2020-08-15

手洗いを拒否した医師たち/『医師は最善を尽くしているか 医療現場の常識を変えた11のエピソード』アトゥール・ガワンデ


『予期せぬ瞬間 医療の不完全さは乗り越えられるか』アトゥール・ガワンデ

 ・手洗いを拒否した医師たち

『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ

 1847年、ウィーン在住の弱冠28歳の産科医、イグナーツ・センメルヴェイス産褥熱の原因は医師自身の手洗い不足にあることを証明した。医師ならばだれでも知っている有名な話である。感染症の原因は病原体にあることがわかり、抗生物質が発見される前までは、産褥熱は妊婦の死因のトップだった。産褥熱は細菌感染症であり、溶連菌が原因のトップである。溶連菌は急性咽頭炎の原因でもある。センメルヴェイスが働いていた病院では、毎年3000人のお産があり、そのうち600人以上がこの病気のために亡くなっていた。お産で2割が死ぬと聞けばだれでも怖くなるだろう。一方、当時、自宅でのお産では1パーセントしか亡くならなかったのである。センメルヴェイスはこの差の原因は、医師自身が菌を患者から患者に運んでいるからだと結論した。彼は自分が働く病棟では、医師も看護師も一人の患者の処置が終わるごとに爪の間までブラシと塩素でこすり洗いするようにさせた。病棟での産褥熱による死亡は1パーセント以下になった。これだけでも動かしがたい証拠のように見える。しかし、それでも医師の習慣は変わらなかった。同僚の産科医の中には、センメルヴェイスの主張を批判するものもいた。医師が菌を運んで患者を殺しているという考え自体が受け入れられなかったのである。センメルヴェイスは結局、賞賛を受けるどころか、病院での職を追われることになった。

【『医師は最善を尽くしているか 医療現場の常識を変えた11のエピソード』アトゥール・ガワンデ:原井宏明〈はらい・ひろあき〉訳(みすず書房、2013年/原書、2007年)以下同】

 当時、産褥熱の原因は瘴気(しょうき)と信じられていた。日本だと疫病の原因は「鬼」(き)と考えられてきた。節分の「鬼は外」も感染症の原因を祓(はら)う目的があった。鬼に関しては面白い話がたくさんあるのだが以下のページを紹介するにとどめておく。

鬼と呼ばれたもの
PDF:「鬼」のもたらす病―中国および日本の古医学における病因観とその意義―(上)/長谷川雅雄・辻本裕成・ペトロ・クネヒト

 話はこれで終わらない。センメルヴェイスは動物実験で証明することや論文を書くことを求められたが激しく拒んだ。理由は不明である。彼は侮辱されたとして激越な個人攻撃で応じた。病院スタッフにも厳しく当たるようになった。天才は狂信者に変貌した。

 病院とは患者の集まる場所である。時に医師や病院が感染を拡大させることがある。現場では基本である手洗いの励行すら難しいという。

 通常の石けんでもていねいに洗えば、感染症をそこそこ防げる。表面活性作用によってはほこりやあかが取り除かれる。しかし、15秒間洗ったとしても、菌の数はひと桁減る程度である。通常の石けんでは不十分であることをセンメルヴェイスは知っていて、だからこそ塩素水を感染症予防に使うようにした。今日の殺菌性石けんは菌の細胞膜と蛋白を破壊する塩化ヘキシジンのような薬品を含んでいる。このような石けんを使ったとしても、正しい手洗いを行うためには、厳密なやり方に従わなければならない。最初に、時計や指輪などの装飾品を取り外さなければならない。これらは細菌の住処として悪名高い。次に蛇口からのお湯で手を濡らす。石けんを出し、前腕の3分の1を含む手の皮膚全体につけ、15秒から30秒間(石けんによって異なる)洗いつづけなければならない。そして、すすぎを30秒間続ける。綺麗な使い捨てタオルで完全に乾かす。最後に、使い捨てタオルを使って蛇口を閉める。患者に触れるたびにこれを繰り返す。
 だれもこの通りにはやっていない。事実上不可能だ。朝の回診では、一人のレジデントが1時間あたり20人の患者を診て回る。集中治療室の看護師も同じくらいの密度で患者と接しており、そのたびに手洗いが必要である。手洗い1回に要する時間をなんとか1分以内に納めたとしても、それでも労働時間の3分の1は手洗いに使っていることになる。そして、何度も手を洗えば、皮膚が荒れ、結果的に皮膚炎を引き起こし、それがさらに細菌の数を増やす。

 感染症拡大の最も大きな原因は都市化による過密な人口だが、病院そのものが患者を過密化するシステムとして作動する。人類が目指した効率はウイルスや細菌にとって絶好の機会となった。

 結論は自ずと導かれる。都市化をやめるか、妥協をするかである。都市化をやめるのは政治決断である。通信技術は電話~FAX~オフィスオートメーション~インターネットと進展してきたが労働時間は決して短くならない。「OAによって事務が効率化したにもかかわらず、ジャパニーズビジネスマンの超過勤務がたった半時間でも減ったわけではない」(『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆)。霞が関の官僚が国会対策で深夜まで残業を強いられているわけだから、民間の効率化が進むことはまず考えにくい。まずは自民党が経団連の顔色を窺うことをやめて、霞が関改革と労働改革を推進する必要がある。

 日本の手洗い文化は神道の手水(ちょうず)に端を発する。元々は川で身を清めていた禊(みそぎ)を簡略化したのが手水の始まりとされる(手洗い、うがいの歴史は2500年続く | 一般社団法人京すずめ文化観光研究所)。西洋に2000年先んじていたといえば自慢が過ぎるが、国土に河川が多い地の利も見逃せない。水が豊富な国は存外少ない。

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