・『将棋の子』大崎善生
・少年時代の出会いが人生を大きく変える
・『傑作将棋アンソロジー 棋士という人生』大崎善生編
・『決断力』羽生善治
・『真剣師 小池重明 “新宿の殺し屋"と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯』団鬼六
試験将棋第一局から1週間ほどがたったある夜。
会社から帰宅した僕はいつものように、その日に届いた郵便物を母から受け取って自室に入った。いつものように、名前も知らない人からの手紙ばかりに見えた。
ところが、そのなかに一通、不思議な葉書があった。ドラえもんの絵が大きく印刷された葉書だった。その子どもっぽさに違和感(いわかん)があった。
誰だろう?
僕は子どもの頃、ドラえもんが好きだった。そのことを知っている人だろうか。ネクタイをゆるめながら葉書を裏返し、差出人の名を見る。
あっ。
葉書をもう一度ひっくり返し、ドラえもんの絵の上に書かれた文字を追う。
「だいじょうぶ。きっとよい道が拓(ひら)かれます」
いままで心の中で押し殺していたものが、堰(せき)を切ったようにこみ上げてくるものを感じた。嗚咽(おえつ)でのどが震(ふる)え、文面が涙(なみだ)で見えなくなる。それをぬぐっては何度も読み返す。そのたびにまた、新しい涙があふれてくる。
そうだった。すべては、この人のおかげだった。
何に対しても自信が持てなかった僕が、自分の意志で歩けるようになったのも、ここまでいろいろなことがあったけれどなんとか生きてきて、いま夢のような大きな舞台(ぶたい)に立つことができたのも。
もとはといえば、すべてこの人のおかげだった。
この人に教えられたことを、僕はすっかり忘れていた。いつのまにか僕は、僕でなくなっていた。僕は、僕に戻(もど)ろう。僕は、僕でいいのだから。
【『泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ』瀬川晶司〈せがわ・しょうじ〉(完全版、講談社文庫、2010年/講談社、2006年)】
プロ編入試験将棋の第一局に敗れた場面から始まる。既に瀬川一人の闘いではなくなっていた。それまでプロ棋士になるためには奨励会という徒弟制度を経て四段になることが決まりであった。しかも26歳という年齢制限があった。少年時代は地元で天才棋士と褒めそやされた綺羅星が次々と夜の闇の中へ消えてゆく世界である。才能だけではプロになれなかった。瀬川晶司は21歳で三段になっていたが惜しくも年齢制限に阻まれた。その瀬川が10年を経て35歳でプロ編入試験に臨んだのだ。
1944年(昭和19年)に真剣師の花村元司〈はなむら・もとじ〉がプロ入りしているが、当時はまだ奨励会が制度化されていなかった。ま、相撲や歌舞伎みたいな世界と考えてよい。家元制度もよく似ている。要は結果的に実力者を排除するシステムとして機能するところに問題があるのだ。ハゲは相撲取りになれないし、相撲部屋に属さない一匹狼も存在しない。力と技に加えて様式を重んじる世界なのだ。
瀬川のプロ入りは奨励会制度に風穴を開ける壮挙である。これに失敗すれば古いシステムは寿命を永らえてしまう。将棋ファンは色めき立ち、実力者は固唾を呑んで見守った。その第一局に瀬川は敗れる。絶対に落としてはならない勝負であった。茫然自失の態(てい)で家路に就く記憶も飛んでいた。
ドラえもんの葉書は小学校時代の恩師が書いたものだった。全く目立たない児童だった瀬川はこの女性教師と出会い大きく変わる。プロ棋士を目指したのもこの先生からの励ましによるものだった。瀬川は初心に返る。
心の綾(あや)というものは実に不思議だ。理窟(りくつ)だけで人の心は動かない。感情は理性よりも脳の深部に宿る。心の土台をなすのは感情だ。その情は絶えず流れながらも右に左に蛇行する。ここ一番という檜舞台で怖気づいたことは誰にでもあるだろう。失敗に対する恐れや不安が優れば本来の実力は発揮できない。
瀬川は念願のプロ入りを果たした。タイトルを毛嫌いして長らく手をつけてこなかったことが大いに悔やまれた。尚、恩師からの葉書は動画の中でも紹介されている。
・長距離ハイキング/『トレイルズ 「道」を歩くことの哲学』ロバート・ムーア
0 件のコメント:
コメントを投稿