・『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
・『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
・『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
・『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
・日本共産党はコミンテルンの日本支部
・ヒロシマとナガサキの報復を恐れるアメリカ
・『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
・『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
・『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
・『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
・『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
・『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
・『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
・『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年
日本共産党というのはいったい何かと言うと、これはもともと【コミンテルン】の日本支部としてつくられた団体です。
そもそも日本共産党の綱領や規約とは、かつては全部モスクワでつくられたものであり、そのモスクワの政策を日本で実行する。もっと言うと、日本における共産革命をモスクワの指導と援助で行なうということです。だから、いろいろな形でモスクワから指令が来たのです。
しかもスターリン時代は、ソ連を守ることが全世界の共産主義者の任務でしたから、共産党員は全員、ソ連のスパイということになります。
【『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎(扶桑社、2010年)以下同】
日本の政治がいつまで経っても成熟しないのは、近代史を封印することで国家意識を眠らされているためだ。日本では国を愛することもままならない。これまたGHQの戦後処理が深く関わっていることだろう。
コミンテルン(Communist International の略)は第三インターナショナルともいわれる。
ソ連は共産主義を輸出し、世界中を共産主義国にしてしまおうと行動に出た。そのための組織として、コミンテルン(第三インターナショナル)が1919年(大正8年)に作られた。
革命政権は樹立直後から、一国だけでは世界中から包囲されて生き延びることはできない、と重大な危機感を抱いていた。そこでコミンテルンを作り、世界各国で知識人や労働者を組織して共産主義の革命団体を世界中に作り出し、すべてをモスクワからの指令によって動かし、各国の内部を混乱させ共産革命を引き起こそうとした。
【コミンテルン(第3インターナショナル)】
これはイギリスが植民地支配で行ってきた「分割統治」(『そうだったのか! 現代史 パート2』池上彰)と同じ手法である。革命政権首脳の殆どはユダヤ人だった。彼らは情報戦に長(た)けていた。
いまから50年前の【安保闘争】の時代は、中国やソ連から、国内の共産主義勢力へいろいろな形で指令や資金援助などが来ていました。それを調べて摘発するのが我々の仕事だったのですが、その過程でいろいろ非合法的な調査活動も行ないました。
当時のソ連や中国の、日本共産党に対する指導・援助といったら、それは大変なものがありました。西園寺公一という共産党の秘密党員だった人物がいたのですが、銀座にある西園寺事務所が中国共産党と日本共産党の秘密連絡拠点となっていた。そこに潜り込んで書類を盗写したこともあります。
西園寺公一〈さいおんじ・きんかず〉は西園寺公望〈さいおんじ・きんもち〉の孫である。子の西園寺一晃〈さいおんじ・かずてる〉には『青春の北京 北京留学の十年』(中央公論社、1971年)という中国礼賛本がある。
ソ連の情報・諜報活動が日本の貴族にまで及び、しかも籠絡(ろうらく)されていたという事実に驚愕(きょうがく)する。近衛文麿政権のブレーンであった尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉(元朝日新聞記者/異母弟が尾崎秀樹)に至ってはソ連のスパイとして活動し、結局死刑になった(ゾルゲ事件)。
スパイが身を隠す職業として真っ先に挙げられるのはジャーナリスト、新聞記者、作家である。何と言っても情報収集がしやすい身分である上、プロパガンダ工作も行える。大東亜戦争の際、アメリカで捕虜になった日本人の多くは、アメリカの工作員として日本の新聞社に送られているという話もある。
学生運動の火が消えた後も左翼勢力は学術・教育に巣食ったまま、日本の国益を毀損(きそん)し続けている。そしてもう一つ複雑な要素がある。実は戦後になって日教組をつくったのはGHQであった。アメリカ側からすれば日本国内で左翼を野放しにしておくことが分割統治となるのだ。
その意味では旧ソ連の狙いもアメリカの思惑も上手く機能していた。東日本大震災までは。2011年3月11日に日本を襲った悲劇は再び日本を一つにした。同時に天皇陛下の姿も鮮やかに浮かび上がった。アメリカは焦った。で、慌ててTPPを進めているというわけ。
・小林秀雄の戦争肯定/『国民の歴史』西尾幹二
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