大化2年の薄葬令の影響もあってか、702年に崩御した女帝・持統が火葬に付されたのを嚆矢に、平安から近世にかけては仏教的な火葬が主流だった。巨大な陵墓に土葬する復古主義が始まったのは孝明天皇以来。このように幕末・明治以降、新政府の権威付けのための宮中儀礼の「捏造」が多くみられた。
— tetsuya kawamoto さん (@xxcalmo) 4月 26, 2012
わが国最初の火葬例は、公式記録によれば、文武4年(700)に死んだ元興寺(がんこうじ)の僧道昭(どうしょう)である。
【『隠された十字架 法隆寺論』梅原猛(新潮社、1972年/新潮文庫、1981年)】
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