・『カルト村で生まれました。』高田かや
・ヤマギシ会は児童虐待の温床
・『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広
・『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅
・『杉田』杉田かおる
・『小説 聖教新聞 内部告発実録ノベル』グループS
・『マインド・コントロール』岡田尊司
(※ヤマギシ会の集団農場へ)いま話題の「船井総合研究所」は94年の10月に「岐阜県庁の職員と岐阜市内の中小企業経営者34人」を従えてやってきているし、96年11月には評論家の鶴見俊輔が訪問している。
EM菌や『脳内革命』の春山茂雄を絶賛してやまない船井幸雄を長とする総合研究所の面々が訪れ、その一方日本を代表する評論家が訪れる。ただ面食らうばかりだが、日本の社会がヤマギシ会に幻惑されているのではないかとすら思えるほど、多士済々たる人物が集団農場を見学しているのだ。
53年に発足したヤマギシ会(当時は山岸会)は、そもそも養鶏家である山岸巳代蔵(1901~61年)が提唱したヤマギシズムを実践し、〈無所有一体〉の〈ヤマギシズム社会〉を実現せんとする団体である。
【『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』米本和広(洋泉社、1997年/宝島社文庫、1999年/新装版、2007年)以下同】
船井幸雄はスピリチュアル系で鶴見俊輔は進歩的文化人(=左翼)の筆頭である。資本主義に嫌気が差すと誰もが自給自足コミュニティを思いつくことだろう。トルストイも実際に行った(トルストイ運動)。人が集まる事実を思えば何らかの魅力があるのは確かだろう。目新しいものを好む著名人が評価することも決して珍しくはない。島田裕巳〈しまだ・ひろみ〉に至っては今でも評価している(「ヤマギシ会はまだやっていた」島田裕巳)。
正式名称は幸福ヤマギシ会である。「売り上げ規模では農事組合法人のトップに位置している」(Wikipedia)というのだから侮れない。ヤマギシズム社会実顕地は全国に展開。幸か不幸か私はヤマギシ会の商品を見たことがない。
出発点で掲げた理想はどのような団体であれ正当性がある。集団を運営してゆく過程で邪教化するのだ。正しさを強制する瞬間から誤った手段がまかり通るようになる。
ヤマギシ会の悲惨さは子供たちの姿を見ればわかる。
健二も思い出を口にするようになった。
「ヤマギシ会では上級生に首をしめられたり、ぶっ殺す、と脅された。いつもいつもいじめられていた」
「6年生に首を締められたんだよ」
「お腹が痛くても、病院に連れていってくれなかった」
「宿題ができないと、(施設の)廊下に正座させらたんだ」
「世話係(学園の担当者)がものすごく怖かった」
「親しい友だち同士で話をするときは、『俺たちは親から捨てられた子』と言っていたんだ」
自殺を企てた健二の親はいったい、どう感じているのか。そのことを口にすると、教師の顔は暗くなった。
授業参観のあとで、両親を校長室に呼び、ひととおりの経過を説明したが、母親は動揺した素振りを見せず、平然とした態度で、こう話したという。
「ヤマギシ会でのびのび育ち、自分で自分を見つめられるようになって欲しいと願って、ヤマギシに入れたのです。ヤマギシに入れたことをもって、親の愛情不足と思われては困ります」「(健二が)飛び降りてもいいし、死んでも構いません。家の中でも、そんなに死にたいのなら死ねばいいと言っています。あの子はみんなの気を引こうとしただけなのです」
近くにいた教師が食い止めていなかったら、わが子は確実に怪我をしていたか、死んでいたというのに、である。
「正しさ」が人々を抑圧し、そのはけ口が弱者に向かう。子供たちは満足に食事も与えられない。実顕地に入った途端、私有財産は没収され、親子は離れ離れで生活することになる。虐待された児童は誰にも助けを求めることができない。
幸福への願いは不幸の反動である。幸福を追い求め続ける人々に真の幸福が訪れることはないだろう。欲望は果てしなく強化され、どこまで行っても満たされることはない。ヤマギシ会の人々は生活の保障を手に入れる代わりに子供たちの幸福を犠牲にしている。
ヤマギシ会の生産品を購入する人々は児童虐待に加担していることを自覚すべきだろう。
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