・『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武
・『こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者・大江健三郎への告発状』谷沢永一
・『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』谷沢永一
・『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
・『いま沖縄で起きている大変なこと 中国による「沖縄のクリミア化」が始まる』惠隆之介
・『北海道が危ない!』砂澤陣
・『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
・『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう』村田春樹
・『自治労の正体』森口朗
・『戦後教育で失われたもの』森口朗
・新左翼の「加入戦術」
・『左翼老人』森口朗
・『売国保守』森口朗
・『愛国左派宣言』森口朗
・『知ってはいけない 金持ち 悪の法則』大村大次郎
このようにエリート用の本音と大衆用の建前が分離している状態のとき、社会学や政治学では宗教になぞられて前者を「密教」あるいは「秘儀」、後者を「顕教」あるいは「公儀」と表現することがあります。
例えば、明治国家のエリート内では天皇機関説は常識でした。しかし一方で、大衆には天皇は現人神(あらひとがみ)だと教えていました。この場合、天皇機関説が「密教」「秘儀」で、天皇は神様だという考えが「顕教」「公儀」になります。
日教組も同様で、幹部用の思想=「共産主義」と、一般組合員用の思想=「戦後民主主義」を分離したといえます。ただ、日教組が明治国家と異なる点は、組合活動を通じて顕教信者が徐々に密教信者へと変っていくことでした。
【『日教組』森口朗〈もりぐち・あきら〉(新潮新書、2010年)以下同】
森口朗は説明能力が高い上にバランス感覚が優れている。むしろ保守系であれば異を唱える人が出かねないほどのバランス感覚である。その批判は左翼のやりたい放題を不問に付してきた自民党や官僚にまで向けられる。55年体制の馴れ合いこそが戦後レジームの本質であり、自主憲法制定を阻んできたのだろう。GHQが作った枠組みの中で、ぬくぬくと防衛費を惜しみながら国防を米軍に委ね、経済的繁栄を謳歌してきたのが日本の戦後であった。
顕教は「けんぎょう」と読む。一般的には経典に説かれた教えが顕教で、秘密の教えが密教とされている。最澄が台密で、空海が東密である。禅宗以外の鎌倉仏教はおしなべて密教と考えてよい。
密教とは後期仏教(大乗)が大衆に迎合してヒンドゥー教的色彩を施したものである。すなわちブッダの教えを信仰のレベルに貶めたのが密教化であり、瞑想を祈りに摩り替えた。これが私の考えだ。そもそもブッダはこう説いている。「わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は、存在しない」(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元〈なかむら・はじめ〉訳)。それを「実は握拳があった」とするのが密教の立場であろう。師の冒涜これに過ぎたるはなし。
60年代後半に大学生だった世代が70年代前半になると教員社会に流出しはじめます。この世代は学生運動が盛り上がった世代として知られていますが、彼らの中では、従来の左翼=日本共産党や社会主義協会派とは異なる、いわゆる新左翼と呼ばれる集団が大きな支持を得ていました。
新左翼は、平和革命を志向する社会主義協会派や、一向に暴力革命を起こしそうにない日本共産党を「既得権にしがみついて闘わない左翼である」と批判し、自らを彼らと一線を引く戦闘的左翼だと位置づけました。そして暴力革命を真正面から肯定し、実際に火炎瓶を交番に投げつけるなどの暴行を行いました。当然ながら警察は治安を維持するために新左翼団体に所属しているだけでブラックリストに載せてマークします。今でも彼らが、ヘルメットをかぶり、サングラスをかけ、タオルでマスクのように顔を覆っているのは警察のリストに載るのをさけるためです。
新左翼の学生たちは、就職を機に学生運動から足を洗って企業戦士になった者もいましたが、足を洗わずに社会に潜入する連中も少なからずいました。その潜入先として多くを占めたがの、教育を含めた地方公務員や郵便局・国鉄・電電公社・専売公社など現業系の国家公務員です。
同じく就職するのに、なぜ足を洗った人は民間企業に就職し、足を洗なわなかった人は公務員になったのか。そのなぞを解くためには、新左翼独特の「加入戦術」という考え方を理解しなければなりません。
彼らが夢想する暴力革命を実現させるためには、仲間を増やさなければなりません。しかし、まともに暴力革命を説いても相手にされるはずはないですから、なるべく思想的に近い組織に潜り込み、組織内で仲間を増やして乗っ取る戦術が考案されました。これを加入戦術と言います。加入戦術は旧社会党やその支持母体である官公労に対して行われました。こうして、70年代に大量の新左翼が教育を含めた公務員になったのです。
新左翼は一種の先祖返りである。キリスト教でいえばプロテスタントに近い。運動が澱(よど)むと必ず原理主義的回帰に向かう。教祖であるマルクスに忠実であろうとすれば自ずと暴力革命を志向する。否、暴力革命を避ければ最早マルキシズムとは言えない。
加入戦術から細胞を形成し、既成組織を白蟻のように喰い付くし、赤い色で染め上げるのが左翼の手法である。日本では革命という言葉が世直しと同義で受け止められたこともあって、多くの若者が取り込まれていった。知的な若者は左翼に、貧困で苦しむ者は創価学会に参加したのが当時の世相といってよい。
大衆には才覚がない。財力もなければ人脈もない。国民の7割が凡人だとすれば、社会主義思想に魅力を感じるのは当然ともいえる。またそこに資本主義の脆弱さもあるのだろう。要は競争と分配の比率に尽きるわけだが、一君万民の伝統を有する我が国は元々社会主義との親和性が高い。企業や組織の内部では社会主義が堂々と罷(まか)り通っている。
本音を隠すという一点において、左翼を信ずるのは誤っていると断言できる。