聖者は愚かな見かけ倒しです。これを見ることが英知です。このような英知はその両極端の対極へと移ってはいきません。英知は両極端を理解し、それゆえそれを避ける敏感さなのです。しかし、それはその両極端の中間にとどまる、用心深い凡庸さではありません。このすべてを明晰に知覚することが、それについて学ぶことです。あることを学ぶためには、一切の結論や偏見から自由でなければなりません。そうした結論や偏見は、意図したり支配したりしようとする中心、つまり自我からの観察なのです。
【『自己の変容 クリシュナムルティ対話録』クリシュナムルティ:松本恵一訳(めるくまーる、1992年)】
これが「中道」の極意である。中道は中庸に非ず。
(※左が新装版、右が旧版)
・体験は真実か?/『自己の変容 クリシュナムルティ対話録』クリシュナムルティ
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