2020-10-08

群集状態と群集心理/『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『文化的進化論 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』ロナルド・イングルハート
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三
『人類史のなかの定住革命』西田正規

 ・定住革命と感染症
 ・群集状態と群集心理
 ・国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ
 ・穀物が国家を作る

『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
『脱税の世界史』大村大次郎
・『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『近代の呪い』渡辺京二
『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二

必読書リスト その四

 最初の文字ソースからはっきりわかるのは、初期のメソポタミア人が、病気が広がる「伝染」の原理を理解していたことだ。可能な場合には、確認された最初の患者を隔離し、専用の地区に閉じこめて、誰も出入りさせないというステップを踏んでいる。長距離の旅をする者、交易商人、兵士などが病気を運びやすいことも理解していた。分離して接触を避けるというこの習慣は、ルネサンス時代に各地の港に設置されたラザレット〔ペスト患者の隔離施設〕を予見させるものだった。伝染を理解していたことは、罹患者を避けるだけでなく、その人の使ったカップや皿、衣服、寝具なども回避したことからも示唆される。遠征から還ってきて病気が疑われる兵士は、市内に入る前に衣服と盾を焼き捨てるよう義務づけられた。分離や隔離でうまくいかなければ、人びとは瀕死の者や死亡者を置き去りにして、都市から逃げ出した。もし還ってくるとしたら、病気の流行が過ぎてから十分に期間をおいてからだった。またそうするなかで、逆に病気を辺境へと持って行ってしまうことも多かったに違いない。そのときには、また新たな隔離と逃避が行われたのだろう。わたしは、初期の、記録のない時期に人口密集地が放棄されたうちの相当多くは、政治ではなく病気が理由だったと考えてまず間違いないと思う。

【『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット:立木勝〈たちき:まさる〉訳(みすず書房、2019年)】

 やはりコロナ禍であればこそ感染症に関する記述が目を引く。「初期のメソポタミア人」とは紀元前3000年とか4000年の昔だろう(メソポタミア文明)。恐るべき類推能力といってよい。脳の特徴はアナロジー(類推、類比)とアナログ(連続量)にあるのだろう。

 ここでの目的のために、この群集と病気の論理を適用するのはホモ・サピエンスだけにしておくが、今の例のように、この論理は、病気傾向のあるあらゆる生命体、植物、あるいは動物の群集に容易に適用できる。これは群集に伴う現象だから、鳥やヒツジの群れ、魚の集団、トナカイやガゼルの群れ、さらには穀物の畑にも同じように適用できる。遺伝子が類似しているほど(=多様性が少ないほど)、すべての個体が同じ病原菌に対して脆弱になりやすい。人間が広範に異動するようになるまでは、おそらく渡り鳥が――1カ所にかたまった営巣することや群集して長距離を移動することから――遠くまで疾患を広める主要な媒介生物だっただろう。感染と群集との関係は、実際の媒介生物による伝播が理解されるずっと前から知られていて、利用されてきた。狩猟採集民はそのことを十分にわかっていたから、大きな定住地には近寄らなかったし、各地に離れて暮らすのも、伝染病との接触を避ける方法だと見られていた。

 渡り鳥から他の動物に感染する規模は限られる。ましてその動物と人間が接触する可能性は更に限られる。人間にとって低リスクということはウイルスや微生物にとっては高リスクとなる。奴らが生き延びる可能性は乏しい。

 もう一つ別のシナリオを考えてみよう。寄生生物は宿主(しゅくしゅ)を操る(『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ)。ひょっとすると寄生生物の操作によって人類は都市化をした可能性もある。リチャード・ドーキンスは「生物は遺伝子によって利用される乗り物に過ぎない」と主張した(『利己的な遺伝子』1976年)が、「寄生生物によって利用される乗り物」ということもあり得るのだ。

 定住とそれによって可能となった群集状態は、どれほど大きく評価してもしすぎにはならない。なにしろ、ホモ・サピエンスに特異的に適応した微生物による感染症は、ほぼすべてがこの1万年の間に――しかも、おそらくその多くは過去5000年のうちに――出現しているのだ。これは強い意味での「文明効果」だった。これら、天然痘、おたふく風邪、麻疹、インフルエンザ、水痘、そしておそらくマラリアなど、歴史的に新しいこうした疾患は、都市化が始まったから、そしてこれから見るように、農業が始まったからこそ生じたものだ。ごく最近まで、こうした疾患は人間の死亡原因の大部分を占めていた。定住前の人びとには人間固有の寄生虫や病気がなかったというのではない。しかし、その時期の病気は群集疾患ではなく、腸チフス、アメーバ赤痢、疱疹、トラコーマ、ハンセン病、住血吸虫症、フィラリア症など、潜伏期間が長いことや、人間以外の生物が保有宿主であることが特徴だった。
 群集疾患は密度依存性疾患ともよばれ、現代の公衆衛生用語では急性市中感染症という。

 つまり感染症は人類の業病ではなく都市化による禍(わざわい)なのだ。移動しない群れで私が思いつくのは蟻(あり)くらいなものだ。定住・農耕革命は人類を蟻化する営みなのかもしれない。

 いずれにせよ国家システムが進化の理に適っているのであれば人類は感染症と共生できるだろう。そうでなければ感染症によって死に絶えるか、あるいは国家以外のシステムを築いて生き延びるしかない。

 群集状態には感染症リスクが伴うが、群集心理には付和雷同・価値観の画一化・教育やメディアを通した洗脳などの問題があり、こちらの方が私は恐ろしい。

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