2014-04-11

死の恐怖/『ちくま哲学の森 1 生きる技術』鶴見俊輔、森毅、井上ひさし、安野光雅、池内紀編


落語とは
浪花千栄子の美しい言葉づかい
・死の恐怖

 ある老人たちは死の恐怖で打ちひしがれている。若い時にはこの感じを正当づけるものがある。戦争で殺されるおそれをいだく理由のある若い人たちは生命があたえることのできるもっともよいものを騙(だま)しとられたという、にがい感じをもつことだろうが、これはもっともなことである。しかし、人間のよろこびと悲しみを知ったし、彼のなすべきあらゆることを仕遂(しと)げた老人の場合には、死の恐怖は何か卑(いや)しく恥ずべきことである。死の恐怖を征服(せいふく)するもっともよい方法は――少なくとも私にはそう思われるのだが――諸君の関心を次第に広汎(こうはん)かつ非個人的にしていって、ついには自分の壁(かべ)が少しずつ縮小して、諸君の生命が次第に宇宙の生命に没入(ぼつにゅう)するようにすることである。個人的人間存在は河のようなものであろう――最初は小さく、せまい土手の間を流れ、烈(はげ)しい勢で丸石をよぎり、滝(たき)を越(こ)えて進む、次第に河幅(かわはば)が広がり、土手は後退して水はもっと静かに流れ、ついにはいつのまにやら海へ没入して、苦痛もなくその個的存在を失う。老年になってこのように人生を見られる人は、彼の気にかけはぐくむ事物が存在し続けるのだから、死の恐怖に苦しまないだろう。そして生命力の減退とともにものうさが増すならば、休息の考えはしりぞけるべきものでもないだろう。私は、他人が私のもはやできないことをやりつつあるのを知り、可能なかぎりのことはやったという考えに満足して、まだ仕事をしながら死にたいものである。

【「いかに老いるべきか」バートランド・ラッセル:中村秀吉〈なかむら・ひでよし〉訳/『ちくま哲学の森 1 生きる技術』鶴見俊輔、森毅〈もり・つよし〉、井上ひさし、安野光雅〈あんの・みつまさ〉、池内紀〈いけうち・おさむ〉編(筑摩書房、1990年/ちくま文庫、2011年)】

 本書の人物紹介は以下の通りである。

バートランド・ラッセル 1872-1970 イギリスの名門貴族の生まれ。ケンブリッジ大学で数学、哲学を学ぶ。1910年から13年にかけてホワイトヘッドとの画期的な共著「数学原論」(ママ)をあらわした。ケンブリッジの講師となったが、第一次世界大戦に際し平和論を唱えて職を失う。ヴィトゲンシュタインとの相互の影響のもとに論理実証主義を完成する一方で、社会問題にも活発に発言、植民地解放や核兵器禁止運動の指導者として活躍した。「いかに老いるべきか」は、1956根に発表(※『自伝的回想』に所収)。


 ラッセルは1918年と1961年に投獄されている。ノーベル文学賞を受賞したのは1950年のこと。『数理哲学序説』は一度目の獄中で書かれた。

 ラッセルは「アリストテレス以来の論理学者」といわれるが、デカルト同様、哲学者かつ数学者でもあった。彼はまたミスター無神論としても知られる。

 直訳調でリズムの悪い文章だがラッセルのメッセージは十分に伝わってくる。やや老人に手厳しいのはラッセルが80歳を迎えようとしていたためか。

 不幸な老人が多いのは「河幅」が広がらないことに因(よ)る。海に辿り着く前に死んでしまったような人生が多い。日本人の場合だと友情の幅が狭いこととも関連しているように思う。老いて人生の広がりを感じさせる人は稀だ。

 その意味からいえば、やはりインディアンのグランドファザーやグランドマザー(どちらも長老を意味する)は理想的だ。人々の精神的な拠り所となって具体的な指針を示す。社会が会社を意味するようになると、老いとは定年に向かう様であり退職させられる存在に貶(おとし)められる。つまり問題は会社以外の社会をどのように築くかという一点にある。

「河幅」とは自分を取り巻く人間関係であり、それは社会である。狭い河は死の恐怖に満ちている。

ちくま哲学の森 1 生きる技術

川はどこにあるのか?
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バートランド・ラッセル

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