気をとられなくてすむということもあるのだろう。私たちは言語によるコミュニケーションを重視するあまり、身体から発信されるシグナルを見落としてしまうのだ。
神経学者オリヴァー・サックスは、失語症患者たちが、テレビでロナルド・レーガン大統領の演説を聴きながら大笑いしている様子を報告している。言語を理解できない失語症患者は、顔の表情や身体の動きで、話の内容を追いかける。ボディランゲージにとても敏感な彼らをだますことは不可能だ。レーガンの演説には、失語症でない者が聞いても変なところはひとつもない。だが、いくら耳ざわりの良い言葉と声色を巧みに組みあわせても、脳に損傷を受けて言葉を失った者には、背後の真意が見通しだったのである。
下の階層に属する者が、力を合わせて砂に線を引いた。それを無断で踏みこえる者は、たとえ上の階層でも強烈な反撃にあうのだ。憲法なるもののはじまりは、ここにあるのではないだろうか。今日の憲法は、厳密に抽象化された概念が並んでいて、人間どうしが顔を突きあわせる現実の状況にすぐ当てはめることはできない。類人猿の社会ならなおさらだ。それでも、たとえばアメリカ合衆国憲法は、イギリス支配への抵抗から誕生した。「われら合衆国の人民は……」ではじまる格調高い前文は、大衆の声を代弁している。この憲法のもとになったのが、1215年の大憲章(マグナ・カルタ)である。イギリス貴族が国王ジョンに対し、行きすぎた専有を改めなければ、反乱を起こし、圧政者の生命を奪うと脅して承認させたものだ。これは、高圧的なアルファオスへの集団抵抗にほかならない。
民主主義は積極的なプロセスだ。不平等を解消するには働きかけが必要である。人間にとても近い2種類の親戚のうち、支配志向と攻撃性が強いチンパンジーのほうが、突きつめれば民主主義的な傾向を持っているのは、おかしなことではない。なぜなら人類の歴史を振りかえればわかるように、民主主義は暴力から生まれたものだからだ。いまだかつて、「自由・平等・博愛」が何の苦労もなく手に入った例はない。かならず権力者と闘ってもぎとらなくてはならなかった。ただ皮肉なのは、もし人間に階級がなければ、民主主義をここまで発達させることはできなかったし、不平等を打ちやぶるための連帯も実現しなかったということだ。
「他者の苦痛に対するラットの情動的反応」という興味ぶかい標題の論文が発表されていた。バーを押すと食べ物が出てくるが、同時に隣のラットに電気ショックを与える給餌器で実験すると、ラットはバーを押すのをやめるというのである。なぜラットは、電気ショックの苦痛に飛びあがる仲間を尻目に、食べ物を出しつづけなかったのか? サルを対象に同様の実験が行なわれたが(いま再現する気にはとてもなれない)、サルにはラット以上に強い抑制が働いた。自分の食べ物を得るためにハンドルを引いたら、ほかのサルが電気ショックを受けてしまった。その様子を目の当たりにして、ある者は5日間、別のサルは12日間食べ物を受けつけなかった。彼らは他者に苦しみを負わせるよりも、飢えることを選んだのである。
霊長類は群れのなかにいると、大いに安心する。外の世界は、外敵がいるわ、意地悪なよそ者がいるわで気が休まらない。ひとりぼっちになったら、たちまち生命を落とすだろう。だから群れの仲間とうまくやっていく技術が、どうしても必要なのである。彼らが驚くほど長い時間――1日の活動時間の最高10パーセント――をグルーミング(毛づくろい)に費やすのもうなずける。そうやって相手との関係づくりに努めているのだ。野生のチンパンジーを観察すると、仲間と良好なつながりを保つメスほど、子どもの生存率が高いことがわかる。
・進化宗教学の地平を拓いた一書/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
・「我々は意識を持つ自動人形である」/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
・大阪産業大学付属高校同級生殺害事件を小説化/『友だちが怖い ドキュメント・ノベル『いじめ』』南英男
・曖昧な死刑制度/『13階段』高野和明
・社会主義国の宣伝要員となった進歩的文化人/『愛国左派宣言』森口朗