2014-04-12

人類の戦争本能/『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ


・人類の戦争本能
アメリカを代表する作家トマス・ウルフ

「(中略)どこか海外の、別の戦区はどうですか。デスクワークが退屈なら、前線に出るのは?」
「とくにそういう希望はありません」と若い軍曹は言った。
「じゃ何が希望なのかな」
 軍曹は肩をすくめ、自分の手を眺めた。「平和に暮らしたいです。なぜか一晩のあいだに世界中の銃砲類が一つ残らず錆(さ)びつき、細菌爆弾の細菌が死に絶え、戦車が突然タールの穴と化した道路で有史前の怪物のように沈んでしまえばいい。それが私の望みです」

【「木製の道具」/『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ:小笠原豊樹〈おがさわら・とよき〉訳(河出文庫、2011年/集英社、1978年/集英社文庫、1982年)以下同】

 河出書房新社から復刊。20年振りに再読した。「読む官能」ともいうべき刺激に溢れている。やはり小説は年をとらないと読めないものだ。そこそこ面白かったと記憶していたが、そんなレベルではなかった。『鳥 デュ・モーリア傑作集』ダフネ・デュ・モーリア、『廃市・飛ぶ男』福永武彦、『日日平安』山本周五郎、ちくま日本文学の『中島敦』、それに本書を加えて短篇集ベスト5としたい。467ページのどこにも隙(すき)がない。本が涎(よだれ)だらけになってしまった(ウソ)。

 神経過敏症と思われる軍曹が上官に呼ばれる。戦地で平和を望むのは子供染みている。という「常識」にブラッドベリは罠を仕掛ける。ゆっくり時間をかけて丹念に読まないと味わいが薄くなる。絶品の料理に舌鼓を打つようなものだ。


 だが軍曹は自分の手にむかって語りつづけ、その手をひっくり返しては指をじっと見つめるのだった。「もしあすの朝起きたら銃砲類がぼろぼろに錆びていたとして、あなた方士官のみなさんは、私たち部下は、いや【世界全体】はどうするでしょうか」
 この軍曹は注意深く扱わねばならない、と思った士官は、静かな笑顔を見せた。
「それは面白い質問ですね。そういう仮定について話すことは興味深い。恐慌状態が広範囲に広がるだろうというのが私の答です。どの国も世界中で武器を失くしたのは自国だけだと考えて、その災厄をもたらした張本人としての敵国を非難するでしょう。自殺や、株の暴落が続けさまに起って、数限りない悲劇が生れるでしょう」
「しかし、その【あと】は」と軍曹は言った。「すべての国が武器を失ったことは事実だとわかり、もう何一つ恐れるべきものはない、私たちはみんな新鮮な気持で再出発できるのだとわかったあとは、どうなります」
「どこの国も先を争って再武装するでしょうね」
「もしそれを阻止できたとしたら?」
「その場合は拳で殴り合うでしょう。事態がそこまで進めばの話ですが。鋼鉄のスパイクのついたグローブをはめて、男たちの大群が国境地帯に集まるでしょう。そのグローブをとりあげれば、爪や足を使うでしょう。脚を切り落せば、唾を吐きかけ合うでしょう。舌を切り、口にコルクを詰めたとしても、男どもは大気を憎しみで満たすでしょう。その大気の毒にあてられて、蚊も地面に落ち、鳥も電線からばったり落ちるほどにね」
「じゃ結局、武器を破壊しても、なんにもならないということですか」と軍曹が言った。
「その通りです。ちょうど亀の甲羅を剥がすようなものだ。ショックのあまり、文明は息がとまって死ぬでしょう」

 再読したのは「その場合は拳で殴り合うでしょう」の科白(せりふ)を確認するためだった。人類の戦争本能をこれほど見事に語った言葉を私は他に知らない。「人類の」というのは言い過ぎだが、集団に戦争本能が存在することは否定できまい。我々の社会ではそれを「競争」と呼ぶ。

 平和を夢見る軍曹の戯言(たわごと)が少しずつ色を変える。そして寛容な上官の言葉がどんどん尖鋭化(せんえいか)してゆく。まさに戦争と平和が対立する姿だ。

 物語はあっと驚く展開となり劇的に幕を下ろす。軍曹を「神の化身」と考えれば、物語の味わいは更に深まる。

とうに夜半を過ぎて (河出文庫)

本のない未来社会を描いて、現代をあぶり出す見事な風刺/『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
宗教と言語/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド

キリストの「妻」記述のパピルス片、ねつ造ではないと判明


 ハーバード大学の研究者が2012年に発表したキリストの妻に関する記述のあるパピルス片は、近代にねつ造されたものではないことがわかったと、同大学の神学誌「ハーバード・セオロジカル・レビュー」が11日までに伝えた。

