・『日本を思ふ』福田恆存
・『いちばんよくわかる!憲法第9条』西修
・『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温
・『だから、改憲するべきである』岩田温
・『日本人のための憲法原論』小室直樹
・『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
・国民の国防意志が国家の安全を左右する
・外交レトリックを誤った大日本帝国
・五箇条の御誓文
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
ですから敗戦後の「東京裁判」では、真珠湾攻撃に先行する、こうした日本政府部内や陸海軍部内の文書が、米国人(多くが法曹職のバックグラウンドをもつ)によって、洗いざらい調べ上げられました。彼らは、日本政府と日本軍が「パリ不戦条約」をあっけらかんと破るのに、いったいどのような公式レトリックを用いていたのかに、特に興味があったのです。公人が公的な嘘をついたら恥じなければならない近代人として、また、法曹の学徒として、それが当然でしたろう。
彼らはついに、いくつかのマジック・ワードを発見したと思いました。「自存自衛」と「交戦権」です。そして将来の日本政府におけるそのマジック・ワードの再使用は封じなければならないと思いました。だから、マック偽憲法の中には、特別に入念に、ダメを押すような文言が、ちりばめられているという次第なのです。
【『「日本国憲法」廃棄論 まがいものでない立憲君主制のために』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉(草思社、2013年/草思社文庫、2014年)以下同】
本書は優れた外交論となっており他書とは一線を画している。ただしマッカーサーは後に上院軍事外交委員会の席上で、「日本があの戦争に飛び込んでいった動機は、安全保障の必要に迫られたためで、侵略ではなかった」と証言し、大統領になるチャンスを失った(マッカーサー「東京裁判は間違いだった」)。
マッカーサーが語った「national security」がアメリカ人に何を示唆したのか。自衛にはself-defense 、self-protection、self-preservationなどの英語がある。
マック偽憲法が押し付けられることになった第一原因は、日本の対米英開戦流儀にあります。同じ調子でまた将来あっけらかんとした侵略をやらせぬよう、アメリカ人の法律家たちは、念入りに文辞を練ったのです。
しかし戦後のドイツに対してはそんな「憲法」を押し付ける必要は、ありませんでした。
なぜなら、ドイツ人たちは「自衛」という言葉の厳密な意味を了解していて、ヒトラーすらそれを濫用(らんよう)してはいなかった(しようとしても外務省官吏や国際法学者たちに止められてできなかった?)のです。
反して、日本の指導者層には、外務省官吏も含めて、それほどに大事な用語だという了解はなく、かつまた日本政府の誰にも、自国の重大な政策についての体外的な「説明責任」というものが、そもそも意識すらされていないように、外国からは見えた。この「落差」がきわだっていましたので、日本に対する占領政策は、ドイツに対する占領政策とは、すこぶる異なるものになったのでしょう。
それゆえわたしたちは、ナチス・ドイツがスターリンのソ連に対して奇襲開戦を実行したときの「宣戦布告」のレトリックがどんなものだったか、またそれに応酬しているモスクワ政府のレトリックはどんなものだったか、知っておくことに価値があります。こうした外交上の正式の宣戦布告文や、応酬声明文は、どの法廷に出しても通用しそうな、近代的な説明文になっていることが、確かめられましょう。
アメリカは日本軍の強さを恐れたと綴る書籍が多い。強い上に死ぬまで戦うことをやめない。降伏よりも玉砕を選ぶのが日本流だ。しかし兵頭の指摘は見落としがちな急所を抑えている。欧米からすると日本は「話が通じない相手」であったのだ。彼らは極東の島国に狂気を見た。
二・二六事件から敗戦までの変遷に我が国の弱点が凝縮している。長崎に原爆が投下されたとき政府首脳は行方の定まらない会議を続けていた。鈴木貫太郎首相は策を講じて最終判断を天皇陛下に丸投げした。切腹した首脳もいたが腹を切ることで責任を果たせるとは思えない。
外交レトリックを誤ったとすれば外務省の責任は重い。小野寺信〈おのでら・まこと〉の足を引っ張ったのも外務省だった。
戦後の日本は経済の道をひた走った。バブル崩壊(1991年)まで46年を経た。その後失われた20年に入る。こうして敗戦を振り返る機会を失った。私は思う。修辞学や論理学という西洋の土俵に乗るよりは、子供でもわかるようなやさしい言葉で誠を貫くことが日本には向いている。1919年(大正8年)、世界で真っ先に人種差別の撤廃を叫んだ日本である(人種差別撤廃提案)。できないことはないだろう。
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