・『管仲』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・大いなる人物の大いなる物語
・律令に信賞必罰の魂を吹き込んだ公孫鞅
・孫子の兵法
・田文の光彩に満ちた春秋
・枢軸時代の息吹き
・『長城のかげ』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
物語は第4巻でクライマックスに至る。敢えてそう書いておこう。宮城谷作品は、ある種の透明感をもって幕を下ろすのが特徴だ。人が歴史に溶け込むような印象を受ける。目の前で躍るように活躍していた登場人物が、再び歴史の彼方へと去ってゆくのだ。
田忌(でんき)と鄒忌(すうき)の政争、白圭(はくけい)の堤防事業、田文(でんぶん)と洛芭(らくは)の運命的な出会い。歴史の歯車が音を立てて回り始める。
「田忌(でんき)将軍のご気性からすると、善を喜び、悪を憎むことがどちらもはげしい。それをけむたがる者は、善の仮面をつけて悪をおこなう」
【『孟嘗君』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)以下同】
宋江(そうこう)が『水滸伝』の主役となっている意味が初めて腑に落ちた。清らかな権力者は必ず他人にも厳しくなる。当然、恨みを買う場面も増える。気づかぬうちに不満分子が寄り集まる。そこに鄒忌(すうき)が付け込む隙(すき)があったといえる。
斉(せい)の貴族のなかで、いや、中国の貴族のなかで、食客(しょっかく)をかかえはじめたのは、田嬰(でんえい)が最初であろう。
孫ピンの下(もと)で学んだ田文が今度は食客に揉まれながら著しい成長を遂げる。食客は臣下ではない。このため恩を感じても、忠を尽くす義務はない。主人を助ける助けないも彼らの自発による。若き田文は食客たちの心をつかんでゆく。後々彼らは田文を大いに助けることとなる。
――人には他人にいえぬことがある。
それをことばではなく、心でわかることが、ほんとうにわかるということではないのか。真意というものはことばにすると妄(うそ)になる。だから、いわない。黙っていることが真実なのである。
これを私は27歳の時に知った。人生を変えるほどの感動に包まれたことがあった。それを友人たちの前で語ろうとしてやめた。「言葉にすると嘘になるから」と私は言った。もちろん文脈は異なっているが、言葉にできぬ思いという点では一致している。
また、30代半ばではこんなこともあった。後輩の父親が二度にわたって自殺未遂をして行方不明となった。半年後に首を吊った遺体が発見された。風の如く後輩の家を訪ねると、いつもと変わらぬ姿があった。お母さんと妹もニコニコしていた。座卓を囲みしばし沈黙した後、私は後輩の膝を思い切り叩き、「すまん、何もできなかったよ!」と言うなり泣いた。その瞬間、居合わせた全員がわっと声を上げて泣いた。ただ泣いた。泣いて泣いて泣き抜いた。言葉は要らなかった。
長い人生にはそういうことが何度かあるものだ。真の理解は沈黙の底から生まれる。
「文(ぶん)どのはよい声をしておられる。じつにすがすがしい。天と地とが和したような声だ。億万人にひとりの声だ、と申しておこう」
声の響きが大切である。声はその人の生命の反響である。文章は嘘をつけるが、声は誤魔化せない。
――外交は目でするものではない。耳でするものだ。
それが田嬰(でんえい)のかけひきの秘訣(ひけつ)であった。
父・田嬰(でんえい)も声から相手を見抜くことができる人物であった。聞く人が聞けば、おのずと正邪のバイブレーションがわかるものだ。
白圭(はくけい)は私財をなげうって黄河の堤防事業を開始する。商いで稼いだ金を民に返すというのが持論であった。白圭と再会した田文(でんぶん)は右腕として事業の指揮をとる。そこで赤子(あかご)の時、一緒にさらわれた洛芭(らくは)と巡り会う。
田文(でんぶん)は光彩に満ちた春秋を歩む。彼には焦りがない。そして、じっくりと時を待つ肚(はら)ができていた。
数千年の時を超えて英雄が立ち上がってくる。足腰の力がなければ踏みこたえることができない。前屈(かが)みの姿勢で本書を開くべきだ。
・「武」の意義/『中国古典名言事典』諸橋轍次
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