「こらえにこらえてやっている」。88年4月19日、農相の佐藤隆は国会で交渉の難しさを明かした。同じ日、農協は「米国の高圧的な態度は憤激に堪えない」として都内で集会を開いた。だが米国の攻勢は表に出ているよりずっと苛烈だった。
交渉が大詰めを迎えるなか、米通商代表部(USTR)次席代表のスミスが九段の分庁舎に入った。野球帽を横向きにかぶり、ノーネクタイ姿で農水次官の後藤康夫らの正面に座ると、円卓に足を乗せて言い放った。「議論の余地はない。自由化だ」。
【日曜に考える 牛肉・オレンジ自由化決着(1988年) 日米構造協議の前哨戦/日本経済新聞 2013年4月7日付】
・日米通商交渉の歴史(概要):外務省【PDF】
白人の傲(おご)りはアフリカ人を奴隷にした時代やインディアンを虐殺した頃から変わっていないように感ずる。キリスト教に由来する人種差別は、神を信じぬ者を人間としては認めない。だから連中は面白半分で虐殺することができたのだ。
彼ら(※キリスト教徒)は、誰が一太刀で体を真二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を斬り落とせるかとか、内蔵を破裂させることができるかとか言って賭をした。
【『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス:染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉訳(岩波文庫、1976年)】
日経新聞の腰砕けぶりは「スミス」をフルネームで表記していないところに現れている。ウェブで調べたところ「マイク・スミス」のようだが情報らしい情報が殆ど見当たらず。
日本が礼節を重んじる国であることがわかっていればこそ、スミスは芝居がかったパフォーマンスをしてみせたのだろう。やはり軍事力を持たねば一人前の国家として扱われないのだ。
一方でこういう声もある。
・アメリカが恐れる日本の通商交渉力:山下一仁
交渉に携わった人々が国民に対して情報発信していない以上、我々は想像する他ない。
その後の日米構造協議~年次改革要望書という流れを見れば、太平洋戦争はおろか日米修好通商条約から何も変わっていないように思える。
日本の保守がなぜ反米に向かわないのかが不思議でならない。
・「年次改革要望書」という名の内政干渉/『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之
0 件のコメント:
コメントを投稿