 パピルス片は名刺とほぼ同じ大きさで、「キリストは彼らに向かい、『私の妻が…』と発言した」、「彼女は私の弟子になれるだろう」と記されている。同大神学校は声明で、幅広い科学的調査を行った結果、このパピルス片は近代になって偽造されたものではなく、6~9世紀ごろのものであることが判明したと明らかにした。


 調査チームはパピルスとインクだけでなく、文字の書き方や文法についても分析を行った。

 まず、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)が行った放射性炭素年代測定によれば、パピルスは659~859年ごろのものだった。MITではパピルスの化学組成や酸化パターンについても調べたという。

 また、インクの分析では1~8世紀ごろのパピルスの標本と一致する結果が出た。

 このパピルス片の存在は2012年、ハーバード大学のカレン・キング教授の学会発表で明らかになった。発表は大きな反響を呼び、このパピルス片が本当に古いものなのか疑問視する声が上がる一方、キリスト教史や女性の聖職者任用を認めるべきかどうかをめぐる議論にも一石を投じた。

CNN 2014-04-11


2014-04-11

フレーミング効果/『感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性』高橋昌一郎


『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎
『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』高橋昌一郎
『知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性』高橋昌一郎

 ・フレーミング効果

『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン

認知科学者●私たちも、行動経済学の成果を研究する必要がありそうですね。とくに今のお話にあった「フレーミング効果」に関連して、興味深い実験結果があります。
 これはミシガン大学の心理学者ポール・スロヴィックが行った実験なのですが、被験者になったのは、アメリカ法廷心理学会に所属する心理学者と精神科医の479名でした。彼らは、長年の経験を積んだ大学や研究組織の所属社で、さまざまな裁判で専門的な意見を述べる法廷心理学の専門家ばかりです。
 スロヴィックは、この専門家集団をランダムに二つのグループに分けて、「精神疾患を抱えたヴェルディ氏」を退院させるか否かについての意見を求めました。ヴェルディ氏は、暴力的傾向を抑制できずに強制入院させられた患者ですが、すでに治療が終わり、現時点での精神は安定しています。
 二つのグループには、ヴェルディ氏の事件記録やカルテなど、まったく同じレポートが渡されましたが、最後の専門医師による所見のみが異なっていました。
 第一のグループに渡された所見は「ヴェルディ氏のような患者が退院後半年の間に暴力行為を繰り返す確率は、20パーセントであると思われる」であり、第二のグループに渡された所見は、「ヴェルディ氏のような患者は、退院後半年の間に、100人中20人が暴力行為を繰り返すと思われる」でした……。

司会者●ちょっとお待ちください。私の聞き間違いでしょうか、「20パーセント」と「100人中20人」だったら同じことですよね?

認知科学者●そうです。聞き間違いではなく、スロヴィックは、まったく同じことを二つのグループで表現を変えて述べただけのことです。
 ところが、結果は驚くべきものでした。ヴェルディ氏の退院に対して、第一のグループでは21パーセントが反対したのに対し、第二のグループではその倍の41パーセントが反対したのです!

大学生C●信じられない! どうしてそんなことになったんですか?

認知科学者●それは私の方が伺いたいくらいですよ。その原因がヒューリスティックバイアスであることはわかっていますが、なぜそんな結果になるのかは、現在の認知科学の中心課題のひとつですからね。

大学生A●つまり、言い方の問題ですよね。私にはわかるような気がします。「20パーセント」と言われてもピンとこないけど、「100人中20人」が暴力行為に及ぶと言われたら、実際に暴力行為を行っている人間の姿が浮かんできますから、こちらの方が感情を刺激するのではないでしょうか?

【『感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(講談社現代新書、2012年)】

 高橋昌一郎の限界シリーズ第4作(『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』を「数学の限界」とする)。今回のディスカッションは行動経済学&認知科学入門である。偏った知識に全体観を与えてくれる好著。高校のテキストにするべきだと思う。若いうちに読んでおけば無駄な読書をしなくて済むことだろう。軽めの読み物でありながら軽薄に堕していないところがミソ。議論の本筋と関係のない部分にまで細心の注意が払われている。

 フレーミング効果で最もよく知られているのは以下の問いである。

“フレーミング効果”言葉遣いの極意

 マッテオ・モッテルリーニダン・アリエリーを読んだ人にはお馴染みの話。言葉が与える印象によって我々は判断を変えるのだ。マーケティングではこれが悪用される。っていうか、元々アメリカでは心理学とマーケティングは手を携えて歩んできた経緯がある(ヴァンス・パッカード)。

