・人類の戦争本能
・アメリカを代表する作家トマス・ウルフ
「(中略)どこか海外の、別の戦区はどうですか。デスクワークが退屈なら、前線に出るのは?」
「とくにそういう希望はありません」と若い軍曹は言った。
「じゃ何が希望なのかな」
軍曹は肩をすくめ、自分の手を眺めた。「平和に暮らしたいです。なぜか一晩のあいだに世界中の銃砲類が一つ残らず錆(さ)びつき、細菌爆弾の細菌が死に絶え、戦車が突然タールの穴と化した道路で有史前の怪物のように沈んでしまえばいい。それが私の望みです」
【「木製の道具」/『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ:小笠原豊樹〈おがさわら・とよき〉訳(河出文庫、2011年/集英社、1978年/集英社文庫、1982年)以下同】
河出書房新社から復刊。20年振りに再読した。「読む官能」ともいうべき刺激に溢れている。やはり小説は年をとらないと読めないものだ。そこそこ面白かったと記憶していたが、そんなレベルではなかった。『鳥 デュ・モーリア傑作集』ダフネ・デュ・モーリア、『廃市・飛ぶ男』福永武彦、『日日平安』山本周五郎、ちくま日本文学の『中島敦』、それに本書を加えて短篇集ベスト5としたい。467ページのどこにも隙(すき)がない。本が涎(よだれ)だらけになってしまった(ウソ)。
神経過敏症と思われる軍曹が上官に呼ばれる。戦地で平和を望むのは子供染みている。という「常識」にブラッドベリは罠を仕掛ける。ゆっくり時間をかけて丹念に読まないと味わいが薄くなる。絶品の料理に舌鼓を打つようなものだ。
レイ・ブラッドベリ/onologue - Ray Bradbury http://t.co/TLMxv4cNql
— 小野不一 (@fuitsuono) April 12, 2014
だが軍曹は自分の手にむかって語りつづけ、その手をひっくり返しては指をじっと見つめるのだった。「もしあすの朝起きたら銃砲類がぼろぼろに錆びていたとして、あなた方士官のみなさんは、私たち部下は、いや【世界全体】はどうするでしょうか」
この軍曹は注意深く扱わねばならない、と思った士官は、静かな笑顔を見せた。
「それは面白い質問ですね。そういう仮定について話すことは興味深い。恐慌状態が広範囲に広がるだろうというのが私の答です。どの国も世界中で武器を失くしたのは自国だけだと考えて、その災厄をもたらした張本人としての敵国を非難するでしょう。自殺や、株の暴落が続けさまに起って、数限りない悲劇が生れるでしょう」
「しかし、その【あと】は」と軍曹は言った。「すべての国が武器を失ったことは事実だとわかり、もう何一つ恐れるべきものはない、私たちはみんな新鮮な気持で再出発できるのだとわかったあとは、どうなります」
「どこの国も先を争って再武装するでしょうね」
「もしそれを阻止できたとしたら?」
「その場合は拳で殴り合うでしょう。事態がそこまで進めばの話ですが。鋼鉄のスパイクのついたグローブをはめて、男たちの大群が国境地帯に集まるでしょう。そのグローブをとりあげれば、爪や足を使うでしょう。脚を切り落せば、唾を吐きかけ合うでしょう。舌を切り、口にコルクを詰めたとしても、男どもは大気を憎しみで満たすでしょう。その大気の毒にあてられて、蚊も地面に落ち、鳥も電線からばったり落ちるほどにね」
「じゃ結局、武器を破壊しても、なんにもならないということですか」と軍曹が言った。
「その通りです。ちょうど亀の甲羅を剥がすようなものだ。ショックのあまり、文明は息がとまって死ぬでしょう」
再読したのは「その場合は拳で殴り合うでしょう」の科白(せりふ)を確認するためだった。人類の戦争本能をこれほど見事に語った言葉を私は他に知らない。「人類の」というのは言い過ぎだが、集団に戦争本能が存在することは否定できまい。我々の社会ではそれを「競争」と呼ぶ。
平和を夢見る軍曹の戯言(たわごと)が少しずつ色を変える。そして寛容な上官の言葉がどんどん尖鋭化(せんえいか)してゆく。まさに戦争と平和が対立する姿だ。
物語はあっと驚く展開となり劇的に幕を下ろす。軍曹を「神の化身」と考えれば、物語の味わいは更に深まる。
・本のない未来社会を描いて、現代をあぶり出す見事な風刺/『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
・宗教と言語/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド