・『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅
・『カルト村で生まれました。』高田かや
・人間を帰属によって規定する社会
こわーい! という声が上がった。
彼女たちは宗教団体に入る話をしているのだった。
来年までに「日本」という国はなくなってしまい、全員が宗教団体に入らなければならなくなる。各「団体」が自治権を持つ団体連合社会に、1年かけて移行していくそうだ。
なぜそんなことになったかというと、子供の数が極端に減ってしまい、人工生殖に頼らなければ日本が滅亡する、という危機が近づいてきたからだ。けれども人工生殖を行おうとすると「生命倫理」が問題となり、意見を異にする人たちの対立が生まれて、結論が出せない。それで、「皆さん、自分の信念に合った団体に入ってください。団体ごとの法律で人工生殖を行います。団体に入ることが国民の義務となりました」ということになった。
【『カルトの島』目黒条〈めぐろ・じょう〉(徳間書店、2008年)】
「宗教団体」を「会社」に置き換えれば日常のありふれた光景が見えてくる。「意見を異にする人たちの対立」は政治そのものだ。それほど突飛な設定ではない。
国家・宗教・会社といった集団はソフトが異なるだけでハード(機構)は同じだ。集団は必ず競い合い、闘い合い、奪い合う。そこにこそ集団の目的があるのだろう。
人間を帰属によって規定するのが社会である。「あんたはどこの何者なんだ?」。住所不定・無職です、と答えれば社会から爪弾きにされる。
「私は○○だ」と言う時、殆どの人は職業や勤務先を述べる。それが現代における身分なのだ。エスタブリッシュメントと目される政治家や医師、経営者、テレビ局などが2世だらけなのがその証拠である。資産や権益の譲渡が自由競争を阻害する。
興味深いのはアイデンティティ喪失という現象だ。諸法無我なのだからアイデンティティなどなくてもよさそうなものだがそうは問屋が卸さない。社会的な位置がはっきりしないと不安を覚えるのはなぜか? たぶん自分という存在の「重み」を感じることができなくなるのだろう。
でも、どうなんだろうね? いくら努力したところでカネに換算されるような人生しか見えてこない。それを拒絶したいのであれば出家をするような覚悟が必要だろう。
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