 ヒューリスティクスとは直感的に素早く結論を出す方法のこと(『世界は感情で動く 行動経済学からみる脳のトラップ』マッテオ・モッテルリーニ)。これはAI(人工知能)の大きな課題のひとつでもある。直感は合理的ではないが時間を節約できる。我々はあらゆる事態を想定し得るほどの頭脳をもっていないし、そんな真似をしていたら外を歩くこともできない。行動には大なり小なりリスクが伴う。

 ダン・アリエリーは「消費者が支払ってもいいと考える金額は簡単に操作することができる」と指摘している(『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー)。比較する行為には罠が仕掛けられている。

 そう考えると、印象がどれほど当てにならないかが理解できよう。よい印象にせよ、悪い印象にせよ、なぜそう認知したかを我々は説明することができない。説明されたものは全部後付けである。どのように「よい」かを説明することは可能だが、なぜ「よい」かは説明不能なのだ。

「感性の限界」は「本能の限界」でもある。合理性を欠けば騙されやすくなる。バイアスとは歪みを意味するが、認知そのものにバイアスがある以上、歪んだ情報を受け取っている自覚が必要だ。私の瞳が世界をありのままに見つめることは決してない。見たいものを見たいように見ているだけのことだ。

 国家や企業の嘘を鋭く見抜くためにも本書は有益だ。

感性の限界――不合理性・不自由性・不条理性 (講談社現代新書)
高橋 昌一郎
講談社
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小林凛、アニー・ディラード、レイ・ブラッドベリ、他


 12冊挫折、1冊読了。

刺青の男』レイ・ブラッドベリ:小笠原豊樹〈おがさわら・とよき〉訳(早川書房、1960年/ハヤカワ文庫、1976年/新装版、2013年)/読み合わせが悪くて上手くリズムに乗れず。折を見て再読。

阿含経典 1 存在の法則(縁起)に関する経典群 人間の分析(五蘊)に関する経典群』増谷文雄(筑摩書房、1987年/ちくま学芸文庫、2012年)/難解なので後回し。

海と毒薬』遠藤周作(文藝春秋新社、1958年/角川文庫、1958年/新潮文庫、1960年/他)/読書にはタイミングがある。どうも乗れず。

家族』北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(光文社、2003年)/横田、増元両家まで読む。

ミリオネア・マインド 大金持ちになれる人 お金を引き寄せる「富裕の法則」』ハーブ・エッカー:本田健〈ほんだ・けん〉訳・解説(三笠書房、2005年)/こりゃ、セミナー本だな。

今日から実践!“持ち上げない”移動・移乗技術』移動・移乗技術研究会編(中央法規出版、2012年)/北欧トランスファーの前置きが冗長。バスタオルを利用した移動方法は効果があると思うが、個人で身につけるには時間が掛かりそうだ。『もっと!らくらく動作介助マニュアル 寝返りからトランスファーまで』を超える本が中々見当たらない。

アメリカン・チャイルドフッド』アニー・ディラード:柳沢由実子訳(パピルス、1992年)/縦長の判型で本の作りがよい。少女時代を回想したエッセイ。瑞々しい文章でありながら濃密な何かが流れる。幾度となくたじろがされ、一気に読み進めることができない。アニー・ディラードに太刀打ちできる日本人作家は石牟礼道子くらいしか見当たらない。

テロリズムの罠 右巻  忍び寄るファシズムの魅力』佐藤優〈さとう・まさる〉(角川oneテーマ21、2009年)/少々難解。私が必要とする内容ではなかった。

テロリズムの罠 左巻  新自由主義社会の行方』佐藤優〈さとう・まさる〉(角川oneテーマ21、2009年)/上記に同じ。

大乗起信論』宇井伯寿〈うい・はくじゅ〉、高崎直道訳注(岩波文庫、1936年/補筆・改訂版、1994年)/難解。お手上げ。

東洋哲学覚書 意識の形而上学 『大乗起信論』の哲学』井筒俊彦(中公文庫、2001年)/こちらを読むのが目的であった。が、歯が立たず。

日本の新宗教』別冊宝島(宝島社、2014年)/宝島社とは思えない堅い内容。つまらん。各宗のパンフレットみたいな代物だ。

 19冊目『ランドセル俳人の五・七・五 いじめられ行きたし行けぬ春の雨 11歳、不登校の少年。生きる希望は俳句を詠むこと。』小林凛〈こばやし・りん〉(ブックマン社、2013年)/俳句は俳諧から生まれた。元々は戯(たわむ)れである。つまり遊び。絵に例えるならイラストやスケッチのようなものだろう。遊びとは余技である。それが生活の豊かさにつながる。俳句は文学ではあるが、現実を突き放す視点が求められる。凛少年は句を詠むことで達観したのだろう。わずか十七文字にずっしりとした重みと光のような軽やかさがある。母親の文章が感傷に傾いており目障りだ。

