・社会性=都市化
・『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン
葉をかつぐアリを追っていけば巣にたどり着く。ただしその道のりは50メートルから100メートル以上にも及ぶ場合がある。途中で分厚い茂みを抜けることもあるだろうし、ちょっとした上り下りもあるだろう。やがて唐突に巣が姿を現す。そこには何百万匹ものアリが暮らす地下の一大都市だ。地上には、巣づくりのために掘り出した土が2メートルを超える高さに積みあがり、丸い小山のようになっている。地下は何千という部屋に分かれ、それぞれの大きさを平均するとだいたい人間の頭ほど。もっと正確にいえば、容積にして30分の1リットルから50リットルくらいである。
各部屋はトンネルで迷路のようにつながっていて、部屋にはふわふわした灰色のかたまりが詰まっている。部屋の壁は薄く、表面積ができるだけ大きくなるようにでこぼこしている。
壁には特殊な菌類(キノコなどの仲間である真菌類)が生えている。この菌は、アリに栽培されるためだけに存在している。ハキリアリや、進化的にもっと未発達な近縁のアリにだ。この菌がおなじみのキノコ形になって傘と柄をつけることはめったにない。たいていは細い菌糸がもつれ合ったかたまりになる。
菌は部屋の壁から栄養を得ていて、壁はバルブのような糊状の物質でできている。そしてこの糊状の物質をつくる材料が、働きアリのもち帰る植物の断片だ。
ハキリアリは植物を切りとって樹液を吸うこともあるが、それ以外はこうして育てた菌だけを食べて生きている。生の植物そのものはアリの消化器官の手に負えない。そこでハキリアリは、それを食べられる食物に変える方法を編みだした。
農業を始めたのである。
おかげでハキリアリは進化の壁を突きやぶって大躍進を遂げる。切りとった植物で土台をつくり、その上で菌という作物を栽培することで、ほぼ無尽蔵といっていい食料を確保する道を開いたのだ。
【『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン:梶山あゆみ訳(飛鳥新社、2012年)】
地球で最後まで生き残るのは社会性昆虫か菌類だろう。ヒトの社会性は文明を誕生させたが、いたずらに資源を浪費する。自然の摂理においてヒトは必要とされていない。むしろ癌細胞のような存在と言えるだろう。
そろそろ知能よりも協働を重視するべきだ。天才の閃きよりも傾聴から生まれる集合知が尊い。巨大なアリの巣は完璧な空調システムをも備えている。誰かが設計し、現場監督を務めたわけではない。一匹一匹のアリが必要な作業を繰り返してゆく中で創発されたものだ。人間の造った建築物が創発に至ることはない。図面はあっても知恵を欠くためだ。
ヒトの生活を振り返ると屎尿(しにょう)がリサイクルされていないことに気づく。「じゃあ、今度から畑でウンコをするよ」というわけにいかない。なぜなら薬や化学物質が混じっているからだ。就中(なかんずく)、薬が厄介で放射能の半減期を思わせるほどしっかりと残っている。健康な人物の便は細菌の宝庫である。アメリカでは便移植が始まっているが、間もなく日本でも解禁されることだろう。例えば痩せている人の便を移植すれば、痩せ菌によって容易に体重を落とすことができる。薬価を思えば、ウンコが1000円とか1万円で取引されるようになっても決しておかしくない。
準完全食といわれているのは卵、サツマイモ、納豆、オートミール、ブロッコリー、キヌア、リンゴなど。昔、沖縄で抜きん出て健康な男性がいたが、彼が食べていたのはサツマイモだけだった、という話を物の本で読んだことがある。
縄文人が食べていたとされるのは、団栗(どんぐり)・栗・胡桃(くるみ)・栃の実など。あとは魚、貝類、山菜である。また塩が必須だ。
ヒトは雑食のため単一の食べ物で生きてゆくことは難しい。タンパク質摂取のために昆虫食を開拓する必要もあるだろう。
迫りくるチャイナリスクを思えば、国民に兵農を義務づけるのもいい手だと思う。義務教育でサバイバル技術を身につければ、日本も生まれ変わることができるだろう。
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