2020-01-10

知覚の限界/『交通事故学』石田敏郎


『自動車の社会的費用』宇沢弘文
『交通事故鑑定人 鑑定暦五〇年・駒沢幹也の事件ファイル』柳原三佳
『記者の窓から 1 大きい車どけてちょうだい』読売新聞大阪社会部〔窓〕

 ・知覚の限界

 自動車が発明されて拍手喝采で世の中に迎えらられたとき、将来大変なことになる、と言った心理学者がいたそうである。彼の心配は、人間はその知覚特性から見て、動いているものの速度や距離の見積もりが非常に苦手ということだった。予言は的中し、毎年世界中で何十万人もが自動車事故で亡くなっている。

【『交通事故学』石田敏郎〈いしだ・としろう〉(新潮新書、2013年)】

 私自身、若い頃から「人間が走る以上のスピードで移動する時、何かがおかしくなるのではないか?」と思ってきた。ジェット機に乗ったスー族は魂の到着を待った(『裏切り』カーリン・アルヴテーゲン)。我が意を得たりと膝を打った覚えがある。一方、本川達雄〈もとかわ・たつお〉は「エネルギーを使えばつかうほど時間が早く進む」と言う(『「長生き」が地球を滅ぼす 現代人の時間とエネルギー』)。相対性理論と逆行するようだが言いたいことはわかる。距離と時間は時空と言い換えてよい。文明は人生の時空を拡大し、情報の密度を高めた。ただし、それがもたらした結果はよくよく吟味する必要があるだろう。我々の社会は自動車という利便性のために交通事故の死傷者を受容している。戦争で死者が出るのは当然だが、文明の発達もまた死者を必要とする。果たしてそんな考えでいいのだろうか?

 もう一つ昔から考えているのは、犬や猫がタイヤの音に反応できないことである。昔はクルマに轢(ひ)かれた犬猫を見ることは珍しくなかった。普段は人間以上にすばしっこい動物がなぜクルマを避(よ)けることができないのか不思議に思っていた。やがてタイヤが原因であることに気づいた。動物は足音には反応するが滑らかに転がるタイヤには対応できないのだ。

 交通事故を防ぐためには、1.自動車と歩行者の分離、2.運転未熟ドライバーの排除、の二本柱で望むのがいいと思う。1については時間を要するだろうが、まず自宅に駐車するのをやめて500メートル区画ほどの住宅地はクルマの進入を禁止する。運送・配送・緊急車両のみ通行可とし制限速度は20kmとする。2は簡単だ。運転することには公的責任が伴うためプライバシーを制限する。全車にカーナビ&GPS及びドライブレコーダーを義務づけ、明らかにおかしな運転をする者を検知できるシステムを構築する。これで95%くらい事故を減らすことができるだろう。

 日常の移動手段としては路面電車程度の速度が最も望ましい。自動車を減らして路面電車網を全国に張り巡らすのが私の考える理想である。

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