・『物語の哲学』野家啓一
・『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
・自爆せざるを得ないパレスチナの情況
・9.11テロ以降パレスチナ人の死者数が増大
・愛するもののことを忘れて、自分のことしか考えなくなったとき、人は自ら敗れ去る
・物語の再現性と一回性
・引用文献一覧
・『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ
・『アメリカン・ブッダ』柴田勝家
・『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル
・『悲しみの秘義』若松英輔
・必読書リスト その一
サルトルは言った。「飢えて死ぬ子供を前にしては『嘔吐』は無力である」「作家たるものは今日飢えている20億の人間の側に立たねばならず、そのためには、文学を一時放棄することも止むを得ない」と。
・文学は役にたちますか?
・飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か
自問自答の深さが人々を粛然とさせる。文学に出来ることと出来ないことの境界を見極めようとする真摯な姿勢が胸を打つ。否、「胸を撃つ」というべきか。面白半分に扇情的な言葉をまき散らかすどこぞの都知事とは大違いだ。
サルトルが示したテーマに岡真理は敢然と挑む。一人の文学者としてサルトルの前に正座で向き合う。正しい姿勢が凛冽さを放っている。
「アーミナ」とはアラビア語で「信じる人」を意味する(※イブラーヒーム・ナスラッラー著『アーミナの縁結び』2004年、邦訳未刊)。夫のジャマールは生前、アーミナにこう語った。
人間とはいつ、自ら敗れ去るか、ねえアーミナ、きみは知っているかい? 人はね、自分が愛するもののことを忘れて、自分のことしか考えなくなったとき、自ら敗れ去るのだよ。たとえ彼にとってその瞬間、大切なものは自分自身をおいてほかにないと彼が思っていたとしてもね。それは本当のところ街をからっぽにしてしまうんだ。人もいなければ木々も、通りも、思い出も、家すらなく、あるのはただ家の壁の影だけ、そんな空っぽな街に……。
自分と自分たちだけのことしか考えなくなったとき、人間は自ら敗北するのだというその言葉は、パレスチナ人に自分たちと等価の人間性を認めず、自分たちの安全保障しか眼中にないユダヤ人国家の国民たちに対する根源的な批判であるだろう。
【『アラブ、祈りとしての文学』岡真理(みすず書房、2008年/新装版、2015年)】
イスラエルとユダヤ人を巡る問題は、その根を数千年前にまで伸ばす。旧約聖書の出エジプト記に端を発す。事実の有無を問うことに意味はない。ヨーロッパ、中東、ロシア世界で何千年にもわたって信じられてきた歴史だ。
世代から世代へと受け継がれると神話は事実と化す。物語とは時系列に因果を当てはめる脳の癖で、時間に支配されている。「昔々、あるところに――」。昔から現在へと向かい、未来を照らす教訓が物語であろう。
私の人生で「わかっている」ことは私の過去だけである。「明るい未来」などという言葉があるがこれは嘘だ。明るいのであれば「見えている」はずだ。一寸先は闇だ。暗いということではなくして、見えないから闇なのだ。
もう少し突っ込んでみよう。物心がついてから今日に至るまでが「私の世界」である。私にとって私が生まれる前の世界は存在しない。ところが父の世界があり、祖父の世界がある。私の存在しない世界を彼らは教えてくれる。こうして私は歴史的な存在となる。「昔々」が「私」という形に集約されるのだ。
それゆえ壮大な物語は桁違いの過去を目指す。創世記、久遠実成(くおんじつじょう)、ビッグバン……みんな一緒だ(笑)。未来がわからないものだから、永遠性を求めて過去に向かうのだろう。多分そんなところだ。
イブラーヒーム・ナスラッラーの言葉が心を揺さぶるのは、特定の宗教や政治性に彩られていないためだろう。万人が善と認める響きを伴っている。これが真の宗教性だ。
一方、正義は対立概念であり悪と戦わざるを得ない。泥棒にとっての正義は盗むことである。アメリカの正義はタリバンから見れば悪となる。
出エジプト記やバビロン捕囚の物語がユダヤ人迫害の口実となり、幾度となく虐殺されてきた。3000年に及ぶストレスがイスラエル建国に結びついた、というのが私の考えだ。
人類に「新しい物語」が必要なのか、それとも「物語性から離れる」ことが重要なのか――ここ数年にわたって思索しているが、まだ立ち往生中である。
・ユダヤ人が迫害される理由 I ユダヤ人の歴史
・ユダヤ人が迫害される理由 II ドレフュス事件
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