・『前夜』リー・チャイルド
・『キリング・フロアー』リー・チャイルド
・『反撃』リー・チャイルド
・前頭葉と大脳辺縁系
・『葬られた勲章』リー・チャイルド
透明人間でいることになれきってしまっていたからだ。自分がおかれた状況に目をそむけようとするもやもやした気分から出た反応であることは、脳みその前方の部分ではわかっていた。2年まえ、なにもかもがひっくり返ってしまった。お山の大将的な存在から、ただのその他大勢になった。高度に組織化された共同体の上官であり、なくてはならぬ存在から、2億7000万の名もなき市民のひとりになった。望まれる必要な人材から、いてもいなくてもいい存在になった。毎日つねに居場所を確認される状況から、この先たぶん40年以上にわたって、地図も日程表もなしに何百万平方キロにおよぶ広大なアメリカの大地と向き合う境遇になった。だからそういう反応もわからぬではないが、それにしても身構えすぎだ、と頭のなかで前頭葉が言っていた。ひとりでいるのは好きなくせに、まわりにだれもいなくなることには不安をおぼえる男の反応。そういうのは白か黒でないと気がすまない人間の反応だから、少し気をつけるべきだと前頭葉は語りかけていた。
しかし、前頭葉のうしろに埋もれていて生存本能をつかさどるトカゲ脳は、やはりひとりでいたいと告げていた。名無しの存在でいることが好きだった。だれにも知られない存在でいることが好きだった。そのほうが心穏やかでいられたし、快適で、安心できた。それをだいじにしていた。表向きは友好的で社交的だったが、自分のことを多く語ったことはなかった。支払いは現金、移動は陸路を好んだ。どんな乗客名簿にも載ったことがなかったし、クレジットカードをカーボン・コピーされたこともなかった。自分から名前を告げたこともなかった。キー・ウェストでは、ハリー・S・トルーマンの名前で安っぽいモーテルに宿を取った。宿泊者名簿に書かれた名前を見ていくと、自分だけが元大統領の名前を使っているのではないことがわかった。
【『警鐘』リー・チャイルド:小林宏明〈こばやし・ひろあき〉訳(講談社文庫、2006年)】
小林宏明の訳文は平仮名が多すぎる。せめて「だいじ」は漢字にすべきだろう。
ヒトの脳は左右に分かれているが、上下の位置によっても全く別の顔を見せる。トカゲ脳とは大脳辺縁系(情動脳)である。考えていることと感じることは違う。この不一致を克服するために「努力」という言葉があるのだ。
リーチャーが根無し草のような生活スタイルを愛するのは計画性の放棄である。計画や努力は社会的成功を目指す。そこで得られるものが何であるかよりは、羨望の眼差しが注がれることで幸福を覚えるのだろう。有名人、政治家、官僚など。ただし彼らの姿が幸せには見えない。ひょっとしたら私の眼が曇っているのだろう。
何らかの責任に伴う幸福はあり得る。世の中ではそれが金儲けにつながっているところに不幸がある。どんなに小さくてもよい。社会が向上するような仕事や行動が幸福に通じる。その意味から言えば、「自分だけの幸福」はあり得ない。幸せという感情は人と人との間に流れ通うものだ。
ジャック・リーチャーは漂泊しながら様々な出会いを重ね、ドラマを紡いでゆく。時折、軍という過去が蘇るが、決してそこに埋没することはない。飽くまでも遊撃手の立場を貫く。自由を声高に主張するよりは、気ままに行動する方が楽しくて余裕がある。
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