2020-02-12

「出る杭は打たれる」日本文化/『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール


『人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」』三井誠
『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』マット・リドレー

 ・“思いやり”も本能である
 ・他者の苦痛に対するラットの情動的反応
 ・「出る杭は打たれる」日本文化

『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
フランス・ドゥ・ヴァール「良識ある行動をとる動物たち」
『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
『ママ、最後の抱擁 わたしたちに動物の情動がわかるのか』フランス・ドゥ・ヴァール
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博

必読書リスト その三

 アメリカでは「きしむ車輪ほど油を差してもらえる(声が大きいほど得をする)」のに対し、日本では「出る杭は打たれる」のだ。

【『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール:藤井留美〈ふじい・るみ〉訳(早川書房、2005年)】

 出る杭は打たれ、打たれなければ出る悔い。12年前に読んだのだが当時とは受け止め方が違う。他民族の距離が近く、戦争に明け暮れてきたヨーロッパの歴史を踏まえれば自己主張するのが自然である。一方、日本のような同質社会では言葉を介さぬ阿吽(あうん)の呼吸が空気を支配する。日本男児には長らく多弁を嫌う伝統があった。「男は黙ってサッポロビール」(1970年)というわけだ。

 日本人は感性を解き放つ道具としては言葉を大切にしてきたが、他人を説得するための理窟を忌避してきたように見える。「理窟じゃない」「口先だけなら何とでも言える」「生意気を言うな」などといった表現には言葉を低い価値と捉える日本的な感覚が表出している。言葉とは「言(こと)の端(は)」で言(こと)は事(こと)に通じる。言葉が「事の端」を示し幹や根ではないことに留意すれば日本人の達観が理解できよう。

 村八分(火事と葬式で二分)は稲作の水利権を巡って始まったとする説がある。水の管理は村(集落)全体で行う必要がある。そこで勝手な真似をする輩が出てくれば皆が迷惑を被る。出る杭が打たれるのは当然で、むしろ積極的に打つ必要さえあったのだろう。ところがコミュニティが町や都市、はたまた国家へと拡大する中で同様のメンタリティが働けば新しい産業の創出が阻まれる。天才も登場しにくい。イノベーションを成し遂げるのはいつの時代も型破りな人間なのだ。ここに大東亜戦争以降、変わらることのない日本の行き詰まりがあるのだろう。

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