死の恐怖/『ちくま哲学の森 1 生きる技術』鶴見俊輔、森毅、井上ひさし、安野光雅、池内紀編


落語とは
浪花千栄子の美しい言葉づかい
・死の恐怖

 ある老人たちは死の恐怖で打ちひしがれている。若い時にはこの感じを正当づけるものがある。戦争で殺されるおそれをいだく理由のある若い人たちは生命があたえることのできるもっともよいものを騙(だま)しとられたという、にがい感じをもつことだろうが、これはもっともなことである。しかし、人間のよろこびと悲しみを知ったし、彼のなすべきあらゆることを仕遂(しと)げた老人の場合には、死の恐怖は何か卑(いや)しく恥ずべきことである。死の恐怖を征服(せいふく)するもっともよい方法は――少なくとも私にはそう思われるのだが――諸君の関心を次第に広汎(こうはん)かつ非個人的にしていって、ついには自分の壁(かべ)が少しずつ縮小して、諸君の生命が次第に宇宙の生命に没入(ぼつにゅう)するようにすることである。個人的人間存在は河のようなものであろう――最初は小さく、せまい土手の間を流れ、烈(はげ)しい勢で丸石をよぎり、滝(たき)を越(こ)えて進む、次第に河幅(かわはば)が広がり、土手は後退して水はもっと静かに流れ、ついにはいつのまにやら海へ没入して、苦痛もなくその個的存在を失う。老年になってこのように人生を見られる人は、彼の気にかけはぐくむ事物が存在し続けるのだから、死の恐怖に苦しまないだろう。そして生命力の減退とともにものうさが増すならば、休息の考えはしりぞけるべきものでもないだろう。私は、他人が私のもはやできないことをやりつつあるのを知り、可能なかぎりのことはやったという考えに満足して、まだ仕事をしながら死にたいものである。

【「いかに老いるべきか」バートランド・ラッセル:中村秀吉〈なかむら・ひでよし〉訳/『ちくま哲学の森 1 生きる技術』鶴見俊輔、森毅〈もり・つよし〉、井上ひさし、安野光雅〈あんの・みつまさ〉、池内紀〈いけうち・おさむ〉編(筑摩書房、1990年/ちくま文庫、2011年)】

 本書の人物紹介は以下の通りである。

バートランド・ラッセル 1872-1970 イギリスの名門貴族の生まれ。ケンブリッジ大学で数学、哲学を学ぶ。1910年から13年にかけてホワイトヘッドとの画期的な共著「数学原論」(ママ)をあらわした。ケンブリッジの講師となったが、第一次世界大戦に際し平和論を唱えて職を失う。ヴィトゲンシュタインとの相互の影響のもとに論理実証主義を完成する一方で、社会問題にも活発に発言、植民地解放や核兵器禁止運動の指導者として活躍した。「いかに老いるべきか」は、1956根に発表(※『自伝的回想』に所収)。


 ラッセルは1918年と1961年に投獄されている。ノーベル文学賞を受賞したのは1950年のこと。『数理哲学序説』は一度目の獄中で書かれた。

 ラッセルは「アリストテレス以来の論理学者」といわれるが、デカルト同様、哲学者かつ数学者でもあった。彼はまたミスター無神論としても知られる。

 直訳調でリズムの悪い文章だがラッセルのメッセージは十分に伝わってくる。やや老人に手厳しいのはラッセルが80歳を迎えようとしていたためか。

 不幸な老人が多いのは「河幅」が広がらないことに因(よ)る。海に辿り着く前に死んでしまったような人生が多い。日本人の場合だと友情の幅が狭いこととも関連しているように思う。老いて人生の広がりを感じさせる人は稀だ。

 その意味からいえば、やはりインディアンのグランドファザーやグランドマザー(どちらも長老を意味する)は理想的だ。人々の精神的な拠り所となって具体的な指針を示す。社会が会社を意味するようになると、老いとは定年に向かう様であり退職させられる存在に貶(おとし)められる。つまり問題は会社以外の社会をどのように築くかという一点にある。

「河幅」とは自分を取り巻く人間関係であり、それは社会である。狭い河は死の恐怖に満ちている。

ちくま哲学の森 1 生きる技術

川はどこにあるのか?
脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
自由の問題 1/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
欲望が悲哀・不安・恐怖を生む/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
恐怖で支配する社会/『智恵からの創造 条件付けの教育を超えて』J・クリシュナムルティ
比較があるところには必ず恐怖がある/『恐怖なしに生きる』J・クリシュナムルティ
バートランド・ラッセル