2012-09-15

偽りの画像が生む本物の迫真性


 flickrで見た一枚の画像に眼が釘づけとなった。反射的に画像のアカウントを辿った。私は息を呑み、眩暈(めまい)を覚えながら、震える指でクリックし続け、結局1000枚の画像を見る羽目となった。そして今再び1000枚の画像を見た。

 露出や露光を変えることで、現実にはあり得ない作品に仕上がっている。その意味では「偽りの画像」といってよい。だが実は単なるデフォルメではない。撮影対象を時間的・光学的に揺さぶることで視覚の本質に迫っている。

 私は小学生の時分に「なぜ眼が見えるのだろう?」とその不思議さに慄(おのの)いたことがあった。UFOや幽霊を見ることよりも、眼が見えること自体の方がはるかに不思議だ。

 その後、少なからず視覚に関する書籍を読んできた。現代科学はいまだ私の疑問に答えていない。それでも視覚のメカニズムは少しずつ判明している。実は我々の眼はそれほどよく見えてはいない。脳が多くの視覚情報を補正している。盲点は想像以上に大きいし、周辺視野は色を確認することができないのだ。

「見る」ということは、光の反射情報を受け取っていることだ。右耳と左耳との距離によって生じる時間差で方角を知るように、右眼と左眼の10cm足らずのズレによって我々は空間の奥行きを知覚する。

 昆虫は紫外線を見ることができる。また最近の研究によれば鳥類や魚類の多くも紫外線を認識することが明らかになっている。「目に映る世界」は決して一つではない。

 またモグラの眼は退化しているが困った様子はない。更に小型コウモリは超音波による反響定位で距離を測る。「耳で視ている」といってよい。

 長くなったので、もうやめる。一言でいえば視覚とは「脳内で像を結ぶ」知覚作用であろう。klikatu氏の写真は「イメージの原型」が持つ本物の迫真性に満ちている。

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迫真の肖像力

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