【世界恐慌とテロに関する覚え書き】世界恐慌(1929年)。NY市場の株価暴落に端を発する。「暗黒の木曜日」。銀行が連鎖倒産。FRBの政策ミスが世界に飛び火。日本は関東大震災(1923年)、昭和恐慌(1927年)で経済弱体。カウンターパンチを食らう。(続く)
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 13
不況は生活の様々な場面でストレスを生む。不如意が暴力の温床となる。不況=悪という思い込みが先鋭的な正義に結びつく。こうしてテロが発生する。濱口雄幸首相遭難事件(1930年)、東京駅で愛国社社員の佐郷屋留雄(21歳)に銃撃される。一命は取り留めたものの5ヶ月後に死亡。(続く)
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1931年、政治結社「桜会」によるクーデターの計画が発覚(三月事件)。日本陸軍の中堅幹部によって計画された、クーデター未遂事件。計画に関与した者の中に陸軍首脳部も含まれていたことから、事件を知った陸軍は、首謀者に対して何らの処分も行わず、緘口令を布いて事件を隠匿した。(続く)
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十月事件(1931年)。1931年10月の決行を目標として日本陸軍の中堅幹部によって計画されたクーデター未遂事件。錦旗革命事件とも。三月事件にも関わった桜会が中心となり、大川周明・北一輝らの一派と共にこの動きに呼応するクーデターを計画した。(続く)
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血盟団事件とは、1932年2月から3月にかけて発生した連続テロ事件である。事件を起こした血盟団は日蓮宗の僧侶である井上日召によって率いられていた集団であった。配下の血盟団メンバーに対し「一人一殺」「一殺多生」を指令。前大蔵大臣の井上準之助が射殺された。(続く)
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五・一五事件で、犬養毅首相が殺害される(1932年)。大日本帝国海軍の青年将校を中心とする反乱事件。武装した海軍の青年将校たちが首相官邸に乱入し、当時の護憲運動の旗頭ともいえる犬養毅首相を暗殺した。犬養は「話せばわかる」と説得するも凶弾に斃(たお)れた。(続く)
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福岡日日新聞が五・一五事件を社説「敢て國民の覚悟を促す」で批判し、久留米師団や在郷軍人から威嚇される(1932年5月17日)。続く
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1933年2月20日、作家小林多喜二が治安維持法違反容疑で逮捕される。東京・築地署に留置され特別高等警察の拷問により虐殺される。
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神兵隊事件。1933年7月11日に発覚した、愛国勤労党天野辰夫らを中心とする右翼によるクーデター未遂事件。血盟団事件、五・一五事件などの流儀を受け継ぎ、大日本生産党・愛国勤労党が主体となって、閣員・元老などの政界要人を倒して皇族による組閣によって国家改造を行おうと企図した(続く)
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1934年3月9日、時事新報社社長・武藤山治、神奈川県大船町(現:鎌倉市)の別邸近くで狙撃される(翌10日死去)。
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相沢事件は、1935年8月12日に、皇道派青年将校に共感する相沢三郎陸軍中佐が陸軍省において、統制派の永田鉄山軍務局長を殺害した事件である。(続く)
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天皇機関説を提唱した美濃部達吉が、右翼に襲撃されて負傷(1936年2月1日)。続く
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二・二六事件は、1936年2月26日から2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件。岡田啓介首相が襲撃され、高橋是清蔵相・斎藤實内大臣・渡辺錠太郎教育総監が殺害された。(続く)
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1936年2月27日、東京市に戒厳令布告(~7月16日)。続く
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1937年1月21日、第70回帝国議会において「腹切り問答」。http://bit.ly/9HZ9lX
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・腹切り問答
1937年2月17日、死のう団事件。日蓮宗系の殉教的宗徒集団「日蓮会」の5人が皇居・国会議事堂前などで切腹を図る。http://bit.ly/d1AxWh
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・死のう団事件
そして1939年に第二次世界大戦が始まる。見逃してならないのは、テロと全体主義が腕を組んで歩いていたこと。抑圧によって貯まったエネルギーは何らかの形で必ず弾ける。本来であれば、最も信頼されるべき政治家やメディアが、平然と嘘を吹聴するような時代だ。圧縮された憎悪がそこここに見える。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 13
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