2018-10-17

二・二六事件で牧野伸顕を救った麻生和子/『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行

 ・二・二六事件で牧野伸顕を救った麻生和子

『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 有名なエピソードがある。1936年(昭和11年)の二・二六事件のときだ。神奈川県湯河原町の別荘として借りていた伊藤旅館の別棟にいた牧野伸顕のところに、早朝、反乱軍がなだれ込んできた。反乱軍から逃れ、庭続きの裏山に脱出しようとした彼が、銃殺されそうになったとき、和子さんは祖父を救うためにハンカチを広げて銃口の前に立ちはだかったという。
 彼女は聖心女子学院の出身だが、在学中に週刊誌主催のミス日本に選ばれたくらいの美人である。反乱軍兵士は、銃口の前に飛び出して祖父をかばった美女にさぞ驚いたに違いない。孫娘の気迫に気圧(けお)されて、牧野伸顕は命拾いしたといわれている。

【『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(文藝春秋、2015年/文春文庫、2018年)】

 麻生和子吉田茂の娘で、麻生太郎の母。武家の育ちであるとはいえ、いざという時に行動できるかどうかは日常の覚悟の賜(たまもの)といってよい。「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」(『葉隠』)との寸言は、命の捨て時に迷わぬ精神を示す。ここにおいて「捨てる」とは「最大限に燃焼し尽くす」ことと同義である。日常の中で死を意識することが生の深き自覚となる。武士が望むのは長寿や安穏ではない。名を上げることこそ彼らの望みであり、名を惜しむためには死をも辞さない。

 江戸時代において武家の子女は必ず懐剣(かいけん)を持っていた。用途は二つ。護身と自決である。自決する場合は喉内部や心臓を突いた。

 残念なことに立派な女性が立派な母親になるとは限らない。野中広務〈のなか・ひろむ〉(魚住昭『野中広務 差別と権力』、角岡伸彦『はじめての部落問題』)が引退してから麻生太郎はタガが外れたように態度がでかくなった。公私を弁えぬ言葉遣いは肥大した自我の為せる業でみっともないことこの上ない。

私を通りすぎたマドンナたち (文春文庫 さ 22-20)
佐々 淳行
文藝春秋 (2018-04-10)
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