使い慣れた言い回しにも嘘(うそ)がある。時は流れる、という。流れない「時」もある。雪のように降り積もる◆〈時計の針が前にすすむと「時間」になります/後にすすむと「思い出」になります〉。寺山修司は『思い出の歴史』と題する詩にそう書いたが、この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であったろう。津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、震災が思い出に変わることは金輪際あり得ない。復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。いまも午後2時46分を指して、時計は止まったままである◆死者・不明者は約2万人…と書きかけて、ためらう。命に「約」や端数があるはずもない。人の命を量では語るまいと、メディアは犠牲者と家族の人生にさまざまな光をあててきた。本紙の読者はその幼女を知っている。〈ままへ。いきてるといいね おげんきですか〉。行方不明の母に手紙を書いた岩手県宮古市の4歳児、昆愛海(こんまなみ)ちゃんもいまは5歳、5月には学齢の6歳になる。漢字を学び、自分の名前の中で「母」が見守ってくれていることに気づく日も遠くないだろう。成長の年輪を一つ刻むだけの時間を費やしながら、いまなお「あの」ではなく「この」震災であることが悔しく、恥ずかしい◆口にするのも文字にするのも、気の滅入(めい)る言葉がある。「絆」である。その心は尊くとも、昔の流行歌ではないが、言葉にすれば嘘に染まる…(『ダンシング・オールナイト』)。宮城県石巻市には、市が自力で処理できる106年分のがれきが積まれている。すべての都道府県で少しずつ引き受ける総力戦以外には解決の手だてがないものを、「汚染の危険がゼロではないのだから」という受け入れ側の拒否反応もあって、がれきの処理は進んでいない。羞恥心を覚えることなく「絆」を語るには、相当に丈夫な神経が要る◆人は優しくなったか。賢くなったか。1年という時間が発する問いは二つだろう。政権与党内では「造反カードの切りどきは…」といった政略談議が音量を増している。予算の財源を手当てする法案には成立のめどが立っていない。肝心かなめの立法府が違法状態の“脱法府”に転じたと聞くに及んでは、悪い夢をみているようでもある。総じて神経の丈夫な人々の暮らす永田町にしても、歳月の問いに「はい」と胸を張って答えられる人は少数だろう◆雪下ろしをしないと屋根がもたないように、降り積もった時間の“時下ろし”をしなければ日本という国がもたない。ひたすら被災地のことだけを考えて、ほかのすべてが脳裏から消えた1年前のあの夜に、一人ひとりが立ち返る以外、時計の針を前に進めるすべはあるまい。この1年に流した一生分の涙をぬぐうのに疲れて、スコップを握る手は重くとも。
【「編集手帳」/読売新聞 2012-03-11】
読売新聞は異例の紙面となっていた。いつもより長文の「編集手帳」が一面トップに配され、以下の画像が紙面を覆った。
・多くの人が訪れた荒浜地区の慰霊碑。雪の降る中、しゃがみ込み祈る人もいた
コラムというよりは叙情に傾いた散文というべきか。
「羞恥心を覚えることなく『絆』を語るには、相当に丈夫な神経が要る」との一文に膝を打った。福島で原発事故が発生した際、大手新聞社の記者は一人残らず退避した。
福島第一原発、NHK40キロ、朝日新聞50キロ、時事通信60キロ、民法各局50キロ圏外に社員退避と内規で定めていると上杉隆氏が週刊文春に記していた。別に危険区域に特攻取材するのが偉いとは思わぬが被災地の方々も内規を知っている方もいる。こういうマスコミが報道している事は信じられない
— 岩田由記夫さん (@IWATAYUKIO) 4月 29, 2011
そして記者クラブはフリーランスを記者会見から排除し、官僚と東電の広報と化している。
そもそも日本に原子力発電を導入したのは正力松太郎(元読売新聞社社主)である。
ああ、そうか。コラム子(し)は自分の太い神経を自慢したのだな。
言葉というものは実に便利である。いつでも自由に嘘を書くことができる。
【追記】確か4面だと思ったが、石原伸晃(自民党幹事長)のインタビュー記事があり、中央に「政治をリセット」という見出しが付いていた。1~3面で震災を強調し、自民党支持へ誘導するような紙面づくりに呆れ果てた。
・正力松太郎というリトマス試験紙
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