・医療事故は防げない
・『医師は最善を尽くしているか 医療現場の常識を変えた11のエピソード』アトゥール・ガワンデ
・『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
・『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
本書のタイトル Complications とは、治療によって思いがけないことが起きるという意味だけでなく、治療に伴う不確かさとジレンマも意味している。これは、教科書に書かれていない医学の世界について、そしてこの職業に就いてからというもの、私がずっと戸惑ったり悩んだり驚いたりしてきた医療について書かれた本である。
【『予期せぬ瞬間 医療の不完全さは乗り越えられるか』アトゥール・ガワンデ:古屋美登里・小田嶋由美子訳、石黒達昌監修(みすず書房、2017年/医学評論社、2004年『コード・ブルー 外科研修医救急コール』改題/原書は2002年)以下同】
柔らかな精神と透徹した眼差し、そして薫り高い文章が竹山道雄と似通っている。ガワンデのデビュー作だ。彼の著作は全部読んだが今のところ外れなし。
かつて日本語ラップの嚆矢(こうし)とされたのが佐野元春の「COMPLICATION SHAKEDOWN」(1984年)だった。ライナーノーツには「物事が複雑化してゆれ動いていること」とある。SHAKEDOWNには「間に合わせの寝床」という意味があるので性的な含みを持たせているのだろう。複雑系は complex system なのでコンプレックスでもよさそうなものだが、やはりニュアンスが違うようだ(「複雑」のcomplexとcomplicatedの違い | ネイティブと英語について話したこと)。
著者は研修医で一般外科での8年に及ぶ訓練を終える時期に差し掛かっていた。大いなる疑問が胸をよぎる。「8年?」。なんと8年を要しても一人前とは言えないのだ。医大を卒業して8年経てば30歳である。その間に培われる知識や技術を思えば医療を取り巻く複雑な様相が何となく見えてくる。
もちろん、患者は飛行機に比べてはるかに複雑で、それぞれがまったく違う体質を持っている。それに、医療は完成品を納品したり製品カタログを配布したりする仕事とはわけが違う。どんな分野の活動でも、医療ほど複雑ではないだろう。認知心理学、「人間」工学、あるいはスリーマイル島やボパールの事故などの研究から、私たちが過去20年に学んできたことだけをとっても、同じことがわかる。つまり、すべての人間が過ちを犯すだけでなく、われわれは予測可能なパターン化された方法で、頻繁に過ちを犯している。そして、この現実に対応できないシステムは、ミスを排除するどころかそれを増加させるのである。
英国の心理学者ジェームズ・リーズンは、著書『ヒューマンエラー』の中で、次のように主張している。激しく変化する状況で、入ってくる知覚情報を無駄なく切り替えるためには、直観的に考え行動する能力がなければならない。人間がある一定の間違いを犯してしまう性癖は、この優れた脳の能力と引き替えに支払わなければならない代償なのである。このため、人間の完全さを当てにしたシステムは、リーズンが呼ぶところの「潜在的ミス(起きることを待っているようなミス)」をもたらす。医学の現場はこの実例に満ちている。たとえば、処方箋を書くときのことを考えてみよう。記憶に頼る方法は当てにならない。医者は、誤った薬や誤った分量を処方してしまうかもしれないし、処方箋が正しく書かれていても、読み間違えることもある(コンピュータ化された発注システムでは、この種のミスはほとんど起こらないが、こうしたシステムを採用している病院はまだ一握りしかない)。また、人が使うことを十分に考慮して設計されている医療器具は少なく、それが原因で潜在的なミスを引き起こすことがある。医師が除細動器を使うときにたびたび問題が起こるのは、その装置に標準的な設計規格がないためである。また、煩雑な仕事内容、劣悪な作業環境、スタッフ間でのコミュニケーション不足といったことも潜在的ミスを引き起こす。
ジェームズ・リーズンは、もう一つ重要な意見を述べている。失敗はただ起こるのではなく波及する、ということだ。
例えば少し考えれば想像できることだが保険は多種多様な病気や怪我、複雑化する事故や災害を網羅することは難しい。既に保険会社の社員ですら保険でカバーできる範囲を認識できていない。医療の場合、病気の種類、薬の種類、人体の構造、医療器具の使い方、感染症の予防対策、患者と家族の病歴、そして個人情報など知っておかねばならない情報量は厖大なものとなる。しかも病気や薬は次々と増え続ける。
ガワンデは医療事故を防ぐことはできないと述べる。それは医師の単なる言いわけではない。現実問題として「防げる」と考えるのが間違っているのだ。医療現場の救急処置がドラマチックに描かれている。どのエピソードを読んでも判断の難しさがよく理解できる。世間は医療過誤に目くじらを立てるが、いくらミスを追求してもミスがなくなることはない。社会が折り合いをつけて許容するしかなさそうだ。ただし必要とされる代償はあまりにも大きい。生け贄(にえ)と言ってよかろう。何らかの補償制度が不可欠だ。
一方で医師には人間のクズが多い。世間の常識も知らないような輩が白衣をまとっている。しかも勉強不足だ。そして勉強不足を恥じることがない。私は医師の話をありがたがって拝聴するタイプの人間ではないので、あからさまに異論を述べ、反論し、「医学を利用する気はあるが医学の言いなりにはならない」との信条を披瀝する。
医療リテラシーを充実させるべきだ。で、病院側はもっと修理屋としての自覚を持ち、「治るか治らないかはわかりません。失敗すれば死ぬこともあります」とはっきり告げた方がいいと思う。医療への過剰な信頼が患者の瞳を曇らせている側面がある。医療に万能を求めてはなるまい。我々は諦(あきら)める術(すべ)を身につけ、観念すべき時を見極める勇気を持つべきだ。
医療といえども需給関係が経済性を決める。我々が不老不死を求めれば医療費は無限に増え続けることだろう。それでも人は死ぬ。必ず死ぬ。死は恐るべきものではないという社会常識を構築できないものか。
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