2021-11-15

ラバのように子孫ができない野菜/『タネが危ない』野口勲


『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』大塚貢、西村修、鈴木昭平
『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会
『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子

 ・ラバのように子孫ができない野菜

『野菜は小さい方を選びなさい』岡本よりたか
『土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命』ゲイブ・ブラウン

 もともと地方野菜とは、よそから伝播してその地の気候風土に馴化した野菜ばかりなのだから当然である。これこそ人間が移動手段を提供したために、旅をしながら遺伝子を変化させ続けてきた、野菜本来の生命力の発露なのだ。
 生命にとって変化は自然なことで、停滞は生命力の喪失である。変化を失った生命はもう生命とは言えない。気候風土や遭遇する病虫害に合わせ、己自身の内なる遺伝子に変化を促し続けてきた地方野菜こそ、生命力をたぎらせた野菜本来の姿なのだ。

【『タネが危ない』野口勲〈のぐち・いさお〉(日本経済新聞出版、2011年)以下同】

 読んだのは2014年の7月である。衝撃を受けた。

 と書いた後、パソコンの調子が悪くなった。リフレッシュした後、インターネット接続ができなくなり、その後初期化もできず、仕方がないのでノートパソコンを引っ張り出した。画面が小さいと書く気が失せる。

 話を戻そう。7年経つと些(いささ)か説得力が弱くなっている。私は宗教と科学についてはそこそこ鼻が利くのだが、殊(こと)、食に関しては批判力が弱まる。「ヘエー、フーン」なんて感じで読んでしまうのが常だが、おしなべて狭い考え方が前面に出ており、猛々しい否定でもって「我尊(たっと)し」と主張するものが多い。例えば糖質制限なども書籍によって糖質制限以外のアドバイスがバラバラで統一見解にまで至っていない。何にも増して平均寿命が伸びている現実を無視している著者が多い。まあ、赤ん坊の死亡率減少が最たる理由であったとしても、そこに触れなければQOL(生活の質)もへったくれもないだろう。

 本書では「一代雑種(F1、First Filial Generation)」としているが、Wikipediaでは「雑種第一代:Filial 1 hybrid」となっている。どちらが正しいのかは判然とせず。

 現在スーパーなどで普通に売られている野菜のタネは、ほとんどがF1とか交配種と言われる一代限りの雑種(英語ではハイブリッド)のタネになってしまっていて、この雑種からタネを採っても親と同じ野菜はできず、姿形がメチャクチャな異品種ばかりになってしまう。

 要はラバと同じなのだ。雄のロバと雌の馬を掛け合わせるとラバができる。しかしラバは繁殖することができない。F1種の場合、2代目、3代目はできるようだが異形になるらしい。雑種強勢が働くのだからよしとするのが推進派の考え方だ。「本来の姿」を思えば、ラバもまた人間の都合で勝手に作られた畸形(きけい)と言っていいだろう。私が座敷犬を好きになれないのも同じ理由のため。

 東京オリンピックを契機にした高度成長時代以降、日本中の野菜のタネが、自家採種できず、毎年種苗会社から買うしかないF1タネに変わってしまった。
 F1全盛時代の理由の第一は、大量生産・大量消費社会の要請である。収穫物である野菜も工業製品のように均質であらねばならないという市場の要求が強くなった。箱に入れた大根が直径8センチ、長さ38センチというように、どれも規格通りに揃っていれば、1本100円というように同じ価格で売りやすくなる。経済効率最優先の時代に必要な技術革新であったと言えるだろう。
 これに比べ、昔の大根は同じ品種でも大きさや重さがまちまちで、そのため昔は野菜を一貫目いくらとか秤にかけて売っていた。

 消費者と販売業者と生産者の呼吸が一致したわけだ。F1種は皆の要求から生まれたことがわかる。ただし、そうした事実が消費者に知らされていない。せめて「種のならない一代限りの雑種強勢」であることは伝えるべきだろう。

 近年、全国の種苗店のみならず、ホームセンター、JAでも、F1のタネばかり販売するようになったが、野口種苗は全国で唯一、固定種のタネの専門店を自称している。揃いが悪いので市場出荷には向かないけれど、味が好まれ昔から作り続けられてきた固定種は、家庭菜園で味わい、楽しむ野菜にはぴったりだ。

 野口勲は三代目である。

伝統野菜や固定種の種の通販|野口のタネ・野口種苗研究所

 大学を中退し、手塚治虫の虫プロに入社。『火の鳥』の編集者を務めた。そんな経緯にも触れている。

 私もそろそろ農業に手をつけようと考えているのだが、その時は野口のタネを利用したい。

「一粒万倍」という言葉に示されるように、一粒の菜(な)っ葉(ぱ)のタネは、1年後に約1万倍に増え、2年後はその1万倍で1億粒。3年後には1兆粒。4年後はなんと1京粒だ。健康な1粒のタネは、こんな宇宙規模にも匹敵する生命力を秘めている。

 F1種は遺伝子組み換えではないのだが不自然なことに変わりはない。最も厄介なのは消化機能の化学的メカニズムがよくわかってないことだ。食物のカロリーが全て体内で燃焼するわけでもない。だからといって大自然万歳と言うのもそそっかしい。多くの植物が外敵から身を守るために毒を放っているのだから。

 種苗メーカーや産地指導にあたる農業センターの人の話によると、外食産業の要求は、「味付けは我々がやるから、味のない野菜を作ってくれ。また、ゴミが出ず、菌体量の少ない野菜を供給してくれ」ということだそうだ。こうして世の中に流通する野菜は、どんどん味気がなくなり、機械調理に適した外観ばかり整った食材に変化していく。

 大手チェーン店の正体見たり。そのうち絶妙な味付けをした軟(やわ)らかいプラスチックを食べさせられるかもね。有名チェーン店で食事をするのは危険だな。

 もともと日本にあった野菜はわさびやフキ、ミツバ、ウドぐらいで、それ以外は世界中から入ってきて、日本の気候風土になじんだ伝来種である。遺伝子が本来持つ多様性や環境適応性が発揮されて、3年も自家採種を続ければ、新しい土地の野菜に育ってくれる。

 では古代人は何を食べていたのか? ドングリ、栗、魚、貝は知っている。アフリカから遠路はるばる極東の地まで辿り着いたわけだから、それ相応の知識が蓄積されていたはずだ。人類の進路は食料によって切り拓かれたことだろう。食べ物が乏しい地域では皆が死んでしまったはずだ。水と食料は絶対不可欠だ。

 私が気をつけているのは、まず美味しいと感じること、次に飽きないこと、そして体が温まることの3点である。先日、初めて大根の葉の味噌汁を作ったのだが、それほど美味くなかった。が、体が温まったのでよしとする。赤味噌を混ぜたのがよかったのかもしれない。茎が硬いのには大いに閉口した。

 自然ということを踏まえれば、年がら年中米を食べるのは明らかにおかしい。秋から冬にかけて食べるのが正しいと思う。あるいは根菜もまたしょっちゅう手に入るものではないだろう。でも、そう考えると毎日食べることができるのは魚と葉っぱくらいしか思い浮かばない。そろそろ昆虫食を考えるタイミングだな。

 蜂群崩壊症候群に関してもF1原因説を唱えているが果たしてどうか?



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